第九話 母娘
翌朝。
昨夜のこともあって、アンさんと顔を合わせるのが恥ずかしかったのですが、そうは問屋が卸さないようで、あっさり拘束されてしまいました。
「アルの指導では粗が目立ちますので再教育致しますわ」
朝からドレスを着せられ、礼儀作法、歩き方、話し方、ダンス等を仕込まれています。
アンさんの教えは、師匠の型どおりのものと違って、より美しく、よりエレガントに洗練された動きを求めるものでした。
しかもスパルタです。
容赦なく扇でぴしゃりとやられます。
昨日の優しかったアンさんはどこに行ってしまわれたのでしょう。
「お母様とお呼びなさいと申し上げたはずですよ」
何気に言葉使いまで変わってます。
それと心を読むのをやめて下さい。
「下級貴族だからと馬鹿にされないよう、しっかり身に付けておきなさい」
「でも必要なんでしょうか?」
「当然です。いつ何時、王宮からお招きがあるやもしれません」
そこは師匠と同じ反応なんですね。
内容がランクアップしてますが……。
それはともかく、扇の使い方とか、殿方のあしらい方とか、師匠から習ってなかった内容は少しだけ楽しかったです。
「今日はここまでにしておきましょう」
「ありがとうございました」
そんなこんなで午前中みっちりお稽古させられて、昨夜のことを考える暇もありませんでした。
「毎日必ず反復練習すること。よろしいわね」
「……」
大変な宿題までもらってしまいましたけど……。
それにしても疲れました。
午後はのんびり過ごしたい。
そう考えていた時期が私にもありました。
「そういえば、組み手の相手が欲しかったのですってね」
師匠、まだ根に持ってたの……。
◇ ◇ ◇
キンッキンッと木剣の打ち合わされる音が響きます。
「ニ、三手先なんて読んだうちに入らないわ。五手、十手先を読んで動きなさい」
「はい」
「闘気を簡単に見せない。動きを読まれてしまうわよ」
「はい」
お母様の動きは午前中とは別人かと見紛う程でした。
それはともかく……。
「周りを気にしない。死にたいの?」
振り下ろされる剣をぎりぎり跳び退って躱します。
そうおっしゃいますが、お母様、周りの状況をご覧になって下さい。
屋敷の庭にもかかわらず、領民の皆さんが思い思いの場所から見学されていますよ。
ああ、そういえば大半は元冒険者の方でしたね……。
『双剣の舞姫の剣技は見逃せねえ』だの、『お嬢様も頑張れ』だの野次が飛んでいます。
結局、こうなるんですね……。
私はため息を一つつくと、気合を入れなおしました。
木剣を投げ捨て、ポーチから初心者用ロッドを取り出して構えます。
「良い目になったわね」
お母様は私が捨てた木剣を剣先で跳ね上げ、その柄を空いている左手で掴むと左半身に構えました。
私は軽く一歩を踏み出し、それを軸足にして正面から跳び込みます。
迎撃に振り下ろされる左剣を紙一重で躱し、反時計回りに弧を描くように回り込む。
すると、お母様は剣を振り下ろす勢いを利用して前方宙返り。
更に捻りを加えて正対するように着地し、右剣を外側に払って私の跳び込みを牽制してきます。
下にもぐり込ませないように低い軌道を描く剣をステップにして斜め上へ身を躍らせれば、お母様は素早く体を入れ替え、左剣を袈裟懸けに振り下ろしてきました。
それをロッドを絡めるようにして受け流すと共に、体の向きを変え、逆方向に跳んで着地。
足を刈れると思ったけど、そこには何もなく、背後に殺気と着地音が……。
ギィィィン。
辛うじて合わせたロッドごと五メートルほど吹き飛ばされました。
「まあ、こんなところかしら?」
「はい、ありがとうございました」
『おおー』とか『すげー』とか歓声が上がる中、素早く私を抱きしめたお母様。
「怪我はない?」
「だ、大丈夫です」
「そう、良かったわ」
にっこり笑って、頬ずりをしてきたのでした。
この変わり身の速さは見切れる気がしません。
◇ ◇ ◇
汗をかいた後はお風呂ということで、私はお母様と一緒に温泉に浸かっています。
この村には、領主の館、宿屋、公衆浴場と三つの温泉場があるのだそうです。
「そういえば、お母様は私の事情をどうやってお知りになったのですか?」
良い機会なので、疑問に思ってたことを聞いてみました。
「ああ、私も遠話の魔法は使えるわよ」
「そうなんですか」
意思疎通に関する魔法には、接触して使用する念話の魔法の他に遠くの人と話すことができる遠話の魔法の魔法があります。
前者がある程度魔法の才があれば使えるのに対し、後者は使える人が限られてきます。
また双方が遠話の魔法を使えないと会話が成立しないため、使われる機会も少ないそうです。
師匠もお母様もその数少ない方のお一人ということなのですね。
「そうじゃなきゃ、ずっと単身赴任なんてさせてないわよ」
「確かに……」
「ところで、コユキちゃん」
「はい」
「この村で暮らしてみる気はない?」
「えっ?!」
この村はのどかで、領民全員が家族みたいなものだけれど、その割りに子供が少ないそうです。
政策上仕方ないことですが……。
それに加えて、礼儀作法等のレッスンもまだ足りないし、組み手の相手もこちらでは事欠かない……と、お母様の主張はこんな感じでした。
でも一番の要因は、折角娘が出来たのだから手元に置いて可愛がりたい……なのでしょうけど。
「週に三日、いや二日でもいいのよ」
私が渋っていると思ったのか、お母様は譲歩案を提示してきました。
「師匠はこのことを?」
「もちろん知ってるわ。コユキちゃんの判断に任せるって」
これは多分師匠の案ですね。
相談役は任期があるので、ずっとリントベルクにいるわけにはいきません。
そうなった時、私を新しい任地に連れて行くのはいろいろと問題があると判断されたのでしょう。
後は、奥様への配慮も加味してるのかも。
それならば、私が異論を挟む余地はありません。
「判りました」
「ありがとう」
瞬間移動で抱きしめられ、頬ずりされました。
お湯の中でも見切れないってどれだけ速いんでしょう。
こうして別居夫婦の間を行き交う娘の生活が幕をあけたのでした。
次回予告:「第十話 冬支度」




