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音速チョコレートに運命の相手はいない。  作者: モノクローマー
音速チョコレート、真相を知る
39/50

39 「あいつの隣に立つようには、生まれてこなかったんだ」

空にはわずかにオレンジ色が混ざって、もう日が傾きかけていた。夜の気配のするひやりとした風が通り過ぎて、濡れた頬を冷やしていく。そろそろアイセンが宮殿に来るかもしれない。先に女神から官長の話を訊こうとしただけだったのに、何の情報も得られなかった。でも、今また女神に会いたくないな。


広場もだいぶ閑散としてきた。完全に日が落ちる頃には広場の出入口も閉じるから、参拝客が少なくなるのも当たり前だ。


宮殿内から誰かが追いかけてくるような気配もなくて、安心すると同時に寂しくもなった。


元々、あいつは必死に何か働きかけてくるような奴じゃないし、そもそも運命の相手じゃない。それでも、扉が開いて姿を見せてくれることを期待してる自分が馬鹿らしかった。


考えようとするとじわりと視界がにじんでしまって、乱雑に目元をこする。


アイセンが来たら、今日はもう帰りたいって言おう。何なら犯人探しも、もう手伝えないって。


ハルキを心配する権利なんて、俺にはなかったんだから。


鼻の奥が痛くなって、震える肩を押さえつけたとき、不意に声をかけられた。


「大丈夫?」


気付かないうちに、誰か近寄ってきてたんだろう。かわいらしい声のした方を見やると、ゆったりした服の女子が立っていた。涙のたまった目ではきちんと姿を捉えきれなくて、まばたきをくり返して涙を引っこめる。


そこに立っていたのは、見たことのある顔だった。いつか、広場で泣き崩れた子。女神の神託を呪いと呼んだ彼女。


俺は慌てて頬を拭って女子に向き直る。女子は目に心配そうな色を浮かべて、少し笑った。


「いつかの逆ね。私でよければ、話聞きましょうか?」


向こうも俺の顔を覚えていたらしい。俺はどうにか元気を振り絞って、笑顔を作る。


「格好悪いとこ見られちゃったな」


「お互い様でしょ。私の方が酷いところを見せちゃって……。あのときは、ごめんなさい。一言謝りたかったのに、言えずじまいで」


申し訳なさそうに目を伏せる女の子に、俺はゆるく首を振った。


「いいよ、気にしなくて。今のでおあいこってことでさ」


女の子はうかがうように俺を見つめる。


「本当に? 今のでおあいこでいいの?」


「え?」


「私でよかったら、話、聞くわよ。……悲しいことやつらいことを分かち合えるのは、女神じゃなくて、人間だもの」


それは、心の柔らかいところに染みこむような言葉だった。


いつか、ツェルマ官長が言っていたような言葉だ。そういえば、あのときはこの子の話を聞きにいく官長を見送ったんだった。


「俺、すごく、心配してた相手がいて……」


俺は、思いがけず口を開いていた。


「理解できるようにがんばろうって、俺のできる限りで寄り添って、一緒に生きていこうって、俺なりにがんばったんだけど……」


口にしながら、どんどん自分でも何が悲しいのかわからなくなってくる。どれがショックで、何が辛いのか、胸の内はぐちゃぐちゃだ。


ただ、あの頼りない声が、情けない顔が、全然格好よくないけど精一杯優しくしてくれたあの男が、俺の運命の相手じゃなかったことが、こんなにも苦しい。


「俺は、あいつの隣に立つようには、生まれてこなかったんだ」


喉の奥が熱い。頭がしびれるほどの感情がせり上がってきて、一気にあふれだした。堪えきれない嗚咽をこぼしながら、どこか冷静な自分が心の中でつぶやく。


ああ、俺、ハルキのこと好きだったんだなあ。


こいつとなら一緒に生きていけるとか、努力して対等に扱われたいとか、そういうのは全部女神に約束された相手だからって言い訳してたけど、そうじゃない。俺があいつと、歩いていきたいと思ったから生まれた感情だったんだ。


堰を切ったように、目から熱いものがこぼれ落ちていく。立っているのがつらくなるほどの眩暈がして、よろめいた。女子の小さな手が俺の体を支えてくれる。みっともないと頭ではわかっているのに、ひたすら悲しむ俺の魂は落ち着いてくれなかった。


女子は俺をなだめるように背中を撫でてくれていた。いつかのあの日、言葉もなく、助け起こしてあげられなかった俺とは大違いだ。


「つらかったわよね。女神様は残酷。私たちが苦しんでても、どうにもしてくれないんだもの。神託を投げつけてくるだけで、私たちの痛みを取り除く力なんてないのよ」


女子はささやきながら、俺の両手をとる。


「あんな神様に、私たちの未来が決められるのは業腹じゃない? 私たちは、私たち自身の力で、未来を決めるべきよ。女神なんて要らない、そうでしょう?」


しゃくり上げながら、俺はもうろうとした意識を女子に向ける。虚ろな瞳を爛々と光らせた彼女は、俺に「ねえ」と同意を迫った。


俺は何を求められているんだ、と考えた瞬間、背後から声をかけられた。


「どうした、何かあったのか?」


揺らぐ視界を動かして振り返ると、そこには1人の制服が立っていた。こいつ、どっかで見たことある。誰だっけ。


広場ではよくあることだと官長も言っていたから、俺が今こうして泣いているのは、いつもの騒ぎとしてカウントされていることはすぐにわかった。事態を収めるために駆けつけてきたのか。ごめん、今宮殿の奴らとは関わりたくないんだ。


何でもないです、すみません、と言おうとしたところだった。不規則に跳ねる肺を押さえつけようと、俺が軽く息を吸ったとき、女の子は言った。


「テセルさん、お願いします」


その言葉の意味を考える前に、制服の長い腕が俺の首に巻きつく。ひゅっと喉が鳴ったと同時に空気の通り道をつぶされて、俺は目を見開いた。


いつの間にか女子から離れていた両手でその腕を外そうとするも、酸素の足りない頭じゃうまく動けない。


白む意識の中、俺から数歩身を引く女子が笑ったような気がした。


遠く、宮殿の外壁の角から、人影が2人ほど近付いてくるのが見えた。小脇には、布にくるまれた何かを抱えている。あの大きさには、覚えがある。


力の入らなくなった指先が虚空を引っかくのを、他人事のように眺めながら、俺は思い出していた。


テセル。官長の信頼の厚い部下で、あの日、夜勤当番だった男だ。


三日月のように弧を描く女子の口元をかすかに捉えながら、俺の意識は闇に落ちた。

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