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晶の標  作者:
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第十九話 名残

『私もお爺ちゃんとお話したかったのに~』

「ごめんね~。これから何度も来るから、その時にお話しよ」

『むぅ~』


 ティンクが頭の上でちょっと剥れています。

 期待されてたのに何もしなかったのが悔しいみたい。

 また来るから機嫌直してね。


 森の出口が近づいてきたので空間探知をしてみると、お爺さんの言った通り、二十人程が行く手を遮るように展開しているようです。

 それでも気にせず森を抜けると、私に気づいたのか、包囲するように近づいてきました。


「お嬢ちゃん、あそびましょ~」


 いかにも下っ端っぽいゴロツキが下卑た笑みを浮かべています。


「間に合ってるので、他をあたって下さい」

「悪いが出来ない相談なんですよ」


 そう言って一歩前にでてくるゲルトさん。

 その顔には焦りと怒りが見え、支部長をしていた頃の温厚そうな落ち着いた雰囲気は微塵も感じられません。

 他にもギルドの職員だった人や冒険者だった人が何人か加担しているようです。


「貴方を御館様のところに連れて行けばまだ挽回できるんですよ」


 なるほど、それで一人になったところを見計らって襲ってきた訳ですね。

 でも良く考えてみて下さい。

 私達がそんなみえみえの手立てに引っかかるとお思いですか。

 少しでも冷静な判断が出来ていれば、痛い目を見ずに済んだのですが、これも自業自得ですね。


「そうねえ、こんな人数じゃ肩慣らしにもならないけど、仕方ないわね」

「奥様、お約束通り七対三でお願い致します」

「判ってるわ。リズちゃんも体が鈍ってるでしょうし」


 後ろから掛けられた声にびくっとするゲルトさん達。

 慌てて振り向いた時の反応は綺麗に二つに分かれました。

 女二人しかいないとみて粋がる者とそれが誰なのか判って震え上がる者です。


「コユキちゃん、後はお母様達に任せて、早く行きなさい」

「はい、お母様」


 リズさんが切り込んで乱戦に持ち込んだ隙に包囲を抜けた私はちらりと後方を振り返りました。

 予想通り一方的にお母様とリズさんが嬲っているみたいです。

 そんな襲撃者達を哀れに思いながら、私は師匠の待つ屋敷へと急いだのでした。


        ◇        ◇        ◇


 お屋敷に戻ると、師匠は既に準備を整えて待っていました。


「おかえり。様子はどうだった?」

「賭けはお母様の勝ちでした」

「やっぱりそうか」


 師匠は賭けに負けたのに笑顔です。

 最初からお母様に勝ちを譲るつもりだったのでしょう。


「それじゃあこっちも始めようか」

「はい」


 私達はクリスの部屋へと移動しました。

 竜の水は生成後、すぐに使用しないと効果がないのだそうです。

 予めダインさん経由でブランデル伯爵には連絡してもらっていたため、部屋には眠っているクリスがいるだけで、人払いも済んでいました。


「雫で鱗の粉末を溶かすと霧状になる。この子を包む空間にそれを注入しなさい。手早くやるのよ」

「判りました」


 ローザさんの指示に従って雫に粉末を溶かしていくと、氷霧のように煌く霧状のものが発生しました。

 それをクリスを包む空間に注入します。

 きらきらと輝く光がクリスの周りを漂い、体の中に吸収されていくかのように消えていきました。

 ……これで終わりなんでしょうか?


「後はこの子次第ね。二、三日は発熱や魔力流出が続くから魔力を循環してあげなさい」

「はい」

「私は疲れたから戻るわ」

「ありがとうございました」


 ローザさんは扉を開けると振り返り、「次の手土産、期待してるわ」と言って、部屋を出て行きます。

 私と師匠は顔を見合わせ、笑顔を浮かべました。


「あちらもやきもきしているだろうから、報告に行ってくるよ」


 そう言って師匠も出て行き、部屋には私とクリスが残されました。


 ベッドの傍らに椅子を持ってきて腰掛け、クリスの顔をそっと覗き込みます。

 もう発熱しているのか呼吸が少し荒くなってきているようです。

 私はクリスの手を取り、言われた通り魔力を循環してあげました。

 魔力の流れが安定するよう願いを込めながら……。


 クリスの容態は徐々に落ち着いてきましたが、意識は戻らないままでした。

 そして治療から三日目のお昼過ぎ。

 魔力を循環してあげていた私の手を軽く握り返すような反応がありました。


「クリス?」


 呼び掛けると、答えるように反応があり、やがてクリスが目を開けました。


「コユキ?」

「おはよう、クリス」


 顔を覗き込んで微笑むと、少し儚げな笑みを浮かべました。

 こうして見ると、ほんとにお姫様みたいです。


「何か如何わしいこと考えてない?」

「ないない」


 だから人の心を読むの止めようね。


「ゆりかごの中で眠っていたら、コユキがやってきて、早く起きろって蹴っ飛ばされた夢をみたよ」

「私はそんなにお転婆じゃありません」

「冗談だよ」


 この調子ならもう大丈夫そうだね。

 そうこうしていると、侍女さんが呼びに行ってたブランデル伯爵が部屋に入ってきました。


「クリス、大丈夫かい?」

「はい、御爺様」


 笑顔で答えるクリスをブランデル伯爵は涙を浮かべて優しく抱きしめたのでした。


        ◇        ◇        ◇


 こちらの世界でも寒の戻りってあるんですね。

 三の月も半分が過ぎたというのに、朝から雲が低く垂れ込め、ちらほらと白いものが舞っています。

 クリスの不調で多少滞在期間が延びてしまいましたが、本日ブランデル伯爵一行はリントベルクを後にすることとなりました。


「世話になったな」

「俺はなにもしてねえがな」


 結局私とクリスの婚約は、クリスの今後の容態を見てから改めてということになり、今回は延期となりました。

 私としては経過はともかく思惑通りです。

 「納得いかない」とクリスは不満顔だったけどね。


「またね、クリス」

「今度は遊びにおいでよ」

「気が向いたら……ね」

「つれないな」


 お誘いをさらっと躱してみせると、ちょっと剥れてしまいました。

 あはは、この間のお返しだよ。


「じゃあ、また遊びに来る」


 クリスはそう言って、不意打ちで私の頬に唇を寄せました。

 一瞬触れた柔らかな感触に私が言葉を失っていると、クリスはしてやったり顔で笑い、気がつけばもう馬車に乗り込んでいました。


「ばいばい、またね」


 悔し紛れに手を振ると、向こうも小さく手を振りながら何か呟いています。


『今度はきっちり落しにくるからね』


 そんな不埒なことを言ってるとは思いもよらない私でした。


次回予告:「第二十話 新芽」

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