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晶の標  作者:
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第八話 帰郷

「見えてきたよ、あれがマイスナー村だ」


 眼下に見えるのは一面の森。

 その中にぽっかりと開けた場所がありました。

 その趣は村というより、むしろ隠れ里のようです。


 目立たぬよう夜明け前に出発した私達は、リズさんを伴っていることもあり、低高度をのんびり移動し、トレール山脈の谷間を抜けてマイスナー領に入りました。

 そこからは森の上すれすれのところを飛んで来たのです。


 村が近づくにつれて全貌が明らかになってきたのですが、予想していたものとは大きく異なっていました。

 村を囲うように築かれた土塁と獣返し。

 山に近い南側には街の一区画をそのまま持ってきたような建物が並び、北側はきれいに区画割りされた田畑となっています。

 北門から続く街道はこれまたきれいに整地されていました。

 誰です、過疎の村なんて言ったのは……。


 師匠の誘導に従って、北門近くの木陰に降りた私達は、一度道に出てから村へ向かいました。

 門番の二人は、私達を認めても特に態度を改めたりはせず、「おお、領主様のお帰りだ」などと笑いあっています。


「ただいま。ブルーノさんもカスパルさんも元気そうでなによりだね」

「年寄り扱いするでない。まだまだそこらの魔物には引けを取らん」

「そっちの爺さんはともかく、俺はまだ現役のつもりなんだがな」


 師匠は門番のお二人と談笑しています。

 その光景はどうみても、久しぶりに会った戦友って感じです。


「二人とは以前パーティを組んだことがあってね」


 訝しんでいると、師匠がさらっとネタ晴らしをして下さいました。


 この村の住人は大半が一線を退いた冒険者や職人さんなのだそうです。

 終の住処を提供する。

 領地を引き継いだ師匠夫妻がそんな名目の元に始めたのは、そろそろ引退を考えている冒険者や職人さんに声を掛けることだったそうです。

 移住してきた彼らにはその能力を活かして魔物狩りや村づくり、特産品の開発等を行ってもらう。

 残っていた僅かな領民は引き続き農作業や林業に従事。

 税率を低く押さえ、対価として労働力の提供でも可とする等の方策を実施し、現在の状況を造り上げたのだそうです。

 それを可能にしたのは、領主夫妻が共に元冒険者で、結構なお金持ちだったこと。

 領地の特色として温泉があり、また岩塩を産出していたこと。

 更に冒険者時代の伝もあり、それなりに協力者もあるといった特殊な条件があったからなのでしょう。

 そうでなければ、目の前でいちゃいちゃし始めた能天気領主夫妻の運営がうまくいくとは思えないのです。


「程々が肝要なのよ」


 そう言ってウィンクしてきたのが、師匠の奥方様。

 不詳私の養母となられる、アンネリース・マイスナー様です。

 ストロベリーブロンドの髪をした可愛らしい方で、とても師匠と同い年とは思えません。

 事前に連絡が行っていたのか、私達が到着して直にこの場に現れ、先ほどの一言を残して、師匠に抱きつき現在に至るわけなのですが……。


「奥様、ご無沙汰致しております」

「リズちゃん、お久しぶりね。元気だったかしら?」

「はい、奥様もお変わりなく」

「うん、こっちはのどかだからね」


 リズさんのご挨拶でこちらに意識が戻ってきたようです。

 その視線が隣にいる私へと向けられたと思った次の瞬間にはぎゅっと抱きしめられていました。


「貴方がコユキちゃんね。なんて可愛いのかしら。私ずっと娘が欲しかったのよ」

「あ、あの、アンネリース様……」


 喘ぎながらもがくと、ちょっとむっとしたように視線を合わされました。


「だめよ。これからはお母様とお呼びなさい。いいわね」

「……」

「……」

「……はい、お母様」

「うん、良い娘ね」


 観念して言われた通りにすると、再びぎゅっと抱きしめられ、頬ずりされました。

 養女になったのは早計だったかもしれません。

 頬に柔らかい感触を受けながら、私ははぁとため息をついたのでした。


        ◇        ◇        ◇


 その日は領主様の帰郷祝い兼私の養子縁組祝いと称して、村を上げての宴会となりました。

 もちろん手土産として持参したジーランスとジーラゴスも様々に調理され、村人全員がその味に舌鼓を打ったのは言うまでもありません。

 まだ宴もたけなわなのか、村の中央にある広場からは歌声や楽器の演奏の音が聞こえてきます。

 ベランダからその光景を眺めていた私の肩にストールが掛けられました。


「寒くない?」

「はい、ありがとうございます」


 促されて部屋に戻ると、アンさんが手ずからお茶を入れて下さいました。


「アルはああ見えて、意外と心配性でね。私に泣きついて来たのよ」

「そうなんですか?」

「自覚ない?」

「えっ?」


 師匠が私のことを心配してアルさんに泣きついたってこと?

 それを私が自覚してないって、どういうことなんでしょうか……。

 アンさんは隣に移動して来ると、私を後ろから抱き上げ、膝の上に座らせました。


「こんなことになったのに、コユキちゃんが取り乱したりしてないからね」

「私そういうのにあまり動じないっていうか、そのまま受け入れてしまうので……」

「でも辛くない訳じゃないでしょ?」

「それは……今更どうしようもないですし……」


 アンさんは私を後ろから優しく抱きしめると、子供をあやすようにゆっくりと体を左右に揺らしました。


「本当のご両親はどんな方?」

「父は、お役所に勤めていて、母は、お家のことをいろいろとしていました」

「そう……会いたい?」


 もちろん、会いたいに決まってます。

 何事もなければ、今頃は……。


「……元の世界で幸せに暮らしていたよね」

「……はい」


 アンさんが黙ってしまったので、私も口を閉じました。

 何となくおっしゃりたいことは判るんです。

 でもそれで何かが変わるのでしょうか。


「悲しいことや辛いことってね、心の中に溜まっていくものなんだよ。意識しなくてもね。コユキちゃんは器が大きくてそれに気づいてないだけ。放っておくといつか心が壊れちゃうよ。張り詰めたスライムみたいにぱんってね」


 そう言って、私の目の前で握り拳をぱっと開く。


「泣くことは恥ずかしいことじゃないのよ。それは心の自浄作用なんだから」

「で、でも……」


 アンさんは諭すように私を抱きしめました。


「甘えて良いのよ。だって貴方は私達の娘になったのだから」


 優し過ぎます、師匠もアンさんも。


「コユキちゃんは、素直な良い娘ね」


 嬉しげな声。

 私の頬を暖かいものが伝っていきました。


        ◇        ◇        ◇


「眠ったのかい?」


 扉を開けて入ってきた夫に人差し指を口につけて答えると、とたんに忍び足で歩き出した。

 そんなへっぴり腰では直に魔物に気づかれてしまうわよ。


「首尾は?」

「ぎりぎりセーフ……と言ったところかしらね」

「君にしては弱気な発言だね」

「頑固なんだから。誰に似たのか知らないけれど……」


 目元に残った雫を拭ってあげる。

 結局泣いたのは暫くの間だけだった。

 愛らしい娘は、喚くことも、叫ぶこともせず、ただはらはらと涙を流し続けた。

 それで溜まっていたものを全て吐き出してしまえたわけではないけれど、この娘は賢いから、今後は自分でなんとかしてしまうだろう。

 親としては大変物足りないのだけど……。


「ありがとう、奥様」


 今は夫の労いの言葉だけで良しとしましょう。


次回予告:「第九話 母娘」

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