5話 伯爵の屋敷
「さあここだ」
「まあ……」
連れて来られたルーカスのタウンハウスはそれは立派なものだった。
「近隣の屋敷の手入れが済み次第、そちらに移ってもらうが……取り急ぎ、ここにしばらく滞在してもらう」
「は、はい……」
当初ルーカスは、アンジェと婚約の約束を取り付けたら一度帰るつもりでいた。まさかあそこまで彼女が危機に陥っているとは思わなかったのだ。だから住まいが整うまでここで三人には仮住まいをしてもらうはめになった。
「あと少し遅かったら……」
「どうしました?」
「あ、いや……。妹の服がある。それに着替えたら後で食事を」
「はい……申し訳ないです」
「気にするな。嫁いだ妹がもう子供っぽいと着ないドレスだ。君にはちょうどいいと思う」
だが……とルーカスはちらりとアンジェを見た。丈はいいがウエストは余りそうだ、と思った。
「では後ほど……」
「は、はい」
アンジェは客間に案内された。鞄を置くと早々にいくつものドレスが用意される。ライナスとルシアは隣の部屋に通され、ここのメイドが着替えさせてくれるみたいだ。
「アンジェ様、私はアンジェ様の手伝いをと」
「ハンナ」
「湯浴みの用意が出来ているそうです」
「……分かったわ」
アンジェはお湯を沸かす薪も節約する為に、しばらく子供達が入った湯桶のぬるいお湯で体を拭くくらいしかしていなかった。
「ふう……」
「もう少しお湯を足しますか」
「大丈夫よ」
こうやって体を温め、清めるのは久し振りだ。ハンティントンの領地からここまで強行軍で馬車を走らせた疲れがお湯に溶けていく……。ハンナはそんなアンジェに湯をかけてやりながら、背骨やあばら骨が浮き出ているのを見て傷ましい気持ちになった。
「さ、着替えないとね」
「素敵なドレスですこと」
髪を結って貰い、新しいドレスに着替える。さすが元伯爵令嬢のドレスだ。少し流行遅れなのは確かだが、アンジェのぼろぼろのドレスとは比較にならない。
「そこの薄青のドレスを……」
アンジェはその中から、薄青の絹地に白いレースの晩餐用のドレスを選んだ。たっぷりとしたレースが、アンジェの細すぎる体型を隠してくれそうだと思ったからだ。
「アンジェ様の目の色にお似合いですよ」
そんなアンジェの気持ちを知ってか知らずかハンナはそう言ってドレスを着付けてくれた。
「ハンナ、リボンはあるかしら」
アンジェは手元にある宝石は全て生活の為に売ってしまった。豪奢なドレスの首元だけがさびしくぽっかりと空いている。せめてリボンを結んで誤魔化そう、アンジェはそう思った。その時、部屋のドアが叩かれ、ハンナがドアを開くと箱を持ったメイドがそこに立っていた。
「ルーカス様よりこれを」
「まあ! 素敵なサファイヤのネックレス! 見てくださいお嬢様」
ハンナが受け取った箱の中身はネックレスだった。
「ありがたくお借りするしかないわね」
アンジェはルーカスの心遣いに感謝しながら、ネックレスを身につけた。
「ああ……お綺麗です、アンジェ様」
ハンナは美しく装ったアンジェの姿を見て思わず涙を流した。へーリア帝国の社交界で、外交官の父に付き添って夜会に出ていた頃を思い出してしまったのだ。
「ふふ、でもやっぱりぶかぶかね」
「それは……! これから沢山召し上がればよろしいのです」
そうすれば青ざめたアンジェの顔色もこけた頬も元のようにふっくらとするだろう。そうすればアンジェの少女から女性へと移り変わる得がたい若さ、美しさを存分に発揮できるはずとハンナは思った。
「よいお方ですね……エインズワース伯爵を遣わしてくれたのは神様でしょうか」
「大袈裟よハンナ」
「でもあたし、毎晩神様に祈ってたんですよ! どうかアンジェ様達をお救いくださいって」
アンジェは、ルーカスと交わした偽りの婚約の事は誰にも言ってなかったし言わないつもりだったがハンナの喜びようを見て胸が痛んだ。
「お姉様……?」
「きれーい」
身支度の済んだアンジェは隣の部屋のライナスとルシアの様子を見に行った。二人ともお風呂に入って小綺麗な子供服に着替えている。
「二人ともかわいいわ」
「うふふ。さっきルーカスさんが来たわ」
「そうなの?」
ルシアは嬉しそうにアンジェの耳元に顔を寄せると、小さな声でささやいた。
「わたし、あの人すきよ」
「……そう」
「あのね、これをくれたの」
ルシアは手のひらを開いた。そこには小さな陶器の天使の人形があった。
「これ私達だって」
一対の天使の人形は一方は男の子でもう一方は女の子。まるでライナスとルシアのようだった。
「ルシアはすぐにものにつられるんだから」
ライナスがルシアにそう言うと、ルシアは口を尖らせた。
「なによ、兄様だってずっと動物園の話をしてたくせに」
「こら、喧嘩しない!」
とにかく、アンジェが身支度をしている間にルーカスがやってきてこの二人の相手をしてくれていたみたいだ。
「……これから伯爵と晩餐だからいい子にしていてね」
「はーい」
双子の無事な様子を確かめたアンジェは部屋を出た。外はもう暗くなっている。
「アンジェ様、そろそろ……」
「そうね。行きましょう」
アンジェはルーカスとの晩餐の為に食堂へと向かった。
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