02 「俺は天涯孤独の音速チョコレート!」
一抱えのガラスケースの中に、人が1人入っている。明らかに普通の人間のサイズではない。俺の頭くらいの身長しかない女性だ。
整いすぎている顔の造りは「美しい」の一言だ。理想的なパーツが理想的な位置にあって、完璧とはこの人のための言葉なのかと思う。
女神だという自称を、信じるしかないだろう。
俺は吸い寄せられるように、ふらふらとガラスケースに歩み寄った。
空っぽの頭が、ぽってりとした唇をいっぱいに映す。そのまま、口を開く。
「リク・コルテラードだ」
「そう、リクっていうの。よろしくね、かわいい我が子」
女神は小さな体を揺らして、じっと俺を見つめていた。その瞳に星が宿っているような錯覚に陥って、俺はかぶりを振る。
女神はその深い瞳をぴかりと光らせて訊いてきた。
「それで、リクはどうしてここへ来たの?」
その質問でようやく我に返った俺は、ガラス越しに女神に詰め寄った。
「そうだ! 俺はおまえに直訴しにきたんだよ!」
「あら、直訴? 何を?」
疑問符を浮かべる女神に、俺は眉根を寄せた。
「俺の姉ちゃんの運命を取り消せよ!」
「運命を?」
「俺の姉ちゃんは、成人の儀であんたから神託を受けたとき、ほかの奴らと同じように運命の相手を教えられた。そいつは遠い海の街の貴族だった。しかも、姉ちゃんより一回りも年上の! あいつは姉ちゃんの成人の儀に合せてうちへ来て、婚約を取り付けた。おかげで、姉ちゃんは見たこともない海の街の、よく知らないおっさんのところへ嫁がされたんだぞ!」
「あらあら」
女神はのんきな声を上げて、俺の話を大人しく聞いていた。
神託の日までに荷造りをしていた姉ちゃんは、ほとんどさらわれるようにして嫁に行った。俺たち家族は、姉ちゃんの旦那がどんな奴なのかさっぱり知らないし、姉ちゃんだって知らないまま結婚させられた。こんなおかしい話があるかよ。
「18歳になったら神託を受けて、言われるままに運命の相手と結婚するなんて誰が決めたんだよ?! 運命の相手なんてクソ喰らえだ! 俺たち人間にもっと自由を寄越せよ! あんた誰のための神様なんだ!」
俺の怒声が反響する寂しい部屋の中は、それでも寒々しいままだった。俺の声が、神になど届いていないかのように、
女神は、宇宙をはらんだ瞳でじっと俺を見上げる。
「私は――」
「そこにいるのは誰だ?」
女神が口を開くと同時に、俺の背後から声がした。
弾かれるように振り返ると、部屋の出入り口には一人の男が立っていた。
年の頃は俺の一回りほど年上か。深いブルネットの髪、すっと通った鼻筋。まじまじと顔を見る暇もなく、その男が宮殿で働く官吏の制服を着ていることに気付いて、俺の喉から潰れた声が飛び出す。
制服の男はカツカツと音を立てて室内に踏み入ってくる。俺はすぐに祭壇の後ろ側へ回って、相手と距離をとった。またのんきな女神の「あらあら」という声が聞こえる。
俺の動きに顔をしかめた男は、威圧的に俺に訊いた。
「よそ者め。どこから入りこんだ? ここが不可侵の聖域だと知っての狼藉か?」
「不可侵の聖域だあ? その割に簡単に入れたけどね。警備見直した方がいいんじゃない?」
「何だと?」
男はひくりと顔を引きつらせた。
じりじりと近寄ってくる男は、俺から視線を外そうとはしない。
俺は遮蔽物を挟んで、相手の動向をうかがい続けた。間に挟まれた女神の桃色の髪が揺れているのを視界の端に収めながら、俺は男に声をかける。
「お兄さん、かけっこは得意?」
「賊を捕まえる程度のことなら、俺にもできる」
「へえ」
足の長さ的には男の方が有利だけど、すばしっこさなら俺も自信がある。毎日のんびり宮殿で仕事しているような官吏に、正直負ける気はしない。
男は口を開いた。
「見たところ成人はしてないみたいだが……どうしてこんなことを? 親御さんが知ったら泣くぞ」
思ったより優しい声音だ。俺は目を丸くした。
「う、うるせえな! 俺は天涯孤独の音速チョコレート! おまえみたいな官吏に捕まるわけねーだろ!」
「はあ?!」
すらすらと吐き出される出任せに、男は素っ頓狂な声を上げた。
俺も思うよ、なんだよ音速チョコレートって。
女神はころころと笑いながら「お姉さんはどうしたの」などとのたまっているが、無視無視!
俺は片腕を、裏口へと続く廊下へと大きく振って叫んだ。
「野郎ども、やっちまえ!」
「え!?」
一瞬、男の視線が俺の向こう側へと逸れる。
俺は隙を見逃さず、前方に飛び出した。男の脇をすり抜け、正面口に向かって走り出す。
「あっ、くそッ!」
一拍遅れて俺の虚言に気付いた男は、俺を追いかけながら叫んだ。
「待て!」
「待つかよバーカ! 逃げるが勝ちってね!!」
裏口から逃げる手も考えたけど、さっさと宮殿敷地内から出るには正面口を使った方が早い。広場に出て参拝客に紛れ込めば、こっちのもんだ。
一直線の廊下を走りながら背後の視線を放ると、男との距離はそこそこ空いていた。
「いえーい!」
俺はガッツポーズを決めつつ前を向く。
そこは、壁だった。
「でっ!」
潰れたカエルよろしく、声を漏らして俺はひっくり返る。俺がぶつかったのは、壁じゃなくて人、別の官吏の男だった。
「さて、女神の御前を踏み荒らした理由を、たっぷり聞かせてもらおうか」
男の高圧的な声が、無慈悲に降ってきた。
こうなったら駄目元だ。俺は壁男にすがるように叫んでみる。
「助けて! あいつに犯される!」
後ろから俺を追いかけてきた男が、引きつった声で否定した。
「ちょっ、はあ?! ちが、違います! 妙なこと言うな! ちがっ、官長、違いますからね!」
「いって!」
慌てふためきながら、男は俺を後ろ手に拘束した。壁男はため息をついて、こめかみを押さえる。
「連れていって、きっちり事情聴取しろ。乱暴はするなよ」
「わ、わかってます……」
悔しげに俺を睨み付ける男に内心で舌を突き出して、俺はほくそ笑んだ。