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音速チョコレートに運命の相手はいない。  作者: モノクローマー
音速チョコレート、神託を受ける
3/50

03 「姉ちゃんの、運命の相手を変えてもらおうと思って」

連れて行かれたのは、簡素な部屋だった。女神の部屋と違って生活感はある。


棚に並ぶバインダーや書類の束。乱雑に積まれた箱とクリアファイルの山。いくつかの机が無造作にくっつけられた作業台には、ここで事務作業をしている人が各々持ってきたのであろうペン立てやインク壺が並んでいる。


男は、ぼうっと突っ立っている俺の頭を小突いて促した。


「そこ、適当に座って」


ここで働いている奴らの席に座らせるなんて、俺が本当の悪党だったらどうするつもりなんだ。うかつだなあ。


俺は示されるまま適当な席に腰を下ろした。


隣の卓上鏡を見ると、茶金髪の、成人近い割に幼い顔がこちらを見返していた。真っ赤な瞳に負けず劣らず、鼻っ柱も赤くなっている。壁男に勢いよくぶつかったからか、まだ痛い。折れてないだろうな。


向かいの席に座った男は、どこからか黒いバインダーをひっぱり出してきて、卓上に広げた。男がペンを取り出している間、俺はそこに挟まれた用紙を眺める。


報告書。日付。氏名。概要。印鑑。


男は俺の視線を気に留める様子もなく、紙にペンを滑らせる。まず卓上カレンダーを確認して、今日の日付を。それから、男の名前らしきものを。


ハルキ・ジストリス。


さっきは薄暗くて確認できなかった顔を観察する。野暮ったい質感のブルネット。茫洋とした瞳。目鼻立ちは取り立てて整ってないけど、不細工というほどでもない。どこにでもいそうな、普通の男だ。


ハルキは用紙に、「朝6時頃、女神の間で発見」と書きながら、俺に訊いた。


「名前は?」


「音速チョコレート」


「おいおい」


ハルキは怒るでもなく苦笑する。俺は鼻を鳴らして言った。


「人に名前を訊くときは、先に名乗るのが礼儀ってもんじゃないの?」


「ハルキ・ジストリスだよ。そっから報告書見えてるだろ」


その指摘に言葉を詰まらせると、ハルキは紙面から目を離して、にやりと笑った。


「ついでに、さっきおまえを捕まえたのはツェルマ官長。俺の上司だよ。さあ、お名前は?」


「……リク。リク・コルテラード」


観念してしぶしぶ名乗ると、ハルキは「リク、ね」と呟きながらペンを走らせた。


雑然とした走り書き。丁寧さの欠片も見られない。なのに、紙の上の俺の名前は、いつもの自分の筆跡よりすまして見えた。


ハルキはペンの後ろ側でコンコンと机を叩いて、俺に問う。


「年はいくつ?」


「ぴっちぴちの20歳」


「冗談。もっと子供だろ」


「子供って言うな!」


「ムキになるあたり、ガキじゃん」


ハルキは俺を軽く鼻であしらって、くるりとペンを回した。俺は口を引き結んで、明らかに不機嫌ですという顔を作る。


「そういうあんたはいくつなんだよ? 人に質問するときは、自分の話を先にしなよ」


「ああ、悪かったよ。俺は26。おまえは?」


そう素直に謝られると、こっちも答えなきゃフェアじゃないな。


毒気を抜かれた俺は、もごもごと口の中で言った。


「18」


「18ね……今月、誕生月か?」


「え、ああ、まあね」


答えから、俺ははっと我に返った。この流れで誕生月なんて明かしたら、妙な憶測を立てられる。賭けてもいい。


俺が口を開くより先に、ハルキが尋ねてくる。


「目当ては女神? 神託が待ちきれなかった?」


「そんなわけない!」


ハルキの質問に、俺は反射的に声を荒げた。


その勢いに目を丸くしたハルキは、じっと俺を見つめてくる。俺は顔をしかめたまま、訂正した。


「俺は別に、自分の運命の相手なんてこれっぽっちも興味ないし、逆に神託を受けるのが怖いなんて思ったこともないね! 俺は俺の未来のためにここへ乗りこんだんじゃない!」


言えば、ハルキは意外そうに片眉を上げた。


「じゃあ、何のために女神のところへ?」


この質問からは逃れられない。


俺がぐっと押し黙っている間に、ハルキは用紙に「18歳」と書き込んでいる。


ハルキはペンを握りなおして、優しい声で言い募った。


「この国じゃ、18歳になった人間はみんな、女神の神託を受けに来る。女神だけが知る、運命の相手を教えてもらうために。その運命の相手と結婚するのが通例だ。


誕生月の月末、その月に18を迎えた人全員が、そろって順に神託を受ける。それを待ちきれないって奴もいるし、逆にその神託が不安で受けたくないって奴もいる。宮殿じゃそれ関係の騒ぎも日常茶飯事だ」


ハルキは淡々と続ける。


「自分の未来のためにここへ忍びこんで、女神に何か働きかけようとする人は君の予想以上に多い。


実際のところ、女神に働きかけて何かが変わることなんてありえない。女神に教えられる運命の人は、別に女神が気まぐれで選んでるわけじゃないからね。後から女神が取り消すようなことはしない」


ハルキの茫洋とした瞳が、ふっと暗くなったような気がした。


「だから、もし女神に何か期待してるなら、あきらめなさいって忠告してあげようと思ったんだけど。先輩として」


ハルキは事実だけを言っている。だからこそ、俺を意気消沈させるのに十分だった。


女神に言ったところで何も変わらない? そんなまさか。運命の相手なんて、女神が勝手に決めたことなんて、その女神の一存でどうとでもなるんじゃないのか。


ハルキは穏やかな調子で、再度尋ねてくる。


「――で、どうして忍びこんだんだ?」


「姉ちゃんの」


俺はどうにか声を絞り出した。


「姉ちゃんの、運命の相手を変えてもらおうと思って」


「へえ?」


ハルキは興味深そうに俺を見た。俺は一度ため息をついて、言った。


「俺の姉ちゃんの運命の相手、遠い海の街の年上貴族でさ。姉ちゃんが18歳になるのを見計らって、迎えに来たんだよ。おかげで姉ちゃんは俺たち家族と引き離されて、見ず知らずの土地の、初めて会っただけの男に嫁ぐことになって……」


「そりゃ酷いな」


俺はハルキの反応に一瞬目をしばたかせる。一拍置いて、共感してもらった喜びが一気に湧き上がってきた。


「だろ!? あんたも酷いと思うよな?!」


「ああ。せめてもう少しお互いを知る期間を設ければよかったし、ご家族との時間を作ってあげればいいのに。18を迎えた女性が誘拐されるみたいに結婚させられてるのは、俺は社会問題だと思っているよ」


ハルキの丁寧な口調に、俺は安堵した。


「誰に言ったって、『そんなの普通だろ』って言うから……」


俺の両親ですら、女神の思し召しだからって取り合わなかった。


当の姉でさえ、神託の日が家で過ごす最後の日だと決めてかかって、誕生日を迎えてから荷造りを始めていた。そうして神託の当日、迎えに来た男に手を引かれて、「これが運命だから」と街を去ったのだ。どうしてこんなことが許されるんだ。


世間じゃこれがまかり通る。特に、運命の相手が年下の奴は、何年も結婚を待たされて焦れている奴も多い。何年も何年も、運命の相手が自分を認識する日を待って、その間に思い入れだけが強くなっていく。ずーっと「待て」をされている犬みたいに。


そうなると、問題はようやく18歳になって成人を迎えた方だ。聞かされたばかりの運命の相手に、いきなり重い感情をぶつけられる羽目になる。


「みんなこの現象に慣れきっていて、誰もおかしいって言わないんだ。冗談だろ? 絶対おかしいよ」


ハルキは俺の文句を落ち着いて聞いた後、言った。


「それで、お姉さんはその後どう?」


「え?」


「海の街へ嫁いでから、どうしてる?」


問われて、俺は思い出す。家に定期的に届く手紙。真っ青な海を臨む街の絵ハガキ。


「――幸せに暮らしてる」


俺の苦々しい声音をどう受け取ったのか、ハルキは静かに相槌を打った。


「そうか」


「姉ちゃん、絵を描くのが好きだったんだ。でも、うちの家はそう裕福じゃないから、なかなか絵の具も買ってあげられなくてさ。姉ちゃんは海の街へ向かう道中、旦那に訊かれたんだって。『何か趣味や好きなものは? 嫁に来てくれたお礼に、君の喜ぶものを贈りたい』って。姉ちゃんが絵の具が欲しい、絵が描きたいって言ったら、すぐに手配してくれたらしいんだ。


姉ちゃんの絵を見てすごく褒めてくれて、あちこちに売り込んでくれたんだって。大作家じゃないけど、来年個展もするらしいよ。旦那は姉ちゃんの絵の一番のファンなんだ。姉ちゃん、手紙で、幸せだって」


「そうか、いいご夫婦だ。まさに運命の相手だな」


ぐうの音も出ずに黙りこむと、ハルキは宥めるように言ってきた。


「でも、突然お姉さんが嫁に行くと寂しいよな。ちゃんと今までいい弟でいられたかなとか、実家のこと嫌いになってないかなとか、不安に思うだろう。新しい家で幸せになっているなら、尚更」


「そんな子供っぽい理由で忍びこんだんじゃない! ただ、誘拐するみたいに姉ちゃんを連れて行くような男、絶対ロクでもない奴だから……いくら金持ちで身なりがよくて、ちょっと背が高くたってさあ」


「ははあ、お姉さんを取った相手に、男として張り合ってんのか。やめときなさい」


「違うって言ってんだろ!」


俺がムキになるのを楽しんでいるのか、ハルキは声を上げて笑った。そんなんじゃないって言ってんのに!


俺が顔をしかめていたら、ハルキは柔和な笑みを浮かべて口を開いた。


「何にせよ、女神の教えた運命の相手は、取り消されたりしないよ。諦めなさい。


もうわかってるだろ? ここに忍びこんで女神に訴えなくても、おまえはお姉さん思いのいい弟だよ」


これは運命なのよ、と言った姉ちゃんの顔を思い出す。俺と同じ色の瞳は、家を離れる直前、不安そうに揺れていた。その目に映っていた俺の姿は、馬鹿馬鹿しいほど頼りなかった。


姉ちゃん、元気で幸せにやっていますか。あの日、「運命」の言葉に負けて、旦那に一発かますことすらできなかった、だめな弟でごめんな。姉ちゃんが置いていくのを心配するような、弱っちい弟でごめん。


はらはらと熱いものが頬を濡らす。


向かいから伸びてきた俺より大きな手が、俺の頭をなでた。


寂しがりの情けない恰好は、今日で終わりにしなければ。そう思わせるような温かさだった。

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