第二十五話 義姉
「少し長い話をしよう」
そう言って語り始めた師匠に手を引かれ、私は中央通りを北へと向かっています。
コーラル王国の西にあるクヴァンノ帝国。
国境を南北に走るルパス山脈がある影響で過去に大きな戦争もなく、地峡でたまに小競り合いが発生する程度の間柄です。
そんなクヴァンノ帝国が目をつけたのが王国南西端のボルンマン伯爵領。
急峻な山脈があるため陸路での行き来はないものの、海路を使えばそれも可能となります。
王国側もこれを警戒し、ボルンマン伯爵領の影ギルドに信頼出来る者を派遣していました。
この時遣わされたのが、ニナの両親でした。
影ギルドには冒険者ギルド等と違い、支部という概念がありません。
大まかな決まり事はあるものの、各地のギルドが独立して活動しています。
そのため、余所者が仲間と認められるには長い時間と実績が必要なのだそうです。
ニナはボルンマン伯爵領の生まれなので、両親は少なくとも七、八年以上前から潜入していたことになります。
ニナが物心つく頃までは帝国も動く気配がなかったらしく、平和な日々が続いていました。
ところが数年前からこの状況に変化の兆しが現れました。
東側にあるリントベルク発展の影響を受け、西側となるボルンマン伯爵領の経済が停滞し始めたのです。
この状況を打開しようとしたボルンマン伯爵は、あろうことか甘い言葉を囁く帝国の誘いに乗ってしまったのでした。
当時、影ギルドでも信頼されるようになっていたニナの父親は、王宮に一報を入れると共に、その存在をひた隠ししていたニナに暗示をかけ、証拠となる情報を記憶させました。
影ギルドに属する者の子は、時としてこのように駒として扱われるのだとか。
ニナが情報を記憶すると影ギルドに伝わるという秘伝の術によって、鍵となる言葉を持って解除しない限り、情報が外に漏れないよう封印を施したのです。
一報を受けとった王宮側はブランデル伯爵へ密かに臨戦態勢を整えるよう指示を出しました。
またニナの父親は王宮側の動きを気取られないよう、表向きは変わらず生活を続けていたようです。
「そんな中で昨年九の月、コユキが現れた」
発展著しいリントベルクには帝国も注目しており、この情報は直に帝国の知るところとなりました。
そして、既に傀儡となっていたボルンマン伯爵は、私を手に入れようと画策を始めたのです。
一方、王宮は私のことを計りかねていました。
帝国が遣わした尖兵じゃないかとの意見も出ていたそうです。
「……」
とりあえず師匠が身柄を押さえているので害はないだろうと判断した王宮は、ボルンマン領への対策を優先させました。
諸国漫遊と称して各地を巡っているランベルト殿下を呼び戻し、南部へ派遣させると共に、有事に備えてリントベルクに魔法ギルド支部設置の許可を出すことを決定したのです。
そんな折、秋から春先にかけて海路の弊害となっているジーランスが討伐されたという情報が入り、王宮は再び騒然となりました。
「あ、あれは師匠が……」
「はは、失敗だったね」
一応師匠から連絡は入れたようですが、時期が時期だけに王宮側も確認の必要があるとして、予備の武器を調達するためリントベルクに立ち寄る予定だったランベルト殿下へついでの依頼を送ったのでした。
「それじゃあブランデル伯爵の方も?」
「気になって独自に動いたんだろうね。彼には別の目的もあったし……」
確かにクリスの病気があの時治癒する可能性は低かったのだから、私の動向を調べるのが真の目的だったということでしょう。
「怒らないで聞いてくれるかい?」
「何ですか?」
怒る気力もあまりないですけど。
またため息の原因が増えるのでしょうか……。
「ランベルト殿下には、コユキが手駒として使えそうなら、同行させるように指示がでていたらしい」
「後顧の憂いを絶つわけですか」
「コユキは難しい言葉を知っているね……」
お祖父様に鍛えられましたから……。
それはともかく、私がボルンマン伯爵領へ行けば、リントベルクの方は何も気にしなくて済みます。
王宮側の腹黒な連中の考えそうなことです。
「それじゃあ、後は直接聞くことにしようか」
「え、誰にですか?」
いつの間にか私達は領主様のお屋敷前まで戻ってきていました。
「全てをご存知の方にね」
◇ ◇ ◇
恐らく領主様のお屋敷で一番豪華な客間にその方はいらっしゃいました。
フォルカー・フォン・アストリーア第ニ王子。
確か御歳十八歳。
お忍びなのか、簡素な出で立ちをしていらっしゃいますし、お付の方も一人だけのようです。
そう言えば師匠も私も普段着のままですが良かったのでしょうか。
「非公式の場だ、礼は良いよ」
臣下の礼を取ろうとしていたら止められました。
「君のおかげでいろいろと助かった。礼を言う」
「私は何もしていません」
「そうかな、ランベルト叔父が良いウォーミングアップになったと言っていたが」
王子様はそう言ってくすりと微笑まれました。
あの獰猛狼、あれで手加減してたのですか……。
「何か聞きたいことがあるとか?」
「いいえ、ございません」
「そう?」
王子様は意外そうに首を傾げ、笑みを浮かべました。
うっかり変なことを聞いてしまったら後が怖いじゃないですか。
そもそも師匠がここに私を連れて来たのは、王子様が私を見たいとおっしゃったからでしょう。
「君の友達が待っているよ。行ってあげるといい」
「御前失礼致します」
私はお辞儀をすると、部屋を後にしました。
「なかなか聡い子だね」
「恐れ入ります」
扉が閉まる直前、そんな声が聞こえました。
どうせもう目を付けられてしまっているのに今更聡いもないでしょう。
それよりも私にはこっちの方がよほど大事です。
「ニナ」
メイドさんに案内され、向かった部屋でニナは眠っていました。
私がベッドの傍らで声を掛けると、ゆっくりと目を開きます。
「コユキちゃん……」
「えっ?!」
ニナが今私の名前を呼んだような……。
びっくりしていると、不思議そうに首を傾げます。
「どうしたの、コユキちゃん?」
「ニナ、喋れるの?」
「うん、目が覚めたら声がでるようになってたの」
それは透き通るような綺麗な声で、私に不思議な心地良さを感じさせました。
「良かったね、ニナ」
「うん」
私達は嬉しくて、師匠が呼びに来るまでお喋りに興じていたのでした。
◇ ◇ ◇
その後、ボルンマン伯爵以下主だった者が帝国と内通していた責任を負って自害し、一族は領地及び貴族籍の返上を申し出て受理されたとの発表がなされました。
領地は王国預かりとなり、後任が決まるまではブランデル伯爵が管理することになります。
師匠によれば、こうすることで帝国に一つ貸しを作ったことになるのだそうです。
ニナを攫ったのはボルンマン伯爵領の影ギルド残党でした。
証拠となる情報を盾に国外への脱出を目論んでいたようです。
ニナの両親は行方不明ですが、恐らく殺害されたのでしょう。
「影の者の宿命っす」とはサンジさんの弁。
一方、ニナのお爺様は生きていらっしゃいました。
ニナをグレゴールさんに預けた後、再びボルンマン領に戻り、ニナのお父様の代わりに諜報活動を行っていたそうです。
ランベルト殿下一行が潜入する際はニナのお爺様が手引きしたのだとか。
しかし途中で深手を負ってしまい、お歳を召していることもあって、引退することにしたそうです。
なんとニナのお爺様はお母様の剣の師匠で、やっと師匠を迎え入れることが出来るとお母様は大喜び。
人の繋がりとはかくも不可思議なものなのですね。
ニナもお爺様に付いてマイスナー村へ行くのかと思いきや。
「コユキちゃんと一緒にいる!!」
そう言って、私の傍から離れるのを嫌がりました。
なんとか宥めすかして村までは連れて来たのですが、私の腕をぎゅっと掴んで離しません。
結局お母様が出てきて、『今のままだとただの足手まとい』だの、『一緒にいたいなら強くなりなさい』だの、説得というより説教に近い感じで説き伏せ、渋々納得させたのでした。
それから一週間後……。
「本日からお嬢様の侍女を仰せつかりました。ニナとお呼び下さい」
マイスナー村に戻った私を待っていたのは、お仕着せを纏い優雅にお辞儀をするニナの姿でした。
「お母様、これはいったい」
「コユキちゃん付きの侍女を探していたの。丁度良かったわ~」
流石にマイスナー領を一手に取り仕切っているだけのことはあります。
飴と鞭を巧みに使い分け、ニナを篭絡したのでしょう。
「大丈夫、貴方達さえしっかりしていれば、何も変わりはないわ」
確かにニナが侍女なら私もいろいろと安心なんですが……。
「コユキ様」
「ニナ、二人の時は呼び捨てでお願いします」
「はい、コユキちゃん」
この切り替えの早さ、私の反応を見て楽しんでいます。
いつもにこにこと笑顔を浮かべているので騙されそうですが、ニナって結構、いえかなり強かなのかもしれません。
次回予告:「第二十六話 整理」




