朝7時45
ぼくには、3年間片思いしている相手がいる。
会社の上司、中枝さん。
彼女は気付いていないと思うけど、出勤の時はずっと同じ電車の同じ車両に乗っている。
ただ、その姿が見えるだけでいい。
あと、もしヤバイ奴が中枝さんのそばにやってきたら、助けてあげたい。
…まぁ高嶺の花だし、何よりぼくは中枝さんに好かれていないみたいだし…
ぼくは自分に自信がないから、身なりとかもみすぼらしく見えるのかな…
だから、別に中枝さんとどうなりたいとかはない。
ただ見ているだけで…見守っているだけで…それでいい。
いつもの朝。
私はいつも通り改札を抜け、特別急行へ。
いつもの場所候補をチェック。
その1は埋まってる。
その2は…空いてるけど、次に停まるときに押し出されるなぁ…
その3は…なんて悩んでるうちに、完全に今いる場所から動けなくなった。
朝の特別急行は、隙間なくミッチリ。
人の体が、原型をとどめないくらい押し潰される。
隙間を確保しようとあがいた結果、挙げた手を下ろせず、オロオロする人もちらほら……
ヤバい、ヤバい、ヤバい…
次の駅までノンストップ10分。
息ができない…失神する…
ギューッ
前にいた男の人に足を踏まれた…
…ウガアァァァァШ(≫Д≪)Ш
痛い!何するのよー!
『…す、…すみません……』
振り返ったその顔は…
『………明野くん?』
『あ、中枝先輩…ぁ…スミマセン…』
明野蒼空
私より3つ下の後輩…というか部下。
とっても真面目で誠実。
本当に几帳面。
仕事も他人よりちょっと時間かかるけど、とても丁寧。
ただ…私とはあまりに真逆すぎて、若干苦手。
『中枝先輩、足、大丈夫ですか?』
『粉砕骨折よ!どうしてくれんの?歩けないじゃない!』←もちろん嘘
…え…
そんな潤んだ瞳でじっと見つめないで?
…嘘だよ?明野くん?
そんな涙目にならないで?
ってか、車内ミッチリなのに、よく私の方に身体を向けられたね?
『ホント、マジで…スミマセン…』
『大丈夫よ!このくらい!』
『先輩!もし歩けなかったら、会社まで先輩の事背負って行くんで!キリッ』
…ヲイヲイ、恥ずかしいから、それ…マジ勘弁…やめてくれ…
あれ?てか明野くんて、こんなキャラなの?
冗談なんて、明野くんの口からはじめて聞いたよ…
ただのクソ真面目(失礼)だと思ってた…
3年も一緒に働いてたのに…全然明野くんの事を知らないかも…
私、ずっと明野くんの事、避けてたんだ…無意識に離れようとしてた…上司として最低だな…反省…
改めて、目を上げて明野くんの顔を見た。
長い前髪の奥に切れ長の目。
凄く形の整った眉。
造形美と言っていい、すっと高い鼻。
そして…形のいい唇…
え?明野くんて、こんなにカッコいいの?
『…あの、先輩…』
『………ハイッ』
ボーッとしていたところで突然呼ばれて、声が上ずる。
…て、ミッチリな電車の中で…ハズカシイ…………
『あ、あの………今度、会社の傍のあそこの喫茶店で、モーニングを一緒に食べませんか?』
『…………な、なに?突然…………』
『いや、あそこの喫茶店、昔ながらな外見だけど、モーニングは絶品なんです!奢るので!是非!』
…んと……………ん…………………と……………………………そうではなく……………
『………何故、私?』
『…あ……えーと……えー…………と……………』
…明野くん、顔、真っ赤だよ?
『それは……………中枝さんが好きだからです。』
…………………………何と?
『初めて会ったときから、ずっと好きでした。』
気付いたら、私の身体が明野くんの腕の中に収まってる…って、いつから?
『中枝さん、僕と付き合って下さい。』
耳元で明野くんが囁く。
…………………………………イヤイヤイヤイヤ……………イヤイヤイヤイヤ…………………………
唐突過ぎますから。
全く論理的じゃないですから。
『ちょ………………ちょ…………………』←中枝は混乱している
『…………やっぱ、ダメですよね…………』
『いやいや、そうじゃなくて…プロセス色々すっ飛ばして、突然付き合いたいって…』
『だって、好きなんですもん、入社してからずっと…』
『////』←中枝は赤面している
『まぁ、突然付き合って下さいは、急すぎました、すみません…………とりあえず、一度、ご飯に行きませんか?』
『…………………………まぁ、食事くらいなら…』
『ヨシッッッ!』
ガッツポーズとして握った拳が、私のみぞおちにヒット…
『○★□▼◇▲…(言葉にならない)』
『……………嗚呼、すみません…スミマセン…ホントニ…』
また涙目の明野くん…
『これは事故だから、仕方ないよ…じゃあ……私からも………1つお願い…………』
『何ですか?何でも言って下さい!』
お、何でもと言ったね!よしっ!
『まず、そのボサッとした髪を切ろう!そして、スーツもちゃんと着よう!靴もちゃんと磨こう!私の隣を歩くのは、それができてからです!』
『………………ハイ』
…明野くん…ガッカリが体中から溢れてるよ…
『…まぁ、はじめは手助けが必要かもしれないから、私も手伝うから…』
『…そ…それは…デートという…コト』
『デートではない!』
『デスヨネェ…』
降りる駅のアナウンスで、二人とも現実に戻る。
別に何てことない話…のはずなのに、凄くドキドキしてる。
顔がとにかく熱い…
明野くんの腕の中で、ほんのちょっと安心感とドキドキを感じながら、電車が停まるのを待つ。
駅に降りた途端、全身に酸素が巡った。
…ただ、いつもならあれだけ押しつぶされたら疲労感半端ないのに、今日はいつもより楽だった。
…明野くんのおかげ?
気がつくと…隣りにいた明野くんの姿がなくなってた。
なんだ、あんなに甘い言葉を囁いといて、結局さっさといっちゃうんじゃん…
少し寂しく感じながら、改札に向かう。
改札を抜けると、向こうの柱に…誰かを待つ人影…
『明野くん、お待たせ!』
自分でもびっくりするほど可愛い声を出して、駆け寄る…我ながら、若干キモい…
『行きましょうか』
『はい』
今までもそうするのが当たり前だったかのように、肩を並べて歩き出す。
『で、さっきの話なんですけど、あそこの喫茶店でモーニング食べたいんですけど、ちょっと寄りませんか?』
『…うん!』
いつも出勤前に寄る、会社近くの喫茶店。
いつも通り、ドアを開ける。
でも、今日はいつもと違う。
『いらっしゃい!……………………おやぁ?』
マスターが、こちらを見てニヤニヤしている。
『とうとう明野くんにも春がきたか!』
…マスター…楽しそうですね…
ぼくの隣の中枝さんは、顔を真っ赤にして俯いている。
…本当に夢みたいだ。
憧れの中枝さんが、ぼくと二人きりでコーヒーを飲んでる。
『…あ…あの…中枝さん……』
『………はい?』
『これからも時々、こうしてここでコーヒーを飲んでから仕事に行きませんか?』
『その前に、まずは、外見を整えてから!』
『………ハイ、スミマセン』