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晶の標  作者:
32/61

第三十一話 綻び

 二の月も半ばを過ぎましたが、まだまだ寒い日が続いています。

 そんな中、私達の住むお屋敷では、お引越しの準備が急ピッチで進められていました。

 四の月からお仕事を始めるためには、三の月中には赴任しなければなりません。

 聞けば、ローレンツ子爵は既に領地入りし、各地の視察を始めておられるとか。

 師匠が住むお屋敷の準備もできたので、いつでもいらして下さいと連絡があったのだそうです。

 一方師匠の方はというと、こちらでの引継ぎは完了しているのですが、お引越しの準備に手間取っていました。


「なんでこんなに荷物が多いの……」


 ニナのぼやきが全てを物語っています。

 お仕事関係の書類、魔法関連の書籍、アイテム、素材、その他もろもろ……。

 三年の間に師匠の荷物は赴任してきた時の数倍に膨れ上がっていたのです。

 もちろん全て持っていけるわけがありません。


「コユキ、そっちの分は領地へ持ち帰って。リズ、こっちの書籍は図書館に寄贈するから連絡を。ニナ、それは伯爵への譲渡品だから、君達の荷物に入れておいて」


 師匠は自分の片付けもしながら、後ろに目があるかのように私達に指示を出します。

 私は実家に持って帰る本をまとめて魔法のポーチへ放り込むと、マイスナー村へ転移しました。


「コユキちゃん、まだあるのかしら?」

「多分これで最後です」


 私が空間拡張した倉庫に魔法関連の書籍を収めると、お母様はほっとした様子で手をぱんぱんと叩きました。


「向こうはどんな感じ?」

「なんとか予定通りに出立できそうです」

「そう……」


 お母様は少し寂しそうな顔をしていらっしゃいます。

 ローレンツ子爵領とマイスナー村では、例え飛行フルクの魔法が使えたとしても、今までのように行き来出来るわけではありません。

 特に私が養女になってからは会う機会も増えていたので、これからのことを考えると複雑なのでしょう。


「お母様、私達は毎週帰ってきますから」

「……そうね、コユキちゃん達がいるものね」


 そう言って、お母様は私をぎゅっと抱きしめました。


「落ち着いたらローレンツ子爵領へ行ってきます。そしたら、転移でいつでも会えますよ」

「ありがと、コユキちゃん」


 何か励ましの言葉をと考えて、出て来たのはそんな内容です。

 しかし、笑みを浮かべたお母様を見ると、なんとかして実現させてあげようと思うのでした。


 そして二の月、二十八の日、リントベルク伯爵への挨拶を終えた師匠とリズさんは、ローレンツ子爵領へと旅立っていったのでした。


        ◇        ◇        ◇


 師匠とリズさんを見送った後、ニナと私はリントベルク伯爵様ご夫妻と対面していました。


「これまでと違って不便なこともあるだろうが、そこは我慢してくれ。悪いようにはしねえからよ」

「あなた、アルがいなくなったからって、いきなりその言葉遣いは困りますよ。ニナちゃん、コユキちゃん、自分のお家だと思って寛いでね」

「ありがとうございます」

「お世話になります」


 リントベルク伯爵夫人――エーファ様――はダインさんの言葉遣いを嗜めつつ、私達に微笑まれました。

 その笑顔には場を和ませる力でもあるのか、始めてお会いするニナの緊張も解けたようです。


「すまないがこれから会議でな。後は頼む」

「はい」


 ダインさんはお仕事が忙しいのか、エーファ様に後を任せて退出され、後には私達三人が残されました。


「二人共優秀な冒険者なのですってね。時々でいいから冒険のお話をしてくれると嬉しいわ」

「「はい」」


 ダインさんはいろいろ忙しいから、今までの冒険の話を聞く機会もあまりなかったのでしょう。

 私達は快く了承し、午後のお茶会の約束を交わしたのでした。


 暫く談笑していると、扉をノックする音が響きます。

 エーファ様が許可すると、扉が開き、執事さんとメイドさんが入って来ました。


「紹介しておくわね、執事のゲオルグと侍女のテレーゼよ。何かあったら二人に聞いてね」

「「はい」」


 お部屋の準備が出来たとのことで、私達はテレーゼさんに案内されて、これから生活の場となるお部屋へと向かったのでした。


        ◇        ◇        ◇


『それで、領主屋敷での生活はどうじゃな』

『特に不便は感じてないですよ』

『苦労が顔にでておるぞい』


 ルイドお爺ちゃんがくっくっくと笑みを浮かべました。

 新生活が始まって二週間。

 久しぶりに迷いの森を訪れた私達は、ルイドお爺ちゃんの指摘に苦笑を浮かべることしかできませんでした。

 その理由は、今まで以上にドレスを着用する機会が増えたからです。

 もちろん、ニナも私も礼儀作法はしっかりと身につけていますが、一日の大半をドレスで過ごすという生活には慣れていなかったのです。


 今までだと、家でも冒険者装束のまま過ごすということが多々ありました。

 しかし、領主様のお屋敷では帰宅したらドレスに着替えさせられます。

 かといって、遅くまで外出していることもできません。

 心配かけちゃいますものね。


『まあ慣れるしかないじゃろ。それよりも、これを見てみい』


 ルイドお爺ちゃんが指差した先に、小さな樹の苗が植えてありました。

 この樹はどこかで見たことあるような。

 ひょっとして……。

 私が真剣に樹の苗を観察しているのを見て、ルイドお爺ちゃんは満足げに頷きました。


『わしにかかれば、まあこんなもんじゃな』


 それじゃあこれはやっぱり桜の樹。

 しかも、統べる樹のお膝元なので成長も早く、少ないながらも小さな蕾をつけています。


『さすがルイドお爺ちゃん』

『もっと褒めてもええんじゃぞ』


 ルイドお爺ちゃんが反り返って倒れそうになっています。

 私達は笑って、その背を押し返してあげました。


『さて、ちと真面目な話もしておくかの』


 急に真剣な顔つきになったルイドお爺ちゃんを見て、私達は居住まいを正します。


『先の蝕で何か変わったことは起こっとらんかの?』


 私達は顔を見合わせました。

 何か事件が起こったという話は聞いていなかったのです。


『ルイドお爺ちゃんは何か感じたの?』

『嬢は何も感じんかったか?』


 ルイドお爺ちゃんは私の方を見ています。

 う~ん、特に何も感じてないけど……。


『ティンクは何か感じた?』

『時々ビリビリすることがあるよ』


 言われてみれば、魔法ギルドが出来てから、魔力の波動を良く感じるようになりました。

 師匠に確認すると、転移魔法陣を起動させているからだろうっておっしゃってたので、あまり気にしていなかったのですが。

 ニナもヨミに確認したのか、ぽんと手を叩いています。


『魔法ギルドの転移魔法陣が何か問題なんですか?』

『あれは転移魔法陣を起動させとるのか?』

『はい』


 ルイドお爺ちゃんはむむむと考え込んでしまいました。

 転移魔法陣は他の支部でも同様のものを使用しているはずなので、リントベルクだけ異常を来たすということはないでしょう。

 確かに起動する度にびりびり感じる魔力波動が気にはなりますが……。


『うむ、判らん。しかし以前も言ったが、この辺りの場はでりけーとじゃ。あんなもんを何度も動かしとったら、何ぞ影響がでるやも知れん。注意することじゃ』

『はい……』


 頷いたものの、あれは魔法ギルドの管轄だから、私達には如何んともしがたいのですが……。


 それから二週間、特に変わった様子もなく日々は過ぎていきました。

 しかし、月が替わり四の月になって、事件は漸く明るみに出ることになったのでした。


次回予告:「第三十二話 失踪」

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