第九十四話
「あ、いたいた。コウネさんこれからお昼?」
「あらユウキ君。ええ、その予定ですけど、一緒にどうですか?」
「いや、ごめん。今日はちょっと食欲湧かなくてさ。だからお弁当、コウネさんに渡そうかと思って」
俺はイクシアさんが不在の為、作り置きの料理をお弁当として持ってきていた事を教える。
「なるほど、そうだったんですね。では遠慮なく頂きますよ? ……あ、そうだ!」
ランチボックスを大事そうに受け取ったコウネさんが、何かを閃いたかのように顔を輝かせる。
なんだ……なにを言い出すんだ……ちょっとハラハラする。
「ユウキ君、今夜は家に来ませんか? イクシアさんが不在ならば、ご飯を作ってくれる人もいないでしょう? 是非、我が家で食べて行って下さいな」
「おお……なんだか普通に嬉しい提案で驚いた。……いいの?」
「もちろんですとも。それに……まぁ一応、仮にですけど婚約者ということで?」
「それは狂言でしょうに。まぁ信用されているって事で、お邪魔しようかな」
「はい、是非。では私は午後のサークル説明会に出席しますので、夕方頃にまた」
ううむ……なんだか前回の一件で、コウネさんとの距離がグッと縮まったような気もするが、よくよく考えると……あの人元からめちゃくちゃ距離詰めてくるの早い人だったよね……主に食欲の所為で。
さて、この後はどうしようか。とりあえず午後には『魔力応用学』の研究室、つまりジェン先生の研究室があるのだが、それまで時間があるし、かといって食欲もないし――
「おっと……リョウカさんから着信?」
その時、いつもの直通アプリの着信が鳴り、人の少ない場所に移動し通話に出る。
「もしもし、ユウキです」
『リョウカです。今、お時間宜しいでしょうか?』
「はい、大丈夫です」
『……でしたら、至急理事長室まで来て頂けませんでしょうか。少々……火急の要件があります』
「……了解」
なんだ、まさかさっきの実戦戦闘理論の試験についてか? やべ……もしかしてやり過ぎだったのか……?
いつもより硬く、どこか気が立っているように感じたリョウカさんの声色に緊張してしまう。
若干震える足で理事長室に向かった俺は、恐る恐る扉をノックした。
「ササハラです。お呼びでしょうか理事長」
「入ってください」
声色が違う。明らかにこれまでとは違うと、扉越しでも分かる。
部屋に入ると、リョウカさんがすぐさま何やらリモコンを取り出し、何かを作動させる。
その瞬間、扉からガチャリと音がし、さらにシャッターまで降りてきた。
完全に、こちらを閉じ込める気なのだろうか。
「理事長!?」
「防音、通信遮断、その他あらゆる外部との連絡手段を遮断、魔術的に探知される事もありません。ユウキ君、それほどまでの緊急事態です」
「な、なにが……あったんですか?」
物々しい対策に、こちらの緊張が高まる。
「ユウキ君、今回はこれまでとは次元の違う危険な任務となります。残念ですが、この話を聞けば貴方は任務を断る事は出来ませんし、聞きたくないのならば……これから長くて数か月、どこか別な場所で厳重に管理、保護しなければならなくなります」
「ちょ……それは事実上の強制命令ですよね……」
「……はい。聞く気はありますか?」
はい、としか言いようがないんですが。
「聞かせてください」
「……今、私には二つの道があります。一つは大国……アメリカと私との間で経済戦争を勃発、全世界を巻き込んで未曽有の経済破綻を引き起こす事」
「な……それはどれくらいの規模に……」
「地球が難民で溢れかえる事になるでしょうね。そして、もう一つの道が『グランディアと地球の冷戦に突入』です」
「嘘ですよね」
「事実です。そしてその冷戦は、同時に第三次世界大戦の引き金にもなりえる。これが、現在私達が置かれている状況です」
待ってくれ、頭が追い付かない。だって、ついさっき、ミカちゃんのところでそんな最悪の未来があるかもしれないって考えたばかりだぞ、俺。
「以上の事を踏まえて、最初から説明します。事態はその局面に向かっているという事を肝に銘じてください」
「……はい」
そして、理事長はその緊急事態の詳細を語り出した。
「事の発端は、去年の貴方達の実務研修。そこでユウキ君、貴方が手に入れてくれたマグロ型のモンスターにあります。あの存在が、今回の一件を明るみにするきっかけを作ってくれました」
「あの、マグロが寄生されたモンスターが、ですか?」
「はい。ホオジロザメなど、狂暴性の高い地球の海洋生物に寄生していたのに、何故一匹だけただ大きいだけのマグロに寄生していたのか。それを含めて調査を行っていたのですが……どうやら、寄生が広がった原因がマグロにあるからのようでした。あのマグロは……地球産ではありません。グランディア、セカンダリア大陸周辺海域に棲む固有種です。つまり、寄生種の魔物がなにかの原因で地球に紛れたのではなく、向こうで寄生されたマグロが地球に迷い込んだ……という事になります」
「はぁ……」
じゃあマグロを持ち込んだ人間が?
「地球との行き来は、私達が乗った飛行機以外に存在しません。そして……あのような大型の存在を持ち込むのは不可能です。つまり――」
「……他の交通手段が?」
「……グランディアの海底、セカンダリア大陸海域のどこかにゲートが生まれつつあります」
「新しいゲートが!?」
「はい。そしてそこから紛れた魔物が、魔力を求め現在の一般に知られるゲート、巨大で、魔力の供給口としても地球と繋がっている海域に移動してきた。それが、魔力プラント建設地での事件に繋がったのです」
そうだったのか……。けど、どうして――
「それが、そんな大事件に発展するんですか?」
「はい。重要なのはその先です。新たなゲートは、某国の海底に現れました。しかし、その国はその存在を隠し、違法に魔力をグランディアから吸い出し、己の国の研究開発に使用していた疑いがあります。それは、重大な国際条約違反になります。これは地球だけでなく、グランディアに対する不当な略奪行為として、あちらに事態が知られたら、そのまま戦争の引き金にすらなりえる事なのです」
「……どこですか、その強欲な国は」
「我らが『地球代表』の顔をしていた国ですよ。グランディアとの交流が進んでからはその座を追われ、そしてかつて……強引にグランディアに介入しようと軍用機を投入、向こうの神とも呼ばれていた存在を怒らせ、あわや戦争が起こる寸前まで持って行った国。アメリカです」
「……マジですか。本物の大国じゃないですか……」
うっそだろ。これどうしようもないんですが……。
元の世界とこの世界では微妙に立ち位置は違うのだろうが、間違いなく地球トップクラスの先進国だろ……?
「私がグループの総力を挙げ、経済制裁を加え研究開発を止めるか、事を明るみにしてグランディアとの関係を悪化させるか。この二択しか存在しません……少なくとも私の手札だけでは」
「……あ! ニシダさんのお兄さん……ヨシキさんの協力を得るんですね!?」
そうだ、もしも逸話が本当なら……なんらかの解決方法を模索出来るかもしれない。
だが、リョウカさんは……俺の希望を打ち砕いてしまった。
「彼は、協力してくれませんよ、この状況程度では」
「な……! これ以上酷い状況があるって言うんですか!?」
「……これは、少々説明するのが難しい話なのですが……たとえ話を一つします。ユウキ君、貴方は今、幼稚園の先生です。喧嘩をする子供がいれば仲裁する、そんな先生です」
「え……はい」
なんで急に……。
「ですが、先生の声はとても恐ろしく、その恐怖だけで子供はショックを起こして死んでしまうのです。恐ろしいです、本当に恐ろしいです」
「ちょ……それはちょっといくらなんでも……」
「ですので、先生は二人が喧嘩をしていても、止める事はありません。ですが――ある日、片方の子供が、幼稚園に包丁を持って、喧嘩相手を刺し殺そうとやってきました。先生はそこで……ついに、包丁を持った子供を、殺してしまいました」
「……その先生が、ジョーカーだとでも言うんですか?」
突拍子もないたとえ話だった。
あまりにも非現実的過ぎるたとえ話だった。
「子供が包丁を持っているかもしれない『かもしれない』では先生は動けません。それだけ先生の声は恐ろしいのですから」
「……先生が直接子供の持ち物を調べたらいいのではないですか?」
「調べようとしたら、そのはずみに子供を殺してしまいます。……本当に、ジョーカーの力は簡単に子供……『アメリカ』と言う名前の子供を殺してしまう。そして、その恐怖は喧嘩相手の『グランディア』という子供にも深く深く刻まれてしまう。……だから、ジョーカーは動けないんです」
そのたとえ話が……大国相手に通用する程の力なのか……?
「しかし、もしも先生が信用している助手が、子供が包丁を持っている事をしっかり確認出来たら? それは、先生に大義名分が出来る、という事になるとは思いませんか? しからずとも、確信を持って包丁だけを秘密裏に取り上げる事も出来ると思いませんか?」
「……まさか、その助手が俺なんですか?」
「……現状、アメリカは我々秋宮グループを最も警戒しています。夏休み中、ユウキ君はあの合宿のテロ事件の際、テロリストが密かに抜き出した研究データを未然に回収、私に渡してくれましたね? あの一件で、我々はあの国がどういう物を作ろうとしているか、既に検討がついています。だからこそ、アメリカは私の関係者を徹底的に近づけないようにしています」
「では、どうすれば?」
「今話したのは、あくまで私だけが知っている情報。アメリカはまだ、私がここまでの情報を手に入れているとは夢にも思っていないでしょう。だからこそ……多少の油断が生まれる。そしてそこに付け入る事も出来る、という訳です」
何故、ここまで厳重なセキュリティを課して俺を呼びつけ話したのか、ようやく分かって来た。
「現在、アメリカの一部地域にて、謎の魔物の被害が発生。こればかりは一般の人間も被害に遭っている関係から、隠し通す事は出来ていない状態です。そして、地球におけるグランディア関係の問題は、我々秋宮の人間が調査、討伐を行う事が出来ると、条約により決まっています。複数の国の利権が集中し、複雑な状況にあるゲート付近ではなく、あくまで一つの国で謎のグランディア由来の事件が発生しているのなら、私の関係者は堂々と介入する事が可能です。ですので……私は五月の実務研修の研修地として、アメリカのフロリダ州に貴方達SSクラスを派遣する事に決定しました」
「な……任務にクラスメイトも巻き込むつもりですか!?」
「いいえ、ですが現状貴方を違和感なくあの場所に送り込むにはそれが一番です。それ以外の方法では、どうしても監視の目がつきかねません。ですが……貴方には研修中、なんらかの理由で入院、治療の為帰国、という筋書きで離脱してもらい『ダーインスレイヴ』もしくは『ユキ』として、あちらの研究施設を発見、内部の情報を入手して貰います」
「……かなり、ハードな内容になりそうですね」
「ええ。ですが、幸い他のSSクラスの生徒達も、既に立派に成長、入学時点での貴方の強さに匹敵しつつあります。多少貴方が離脱しても問題のない実力を既に身につけていると考えても良いでしょう」
確かにそうだ。もう、みんなは俺に守られるまでもなく強い。
魔物と戦う事になる研修だが、みんなが後れを取るとは思えない。
「要約すると、貴方には次の実務研修を途中で離脱、アメリカの極秘研究機関の所在地と内部の研究データ、および研究成果の存在を明らかにし、国内に潜伏しているジョーカーに情報を共有するという、難易度、重要性共に最高クラスの任務に就いてもらう事になります」
「あ、ジョーカーも来てくれるんですね」
「はい。大義名分が出来次第、彼はきっと動いてくれる……そう、信じるしかないでしょう」
「……確約はしてくれないんですね」
「はい。彼の口癖は『正しく起きた戦争は最後まで争わせる』ですから。ですが……今回のこれは正しくはないです、絶対に」
……あの人は、どこまでも中立なんだなって。
けれどそれは、どこか病的なまでの中立……ですよ。
「……強すぎる力は、時に本人をも縛り付ける、という事ですよ」
「それは……今リミッターをかけている俺も、理解出来ます」
「……そうですね。もしかしたら……貴方は彼の理解者になれるかもしれません」
「それで……大義名分が出来たその時は……ジョーカーはどうするつもりなんですか?」
「大国を滅ぼしたくはないはずですし、それでは結果としてグランディアを刺激してしまう。ですが……大国を屈服させ、余計な介入を諦めさせる事は出来るでしょう」
「……国相手に、ですか」
たぶん、俺じゃあ理解者になんてなれないんじゃないだろうか。
さすがに、その領域の力を持つ気持ちなんて分かりっこない。
「さて、では話は以上です。申し訳ありませんでした、脅しのような真似をしてしまい。ですが、こちらの状況もご理解いただけると幸いです」
「はい、今回ばかりは俺も事の重大さが分かりました。……全力で任務にあたります」
「お願いします。明日、研修についてSSクラスの皆さんに説明をしますので。本日はご足労感謝します。申し訳ありませんでした、研究室を休ませてしまいましたね」
「あ! そういえば魔力応用学の研究室だった……!」
「後で私からジェン先生には報告しておきます。『私が家の事でユウキ君と相談をしていた』と」
助かります……結構休むと不機嫌になるんだよジェン先生……。
ともあれ、俺は次の任務、もしかしたら世界の行く末を左右するかもしれない、とてつもなく責任重大な任務を言い渡されたのであった。