31話 闇の中で
「……ルーカス? ルーカス……」
バルコニーには人気がない。アンジェはキョロキョロとあたりを見渡したが、ルーカスの姿を見つけることは出来なかった。
「確かにこっちに行ったと思ったのだけど……」
アンジェはそっとバルコニーから庭に出た。暗い木陰に目をこらしてみる。それでもルーカスの姿を見つけることは出来なかった。
『これで準備は完了、ということだな』
その時、人の気配と男性の声がして、アンジェは思わず茂みに隠れた。こんな所で人に出くわしたらトラブルになりかねない。
『少し声を……』
『なに、誰もいない。それにヘーリア語だ』
そんなアンジェの耳に入ってきたのはヘーリア語だ。この声は……使節団のリヴィンスキー伯爵と……ユーリの声だ。
「ユーリ……?」
アンジェは思わず声が漏れて慌てて自分の口を塞いだ。なんだろう何か嫌な感じがする。
『あの娘達をヘーリアに連れて帰れば我々の面子は一応立つ。よくやった、ユーリ』
『……ええ』
一体なんの話、とアンジェは聞き耳を立てる。私達がヘーリアに行く事と使節団と何の関係があるのだろうか。
『これでハンティントンが死ぬまで痛めつけられても吐かなかった指輪のありかをじっくり探すことができる』
『お願いです。それは僕の役目です。乱暴なことは……』
『まあ、しばらくは待ってやるさ。でも必ず手にするのだ。『栄光の雫』の指輪を』
アンジェは混乱した。父様を死ぬまで痛めつけた? 指輪とは……『栄光の雫』とはこの国の国宝ではないか。なぜそれを父様がもっていたのか。アンジェにはわからないことばかりだ。
『盗んだ指輪を盗られ返されたなんて、随分外聞が悪いですからね』
『ユーリ!』
ユーリのどこか投げやりな言葉が聞こえて来る。リヴィンスキーはそれに怒りを覚えたようだ。
『バタバタと旅仕度をしたようです。その中に指輪はあるでしょう』
『……だろうな』
二人の会話はなおも続く。指輪……? そんなもの私は知らない。ましてや国宝の『栄光の雫』なんて父からなにも聞いていない。だけど……。アンジェは動揺して顔を覆った。やはり自分は狙われていた。しかもヘーリア帝国の使節団に……そして、あのユーリに。気のいい幼馴染みだと思っていたユーリに。
『それにしても大丈夫なのか、あの『鉄の伯爵』は……ヘーリア帝国まで追いかけてきそうだぞ』
『……それはご心配なく。帰りの馬車を襲わせて、今度こそ……』
それを聞いたアンジェは血の気が引いていくのを感じた。ルーカス! そう叫びたいのを必死に堪えて。あの暴漢をけしかけたのもヘーリアだった。そして命を狙われたのはアンジェではなくルーカスだったのだ。
『そろそろ戻らんと、不審に思われる』
『そうしましょう』
アンジェは二人の気配がなくなったのを見計らって茂みから這いだした。そしてよろよろとバルコニーへと戻る。知らされた真実と、これから計画されている凶行の衝撃に心臓が痛いくらいにバクバクと音を立てていた。
「アンジェ?」
そんな時に後ろから声をかけられてアンジェは悲鳴をあげそうになった。だが、すぐにそれがルーカスの声だと気付いて振り返った。
「ルーカス……」
「どうした!? ひどい顔色だ」
「え……これは……」
ああそうだ、ここで今体調不良を理由にしてすぐに帰れば馬車は襲われないかもしれない。
「そう、気分が悪くなって」
「そうか、では少し早いが帰ろう」
「ええ、そうして……」
ぐったりとしたアンジェを抱えてルーカスは広間へと戻った。
「まあどうしたの?」
グレンダはさっきまで元気だったアンジェがぐったりとしているのを見て驚いていたが、すぐに人を呼んで二人の帰り仕度をするように命じた。
「ごめんなさい……」
「いや、大丈夫だよ。アンジェこそ……こんなにひどい顔色をして」
二人は馬車に乗り込んだ。アンジェを抱きしめたまま、ルーカスはその額にキスを落とす。馬車は急ぎ足でエインズワース邸へと向かって居た。
「あ……道を変えない……?」
「え、どういうことだ? 寄り道をしている場合じゃ……」
その時だった、がたん! と馬車が揺れ、馬がいなないた。
「エインズワースの馬車だな?」
「たしかにこの紋章だ!」
そんな声がして無理矢理に馬車の扉がこじ開けられた。ああ駄目だ、やはり襲われた。とアンジェは思わず目を瞑った。
「アンジェ!」
思わずルーカスはアンジェを強く抱きしめる。だが、狙いはルーカスなのだ。馬車から引きずり出されそうになったルーカスはアンジェを馬車の奥に押し込んでパッと手を離した。
「ルーカス!」
「アンジェ、馬車から出るな!」
ルーカスがそう叫ぶ。その時、馬車を取り囲んでいた一味の一人がナイフを取り出した。
「死ね!!」
「おっと」
ルーカスはそれを躱すとその手からナイフを叩き落とした。
「ぐ……」
しかし、ルーカスの顔は苦痛に歪む。前に刺された傷も万全ではないのだ。その隙に多勢に囲まれたルーカスは両腕を捉えられ、何度も殴られた。アンジェは馬車の中でへたりこみながら、どうしたらいいのか考えて居た。
「このままルーカスを失うの? 父様の時みたいに?」
冗談じゃない――アンジェの中で悲しみと怒りが爆発した。
「こら! ルーカスから離れなさい!」
アンジェは馬車にあった何かの箱を思いっきり暴漢に向かって投げつけた。やけになったアンジェは手当たり次第に馬車の中のものを投げつける。ショールも、仕舞いには扇子まで。
「あとは……あとは……」
手探りで馬車の床を張っていた指が座席の下にあったなにか固いものに触れた。この箱は……。
「……銃?」
アンジェはそれをバッと引っつかむと弾をこめて両手で構えて馬車を降りた。傾いた馬車からドレス姿で銃を構えるアンジェの姿に、暴漢は一瞬目を奪われた……後で笑い出した。
「おいおい、お嬢さん。物騒なものはしまいなあ」
「そうだぞ、撃ち方がわかるのかよ」
下卑た笑いを浮かべる一味をアンジェはにらみ返した。
「……わかるわよ」
アンジェは躊躇しなかった。暴漢に向けて一発、銃弾を撃った。
「わっ、本当に撃ちやがったっ!」
銃弾は誰にも当たらなかったが、アンジェはすぐに次の弾をこめた。
「撃つわ! ルーカスを離しなさい!」
そしてもう一発。今度は暴漢の一人の頬を掠めた。
「ひ、ひいい!」
「こんなの聞いてねぇ! 引け!」
「ちょっと! 逃がさないんだから!!」
最後の一発をこめるとアンジェは逃げる暴漢目がけて撃った。その弾は一人の足に当たって転んだのが見えた。
「ルーカス……!」
アンジェは自由になったルーカスに駆け寄った。シャツは血にまみれ、顔は腫れ、口の端から血を流している。
「アン……ジェ……」
その時だった。銃声を聞きつけた衛兵がやってきた。彼らは倒れていた暴漢を捕まえているようだ。
「もう大丈夫よ……」
「はは、アンジェ……素晴らしいよ……」
「ルーカス、しっかり」
「アンジェ、何があっても一緒に居よう」
「ええ……ええ……!」
アンジェは横たわるルーカスに口づけを落とした。これでわかった。たとえ離れても後悔しか残らない。ルーカスがアンジェを守ると言うならアンジェも……ルーカスを守る。
「大丈夫でありますか!」
「はい……なんとか……」
駆け寄って来た衛兵に、ぼろぼろのアンジェとルーカスは弱々しく微笑み返した。
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