23話 暗躍
その夜、一足先に家に帰ってきたアンジェは何度も寝返りを打ちながら、ずっと考え込んでいた。
「ルーカス……どうしてそこまでしてくれるの……とにかく、ちゃんとお礼をしないと」
何故ルーカスがそこまでしてくれたのか聞かなければと思いつつ、アンジェはほっと息をついた。金をせびってくる位ならまだいい。一番の懸念だったライナスを連れ去られたりする心配は、もうしなくていいのだ。
アンジェはそう思いながらうとうとと眠りについていった。
「え、叔父様が?」
翌日、アンジェはライナスとルシアを呼んで、昨日の出来事を話した。二人がどの程度、理解するかわからなかったが誰かから聞かされるくらいならアンジェの口から直接説明した方がいいだろう、と。
「やったーっ!」
「あいつ牢屋にはいるんだね!」
「あなた達……」
「だって、あいつ嫌な奴だもん。お姉さまをいじめるし、あんなボロ屋に押し込めるし、すぐにムチを振り回すし……」
アンジェが気に病んでいた双子達の反応はそんなものだった。彼らにとってブラッドリーは憎き仇以外の何者でもなかったようだ。
「ルーカスさん、かっこいいわねぇ……」
「そうだね! あの叔父様をやっつけちゃったんだから」
素直に手放しで喜んでいる二人を見ていると、アンジェはこれで良かったのだ、と思えた。 あのままブラッドリーを放置していたら、生きている限り彼はアンジェ達を食い物にいしようとしていただろう。ルーカスのしたことは正しかったのだ。
「ルーカスさんはお姉様のことがだいすきなのね!」
ルシアはうっとりしながらアンジェにそう言った。
「そうかしら……」
「きっとそうよ。ルーカスさんはお姉様を守るために叔父様をやっつけたんでしょう?」
「そうね……」
ルシアの言うことは間違っていない。ただ……一時的な契約の下の婚約者にするにしては手厚すぎる、とアンジェはどうしても思ってしまっていたが。
「アンジェ様、そろそろお時間です」
「あ、いけない。では私はルーカスの所に行ってくるわね」
「いってらっしゃーい!」
満面の笑みのライナスとルシアに見送られて、アンジェはエインズワース伯爵の屋敷に向かった。
「いらっしゃい」
「はい……ルーカス」
「とりあえず座るといい」
「そうね」
久々に訪れた豪奢な応接間のソファにアンジェはちょこんと座った。
「あの……ありがとう、ルーカス。昨日はその……うまく言えなくて」
「ああ。君も動揺していたし、仕方ないさ」
「とても感謝しているわ……でも、どうしてそこまでしてくれるの、ルーカス」
アンジェの率直な問いかけに、ルーカスはどう答えたものかと思った。
「……それは……俺にも男としての矜持がある。君との婚約後もあの男がいたらアンジェもライナスもルシアも安心して暮らせないだろうと思って……だな……」
ただ、君の憂いを取り除きたかったのだ、本当はそう言えばいいのに言葉を重ねるごとに理屈っぽくなっていく。いい加減ルーカスはうんざりした。だけどアンジェはそれを聞いて微笑んだ。
「……アンジェ。前に君に相談するって言ったのに、約束を破ってしまった」
「いいのよ。ありがとう……。そうね、人の親切を疑っては駄目ね」
「アンジェ」
「叔父様もね、お父様の訃報がくるまではとても親切だったの……だからつい、そんな風に思ってしまうのかも」
アンジェはそう言ってどこか悲しそうに笑った。いちいちルーカスの親切に理由を見つけてどうするのだというのだ。たったひとつ、アンジェに突きつけた条件を除けば、彼は常識的な紳士なのだ。アンジェが困って居るのをただ、見過ごせなかっただけだった。アンジェはそう思った。
***
『一歩出し抜かれたなぁ、ユーリ』
そう言われてユーリは、その男を睨んだ。ここはカッセル市内のホテル。ユーリ達へーリア帝国の使節団が滞在している。見張りを立たせた部屋の奥で、同じ使節団の男にユーリはしぶしぶといった感じで答えた。
『彼女には求婚しました』
『それで返事は?』
『はっきりとは……ただへーリアに帰ろうという言葉には頷いてくれました』
『しかし……婚約者というあの男が、全部かっさらっていってしまった』
『……』
『今頃は彼に感謝して仲を深めているだろうよ』
ユーリはギリ……と歯を食いしばった。悔しい。途中まではアンジェの心はこちらを向いていたはずなのに。
『やはりハンティントンの家族は皆殺しにしてしまうのが早いか……』
『そんな……それは目立ちすぎます』
『ではどうする!』
『……あの男が邪魔なのです。あの男さえいなければアンジェはこの手に落ちてくるはず』
『ふーむ……』
使節団の男は顎髭を撫でながら考えた。
『あの男は元外交官か……』
『ええ。おそらくアンジェに近づいたのも我々と同じ目的かと』
『確かに邪魔だな。あの情報収集能力、そのままにしておくのは危険だ』
『……でしょう?』
ユーリは頷きながら内心ほっとしていた。標的がルーカスに向かえばアンジェを守れる。
『そして僕が彼女と結婚すればいいのです。夫となれば指輪が屋敷のどこに隠してあったとしても自由に探れる』
ユーリはそう言って、仲間の男の肩を叩いた。
『指輪を取り返されたことは秘密裏に、そう……命じられていたのですよね』
『ああ……』
カーテンすら閉め切った重苦しい空気の部屋で、血なまぐさい密談は続いた。仲間達が部屋を出て、ようやくユーリはカーテンと窓を開けた。ふと、強い風が吹き上がりユーリの髪をゆらす。顔にかかった後れ毛を撫でつけながらユーリは呟いた。
『アンジェを守るのは……僕だ』
***
グレンダが今頃どんな手回しをしているかとか、本当の後見人に一報を入れなければなど、アンジェとルーカスはそれからお茶を飲みながら話した。それはとても婚約者同士の会話とは思えなかったがなんだか二人とも楽しんでいた。
「じゃあね、ルーカス。次は更に噂の的よ、私達」
「……望むところだ」
帰り際にアンジェが軽口を叩く。ルーカスは口の端を持ち上げてにっと笑った。晴れやかな顔をして去って行ったアンジェの姿に、ルーカスは心の内に満ち足りた思いが湧き上がるのを感じた。
……自分自身に危険が迫っていることも知らずに。
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