第一話 目覚め
【目覚め】
私の名前は咲島小雪。
この世界ではただのコユキ。
推定年齢五歳。
◇ ◇ ◇
翌日は高校の入学式でした。
中高一貫校への中途入学となるので、少しくらいは緊張もします。
お祖父様の修行の旅に付き合っていなければ、こんな気苦労もしなくて良かったのですが、今更過ぎたことを悔やんでも仕方ありません。
準備も済んだので早めに床に就き……気がついたら見知らぬ天井を眺めていました。
まさか小説で読んだ様なことが我が身に起こるとは思いもしなかったのです。
体を起こすと、傍に居たメイドさんらしき人が何か叫んで部屋から出て行かれました。
状況からして、私が目覚めたことを誰かに知らせに行ったのでしょう。
手持ち無沙汰なので、部屋をきょろきょろと見回してみます。
落ち着いた暖色系の色合いで統一された部屋は、二十畳位の広さがあります。
お祖父様の道場よりも広く感じます。
家具は重厚感漂うテーブルに高級そうなソファー、そしから私が寝ていたこのベッド……キングサイズのベッドなんて初めて見ました。
他にも古めかしい書籍の詰まった本棚や、これまたいかにも名のある職人さんが丹精込めて作ったような机等、素人目にも高級そうな家具ばかりが取り揃えられていて、おまけに壁はクローゼットになっているようです。
部屋の作りから想像するに、ここは家というよりお屋敷なのでしょう。
住んでいらっしゃるのはかなり裕福な方のようです。
ぽかんと口を開けてそんなことを考えていると、先ほどのメイドさんが男性の方を連れて戻って来られました。
年の頃はお父さんよりは少し若い位でしょうか。
ダークブラウンの髪に鳶色の瞳、優しげな表情を浮かべた紳士です。
その方は私を見ると、ほっとしたように息をつき、軽くお辞儀をして、一言、二言口を開かれました。
英語と少し似たような発音ですが、もちろん判るはずがありません。
私がきょとんと首を傾げたので、何か思い当たる節があったのか、その方はベッドの傍らに膝をつくと、優しく微笑んで手を差し出してきました。
握手というよりは、お手をどうぞといった感じです。
何をされるのか判りませんが、このままというわけにもいきません。
おずおずと手を重ねると、その方は微笑みながら何か呟かれました。
すると、私の頭の中に声が響いてきたのです。
『はじめまして、お嬢さん。私の名前はアルベルト・マイスナー……』
突然のことにびっくりした私は、思わず手を引っ込めてしまいました。
これってテレパシー?……とするとこの方は、超能力者?
訝しむように顔と差し出された手を行き来する私の視線を受け、その方――アルベルトさんは『大丈夫だよ』とでも言うようにただ頷かれました。
意を決して再び手を重ねると、先程の声が頭の中に響いてきます。
『びっくりさせてごめんね。これは言葉が通じない人とでも心で会話できる念話という魔法なんだ』
『……………………………………………………』
魔法……っておっしゃられましたか?
それって物語の世界でのお話ですよね。
私の表情を見てそのことを察したのか、アルベルトさんは苦笑いを浮かべられました。
『良かったら、お名前を教えてくれるかな?』
『あ、えっと……コユキ……サキシマ……でいいのかな?』
緊張してたので名前を先に答えてしまい、後から姓を付け加えたのですが、外国ではこれで良かったはずです。
『コユキ……と呼んでもいいかな?』
『はい、皆そう呼びますから』
アルベルトさんは微笑みを浮かべ、空いている方の手で私の頭をぽんぽんと撫でながら、いろいろとお話して下さいました。
リントベルクという名前の街は、ひょっとしたらどこかにあるのかもしれませんが、コーラル王国とか地理の授業でも聞いたことありません。
それに、王政とか貴族とかもうずっと昔のお話だと思ってました。
薄々感じてはいましたが、どうやらここは私の住んでいた世界とは全く別の世界のようです。
『男爵様……なんですか?』
『形式上、そういうことになるのかな……柄じゃないんだけどね』
謙遜されていらっしゃいますが、このお部屋を見る限り、そんなことはないと納得してしまいました。
私も少し落ち着いて、自分のこととかお話出来るようになったところで、アルベルトさんは後ろに控えていらしたメイドさんに声を掛けられました。
『彼女はリーズロッテ。何か困ったことがあったら彼女に相談するといい』
『リーズロッテです。リズとお呼び下さい、コユキ様』
リズさんは私の手を取り、微笑んで優雅にお辞儀されました。
『あ、コユキです、どうぞよろしくお願い致します』
私も慌てて頭を下げようとしたので、直近くでリズさんのお顔を拝見することになっちゃいました。
深藍のやや切れ長の瞳は宝石のようにきらきらと輝き、睫毛は長く、肌のキメは細かくて、お顔立ちも整っててお人形さんのようです。
どきっとして、若干下に視線を逸らせば、見事なお胸がそこにありました。
これで十六歳って詐欺です。
今はちっちゃくなってしまったけど、十五歳の私は……一年の差がこんなに大きいはずがありません。
ショックを受けて俯いてしまった私を見て苦笑を浮かべたリズさんは、助けを求めるようにアルベルトさんへと場所を譲られました。
その後、アルベルトさんが今後のことについて、いろいろと提案して下さったのですが、私はただこくこくと頷くだけで、内容は頭の中を素通りしてしまったのでした。
翌朝、そのことを伝えたら、アルベルトさんは苦笑いしながら、もう一度内容を掻い摘んで説明して下さいました。
それは、私が自活出来るようになるまで、アルベルトさんが後見人として衣食住その他全ての面倒を見て下さるというものでした。
一方私に課せられた条件は、一人で勝手にお屋敷の外へ出ないこと……だけです。
アルベルトさんがおっしゃるには、言葉も判らない、身寄りのない、五歳の少女をこのまま放り出すことは人道的にも出来るわけがない、ついでに魔力溢れの件もどうにかしないといけないからとのこと。
魔力溢れと言われて首を傾げたのですが、その件は後で説明するからということで、一旦横に置かれました。
『それで、コユキはどうしたい?』
余裕の笑顔で問い掛けてくるアルベルトさん。
私にとっては願ってもないことなのですが、見返りもなくそんなことをして下さる方がいるとは到底思えません。
もの凄く胡散臭いのですが、対する選択肢が”路頭に迷う”ではあって無きが如しでしょう。
『よろしく……お願い……致します』
しおらしく頷いた私の頭をアルベルトさんは微笑ましげにぽんぽんと撫でたのでした。
◇ ◇ ◇
その日から言葉の訓練が始まりました。
これは私が望んだことです。
読み書きはともかく、会話が出来なければ意思疎通もままなりません。
会話の度に手を繋いで魔法を唱えてもらうというのも微妙に恥ずかしいものがあります。
それに、これは自活するためにも必要なことなのですから。
ある程度単語を覚えたら、間違ってもいいから、聞いて喋ってを繰り返します。
私にとって幸いだったのは、やはり発音が英語に似ていたことでしょう。
英語は日常会話程度ならこなせていたので、後はやる気と根性です。
アルベルトさんはお仕事があるので、リーズロッテさんのお手伝いをしながらとにかくおしゃべりします。
お手伝いといいつつお邪魔にしかなっていない私でしたが、リズさんは邪険に扱わず、それどころか、微妙な発音を指摘し、正しい発音を聞かせて下さいます。
ご挨拶したときの印象はあまり良くなかったのですが、今では姉妹のように懐いてしまっている私がいました。
一方お仕事でなかなか顔を合わせられないアルベルトさんでしたが、ある日、私に一冊の本を持ってきて下さいました。
読み書きを覚えるなら丁度良い練習になるだろうとのことです。
嬉しくて、その日は夜遅くまでまで本を眺めていました。
そんなこんなで数日が過ぎ、私は片言ながらも会話が出来るようになっていました。
人間やる気と環境があれば何とかなるものです。
更に数日が過ぎる頃には、私はリズさんと冗談が言い合える程、自然な会話が出来るようになっていました。
「そろそろ魔法の訓練を始めても良い頃だね」
アルベルトさんがそうおしゃられたのは、それから暫くしてからのことでした。
どうやら私には魔法の素養があるらしいのです。
宮廷魔術師のアルベルトさんからすれば、育ててみたい弟子のように見えてらしたのかもしれません。
もちろん、私も魔法には興味がありましたし、使えるなら使ってみたいと思っていました。
それに、アルベルトさんが私に下さった本、実は”はじめての魔法”という初心者向けの魔法解説書だったのです。
読み書きがある程度出来る様になって、書かれている内容が判ったときは唖然とするやら呆れるやら。
一方で、早く読めるようになりたいと思い、習熟に繋がったのも事実なのですが。
さて、魔法の訓練ということで、最初は、術者同士が手を繋いで互いの魔力を感じ合う魔力循環という方法を試してみることになりました。
「コユキは魔力をどんな風に感じたかな?」
「……海?」
「……」
私の答えにアルベルトさんが難しい顔をして固まってしまいました。
何かあったのでしょうか?
「魔力は問題なさそうなので、簡単な魔法を試してみようか」
「はい」
暫くしてフリーズから復帰したアルベルトさんから魔法の使い方を説明してもらいます。
扱いやすくて影響の少ないものということで、光属性魔法の一つ、灯火の魔法――明かりを灯す魔法です――を使ってみることになりました。
魔力を使い、魔法をイメージして呪文を詠唱。
魔力を使い、魔法をイメージして呪文を詠唱。
大事なことだから二回言った訳ではありません。
何度か試してみたのですが、魔法は発動しなかったのです。
魔力が少なくて魔法が使えない人の場合でも、途中まで魔法陣が展開されたりするものらしいのですが、私の場合はそれもなし。
残念だけど魔法適正がないということなのでしょう。
「膨大な魔力が宝の持ち腐れ? いやいや、そんなことはない……はず」
意地になったのかアルベルトさんは次々と魔法を試すよう指示されました。
一般に知られている地水火風光闇の属性魔法、結界や封印等の無属性魔法。
詠唱から察するに天変地異を起こしそうな魔法もあったのですが、この部屋で唱えても良かったのでしょうか?
恐らく成功していたら……ううん、考えない方が良さそうですね。
そんなこんなで魔法は使えないけど、魔法の知識は膨大なものになりました。
途中で気を取り直したアルベルトさんが座学に切り替えて、いろんな魔法について説明して下さったからです。
それから一つ判ったことがあります。
どうやら私は記憶力が抜群に良くなっているようなのです。
試すように言われた魔法の効果、呪文、魔法陣全て暗記できてしまうほどに……。
次回予告:「第二話 日々」




