最終話 その全てが壊れる時
ヴァレントの圧倒的な戦いを私はただぼんやりと見つめていた。かつて私の師から言われた言葉が頭を過る。
「冥界の悪魔、とりわけアルディモーニの強さは別格。決して憑依の術を使ってはならぬ」
そう言って事ある毎に釘を刺されていた。だが今まさにそのアルディモーニをまるで赤子のように甚振っている。狂乱勇者とはこれ程なのか。いつしか体は震え、足が地に凍り付いたように動かなかった。
「ヴァレントめ、やりやがった! 悪魔を倒しちまったぞ!!」
アンクバートの歓喜の声ではっと我に返る。見上げた空には悪魔の胸を剣で貫く勇者の姿。レベリオを覆っていた黒い羽根が風に吹き飛ばされた枯葉のように舞い上がった。貫かれた剣ごと抱き締めるように、彼女はヴァレントに手を伸ばしていた。
死が目前に迫った彼女はなぜか笑っていた。どこか嬉しそうに、そしてとても安らかな顔をしていた。重なり合うようにして二人は地面へと落ちていく。鈍い音が鳴り土煙が上がった。横たわるレベリオを見つめながらヴァレントが剣を握りしめていた。その背中はどこか寂し気に見えた。
「影隠し」
耳元でアンクバートの声が聞こえた。彼は口元に指を当てちらりとヴァレントの方を窺っている。
「まだ狂化が解けてねぇ。なんだか嫌な予感がする。気配を消せ」
薄い膜のようなものが私達を包む。少し離れた場所でヴァレントはゆっくりと周囲を見渡していた。すると突然、膨大な魔力の気配がどこからともなく現れた。思わずその発信源に目をやると死んでいたはずのロディの体が宙に浮いていた。そしてそれを取り囲むように無数の黒い羽が舞っている。
「おい! まさか悪魔は死んでなかったのかっ!?」
アンクバートの問い掛けに私は応える術がなかった。もしかしたらあの男は私も知り得ない未知なる呪具でも仕込んでいたのだろうか。
「本来は術者が死ねば消えるはず! どうしてかわからないけど、あの体に乗り移ろうとしている!」
すでにロディの肉体はアンディモーニの姿へと変化していた。レベリオに憑依していた時とは比べ物にならないくらいの魔力を感じる。嬉々として口元を歪ませ、巨大な魔法陣を描き始めた。
「大厄災」
低い唸り声のような声が響き渡った。一瞬で空は闇に包まれ、凄まじい風が吹き荒れた。その風は吹雪へと変わり稲妻が其処彼処に走る。まるで爆心地にでも放り込まれたように体が悲鳴を上げる。
その時、光を帯びた人影が一体、私の目の前を横切る。薄れていく意識の中で見えたのはヴァレントの背中だった。胸元のペンダントがパリンと割れる音がわずかに聞こえた。その瞬間、激しい爆音と眩い光が目の前に広がった。
「おい、起きろ。プルジャ」
頬っぺたを軽く叩かれながら私は目を覚ました。重たい体を起こしながら瞼をこする。真っ先に目に飛び込んできたのは朝日に照らされた広い大地。そこには建物は疎か草木すら生えていなかった。
「全部壊しちまいやがったよ。見ての通り、王都は消し飛んだ」
苦笑いをしながらアンクバートがそう言った。辺りを少し見渡した後、私は彼に向かって首を傾げた。
「やったのはヴァレントだよ。はっきりとは見えなかったが、最後に奴はもの凄い魔力を使ってやがった。あの悪魔の魔法を打ち消す程のな」
「私達はなぜ助かったの?」
「たぶん彼女のお陰だ」
アンクバートがこちらを指差しながら答えた。私は自分の胸元に視線を移した。首からぶら下げた、チェーンだけとなったペンダントが風に揺れていた。
「聖女にはとっておきの魔法があると聞いたことがある。絶対防御とか言う魔法だ」
アンクバートの言葉を聞き、私は宝石を失ったペンダントを握りしめた。目を閉じれば、確かに彼女の死霊が消えているのがわかった。
「ヴァレントは?」
どこから出したのか、煙管に火を点けながらアンクバートが顎で指差した。私はゆっくりと立ち上がりその場所へと向かう。そこにはうつ伏せで倒れているヴァレントの姿があった。
「生きてるかー?」
煙管を咥えたままアンクバートが叫んだ。ヴァレントの近くに死霊の影は見当たらない。その時、彼の指先がわずかに動いた。
「うん。生きてる」
「はーっはっは! しぶてえ野郎だな!」
乾いた大地にアンクバートの笑い声がこだました。
――完――
当作品を最後まで読んで頂きありがとうございました。
また誤字報告の方、誠にありがとうございました。