二十代魔法少女☆あんこ!
超能力だとか魔法だとか奇跡だとか、この世には人知を越えた素晴らしい力がある。正確に言えば存在するかどうかは甚だ疑わしいものなのだが、おそらく十歳に満たない子供は確実に信じているだろうし、ヘタをすれば成人を迎えたいい大人ですら「あったらいいなぁ」とか「もしかしてあるんじゃね?」とか思っている。
宗教はその典型的なものに違いないし、ハンドパワーなんかもそうだ。その存在が決定的に示されないくせに誰もが望んだり使えると吹聴したり信じたりする不思議な概念。そのいくつかのうちの一つが魔法。
ところで飾東庵子が魔法を信じているかと言えば、ありえないと答えるのがおそらく正しい。前述したことを覆すようで申し訳ないが、とにかく彼女はオカルトや神秘の類からかなり遠い場所にいる。宗教からも遠い場所にいる。魔法なんぞなにをかいわんやだ。
それは神様にお願いした初恋の成就が叶わなかったことに由来するかもしれないし、母親が心霊詐欺にあったことに由来するかもしれない。いくらでも理由とおぼしきものは出てくるが、彼女の心中は誰にもわからないのだからして、そしてこんなばかげた捜し物をする程枚数に余裕は無いのだからして、さっさと進めるのがよいと思う。
こいつは僕が後から聞いた話だ。
部屋に妙な、怪しすぎる闖入者が現れたとき、彼女は寝る前のけだるい時間をなにともなく過ごしていた。ベッドに座って、明日は休日だけどとくに用事も無いから何時に起きるのがいいかしらなど考えていたら、どこから入ってきたのかクラシカルなスーツにシルクハット、片眼鏡にちょびヒゲ、口に木製のパイプをくわえた鼻のやけに高い紳士が座っていた。
いや不法侵入をしているのだから紳士ではあるまい。変態か犯罪者か、とにかくくせ者だ。だから庵子は窓ガラスにヒビが入りかねない程の金切り声で悲鳴を上げ、次に思いつく限りの汚い言葉で罵りながら男に殴る蹴るの正当防衛を加えた。
部屋の埃が収まるころには、机の上にあったはずの桃色の卓上スタンドが無くなっていたが、それがどのようにして短い生涯を終えたのかについては詳しく語るまい。男は弁解をする間も与えられずにのびてしまい、酸欠に苦しみながら庵子はベッドのシーツで男を縛り上げた。この間約1分と11秒。魔法のような早業だ。
その後警察に連絡しようとして携帯電話が止められていることに気づき、隣の部屋の住人が外出しているのを確認してため息をつきながら部屋に戻ったら、そいつは起きていた。鼻や唇やいろんな所から血が流れているが、表情そのものはスッキリしたもので、床にはいつくばっていたはずがシーツを奪われたベッドに寝ころんで彼女を見ていた……おかげでベッドは真っ赤で大きな染みによって使い物にならなくなっている。
「おりなさいよ変態!」
庵子は男を変態と見なしたようだ。
男は片眼鏡をクイと上げて、パイプを一息吸い、体を起こしながら懐からハンカチーフを取り出すと、ベッドの上に広げてこう言った。
「まあ座りなさい、お嬢さん」
「警察呼ぶわよ!」
「この部屋にそういった通信機器が無いのは承知している」
「ここに住んでるの私だけじゃないんだからね!」
「君は先ほどその隣人の不在を自身で確認したはずだ。マァマァ、私は見かけが怪しいのを否定するつもりはないが君に危害を加えるつもりもない。落ち着きたまえよ。君の誤解を解くためにまずは自己紹介といこう」
人の部屋に入り込んだのが非常識ならその上でのこの態度も十分非常識だ。だから常識の中で生きている庵子は言葉もなく呆然と突っ立っていたが、変態は反動もつけずに立ち上がると、シルクハットを脱いで深々とお辞儀をした。
「先より後へと旅する者、数多の死線と幾多の平和をその目にした者。多くの知を求め多くに授けてきた、人呼んで不死のサン・ジェルマン」
この無駄に長ったらしい、装飾過多で電波な自己紹介を受けて彼女が何を思ったのかは想像するしかない。
案の定、庵子は反応に困っている様子だった。いや確かにその堀の深い顔立ちは西欧人であることを伺わせる。腰を曲げたまま庵子をチラ見した変態は満足げに頷く。
調べてわかったことだが、このサン・ジェルマンという変態、自称が本気であれば何百年も前から生きているらしく、さらに人をからかって遊ぶのが趣味なようなのだ。だからこのシチュエーションはかなりおいしいものに違いないのであり、むしろ自ら作り上げたのだとも考えられる。
「お嬢さんの名前は飾東庵子でよろしかったかね、確か」
庵子は逃げようとしているのか立ちはだかろうとしているのかよくわからない姿勢のまま、なんで名前を知っているの、というようなことを呟いた。
「そりゃ、お嬢さん。後でおいおい説明するけれども、私はなんでも知っている。君の隣人の名前も、彼がクリスマスイブのこの日に二十歳年上のマダムと五百メートル先のホテルでよろしくやっていることも、マダムの亭主がそれを今まさに見付けんとしていることもなにもかも知っている。もちろん、尾原仙介という君のボーイフレンドがこのクリスマスに友人と麻雀大会で盛り上がっていることも知っているよ」
「なんですって! あいつ、バイトがどうのこうの言ってたクセに……!」
ちなみに尾原仙介とは僕のことだ。この時変態が言っていたことは驚くべきことに寸分違わず事実だったが、別に僕は庵子といたくないわけじゃなかった。そりゃそうだ。理由は後で明かされるかも知れない。問題は、庵子が何故かその部分だけは間違いなく真実だと受け取ってしまったことにある。こういう時だけ都合がいいんだ、実際。
「さて、マァ、そんなことはどうでもよろしい。実は私は君に用事がある」
でなきゃ部屋に上がり込む必要がない。
変態は何かを期待する顔で彼女を見ていたが、特に反応がないので肩をすくめて続けた。
「11分前から君は魔法を使えるようになっている。私の構築した秘術によって」
変態はまた何かを期待する顔で見ていたが、特に反応がないのでため息と共に続けた。
「君はこれから正義のヒロインとなって困っている人たちを救うんだ。子供達が夢見るスーパーウーマンになって空を飛び地を駆け火の中水の中、災害あればはせ参じ悪党あればねじ伏せて日本の平和を守る、それが君だ」
変態はなおも何かを期待する顔で庵子を(略)特に反応がないのでいよいよ困ってしまったようだ。頭を掻いてシルクハットをかぶり直し、窓からパイプの火種を捨てて今度は懐から葉巻を取り出して口で噛み切ると火を付ける。
「11分前って、ずいぶん中途半端ね」
彼女の混乱っぷりがよくわかるセリフだ。何を言いたいのかサッパリわからないあたりが。変態はようやくの反応にフンと鼻を鳴らすと、盛大に煙を吐いた。
「時計を見たまえ。11分……今、12分……前が丁度午後11時だった、それだけのこと。キリがよかったものでね。それよりももっとこう、前向きな質問などあればだね」
変態の気持ちはよくわかる。その信憑性はともかくとして、魔法が使えると聞いたらまず頭に浮かぶのは時間がどうのとかいうことじゃないのは明らかだ。
庵子は胡散臭そうに変態の体をジロジロみながら、それを呟く。
「なにかクスリでも飲ませたの? それともあんたがキメてるの?」
「嗚呼!」と変態は悲嘆に暮れた。けれど悲しいかな、今の日本ではそれが一般的な反応なのだ。「君はロマンがわからないようだ! いいからとっとと呪文を囁いてみたまえ、いいか、脳裏にひらめいた何かしらの意志を願いと共に言葉にするのだ。心からできると信じるのだ! 空でも飛んでみるといい! さあ飛べ、飛ぶんだ!」
どこかから取り出したステッキを(本当にどこから取り出したのやら)庵子に向けて振る変態。相当にいらだっているようで、そこにはもはや礼儀の欠片も消えている。
じゃあアンタ飛んでみなさいよ、と庵子が考えたのかはわからない。変態のセリフから察するにそうだと思えるが、なにせ庵子はあまりこの件について話したがらないからしょうがない。とにかくこの時、庵子は自分の常識を飛び越えた状況にちょっとキレ気味だったようで、売り言葉に買い言葉、ならばやってやろうじゃない、といった精神状態だったはずだ。だから、
「○○○○××!」
変態に指を突きつけながら、およそ恥ずかしくて描写しにくい、マジカルとかラジカルとかプリティとかそういった少女漫画にありがちなメルヘン単語がふんだんに盛り込まれた意味のよくわからない叫び声を上げた。これが本当に頭に浮かんだとするならば、彼女に対する認識を改めなければならない。思ったより夢見がちだったのかも。
「それだ!」と歓喜の声を上げた変態の周りの空気が竜巻のようにうねり、そのまま彼は不可視の力でもって吹っ飛ばされ、窓ガラスを突き抜けて夜空の星になった。その間11秒程度。別に 11という言葉にこだわっているわけではないので念のため。僕の意志の届かない何かがそう決めているらしい。
数秒の沈黙の後、階下から笑い声が聞こえてきた。
庵子はビビっていた。何かの冗談だったはずが、脳裏にひらめいた言葉、吹っ飛んだ変態。それを可能にしたなにがしかの不思議な力。粉々に破壊された窓とその向こうの夜の街を指さしたまま、庵子は「あれ?」と呟いた。
「嘘……」
「嘘ではない」
突然背後からの声。ギャッと悲鳴を上げた庵子は反射的にその主を、手に入れたばかりの魔法の力で跡形もなく破裂させてしまった。ああ、グロい。これはそう言った話ではないから詳しく描写することは避ける。ぶっちゃけてしまえば、今は肉片となってしまった哀れな男は先ほど夜空に消えた紳士に相違ない。いったい何をどうやって戻ってきたのやら、まあ世紀の怪人サン・ジェルマンなら不思議ではないはずだ。たぶん。
扉がノックされたので恐る恐る開けると、当然のように破裂したはずの変態が立っていた。そろそろ僕にもわけがわからなくなってきたが、頑張るから耐えて欲しい。
紳士は懐をごそごそあさって、葉巻が無くなったことに気づく。
「すまないが君のタバコをいただくよ」
もはやなんと表現すべきかわからない顔をした庵子の隣をするりと抜けて、机の上のガラムを手に取る。ガラムっておい。庵子の意外な趣味が見えた瞬間だ。僕の前じゃセーラムとか吸ってるクセに、結構マニアックだな。ちなみに庵子は二四歳なのでタバコを吸っていてもなんの問題もない(僕は問題だけど)。変態は一本に火を付けて、味を確かめるように一息吸った。
「そろそろわかってもらえたと思うがね。私は君に間違いなく魔法を授け、君は間違いなく魔法を授かった。私を攻撃したことについては追求しないでおこう。というわけで、だ。君はこれから魔法少女あんことなって人々に幸せを与えるのだ。空を飛び地を駆け――」
それはもういい。しかし就職したての女を捕まえて少女と呼ぶのは誰がどうみてもおかしくないか。少女っていうのは最低条件がティーンであることだと僕は思うのだけど。それとも(自称)何百年も生きている不死のサン・ジェルマンから見ればどんな婆さんでも少女だというつもりか。
庵子はまだ猜疑心の方が強いようで、今度はさっきと少し違う、けれどもやはりドリームな赤面モノの単語をいくつか呟いた。変態の吸っていたタバコの煙がショッキングピンクになったのを見て、ため息をつく。
「本当みたいだから相手したげるけど、いったい何なのこれ」
やっと話が進む。僕にとっても変態にとってもありがたい。
「何度も言ってるじゃないか。私の秘技をもって構築された万能の力、魔法だ」
「科学のこの世で?」
「魔法と科学は、誤解されているが同じものだ。表現する言葉が違うだけでロジックは全く変わらない。例えば君がさっき私を飛ばしたのを科学的に表現するならば、君はある種のコードを用いて端末たる指を媒介することによって世界を支配する物理現象にアクセスし、地球の自転エネルギーを利用して私の周囲で膨大な回転運動を起こし重力を消滅させた。その回転によって引き起こされた風をぶつければ、私はどこまでも飛んでいくと、そういう原理だ」
何を言っているのやら!
「突っ込みたい点はいっぱいあるけど、まず指が媒介って時点で非科学的じゃない」
「何故だ。人間は大規模な装置を使い似たような現象を引き起こすことができるじゃないか。しかも時間がたつごとにそれらはダウンサイジングされていく。どんどん小さくなり、それが指に埋め込まれるまでになってもおかしくはあるまい?」
つまり、変態は庵子の指に何らかの装置が入っている、と言いたいわけだ。きっとそうだ。いつやったのかとか、そういうのは不思議なことに問題にならない。
「それが事実だとして、なら私の指は何かを吹っ飛ばすことしかできないんじゃない」
「そりゃ、お嬢さん、論理のダウンサイジングだよ。いいかね、以前はゲームをするにはゲーム機を。映像を見るためにはテレビを、音楽を聴くにはミュージックプレイヤーを利用するしかなかった。今はそれが一つの携帯機器で可能になった。つまりどれも原理は似たようなものでひとまとめにできるのだ。科学者が盲信する数字と計算によってね。君がその指に得た力もそれだ。なんの疑問もない」
怪しい論理を駆使しているようにしか見えないが、庵子はこういう話はあんまり得意じゃない。
「しかも私は古来より研究を続け賢者の石を錬成し、この世の全ての英知を手に入れた。だから、簡単に言えばどこの誰よりも先をゆく人間なのだよ。私の作った装置の原理を説明することは簡単だが、きっと君には理解できまい。しかし君の得た力はれっきとした論理構築の上に成り立った素晴らしいものだ。なにより素晴らしいことは、なんでもできるという点につきる」
「なんでもって、本当になんでも?」
「なんでも。ただし悪用はくれぐれもやめてくれたまえよ。人間という悲しい生物は、力を得るとほぼ例外なく悪の道に進んでしまう。それは私の本意ではない。君の役目は人々に幸せを分け与えることだ」
「そう、じゃあ……××○○△△!」
もう面倒くさいから説明はしない。庵子の呟いたいくつかの単語は摩訶不思議な力を持ち、十二キロ離れた友人の家で今まさに跳満に振り込もうとしていた僕を召還した。運がいいのか悪いのか、庵子の転送魔法の第一号に選ばれた僕は、ドギャンという聞き慣れない音と共に世界が崩れていくのをこの目で見て、次の瞬間には彼女に頭を踏まれていたのであった。よくわからないが字にするとそんな感じだ。
というかこの時僕は当然のことながら事態の一パーセントもつかめていなかったので、全体重を預けられる痛みに悶絶し、その形相に怯え、わけもわからず悲鳴を上げてのたうち回った。その姿、貼り付けにされたカエルの如し。
「ああもう、便利ね、これ。よくわかんないけど現実ってことでいいや」
「それがいい」
イヤ駄目だ、夢であってくれ。その思いも今や儚く消えてゆく。僕は乱暴に蹴り転がされて、これ以上の暴力から逃れるために跳ね起きた。補足すると、ここからは僕の見たままを話すことになる。目の前には不適な笑みを浮かべる庵子と、その隣に変態がいた。
「その間抜けたツラと曲がった背中、本当に麻雀やってたみたいね。私との、約束を、フイにして、お友達と!」
「え、いやちょっと待った、それには訳が……ってなんで俺ここにいんの?」
「昨日のイブはバイトで駄目だったから、今日はって、言ったわね、確か、一昨日、あたりに」
やばい、猫の目だ。一見つぶらだが動向が縦に細くなって攻撃性が見え隠れしている。これは夢でもなんでもなくまごう事なき庵子であり彼女の部屋だ。視界にちらちらはいる変態が気になるが、まさかこんな冗談みたいな男と浮気もないだろう、多分。万が一がないでもないけれどそれ以外のほうが遙かに確率は高い。気がする。
で、なにが言いたいかというと、このとき僕の命は風前の灯火だったらしい、ということだ。ギリギリそのことを本能で感じ取っていた僕は、慌てて土下座をするとそれらしい言い訳をした。ちゃんとした理由は当然の如くあったのだけれど、それを正直に言えば一瞬でミンチになるのがわかっているので秘密にするしかない。
「もちろん、嘘も見抜けるのよね」
「もちろん」
変態と何かを示し合わせた庵子は、僕にはよく聞き取れないいくつかの単語をつぶやき、にんまりとサディスティックな笑みを浮かべて、
「で、本当はなんなの?」
と言いやがった。躊躇無く僕に嘘つきの烙印を与えた庵子に対し、変態は満足そう鼻を鳴らした。
「君もようやく素晴らしい力を飲み込めてきたようだ。よい兆候、よい兆候」
また話が進まなくなってきたので、強引に時間を飛ばす。
一時間ほど経って僕らが話し合ったことをまとめると、つまり今までの流れをまとめたような結果になった。変態サン・ジェルマンの紹介、庵子が魔法を使えるようになったこと。変態が僕の居場所を知っていたこと。庵子が魔法で僕を転送したこと。疑いのまなざしを向ける僕の前で変態を空中に浮かべて捻りあげながら、庵子は言う。
「これでも信じないなら、次はあんたをやってあげてもいいけど」
変態の口からは地獄の底から響いてくるような悲鳴が漏れてくる。僕は素直に土下座すると、彼女に神の慈悲を請うた。
「理由さえ話せばいいのよ」と彼女は菩薩のごとき笑顔でのたまったが、当然ながら目は猫のままだ。もしかしてこれは比喩じゃなくて魔法で実際に猫の目にしているのか? 僕にはちょっとわからない。問題はもちろんそこじゃなくて、彼女に僕を捻り潰す気があるのと、実際に捻り潰す力があることだ。ここに来て僕は観念し、全てを話した。
曰く、「まず初めから話すと二年前に達兄が姉ちゃんにプロポーズしてその時はもちろん大学生だから社会人になってからって話になってそれで俺はもちろん反対したんだけど姉ちゃん本人が結構その気だったのねそれで俺もしょうがないかって思ってたら今になってオヤジが急に反対しだして説得してくれって二人から言われたのよそれじゃあってことで近いうちに話し合おうって決めたのが一昨日でそんで昨日は本当にバイトだったんだけど仕事終わりで電話来てなんか今日話すとか抜かしやがってアンにはこの件で姉ちゃんや俺がすげぇ頼りっぱなしだったから次に会うときにはいい報告したいのだからまだ言わないでとか言われてもう仕方なくホントゴメン謝るから許して捻らないで潰さないでお願いします」
一息に言ってしまうと、僕は酸欠でホワイトアウト気味の視界で庵子を見上げた。いったいどんな拷問や体罰が来るかと怯えていたら、彼女は拍子抜けしたような顔で僕を見下ろしている。
「なんだ」と呟いた。「そうだったの。あー、それでタツ君の部屋に道子さんと二郎おじさんとアンタが行ったのね……なによ、先に言ってくれれば怒ったりなんかしないわよ。おじさん、麻雀好きだもんね」
ホントか? いや、疑るまい。意外とあっけないのは魔法を使ったからだろうか。
予備知識が必要な話になってしまうが、その部分はこの際すっ飛ばしていただこう。ここにおいてようやく誤解が解けたので本題に戻る。ようは、庵子が魔法を使えるようになったからどうなのだ、という所。変態が静かに言う。
「魔法の力は平和の力。先ほど私にかけたような魔法は悪党に使っていただきたいモノだね」
「じゃあ正しい使い道じゃない。とにかく、私もう眠いから今日は寝たいんだけど」
「それは駄目だ」
どうしてよ、と庵子は頬を膨らませる。僕は庵子の机の上にあるガラムを一本取ると火をつけた。パチパチタバコの異名通り、竹の爆ぜるような音が何故か細い紙巻きから聞こえてくる。
「アンっていつからガラム吸ってんの」
「十六。ねえ、なんで駄目なのよ」
さらりと酷いカミングアウトだな。
「この魔法は万能だが一つだけ使用条件がある。君が発生させたい事象に対し『断固たる意思』が必要になる。端的に言うと……心の片隅ででも『無理かも』と思ったら魔法は使えない。君のハートが大事なのだよ」
理屈のよくわからない制限だ。僕は何故か粉々に砕けた窓から煙を吐き出す。うん、これは甘くてまずい。買うのはよしておこう。変態の話によると庵子は『断固として変態を抹殺したい』と思っていることになるけどそれは大丈夫なんだろうか。
「それと、今日中に決めてしまいたいこともあるのでね」
「何よ」
「君の肩書きと名前だ」
「は?」
「私は日本に来たのは、日本の女性が魔法と親和性が高いからだ。彼女たちは不思議なことに思春期の少女で、魔法使いだとか魔法少女だとか肩書きが付いている。名前もカタカナやひらがなで普通でない。もちろん偽名だろう。ということは、だ。日本の女性の魔法使いは肩書きと偽名が必要な訳だ。だから考えなければなるまいよ。とりあえず肩書きは魔法少女として」
僕らはどん引きした。この変態はちょっとリアルに変態だった。それとも日本の負の文化をよく知らないで大まじめに行っているのか、とりあえず二十代を捕まえて魔法少女は酷い。魔法女性、魔法淑女。確かに少女以外の単語は当てはまりそうもないが、それにしたって少女はない。と言うようなことを伝えたら、変態サン・ジェルマンは、
「それならば魔法で少女に変身したまえ」
とわけのわからないことを言い出した。
「日本の文化のことはずいぶん調べたが、そういうのには気づかなかった。私の手落ちだ。かといってテストケースを君から他の少女にかえるわけにもいかない。君たちの中で魔法使いというのが老婆を連想させるなら、また魔法少女がより幼い女の子を連想させるなら、どちらかに変身した方がわかりやすい。ということで変身したまえよ」
なにが言いたいのかよくわからない。何百年も生きている男の言うことはおよそ僕たちの常識からかけ離れていたが、なんだか反論するのも面倒くさいので僕は彼女に促す。
「まぁ、とにかく変身してみなよ」
というわけで変身だ。
「○○××□□!!」
「あ、ちなみに変身後の体は使用者のかつて夢に見た理想の体型とコスチュームになるので注意したまえよ」
こいつわざとだな。
……数秒後、目の前に現れた彼女の容姿を事細かに描写するのは彼女の名誉にも僕の命にも関わる。ので妥協して、平均的な小学生の少女達が朝のテレビを見て変身セットをほしがるようないわゆるあの服にいわゆるあの顔、とオブラートに包んだ言い方にしておく。
決してどぎついピンクと白のフリルに飾られたレオタードもどきのハートマークがちりばめられたキラキラほわほわした材質のよくわからないピッタリスーツだとは言えないし、アルバムで一度だけ見た覚えのある彼女の十四歳頃の垢抜けないちょっとふっくらとしたような顔だとも言えない。絶対に言えない。
「……お、おお、魔法少女だ。テレビみたい」
次の一瞬で僕と変態は空を飛び、その時僕は窓が割れていた理由を理解したのだがそんなことはどうでもよろしい。どうやら庵子は自分の幼いことの嗜好が赤裸々に暴かれたのが恥ずかしくて僕らを吹っ飛ばしたのだろう。自分が穴に入るのではなく周りを消し去るのが彼女と言えば彼女らしい。
僕と変態が帰る所をいちいち書いていてはとても枚数が足りないので省略する。庵子の部屋のドアを開けると、彼女はすでに元に戻って不機嫌な顔でガラムをすっぱすっぱフカしていた。
「か、かわいかったよ」
睨まれたので口を閉ざす。
「却下却下却下、変身はナシ! 普通に助けに行けばいいじゃない!」
「しかしそれでは魔法少女ではないのだろ」
「いいのよさっき魔法使って少女の定義を拡大しておいたから。今なら四十歳まで少女よ」
それは酷い。
「で、具体的にはどうやって困ってる人を助ければいいの? まずどうやって見付けるのよ」
「それより、俺そろそろ戻りたいんだけど」
睨まれたので口を閉ざす。今頃あの三人はどうしているのだろうか。姉ちゃんはいい女だが空気を読まないから大変なことになっているような気がする。そもそも麻雀しようと言い出したのも彼女で、しかも強いものだからあの時点でオヤジはハコ寸前で機嫌が悪かった。機嫌取るつもりあんのだろうか。
そこで僕がいきなり消えたモノだから、その後の空気は予想だにできない。一刻も早く戻ってとりまとめないと、どんな惨事になっていることやら。でも庵子が怖いからしょうがないのだ。
「心の中で念じるのだ。困っている人どこですかー、というようなことを」
安直だな。
庵子は目を瞑って意識を集中させ始めた、と思う。寝たんじゃないかと言われると反論できないのが辛いところだ。幸いなことに十数秒後からぶつぶつ呟きだしたので寝たのではないようである。後で話してくれたのによると、急に頭の奥で声が響いて驚いたのだという。
「三百メートル先でおっさんが困ってる」
「どんな風に?」
「ヤンキーに囲まれて金取られてる」
わかりやすい困り方だ。ちょっと行ってくる、と庵子は玄関から出て行って、砲丸投げの砲丸よろしく飛んでいくヤンキー三人を見た僕がタバコの火を消している間に戻ってきた。
「楽勝」
「そう」
これが「ドヤァ」って顔か。庵子のことだから魔法なんか使わなくても楽勝のはずだけれど。これが鬼に金棒ってことだな、きっと。いつの間にか消えていた変態が突然現れて、
「しかし決めゼリフとポージングは魔法少女のお約束ではないのかね。ただ歩いていって放り投げるだけならそこらの大男にもできるぞ」
あれだけの距離を飛ばせる人間は存在しないに決まってる。
「私はテストケースなんでしょ。だったらあんまり多くは望まないでよ」
「できるだけ私の意向に沿って欲しいものだ、が仕方がない」
体がまた浮かび始めたので、変態は説得を諦めたようだ。
その後、庵子は部屋を出て行き鼻歌交じりで戻ってくるのを何度か繰り返した。途中で空を飛ぶことにしたようで、出入り口が玄関から窓に変わった。空が白み始める頃、彼女は最後の人助けから帰ってきて、割れた窓を完璧に元通りに修復してご満悦のようである。
「魔法って便利ね。これで肌荒れとかに悩まなくてもすみそう」
「一日で五組、七人の人間を助けた。これから慣れていって助ける人数が増えるとして、だいたい十人前後。一ヶ月で三百人、一年で四千人程度、困っている人を救うことができる」
「でも、毎日こんな時間まで起きてたら仕事に影響が出るわ」
「問題ない。時間を引き延ばしてその間に眠りたまえ」
本当になんでも出来るんだな。願わくば時間を戻して、僕を家族と達之の元に行かせて欲しかったが、もう諦め気味だ。多分オヤジの心も魔法でなんとかなる。
僕と庵子は変態を追いだして二人で眠り、その日の夕方に目覚めた。もしかすると全部夢なんじゃないかと二人で笑っていたら変態が現れて釘を刺した。
「言っておくが、魔法はくれぐれも平和のタメに使ってくれよ」
というわけで僕らの平和を乱す変態を遙か彼方に転送して、この話は終わらざるを得ない。最後に一つだけ加えると、達之と姉貴の結婚はうやむやの内にまとまったらしい。