第三十五話 策略
「ニナちゃん、コユキちゃん」
転移魔法陣が完成し、久しぶりに寛いだ私達のところへ意外なお客様がありました。
「お母様、どうしてこちらに?」
目にも留まらぬ速さでぎゅっと抱き締められた私達は、何故ここにいらっしゃるのかが不思議でなりません。
ニナの問い掛けに、お母様はにっこりと微笑みを浮かべました。
「もちろん、貴方達の援護、いえ応援に来たのよ」
何故言い直す必要があったのでしょうか。
訝しげな表情になった私に気づいたのか、お母様は後ろへと視線を逸らします。
そこにはもうお爺ちゃんといってもよさそうな白髪の紳士が朗らかな笑みを浮かべて佇んでいらっしゃいました。
「そうそう、貴方達はまだ会ったことなかったわね。こちらはハイネマン教授。以前アカデミーで魔法陣の研究をされていた方よ」
「はじまして、お嬢様方。オスカー・ハイネマンと申します。宜しければオスカーとお呼び下さい」
ハイネマン教授はよっこらしょと屈んで私達に視線を合わせ、握手を求めてきました。
私達はお母様の抱擁から離れ、その手をとります。
「お初にお目にかかります、オスカー様。ニナと申します」
「コユキと申します」
挨拶を終えた私達は、これからの段取りについて打ち合わせをすることになりました。
「まず今回の転移魔法陣だけど、主任開発者はハイネマン教授ということにします」
「畏れ多いことですが……」
「ニナとコユキは開発のお手伝いをしただけ、いいわね」
「「……はい」」
これは世間の目を私達から逸らすための措置ということです。
実際、私達が開発者として名乗りを上げれば、その後どうなるか考えただけでも恐ろしくなります。
ニナもその事を判っているのか、お母様の提案にこくこくと頷きました。
本来マイスナー村はその特殊な環境や領民構成から、様々な試作研究を行う実験村としての役割も持っています。
今回はその成果発表という形で、お披露目しようというのです。
当然、誰が開発したのかという話になるので、そこで白羽の矢が立ったのが、高齢を理由にアカデミーを辞め、マイスナー村で隠居生活を送っていたハイネマン教授、もといオスカーさんでした。
もちろん長年の成果をおいそれと手放したりはなさらず、村に来られてからもこつこつと研究を続けられていたのだそうです。
「開発担当者としていろいろ質問されることもあるから、事前にレクチャーしておいて欲しいの」
「判りました」
「個人的にも、いろいろと教えてもらえると嬉しいのだが……」
「もちろんです」
魔法陣の研究ではその道の権威とまで言われていた方らしいのですが、私達に対する態度はまるで教えを請う弟子のようです。
そういう方だからこそ、村に招かれたのでしょうね。
お母様はアレク兄様と打ち合わせをするため部屋を出て行かれたので、私達は早速新しい転移魔法陣について、オスカーさんに解説を始めました。
流石に長年研究してこられただけあって、ポイントを説明するだけで納得してもらえたり、的確な質問を投げ掛けてこられたりと私達も驚きを隠せません。
その実力は、いずれお一人でも転移魔法陣を開発されたのではないかと思えるほどです。
あまりに魔法ギルドの転移魔法陣と溝があり過ぎるので、私はその疑問をオスカーさんに投げ掛けてみました。
「オスカーさんも魔法ギルドの転移魔法陣開発に携わられたのですか?」
「いえ、魔法ギルドではそれなりの実績がなければ重要な案件には携われません。私は魔力が少ないため研究ばかりしておりましたので、理論馬鹿と揶揄され爪弾きにされていました」
「そうなんですか……」
「おかげでもっと高度な転移魔法陣の解説を聞けるのですから重畳ですよ」
雰囲気が暗くなったのを察してか、オスカーさんは、はっはっはと声をあげて笑いました。
◇ ◇ ◇
「さあ参りますわよ」
成果報告の日、お母様は真紅のドレスを纏い、気合を入れて私達に声を掛けました。
同行するのは、アレク兄様、ニナ、私、オスカーさんの四人です。
馬車の中は終始和やかな雰囲気で、まるでこれからどこかへピクニックにでも行くのかと勘違いしそうなほどでした。
王宮に到着し、そのまま謁見の間へと案内されます。
この辺の根回しは済んでいるのか、途中で待たされることもありません。
事実、謁見の間には既に宰相以下家臣の皆様が勢揃いしており、私達が謁見の間に到着して間もなく、王の出座と相成りました。
ヘルムフリート・フォン・アストリーア国王様とハイデマリー王妃様が玉座におつきになり、リーンハルト第一王子様とフォルカー第二王子様がその後ろにご列席されます。
「皆の者、楽にするがよい」
国王様の声で、臣下の礼をとっていた私達はゆっくりと面をあげました。
「アンネリース、久しいな。壮健であったか」
「はい、おかげさまを持ちまして。陛下におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます」
「今日は良い出し物があると聞いている。期待しておるぞ」
「はい、では早速ご覧頂きましょう」
お母様の合図で、ニナと私は謁見の間の両端へと移動しました。
その場に魔晶石を置いてニナの方を見ると、向こうも準備できたようで手を振ってきます。
「接続、アルファ」
転移魔法陣を起動する言葉を発すると、ニナと私の足元にある魔晶石が輝き、同時にゆらゆらと真っ黒なベールのようなものが生成されました。
私はそこに躊躇なく飛び込みます。
二つの異なる空間の狭間を通り抜けるような奇妙な感覚があって、次の瞬間私はニナに抱き留められていました。
臣下の方々から感嘆の息が漏れます。
「接続、ベータ」
転移魔法陣が停止したのを確認し、今度はニナが起動する言葉を発しました。
先ほどと同様にゆらゆらと真っ黒なベールのようなものが生成されます。
ニナが私ににっこりと微笑んで、その中へ飛び込んでいきました。
再びおおおと感嘆の声が上がり、さっきまで私がいた場所にニナが立っています。
「何方かお試しなってみたい方はいらっしゃいませんか?」
臣下の皆様がざわざわと騒ぎだした頃を見計らってお母様が試験者を募りました。
「僕がやろう」
透かさず手を上げたのは、フォルカー第二王子様。
陛下に目で許可をとられると、私の方へ歩いて来られます。
「久しぶりだね。また会えて嬉しいよ」
「……」
一瞬固まった私を見て、くすりと笑みを浮かべられます。
「それで、どうすればいいのかな?」
「今はニナと私の言葉にしか反応致しません。こちらで起動致しますので、真っ黒なベールのようなものが生成されたら中へとお進み下さい」
「判った。じゃあ頼むよ」
「はい、ではいきます。……接続、ベータ」
ゆらゆらと真っ黒なベールのようなものが生成されると、フォルカー王子は迷わずその中へと足を踏み入れられました。
「凄いね、通る時にちょっと奇妙な感覚があるだけで、衝撃等も感じない」
ニナの傍に移動したフォルカー第二王子様の感想に、再びざわめく臣下の皆様。
陛下も満足そうに頷いておられます。
「さて、これの運用許可が欲しいとのことだったが」
「お待ち下さい、陛下」
臣下の皆様の中から声が上がりました。
陛下が訝しげにそちらへ視線を移します。
「シャイドル魔法相、何か?」
「今のは明らかに転移魔法陣。運用許可など言語道断、魔法ギルドの管理下に置くべきものですぞ」
「魔法相はこのように申しておるが」
陛下は面白そうにお母様へと視線を向けました。
それを受けてお母様はにっこりと微笑みます。
「頂きたいのは運用試験の許可でございます。この装置はまだ充分な実績を持っておりません故、運用試験を実施したいと考えております」
「なるほど、運用試験の許可か」
陛下もその意味に気づかれたのか口元に笑みを浮かべられました。
この国は転移魔法陣の運用に関しては厳しい規定があり、そのため現在転移魔法陣を運用している魔法ギルドは支部を出す際にも王宮の許可が必要となっています。
しかし運用試験に関する規定などは恐らくどこにも存在しないでしょう。
「それなら尚の事魔法ギルドで……」
「いいえ、魔法ギルドは運用試験には不向きなのです」
「どういうことかね」
「運用試験では様々はデータをとり、運用に耐えうるか確認するしなければなりません。そのためには出来るだけ沢山の拠点間で試験を行う必要があるのです。魔法ギルドは本支部合わせて僅か五拠点。とても足りません」
シャイドル魔法相はぐぬぬとうなっていらっしゃいますが、それ以上の反論はすぐには出てこないようです。
「その口振りだと当てがあるようだな」
陛下はもう笑みを隠そうともなさらずに先を促されます。
「冒険者ギルドからは全面的な協力をとりつけてございます。また商人ギルド、職人ギルドもある程度安全性が確認されたならば協力したいとのこと」
「ふむ、宰相どうか」
「運用試験であれば、特に問題はないかと」
既に予定調和であるかのような遣り取りをし、陛下は鷹揚に頷かれました。
「ではマイスナーにて試作された転移魔法陣の運用試験を許可する」
「ありがたき幸せ」
「また良い品ができたなら持ってくるがよい」
「はい」
そう言って陛下は笑いながら退出されました。
◇ ◇ ◇
記念すべき転移魔法陣最初の運用試験は、この度新たに設立された冒険者ギルドマイスナー支部とローレンツ支部の間で実施されることになりました。
最初の運用試験者はもちろん、今回の全責任者たるお母様。
受付で運用試験に関する誓約書にサインし、不測の事態に備える保険の掛け金を支払います。
「それじゃあ行ってくるわね」
お母様はアレク兄様、ニナ、私を順に抱き締め、満面の笑みを浮かべて真っ黒なベールのようなものへと飛び込んで行かれました。
この後、各地の冒険者ギルド、商人ギルド、職人ギルドで転移魔法陣の運用試験が開始され、末永く続いていくことになります。
次回予告:「第三十六話 後始末」




