プロローグ
その日は朝からどんよりとした曇り空だった。
予言めいたものを信じる程酔狂な訳ではないが、薬草の在庫が心許なかったこともあり、仕方なく出かけてきてみればこの有様だ。
今更ながらにやめておけば良かったと後悔していた。
雲が低く垂れ込め、辺りは薄暗くなってきている。
どこか雨を凌げる場所はなかったかと思案していると、突然稲妻が走り、直後に轟音が響いた。
さほど遠くない場所への落雷に思わず身を屈めてしまう。
暫くすると震動は治まり、辺りも明るくなっていった。
通り雨だとしても些か急過ぎる展開だ。
雨なんて一滴も降って来なかった。
ほっとするよりも、不可思議な現象に興味が沸く。
これも魔術師の性なのだろう。
落雷直後から感じ始めた強い魔力も気になる。
自然と足はそちらへ向かっていた。
森と川辺の狭間にある少しだけ開けた場所。
雷の威力からすれば、それなりに地形への影響があると思われたのだが、予想に反してそのような気配は全く見られなかった。
そこに倒れている少女を除いては……だが。
年の頃は五歳位であろうか。
背中まで届く髪は黒曜石のようにきらきらと輝き、整った顔立ちは、今は苦しげに歪められ、少し荒い息を漏らしている。
雷の直撃を受けたのか?
いや、それならば黒焦げになっていてもおかしくはない。
少女から溢れ出ている膨大な魔力が障壁の役割を果たしたのであれば判らなくもないが。
疑問は尽きなかったが、今は少女の介抱が先と傍らに膝をつく。
とりあえず、治癒と状態回復。
呼吸は安定してきたが、魔力溢れが問題か。
解呪を試してみよう……ふむ、あまり効果はないようだね。
では、結界、封印はどうだ?
よし、なんとかなったかな。
少女はまだ眠り続けているが、とりあえずは一安心といったところだ。
そこでふと気づく。
彼女の傍には誰の気配も感じられない。
普通なら近くに親の姿があってもおかしくないのだが、どこかで逸れたのだろうか?
そう思って探知で辺りを探ってみたが、それらしい反応はない。
尤もここは迷いの森と呼ばれる場所、あまり効果は期待できないけれど。
このままここに居ても埒が明かない。
暫く思案した後、少女を抱き上げ、自宅へ連れて帰ることにした。
街へ戻り、門番の兵士に事情を伝える。
自分が仮の保護者となることで、少女が街に入る許可はすんなりと下りた。
末席とはいえこれでも宮廷魔術師を拝命している身だ。
それなりに信用は得られている。
可能性は低いが、少女の親が訪ねてきたら知らせてもらえるようにと頼んでおく。
街中へ入ると、大通りを避けすぐ裏道へ入る。
人目に付くのも何かと面倒だ。
下手すると、”マイスナー相談役、真昼間から幼女誘拐か?!”なんて情報が飛び交うかもしれない。
そう、現在の役職はリントベルク伯爵領の相談役兼王宮全権大使。
ここ、コーラル王国では優秀な魔術師を宮廷魔術師として迎える一方で、その多くを各地方領主の下へ相談役兼全権大使として派遣している。
有体に言えばお目付け役としての地方出向である。
領主側からすれば煙たい存在ではあるが、幸いここの主は昔馴染み。
仮住まいとはいえ、そこそこの家も用意してもらっている。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「リズ、すまないがこの娘の世話を頼む。部屋は客間を使って構わない」
「畏まりました」
「私は領主様のところに行って来る。その後冒険者ギルドに寄ってくるから、何かあれば知らせてくれ」
「はい、行ってらっしゃいませ」
リーズロッテは若いが優秀なメイドだ。
彼女に任せておけば問題ないだろう。
それよりもこちらの方が問題だ。
執事に案内されて執務室へと足を踏み入れる。
「やあ、色男殿。麗しの姫君の様子はどうかね?」
相変わらずの第一声だった。
「私は貴方と違って幼女愛好家ではないと何度言えばわかるのです。……リズに任せて来ましたから大丈夫でしょう」
「詠唱中焦って舌噛んだ坊主が随分と言う様になったじゃねぇか」
「また悪癖がでていますよ。伯爵様になられたのですから、言葉使い位しっかり直して下さい」
「……」
「……」
此処へ来る度、こんな遣り取りから始まる。
そろそろいい歳なのだから、落ち着いて欲しいものだ。
ダイン・フォン・リントベルク伯爵。
元SSランク冒険者で”竜殺し”の二つ名を持つこの地の領主である。
貧乏貴族の三男坊が冒険者で身を起こし、魔物の楽園と呼ばれていたこの地に街を興したのが十数年前。
それらの功績の褒章として、伯爵の地位を得、この地の領主となったのである。
「なるほどな。親のことはこっちでも調べておこう」
「宜しくお願いします」
「まあ予言通りなら当てにはならんがな。まあ酒の肴程度にはなるだろうよ」
不可思議な状況だけに詳細なところは誤魔化したのが、報告は怠るなということらしい。
厳つい顔をして子供好きなのだから困ったものである。
溺愛するのは孫だけにしておいて欲しい。
帰りに冒険者ギルドへ寄って、迷子探しの依頼がないことを確認。
逆に迷子を預かっている旨の伝言を依頼する。
あまり期待はしていないが、とりあえず打てる手はこんなところだろう。
結果は……まあ言わずもがなだが、これはこれで面白いものでもない。
誰かの掌の上で踊らされているような気さえしてくる。
しかし、一方で期待している自分がいるのも確かだ。
その期待の星は、それから三日後に目を覚ますことになる。
次回予告:「第一話 目覚め」




