23 「昨日のうちに来れてたら、光速を名乗っていいと思いますよ」
熱いシャワーで鬱々としていた脳みそをゆすり起こして、洗濯帰りの太陽の匂いのする服に袖を通す。身支度を整えて、キッチンへ行ってチョコレートをひとかけら口に放りこんだ。洗濯物を干している母さんに出かけてくると声をかけて、家を飛び出す。
さあ、まずは広場の様子を見に行こう。昨日の今日でどうなってるのか、確認しておかなくちゃな。
休日の街には人がたくさん溢れていた。どこからともなく、陽気な音楽も流れてくる。風にさらわれて、青い空に黄色い風船が舞い上がったのを見た。それに追い立てられるように、宮殿へ向かう。
広場はいつものように参拝客が集まっていた。やっぱり入場規制はされていないらしい。俺が責任者なら、絶対規制するけどね。
止められたり身分証明を求められたりすることもなく、門の見張りの制服たちの横を通り過ぎる。にぎやかなくらいの広場は、昨日の事件なんて欠片も感じさせない。
ふと気になって辺りを見回す。名前も訊いていない、泣き崩れてしまった女子の姿を探すけど、どこにも見当たらなかった。もしかしたら、もう二度と来ない気かもしれないな。いつか、あの子の運命の相手が大きくなって、彼女の涙を拭いてあげてほしい。そんなことを祈るくらいしか、俺にはできない。
広場を見て回っているうちに、1人の男性の姿が目にとまる。親子や恋人同士が行きかう中、1人で女神像を見つめている男の人には見覚えがあった。あの女子の騒ぎがあったとき、官長に声をかけていた人だ。昔、ここで騒ぎを起こしたこともあるっていう。
彼はゆるりと視線をめぐらせて、自分を見ていた俺に気付いたようだ。向こうは俺を覚えていないのか、訝しげな顔をしてから、ぺこりと軽く頭を下げてきた。慌てておじぎしたときにはもう、彼はどこかへ歩き去っていくところだった。
そのとき、ごおんと鈍い音がして振り返ると、いつも閉まっている宮殿の正面扉が開くところだった。また騒ぎか? 官長出てくんのかな、と思って見ていたら、中から出てきたのは制服ではない1人の男だった。
目をこらして見ていると、その男は中に残る制服たちに軽く会釈して別れている。扉は閉まり、男は広場を通り過ぎようと歩き出した。
その男の髪の隙間から包帯が見えて、俺はすぐに駆け出した。
「アイセンさん!」
私服の男、アイセンは声を聞いて視線を上げ、俺を見つけた。その表情がやわらいで、小走りで駆け寄った俺を迎えてくれる。
「やあ、音速チョコレート。噂に違わぬ俊足ですね」
「昨日のうちにお見舞いに行けなかったから、鈍足だよ」
「昨日のうちに来れてたら、光速を名乗っていいと思いますよ」
楽しそうにくすくす笑うアイセンは、想像してたより顔色がいい。俺はぎゅっと寄りそうになる眉を押しとどめて、尋ねる。
「具合はどう? 痛む?」
「もう全然平気ですよ。官長が大げさなんですよ。私が頭打ったって聞いて血相変えて……」
どこか嬉しそうなアイセンは、昨晩のことを懐かしむように目を細めた。上司に心配してもらえりゃ、そりゃ大事にされてるんだなって思うだろうけどさあ。俺は呆れ半分に口をとがらせる。
「大げさじゃないよ。何かあってからじゃ遅いんだから。本当に大丈夫なの?」
「ええ、医者には安静にと言われてますけど、普通に生活できるくらいですよ。たんこぶができた程度で済みましたから」
「それならよかった……」
頭に巻いている包帯は少し分厚めだけど、ああいうのはキレイに固定しようとすると何重にもなっちゃうもんだよな。見た目より軽傷のようで何よりだ。
アイセンは微笑んで、こてりと首を倒してみせた。
「立ち話もなんですから、お茶でもどうですか? 君の運命の人が嫉妬深くなければ、ですけど」




