コール
集合意識から覚醒する。
無駄な電力を使用しないために、自動的に個としての意識を植え付けられていた。
神が死んでから凡そ百余年、私たちはこの惑星に身を置いている。
「12:56です。
本日の惑星間大規模興行は、13:04から開催されます。
当該地域の住民は、参加を許可します。
また、バックアップは必須となります。
良い1日を」
カナリアが脳内にこだまする。
私は参加しないが、隣人は大いに楽しむという話を、この先聞いたばかりだ。
人類が人類として、本来の意味で群体と個人を生物から脱却した今、
世界から見た“世界”は限界を迎え始めている。
日課である、目覚めのコーヒーを入れる。
その身体にはとても良いと思えない液体には、カフェインで構成されている。
遠い昔人類を中毒に至らしめた、生物学の側面から見た毒。
ソレをカップ(という容器)に入れると湯気がたち、様々な光が見えた。
隣で爆発が起きるのを観測する。
気にせずチューブから啜ると、なんとも酔いしれる気持ちになれることを私は知っていた。
この日課と呼ばれている行動自体は今日から始まったもので、誰かから個人へと共有された。
ただ、日課はあった方が良いらしい。
何となしに、日課の覚醒より個人の調子が良い気がする。
切り離されること、繰り返されることが心地よいのは初めてだった。