44 「8年も待ち続けたあの馬鹿に」
官長がゆるく手を振ると、テセルは俺から少し距離を置いた場所で足を止めた。
考えろ、考えろ! 官長が喋っている間に、俺と女神が無事に助かる方法を。
縛られているのは手だけだ。逃げ出そうと思えば、出入口までは捕まらずに行けるはずだ。足には自信がある。でも、扉のところに立っている制服、扉の開閉、女神を連れて行く、の3つを同時に解決する方法が思い浮かばない。
官長は、必死に考えを巡らせる俺のことなんてお構いもなしに、告げた。
「私が女神に約束された運命の相手は、アイセン・ファルマン監査官」
「は、はあ!?」
ド級の爆弾発言に、俺の思考は一瞬で吹き飛んだ。
「私も最初に聞かされたときは、何かの間違いだと思った」
そりゃあそうだろう。まさかの取り合わせだと思う。
俺の記憶にあるアイセンの言動や、宮殿内でこっそり聞いた言い争いが、ようやく繋がっていく。そういうことか。
官長はワントーン低い声で、静かに言い募る。
「家の血を繋ぐ使命のある私には、大問題だ。家柄の釣り合う令嬢と結婚し、子を成し、宮殿での仕事をつつがなくこなすことこそ、私の生まれた意味だと思っていたのに。
……それがどうだ、私の運命の相手が男だと? しかも、私とは到底釣り合うことのなさそうな、ただの同僚だ」
そうだ、この人いい家柄のエリートなんだった。家のこともあるだろうし、お育ち的にもキレイな未来を思い描いていたなら、承服しかねる神託だったろう。
ようやく官長の抱く不満と嫌悪感の正体を知って、俺は言った。
「それなら、アイセンさんとよく話し合えばよかったのに。家のことがあるから、アイセンさんとは一緒になれないって……」
「8年だぞ!」
吐き捨てた官長は、顔を歪めて続けた。
「自分から諦めるかと思って待ってやっていたのに、8年も待ち続けたあの馬鹿に、今さら何を話せと言うんだ?! おまえの8年は無駄だったんだ、いい加減諦めろと、あの目を見ながら言えるとでも?!」
血を吐くように叫んだ後も、官長は唇をわなつかせていた。なぜか、泣きそうだ、と思った。
ああ、この人。アイセンを真正面から拒絶する勇気がないんだな。
大好きですよと、いつぞや口にしたアイセンを思い出す。
俺だって、結局ハルキとは何もなかったのに、ハルキのことを想ってしまった。女神に言われて、意識してしまうことだってある。
始まりはどんな形でも、気持ちは自分のものなんだ。
俺の同情じみた空気が伝わってしまったのか、官長は忌々しげに舌打ちした。
「……冥土の土産を持たせすぎたな」
「いや、全然いいよ。もっと持たせて。好きなだけ」
官長の話に集中しすぎてしまった。脱出の糸口はつかめないままだ。ぜひもっと喋って、俺に考える時間をちょうだい。
「テセル」
「うわ、待って待って! 嫌だ、俺まだ死にたくないよ!」
呼ばれたテセルは近付いてきて、俺の両足を押さえつけるかのようにのしかかってきた。
何か手慣れてません? 前にも何人か口封じしたとか言わないよね?
俺が騒ぐのを聞いた官長は、腕組みして俺を見た。
「そうか、死にたくないか。1つ条件をのむなら、生かしておいてやってもいい」
わずかに灯った希望に喉を鳴らした途端、官長は無慈悲に笑った。
「私たちの共犯となって、ここで女神を破壊したことを黙っていれば」
提示された条件を、俺は口の端を持ち上げてはねのけた。
「お断りだね」




