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【ローファンタジー】 『ありふれた怪異、街の名物』

蝶の夢

作者: 小雨川蛙

 

 一人の男性が駅のホームで電子掲示板を見つめていた。


「急行」


 ぽつりと呟く。

 急行電車はこの駅には止まらない。

 彼はそれをよく知っていた。


「14時22分」


 さらに呟く。

 急行電車が通過する時間が近づき、駅内に踏切の音が響き渡る。

 その音に合わせるようにして男性の心臓も高鳴りだした。


「いかなきゃ」


 そう呟き男性はふらふらと線路へと向かう。

 彼は人生を終えるつもりだったのだ。


 特別大きな理由があったわけではない。

 ただ、生きる意義と意味を感じられなかったから。


 死ぬ理由は本当にそれだけだった。

 だからこそ、彼は今日の決心を誰にも話していなかった。

 友達にも両親にも。


 近づいて来る電車を見つめた。

 黄色い線の後ろで。


 あまり前に出過ぎてしまえばきっと誰かに声をかけられる。

 だからこそ、その時になるまでは普段通りに過ごせばいい。

 飛び出すのは本当に最後でいい。


「本当にいいの?」


 そんな考えがふと遮られる。


「えっ?」


 驚き振り返ると手のひらサイズの大きな白い蝶が空中に浮かびながら男をじっと見つめていた。


「君は?」

「妖怪だよ。多分」

「多分?」

「うん。もう自分でも分からないからね」


 蝶はそう言うと男の肩に止まって人とは違う奇妙な顔を向けて問いを繰り返す。


「本当に死んじゃっていいの?」

「うん」

「どうして?」

「それは……」


 問いに答えられず男は迷う。

 無論、男には理由があった。

 生きる意義と意味を見出せないという理由が。

 ただそれを誰かに言うつもりはなかった。

 何故か分からないが言ってはいけないと思っていたからだ。


「実は……」


 故に男は初めて自分以外の存在に心に(わだかま)るものを伝えた。

 蝶は語られる言葉を否定も肯定もしなかった。


「そっか。生きる理由を見出せないから死ぬんだ」

「腹が立つでしょ?」

「ううん。理解は出来ないけど怒ったりはしないし馬鹿にするつもりもないよ」


 そう言って蝶は羽を何度か羽ばたかせながら言った。


「だけど、電車はもう通過しちゃったね」


 確かに。

 もう踏切の音はしない。


「いいよ、別に。次を待つから」

「そ。まぁ、それでもいいけど」


 答えると同時に蝶は飛び上がり男の鼻の周りを軽く飛んだ。

 直後、男は微かな眠気を感じ、一瞬意識を失った。


『おじいちゃん、眠らないで』

『あなた。行かないで』

『お父さん。死なないで』


 見知らぬ人々が自分を囲んで泣いている光景を垣間見る。

 けれど、それは束の間の白昼夢。

 本当に見たのかさえも分からないほど一瞬。


「本来の君の死に様。いや、本来と言うのもおかしな話だけれど」


 呆気に取られる男の目の前で蝶はふわふわと飛ぶ。


「皆は泣いているけど君は笑って死ぬんだ。このまま生き続ければね」

「そうなの?」

「多分ね」

「なら死なない方がいいのかな?」

「それは君が決めることじゃないかな」


 そう言って蝶は飛び続けて電子掲示板の上に止まった。

 次の急行が来るまで随分と時間がある。


「未来が生きる意義と意味になるかは君が決めることさ。それじゃあね」


 その言葉と共に蝶はそのまま瞬きの内に消えた。

 残された男は無言で駅のベンチに座り込む。


 そして、結局、彼は夜まで動くことはなかった。

 終電電車が過ぎて、その日最後のチャンスがなくなった時、彼はようやくその日に死ぬのを諦めて一人家へと帰っていった。


 彼がいつまで生き延びるかまでは分からない。

 しかし、一先ず彼は今日を生き延びたのだ。


 ・

 ・

 ・


 夜の闇を薄く照らす電光掲示板に張り付きながら蝶が呟く。


「時代は変わるものだねぇ」


 この蝶の正体。

 それはかつてこの場所が深い沼地であった頃、道行く旅人に夢を見せつつ深みへと誘い底なし沼に沈める妖怪だった。

 人々の命を奪うその行動に意味も意義もない。

 妖怪とはそのようなものなのだ。


「私が人間を救う時代になるとはねぇ」


 故に今日の出来事も何の意味も意義もない。

 言ってしまえばただの暇つぶしだ。


「まぁ、あんな夢のような死を迎えられるといいね」


 二度と会わないであろう男の背に蝶は呟くと夜の闇に溶けるように羽ばたいていった。

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