28 「これは世を忍ぶ仮の姿なので」
男は、今朝のそっけなさはどこへやったのか、やけに馴れ馴れしい調子で話しかけてくる。
「君は、この間官長と一緒にいた子だよね?」
「ええ、この前……あの女の子のことがあったときに」
「そうそう。あのときは挨拶もせずに、失礼なことをしたよ。ごめんね」
「いえ、俺の方こそ」
応対しながら、俺は困惑していた。何でこいつ、こんな突然親しげに話しかけてくるんだ?
改めて男を観察する。俺の父さんと同じくらいか、少し若いくらいかな。40代くらいの普通のおじさん、って感じだ。日に焼けた肌と無骨な手。普段、宮殿内にいるせいで生白いハルキの手と比べてしまって、少し笑えた。
「私の名前はギオン。君は?」
馬鹿正直に名乗っていいものか。一瞬判断に迷って、俺はわざと口元を歪めた。
「俺のことは音速チョコレートとでも呼んでください」
「何だって?」
「これは世を忍ぶ仮の姿なので」
声を潜めてささやくと、ギオンと名乗った男は愉快そうに笑った。
「そうか、世を忍ばなければならない事情があるのか!」
「女神がおわすとはいえ、こんな世の中ですから。誰しも事情は異なりますしね」
俺の言葉を聞いて、ギオンの目に険しい色が宿る。女神に不満があるって話だったし、こういう含みを持たせておけば、必要以上に突っ込んでこないだろう。
ギオンは、ふむ、とあご先を指で擦った。
「いかにも、その通りだ。深くは訊かずにいよう。……それで、何か用だったのかな?」
よしよし、予想通り。
俺はにっこり笑って、無害な少年の顔を作った。
「ツェルマ官長の使いで来たんですけど、鍵屋さんに訊きたいことがあって」
「僕に、ですか?」
俺とギオンのやり取りを黙っていた鍵屋が、意外そうに反応する。
中性的な雰囲気の、線の細い若い男だ。格好を変えれば、女の子だと言っても通じるかもしれない。仕事柄、手にはなかなか落ちない汚れが染みついているようで、ところどころ薄墨のような斑点が広がっている。
「ツェルマ官長ならさっきまで打ち合わせをしていたんですけど、まだ何か?」
「はい、確認し忘れたことがあると仰ってました」
もちろん嘘だ。官長を慕っているそうなので、名前を拝借させていただく。俺はひらりと手を振って、質問する。
「官長以外に、最近裏口のことをあなたに確認に来た人はいますか?」
「それは……――」
何か言いたげな鍵屋をさえぎるように、ギオンが尋ねてくる。
「音速チョコレート君、ツェルマ官長の使いだと言ったね?」
「はい」
迷いなく即答した。何でそれを改めて確認してくるのかはわからないけど、こういう嘘を信じこませるには、堂々とした態度が一番だ。
俺のはっきりした返答に、ギオンは満足げに頷いて鍵屋を見やった。
「信用していいと思うよ。この子については、官長からも少し聞いているし。話してあげなさい」
「わかりました」
ゆるく首を縦に振った鍵屋を見て、俺は耳の後ろを冷たい汗がだらりと滑り落ちるのを感じた。
何でギオンが喋る許可を出すんだ? この2人には、俺には見えない上下関係があるってこと? 俺は何を探られたんだ?
官長から俺について聞いてるって、何の話を?




