15話 懐かしい人
それからアンジェとルーカスはいくつもの夜会や茶話会、演奏会をこれみよがしに練り歩いた。カッセルの社交界は二人の噂で持ちきりだ。新聞の社交欄はイニシアルでアンジェとルーカスのことを毎日のように書き立てる。
「……ワルツを、アンジェ」
「ええ」
今日も訪れた舞踏会で、アンジェは差し出されたルーカスの手をとった。寄り添うステップ、そしてターン。でも心は裏腹に、離れている。なんて悲しいダンスだろう。アンジェはルーカスと踊る度に、彼に惹かれている自分を自覚せざるを得なかった。
「ハンナ、ライナスとルシアはいい子にしてた?」
「ええ、それはもう」
帰宅したアンジェは着替えながらハンナに双子達の様子を聞いた。最近は夜遅くて、眠っている寝顔ばかり見ている気がする。社交界のシーズンだから仕方ないとは思うけれど。
「……あ、そうです。アンジェ様。これが届いておりました」
「なあに? あ、あら……?」
アンジェは、ハンナから手渡された紙を見て、驚き目を見開いた。そして思わず微笑みがその口の端からこぼれる。
「ハンナ。明日が楽しみね」
「ええ、そうですね」
「ああ、早く寝ないと」
寝間着に着替えたアンジェは明日の訪問者を楽しみにしながらそうそうにベッドに潜り込んで眠りについた。
***
『やあアンジェ、お言葉に甘えてあつかましくも参上したよ』
『……ユーリ!』
アンジェは玄関先に現われた人物に駆け寄って、思わず抱きついた。亜麻色の髪に、緑の瞳。
その人は……ユーリ・フィレンコフ。へーリア帝国にいた小さい頃からのアンジェの遊び相手の幼馴染み。ルーカスが現われるまでただ一人、アンジェの心の支えとなっていた文通相手。
『……アンジェ』
『ああ、久し振り……さよならも言えなくてごめんなさい……』
口から自然と出てくるのはへーリアの言葉。そんなアンジェの後ろからライナスとルシアもユーリにしがみついた。
『ユーリ!』
『ユーリ、また会えてうれしいわ』
『ライナス……ルシア……良かった君たちも無事で……っと……』
ユーリは三人にしがみつかれる格好になってさすがによろめいた。
『あ、ごめんなさい。つい……』
『ははは、大丈夫。……でも、アンジェ。君は婚約者がいるのだからあんまりこういうのは』
『そ、そうよね……』
アンジェはつい子供の時のようにユーリにしがみついてしまって恥ずかしくなった。
『お、お茶を飲みましょう』
『ああ』
「ライナス、ルシア。お勉強に戻りなさい」
「えー」
「ずるいわ姉様」
アンジェが双子にそう言うと、二人は口を尖らせてぶつぶつ言っている。そんな双子達にユーリは声をかけた。
『ふたりとも! あとで子供部屋を見せてくれ!』
『うん! ぼくの宝物みせてあげる!』
『わたしも……わたしのお人形も……』
『うんうん。じゃあしっかり勉強しておいで』
『はーい』
双子達が素直に二階に上がっていく。アンジェは軽くため息をつきながらユーリに言った。
『……ごめんなさいね』
『ううん。込み入った話もあるだろうしね。あの子達には聞かせられないような』
『そうね』
アンジェはユーリを応接間に通した。
『ところで……どうして、エレトリアに……ユーリが?』
『へーリア帝国の外交使節団のメンバーに入れて貰ったんだ』
『まあ……』
『ま、それは置いておいて。君のクソ叔父貴について話そうじゃないか』
ユーリは姿勢を崩してソファーにもたれかかると、アンジェの方じっと見た。
『言葉が過ぎるわ、ユーリ』
室内に控えているメイドのモリーにへーリア語は通じないが、アンジェは一応たしなめた。
『いいや! 僕は何度も君の生活の足しにと手形を送ったんだ。……いっぺんも届いてないだろう?』
『……ええ』
『あのジジイがネコババしてたに違いない。きっと手紙は届かないと不信感を持たれるからそれだけ渡して……』
アンジェはあの叔父ならやりかねないと思いながら、ユーリの手をとった。
『でも……ユーリの手紙はとっても支えになったわ』
『それなら……いいけどさ』
鼻を掻きながら笑顔でそう答えたユーリだったが、ふっとその表情を暗く陰らせた。
『ごめん。大変な時に力になれなくて』
『いいのよ、ユーリ。ありがとう』
『……アンジェは今、幸せかい?』
『……え?』
ユーリにそう聞かれてアンジェは口ごもってしまった。快適な暮らしに華やかな社交界。一番心配な双子の弟妹も笑顔を取り戻した。だけど……それはアンジェが偽物の婚約者を演じているから。やっぱりそんなことユーリには言えない。
『……幸せ、だわ』
『本当に? 手紙では……不安がっていたから』
『大丈夫よ。……婚約者のルーカスはいい人よ。この家を見ればわかるでしょう?』
アンジェにそう言われて、ユーリはぐるりと応接間の内装を見渡した。
『なかなかいい家だ。ただ、窓の鎧戸はもっと厚い方がいいと思うけど』
『ユーリ、こっちはそれほど寒くはならないのよ。だから必要ないの』
『そっか……それはいいな』
そこでアンジェはユーリは外国は初めてなのだと気付いた。
『ねえ、ユーリ。良かったら空いている日に観光しましょうよ』
『ああ、いいね』
『と、言っても私もバタバタしていてこの首都カッセルを観光したことないんですけど』
『じゃあちょうどいい、一緒に行こう! 立派な植物園と展望台があると聞いた……とその前にそろそろ双子達の相手をしないと怒られるな』
『ふふふ』
アンジェは久し振りに気の置けない会話ができて心が晴れる思いだった。
『二階に案内してくれるかい』
『ええ、よろこんで』
アンジェはライナスとルシアが待ち構えているだろう子供部屋へとユーリを案内した。
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