第十七話 少年
春というにはまだ肌寒い日のお昼過ぎ。
ブランデル伯爵一行は予定よりやや遅れてリントベルクに到着しました。
旅の疲れをとるため午後は休息していただき、夕方から歓迎の晩餐会が執り行われる予定になっています。
尤も招いているお客様の大半が街の有力者や各ギルドの支部長、有名な職人さんといったところなので、普通に歓談するだけで、ダンスなどはなさそうなのが幸いです。
一応鍛えられたので踊れますけどね。
リントベルク伯爵による開会の宣言で晩餐会が始まりました。
料理長が腕を振るった品々は相変わらず舌が蕩けるほど美味しかったです。
その後は歓談の場となり、各自が思い思いの場所で談笑する光景が見られるようになりました。
私にとってはむしろここからが本番です。
「ブランデル伯爵、ご無沙汰致しております」
「久しいな、マイスナー卿。アンネリース殿の麗しさも変わらぬな」
「恐れ入ります」
師匠とお母様がご挨拶申し上げ、いよいよ私の番です。
「お初におめもじ致します。コユキ・マイスナーです」
伯爵の前へ出て、ゆっくりとお辞儀をします。
一瞬、場の雰囲気がピーンと張り詰めたものに変わりました。
値踏みするような視線をひしひしと感じます。
「面を上げて、可愛らしいと評判のお顔を見せておくれ」
「はい」
ゆっくりと顔を上げると、伯爵はわざわざ膝を折り、私を正面から見据えました。
鋭い眼光が私の視線を捕らえます。
「良い目をしておる。その歳でもうDランクとは、将来が楽しみだな」
「恐れ入ります」
伯爵はにやりと笑って、背後に声を掛けました。
「クリス、来なさい」
「はい、御爺様」
透き通るようなボーイソプラノに周囲からおおと感嘆の息が漏れました。
アッシュブロンドの髪はサラサラと煌き、深い碧色の瞳は全てを見通すように私に注がれています。
身長は私より頭一つ半ほど高いでしょうか。
体つきは若干線が細いことを覗けば充分に均整がとれています。
これでドレスを着せたら、どこかの国のお姫様といっても疑われないでしょう。
「クリストフ・ブランゼルです。よかったらクリスと呼んで」
「初めましてクリス様、コユキ・マイスナーです。私のこともコユキとお呼び下さい」
「よろしくね、コユキ」
差し出された手にそっと手を重ねると周りから拍手が起きました。
それを合図にかろやかな音楽が流れてきます。
あれれ、嫌な予感。
「折角の機会だ。余興に一曲踊ってきたらどうだ」
どうやらダインさんの仕業のようです。
クリスは私の手をそっと離すと、ゆっくりとお辞儀をしました。
「僕と踊っていただけますか」
「……はい」
こんな状況で場をぶち壊すような豪胆さは私にはありません。
気づかれないように軽くため息をつき、再び差し出された手に軽く手を重ねます。
そっと背中を押されたような感じがして、私達はホールの中央に進みました。
互いにお辞儀をして手を繋ぐと、音楽に合わせて軽やかなステップを刻みます。
クリスがおやっという感じで笑みを浮かべました。
「嫌がっているから苦手なのかと思ったけど、なかなかどうして」
「その割りにはあまり驚いていらっしゃいませんね」
「君ならこれ位軽くこなしそうだと思っただけだよ」
「買い被りすぎです」
「そうかな」
そう言って、クリスは先ほどより私を振り回すように変化を加え始めました。
「ほら、ちゃんと付いて来れてる」
「やんちゃな人ですね」
心底楽しそうに微笑むので、私も釣られてくすりと笑ってしまいました。
なんか可愛い弟って感じ。
「明日もまた会ってもらえますか?」
「はい」
やがて曲が終わり、私達は拍手喝采に見送られてその場を後にしたのでした。
◇ ◇ ◇
「どうしましょう……」
お部屋に戻った私はその場の乗りで、明日また会うことになったことを後悔していました。
師匠とお母様にその事を伝えると、師匠は苦笑し、お母様は「相手の方が一枚上手だったわね」と微笑まれたのですが、どういう意味なんでしょうね。
そんな感じで思い悩んでいると、扉がノックされました。
「お嬢様、リズベットです」
「リズさん、どうしたの? 入って」
入室を促すと、リズさんは深刻そうな表情を浮かべて部屋に入って来ました。
あれ、似たようなことが以前もあったような。
何時だったでしょうか。
「クリストフ様が体調を崩されましたので、明日のご予定はキャンセルとなりました」
「え?」
思い出しました。
ローザ様達が訪ねていらしたときです。
「その件でリントベルク伯爵様がお呼びです。旦那様と奥様は既にそちらに」
「判りました。直に参ります」
私はドレスの乱れをリズさんに軽く整えてもらい、リントベルク伯爵の下へ向かいました。
「早かったな、嬢ちゃん。そんなに坊主が心配か?」
「茶化さないで下さい」
私が部屋に入るなり、軽口をたたいてきたダインさんを一括します。
そして改めて部屋の中を見て顔が真っ青になりました。
「なるほど、勇ましいな」
てっきりエルヴィンさんが座っていると思っていたその場所には、ブランゼル伯爵様がいらしたのです。
「失礼を致しました。申し訳ありません」
「よい、ダインがそうしたのだから、この場で礼は無用だ」
恐縮する私に、伯爵は大様に頷きました。
「腹を割って話そうってことになってな。手っ取り早いからこの方がいいだろう」
私が師匠とお母様の間に腰を下ろすと、時間が惜しいかのようにダインさんが話し始めました。
「それでクリスの様態は?」
「おいおい、いきなりそこかよ」
急に場の雰囲気が変わって、皆の視線が私に集中しました。
あ、あれ、そのことなんじゃないの?
「ふっ、随分と孫を気に入ってもらえたようだな」
「ちっ、やっぱりそれが狙いかよ」
「まあ待て、腹を割って話すのだろう。こちらの事情は……」
ブランデル伯爵はダインさんを宥めると、ふぅと一つ息をつき、ゆっくりと語り始めました。
魔力機能不全症候群。
魔力機能とは、魔法を研究する学者さんが提唱したもので、魔素を取り込んで魔力として蓄え、また魔力を使って魔法を発動させる一連の機能全てを指します。
そのどこかに不調を来たす病を総称してこう呼ぶのだそうです。
原因はいろいろ取り沙汰されていますが、未だに解明されていません。
症状も大人になると自然と治癒するものから、徐々に悪化し死に至るものまで様々です。
クリスの病気はその内の一つで、魔素を取り込んで魔力とする機能が、突然発作を起こしたように不調を生じて魔力が逆流し、魔力溢れのような症状を示すのだそうです。
症状が酷い場合には死に至ることもある恐ろしい病気です。
「小さい頃はまだ症状も軽かったが、歳をとるにつれ、徐々に症状が重くなってきている。そんな時だ、こちらのお嬢さんが似たような症状から回復したという話を聞いたのは」
「しかもこっちは困った状況になっている。渡りに船だった訳だ」
「珍しくあの子がこちらのお嬢さんに興味を示したので、これはと思ってな」
そう言ってブランゼル伯爵は深いため息をつかれました。
私と師匠は顔を見合わせました。
確かに私の症状はそれに近いものでしたが、実情は全く別のものです。
それをここで話してしまっていいものでしょうか。
「邪魔をしたな」
私達が黙ってしまったことで、その事を察したのか、ブランデル伯爵は席を立ちました。
「待って下さい!!」
思わず私は叫んでいました。
「……少しだけ時間を下さい」
『ティンクちゃん、晶竜さんの知識に似たような症状とかなかった?』
『判らな~い』
『調べてくれる? 私も手伝うから』
『おっけ~』
裏でティンクとそんな遣り取りをしていた私は、大人たちがそれぞれが複雑な思いで私を見ていたことに気づきませんでした。
次回予告:「第十八話 老木」




