4話 救いの手
アンジェとルーカスはさっそく叔父ブラッドリーの元に急ぎ向かい、二人の婚約を告げた。
「……叔父様、昨日は言い出せませんでしたが彼が私の婚約者です」
「な、なんだと……?」
「どうも、初めましてブラッドリー・ハンティントン氏。私はルーカス・エインズワース伯爵と申します」
「伯爵……」
「ええ。亡きハンティントン男爵とは外交官時代に一緒に働いたこともありまして。彼の遺書に、このアンジェとの婚約のことが書いてあったのですよ」
「そ、そんな遺書は知らんぞ」
「へーリア帝国で新たに書かれたもののようですね。彼の死はとても急でしたから今頃になって届きました」
威風堂々としたルーカスの様子に、ブラッドリーはいつものような横柄な態度はとれないでいた。その代わりに媚びるようにへらへらとルーカスに話しかける。
「それはそれは……しかしお気遣いなく。この娘にはすでに縁談がきていますので」
「いえ、そこは亡き男爵の遺志を尊重しなければならないのではないでしょうか。それに……」
ルーカスは神妙にしているアンジェをちらりと見た。
「私は、このアンジェ嬢をとても気に入りました」
「そ、そうですか……」
「叔父様、私達ひとめで愛し合ってしまったの」
アンジェはなんでこんなことを言わなければならないのだと思いながら、決められた台詞を吐いた。
「私は彼女をさっそく首都に連れて行きたいと思っております」
「いや、でもうちにそんな余裕は」
「ご安心を。持参金など不要です。今後、彼女に関する全ての費用は私が持ちます。」
それを聞くと、ブラッドリーはちょっと心がぐらついたようだった。金をかけずにアンジェを厄介払いできる上、いま世間で大評判のエインズワース伯爵と縁続きになれるのだ。
「それから……彼女の弟妹も首都に一緒に連れて行きたいと思います」
「しかし……ライナスはハンティントン家の跡取りですから無理ですよ」
「いやいや……しかし彼はとても利発なお子さんだ。首都の方が良い先生に出会えると思います。私はアンジェの婚約者の弟として彼には最高の教育を受けてもらいたい」
「お、恐れ多いです」
「謙遜は結構。そうだ、叔父上にも首都の名士を紹介いたしましょう」
ルーカスが微笑みながらそう言うと、ライナスを手放す事に抵抗を示していたブラッドリーはころっと態度を変えた。
「本当ですか?」
「なんでも、肥沃なこの地の農作物の加工品はどれも絶品だとか。私から彼らにおすすめしましょう」
「なんと……」
ブラッドリーは息を飲んだ。田舎の領主代行として一生を終えるはずが、首都カッセルの社交界に出入りできると。
「叔父様、良かったわね。お部屋の蔵書がきっと役に立ちますわ」
アンジェはブラッドリーの浮かれた顔を見て思わず嫌みを言った。彼の部屋には毎年最新の社交界の作法書が並んでいるのだ。それを暗に揶揄されてブラッドリーはアンジェを軽く睨み付けた。
「ぐっ……。は、伯爵、ふつつかな娘ですが……よろしくお願いいたします」
しかし、とうとうブラッドリーは折れた。十年も経たずに死んでしまいそうな弱った年寄りと身売り同然にアンジェを縁組みさせるよりも、このエインズワース伯爵の権勢のおこぼれに甘んじた方がよっぽど得だと思ったのだ。
「はい、お任せください」
ルーカスはアンジェのささやかな叔父への仕返しを聞き流してにこやかにブレッドリーの言葉に頷く。アンジェはルーカスの横でそれを聞きながら、なんとまあ鮮やかにこの叔父を丸め込んでしまったものだと舌を巻いていた。
「では、出発は早いほうがいい。明日にでも私達は首都カッセルに向かいます」
「あ、ああ……」
そしてルーカスはいかにも仲むつまじい恋人同士かのように、アンジェの腰を抱いて屋敷を後にした。
「ビックリだわ……」
「これでも元外交官だ。交渉ごとはお手の物さ」
「それにしても明日なんて急ね。まあ荷物なんていくらもないけれど」
「あの叔父殿の気の変わらないうちにここを離れたほうがいいだろう?」
「……そうね」
アンジェはルーカスの言葉に頷いた。結局ライナスはアンジェと一緒にエレトリア王国の首都に向かうことになった。首都の名士の仲間入りに目がくらんで、ブラッドリーの頭からそれはすっかり抜けてしまっているようだったが。
「アンジェ……首都で君は生まれ変わるんだ」
「え……?」
「……なんでもない。今夜中に荷物をまとめておいてくれ。明日の朝迎えにくる」
「はい、わかりました」
アンジェはそう答えて、廃屋へと戻った。ルーカスはその折れそうな背中を見つめドアの中に消えるまで見守っていた。
「では……出発ね」
アンジェはここ数ヶ月住んだ廃屋を振り返った。そしてその向こうのハンティントンの屋敷を。へーリア帝国で育ったアンジェにそれらになじみがあるかと言うとそうでもないのだが、一応生まれ故郷である。
「首都かぁ……動物園があるんだよ、ルシア」
「まあ、兄様ほんとう?」
ここで生まれてもいないライナスとルシアはただただ首都へ移り住むことを喜んでいる。
「アンジェ様ーっ!」
その時である。コートに鞄を持ったハンナが猛然とこちらに走ってきた。
「ハンナ! どうしたの」
「どうしたのこうしたのじゃございません。……あたしもついていきますお嬢様」
「そんな……お給金を払えるかわからないわよ」
「結構です。あんな人でなしのところで働けませんから」
ハンナはそう言って鼻を鳴らした。
「その心配はない。ハンナ、君の給金は俺が払う」
「……ルーカス」
「やあ。婚約者殿、迎えに来たよ」
立派な二頭立ての馬車が二台、アンジェたちを迎えに来ていた。
「大きな荷物は別の馬車で持っていくが」
「……これは母上の肖像画なのです」
アンジェが胸に抱えた布包みを見たルーカスはそう言ったが、アンジェはそう言って包みを抱え込んだ。
「では行こう、首都へ」
「はい、ルーカス」
こうしてアンジェたちはエレトリア王国の首都カッセルに向かって馬車を走らせた。
親愛なるユーリへ
私の身にとんでもないことが起こりました。何から話したらいいのでしょう。近くの領地を持つ老貴族との縁談があがって家族がバラバラになろうという所に、なんと父の遺言で私と婚約したいという男性が現われたのです。
ねぇ、ユーリ。その人はライナスとルシアの養育してくれるというから私は彼に付いて行く事にしたのだけれど……。本当にこれで良かったのかしら。彼はとても立派な男性に見えるわ。でも簡単に信用していいのかしら。何か、何か……引っ掛かるのよ。
ユーリ、あなたに直接相談できたらいいのに。へーリア帝国は遠すぎるわ。
とにかく私達は今後、首都カッセルで生活します。また手紙を書きます。
愛をこめて アンジェ
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