35 「それ、何の顔?」
昼下がりの大通りを引き返して、再度広場へやってくる。俺にとってはもう見慣れた場所だけど、観光や参拝に来る人は絶えない。さっき広場を後にしたときより盛況になっていて、俺はぼんやりとつぶやく。
「どっから沸いたんだってくらい人来るよね。そんな珍しくもないのにね」
「俺にとっちゃただの仕事場だけど、女神信奉者やお熱いカップルにとっちゃ聖地だからなあ」
「俺とハルキにとっても、聖地ってことになんのか」
何の気なしに言った言葉だったけど、ハルキからの反応がなくて妙に不安になった。慌てて見上げたら、ハルキは感情の読めない、めちゃくちゃ変な顔をしていた。
しばらく眺めてみたいけど、神様が人間の顔を作るのに失敗したような表情で、本当に何を思っているのかわからない。
「それ、何の顔?」
率直に訊いてみたら、ハルキはあーとかうーとか呻いて、言いづらそうに何かを口ごもるばかりだった。言いたいことがあるなら言えって、さっき言い聞かせたばっかなのに。
俺は顔をしかめて、言葉に悩んでいるハルキに言う。
「ちょっと。何かあるなら言えって――」
「ハルキ!」
少し離れたところから元気な声が飛んできて、俺とハルキは反射的にそっちを見やった。
ちょうど宮殿の扉が開いて制服が出てきたところで、ハルキに向かって手を振っている。ハルキは誰かの名前を口にして、手を振り返した。
近付いてくる制服に悟られないよう、俺は無関係を装ってそっとハルキから離れる。制服は大きな声でハルキに話しかけながら歩み寄っていく。
「なんだ、早退したんじゃなかったのか? 散歩でもしてるのか」
「ああ、まあ。昨日はデート中に呼び出されたし、いい加減ゆっくりしたくて」
愛想笑いを浮かべながら会話に応じるハルキに足止めをさせて、半開きのままの扉を目指す。音速チョコレートをなめるなよ!
背後の会話はどんどん遠ざかっていく。
「おまえは? まだ上がりじゃないだろ?」
「宮殿周りの見回りだよ。しばらく強化するって官長からお達しがあっただろ……」
なるほどね。それで、いつもなら開かないタイミングで宮殿の扉が開くわけだ。
納得しながら扉の合間に滑りこむ。目を細めて宮殿の中をのぞきこむけど、辺りに人はいなさそうだった。腰を落として体を低くする。軽く広場の方へ目をやると、さっきの制服はまだハルキと話しこんでいた。よしよし、そのまま時間稼ぎしといてくれよ、ハルキ。
宮殿の中は静かなものだった。官吏は基本的には仕事部屋にいるんだろうし、当たり前か。成人の儀のときも、ハルキに手を引かれていった夜も使った通路を進んでいく。見回り強化してるって言ってたのは、外だけじゃないはずだ。気を付けないと。
人の気配がするたびに息を殺してやり過ごす。足音が聞こえるたび、耳をそばだてて過ぎるのを待つ。隙間を縫うように一気に駆け抜けて、女神の間までたどり着いた。
さっさと話を聞いて、さっさと退散しないと。帰りだって気は抜けないし、下手したら女神の間にも見回りが来るかもしれない。
俺は女神の間の扉を開けて、氷の上に踏み出すように室内につま先を下ろす。後ろ手にゆっくりと扉を閉めると、光が遮られて薄暗くない。ぼんやりとした視界の中、薄桃色の淡い光がゆらめいた。
「また遊びに来てくれたのね、子猫ちゃん」
ひそやかな笑い声が、さざ波のように広がる。薄闇から溶け出すように浮き上がった瞳が、ぴかりと光った。
俺は慎重に女神に歩み寄って、挨拶する。
「こんにちは、アルメリア。いつもこっそり来てごめんね」
「あなたはもう、こっそりじゃないと会えないでしょう? 普通の人間が私に会える機会は、一生に一度なのよ」
「……確かに、本当だね」
笑ったら、肩の力が抜けた。それもそうだ。官吏たち以外は、成人の儀でしか会うことはない。だからこそ、どうしようもない思いを抱えあぐねている人が多いんだ。
女神はガラスの中で、歌うように体を揺らした。
「それで、今日はどうしたの? 悩める恋のご相談? それとも、また何か直訴したいことがあるのかしら?」
女子が恋バナに興じるような軽さで、女神はころころと笑う。俺は表情を引き締めて、意を決して口を開いた。
「官長について訊きたいんだけど」




