第七話
「あーやっぱこっちは幾分気温が低いんだね。やっぱり北にある分」
「そうだねぇ……じゃあ私はこのまま駅で家族を待つので、ここで失礼します。明海さん、引率、ありがとうございました」
「どういたしまして。また今度、訓練施設で会いましょうね」
地元に無事に戻って来た俺達は、駅でサトミさんと別れる事となった。
俺はこのまま明海さんの車で高校まで乗せてもらい、恐らく夏期講習を受けているであろう友人達にお土産(飴玉)を配るつもりだった。
ほら、頭使うと糖分が欲しくなるって言うじゃないか。
「ん? 今何か言いましたか?」
「いえ? 聞き間違いじゃないかしら」
「そうですか? やっぱり疲れてるのかもしれないですね」
「車で少し横になってなさいな。高校についたら起こしてあげるから」
なーんか視線を感じるような、変な雰囲気感じていたんですよね。
そのまま本当に車の中で眠り、高校の前で起こされた俺は、ひとまず学食へ向かう。
そういえば北海道に旅行に行くって言っていた友人達はもう出発したのだろうか?
「ササハラ、戻って来たのか?」
するとその時背後からお声がかかる。声の主は――
「ショウスケ。今日も自主勉強か?」
「いや、今日はちょっと大学の教授がここで会いたいと仰ってな、それでさっき会って来たんだ」
「なるほど。入学後についての話とか? さすが特待生」
「茶化すな。入学後のゼミ、進路について今から話を聞いておきたいそうでな」
「なるほど。あ、そうだショウスケにもお土産渡すわ。つってもグランディア産の飴玉だけど」
「飴玉? グランディア産のか?」
「そう、飴玉。何故か人気商品だったらしいから。しょぼくて悪いな」
「いいや、丁度甘い物が欲しかったところだ。……ふむ『女神のつまみ食い』っていうのか」
袋に女神と思われる女性が飴玉をつまみあげているシルエットが描かれていた。
何かのブランドか、それとも逸話がある由緒正しいものなのかは知らないが。
「お、綺麗な青色だ。ソーダ味かな?」
「……違うようだな。花の香がする。ああ、でも確かにソーダっぽいか?」
意外と美味しい飴玉を二人でカラコロと舐めながら、ショウスケが質問してくる。
「召喚実験、行ったらしいな。結果はどうだった?」
「んー……大成功とも言えるし、召喚事故とも言える、複雑な結果だったよ」
俺は、召喚実験で起きた出来事を全てショウスケに語る。
召還した相手が、恐らく従属を拒絶する事も。そして、引き換えに巨額の大金を得る事も。
「それは……凄いじゃないか! 拒絶されるかもしれないとはいえ、そんな物を呼び出したという結果は変わらない。凄いな……それだけお前には力が眠っている証拠だ」
「はは、そう言ってもらえると悪い気はしないよ。ショウスケも受けたらよかったんじゃないか? きっと即戦力になりそうな物が呼べたかもしれない」
「どうだろうな。ふむ……魔法の補助をしてくれる何かであると助かるが」
そんな他愛ない話をしながら、そろそろ勉強でもするからとショウスケと別れる。
別れ際に『夏期講習を受けている人間にも配っておく』と言うので飴玉を預けておいた。
……美味しかったので、もう五つほど頂いておきました。数が足りなくなったらごめんなさい。
「……ん? あれ? 気のせいか?」
帰り際、再び誰かに話しかけられた気がした。感覚が過敏になっているのか、人の気配や視線のような物も感じるのだが、やはりどこにも人の姿はない。
……お盆も近いし? いやいやいや、さすがにそんな……でもこの世界って魔力とか色々ファンタジーと混じっているし……?
「ふぅ、たった六日空けただけなのに結構雑草伸びてるなぁ……」
久々の我が家は、夏の日差しと気温で、育てている訳でもない憎い緑色をガンガンに育て上げておりました。
一先ず目に付く場所をブチブチと抜き取り、いざ帰宅。
……家に入った時が、ある意味では唯一自分が自分に戻れる時な気がするな。
仏壇に向かい、うっすらと積もった埃に息を吹き替えると、つい勢い余って線香立ての中の灰まで巻き上げてしまい盛大に目にはいってしまう。
「あーくっそ、俺のバカ……こすっても取れねぇ……風呂入ろ」
そして風呂上がりの一杯。未成年ですので、たとえ他人の目がなくとも法律は厳守します。
若者の強い味方、エナジードリンクをあっという間に飲み干し、仏間で横になる。
うん、畳っていいわ。豪華なホテルで過ごす時間も素晴らしかったが、やはりこっちの方が落ち着くのである。ああ、悲しきかな庶民感覚。
「夏休みが終わるまで……このバングル使って暫く自主練の日々かね」
思い出されるのは、あの誘拐事件で遭遇した犯人の一人。
全ての抑制を外した状態ですら、しとめきれなかった得体のしれない相手。
別に最強を目指している訳ではないが、それでも……自分が勝てない相手がいるというのは、どうしようもなくこちらの……懐かしのゲーム的思考を刺激してくるのだ。
「……負けイベでも、勝てそうなら勝てるまでレベル上げするタチなんだよ、俺は」
「こんにちは。今日も何かお話……一方的に私が話しているだけですが、少しこの世界の事を――あら……?」
現在抱えている最も大きな仕事。知性を持つ霊魂に語り掛け、コミュニケーションを取ろうという私の日課が妨げられる。
それも、ここにいたはずの霊魂が消えているという非常事態によって。
「う、うそ!? 出られる訳が……ああ、もう! どうなってるのよ!」
ここはどこなのか。私はどこに連れてこられたのか。
身体を、貰えるという言葉を聞いた。けれども私と繋がっている誰かが遠くへ行ってしまうのを感じ、そちらを追いかける道を選んでしまった。
なんなのだろう。ここは、未来だとでも言うのでしょうか。
見た事の無い背の高い建築物が無数に伸びる。まるで競い合うかのように天に向かう。
海の上に浮かぶ街。途方もなく長い橋。そして……信じられない速度で離れていく誰か。
竜にでも乗っているのでしょうか。
やがて、少しだけ自然な景色が増えてきた頃、ようやく誰かが止まる。
あの、少年だ。確かに繋がりを感じる。私を呼んだのは君ですか?
声は出ないとわかっていても、私は彼に話しかける。
ニコニコと笑う少年。けれども、私にはどこか影があるように見えた。
……何故私を呼んだのですか?
彼に、少しだけついていく事にした。
先程までよりは速度が抑えられていますが。それでも馬車よりも早く動く乗り物に乗る少年。
そんな彼が辿り着いた、大きな砦のような場所。彼は兵士なのでしょうか?
……言葉は私にも分かる。けれども……私はこういう建物を見た事はありません。
やはり遥か未来……なのでしょうか。
やがて再び彼は歩き出し、段々と人気の無い方へと向かっていく。
道が、一枚の石畳のように繋がっています。これは知っています。セメントという物です。
私が生きていた時も、道を作る為に新たに生み出されたこの不思議な物を見たことがあります。
やがて、彼は一件の家に辿り着きました。
慣れた手つきで雑草を抜き、家の周りを片付けて。良い子ですね、きっと親御さんの教育のたまものなのでしょう。
ふと、周囲が気になった私は、この家の周りを見て回る事にしました。
私が呼ばれた場所に比べると、幾分親しみを持てる自然の多さ。
川も近くに流れていますね、なるほど、良い場所です。
家に入り込むと、何やら黒い艶やかな祭壇のような場所で、少年が目をこすっていました。
泣いていたのでしょうか。何か、悪い事でも起きたのでしょうか。
なんだろう。どうしたのだろう。その祭壇はなんなのだろう。
写真が三つ、飾られているようですが。
少年が入浴に向かう。さすがについていくわけにもいかず、この祭壇がなんなのか調べてみる事に。
するとその時、私以外の誰かの存在を……感じました。
『どちらさまですかいの?』
問い。それに応える術を、私は持っていない。
『お話も出来んかい? ユウキがつれてきちまったんかね』
ユウキ。あの少年の名前だ。
私は、ただ心の中で『違います』と念じてみる。
『んん、そうかい? 私はあの子の祖母だよ。悪いもんじゃないならそれでええ』
祖母。既に死んでいる。この写真の主だろうか。
なら……もう一人の老人は、彼のお爺さんなのだろうか。
だとしたらさらにもう一人は……父親、ということになる。
きっと、お母様と二人暮らしだったのですね。
『おーおー……お水も代えて、お花も代えて……しっかりやってくれてるわ』
嬉しそうな言葉。死んだ後も、その相手を思う事が出来る優しい少年。
強く思う。『とても、良い子ですね』と。
『ん? そうだろうそうだろう。あの子は立派だよ。まだ一八だってのに、一人で頑張って生きているんだ。まぁ、昔と違って今は助けてくれるお役人さんがいるけれど、それでも大したもんさね』
一人? お母様と二人で暮らしているのでは?
『そんなヤツはいないね、アタシが死んだときだって顔を見せにもこなかった。あの子を産んですぐにどっか消えちまったよ。あたしの息子はユウキ一人をつれてこの家に戻ってきたんだ』
まぁ……でしたら、きっと貴女達が彼を優しい子に育てたのですね?
『へへ、照れちまうねぇ。アンタ、悪い霊じゃあなさそうだ。もしよかったら……あたしの代わりにこれからもユウキの様子、見ておいておくれよ。そろそろアタシも……消えてしまうみたいでね。これが生まれ変わりってヤツなのかねぇ?』
生まれ変わる。それは……もしかしたら今の私のような状態を指すのだろうか。
祖母を名乗る気配が、ふいに遠くなる。お別れなのだろうと、私も心の中で別れを告げ、そして――戻る事を決意する。
身体を、得られると言っていた。ならば……見守ろう。こんな形ではなく、しっかりとすぐ傍で。
何故だろう。私もこの少年を見守りたいと思いました。それになによりも……一八才なんて私の種族ならまだまだ子供ではないですか。種族は違えど、彼はまだ子供。
なら――放っておけるわけ、ないじゃないですか――
「うおっと、いつの間にか寝てた!」
畳の香りと仄かな風が心地よく、気が付けば座布団を枕に眠ってしまっていた。
安かったからつい買ってしまった風鈴が軽やかな音を奏で、外を見てみるとすっかり夕焼け空に変わっていた。
微かに、花の香りがどこからともなく漂ってきている。
お供えの花じゃあ……ないなぁ。
「おっと、早いとこ弁当屋に行かないと。今日は……ステーキ御前にしよう。なんか豪華にいきたい気分だ」
あーあ、そのうち自炊の練習もしなくちゃいけないよなぁ。
それから、特に夏休み中に特別なイベントなんて俺には起きなかった。
研究所の主任からの連絡もなく、もしかしたら肉体の生成が難航しているのかもしれない。
そうして一日一日と夏休みの残りが少なくなり、残り十日を切ったその日、今日も今日とて訓練施設で身体を動かし終えたところ、スマート端末に不在着信を知らせる通知が残されていた。
「あ、ニシダ主任からだ。ってことはいよいよ意思疎通がとれたって連絡かな」
緊張気味にかけ直してみると、二コール目が鳴る前に通話が始まった。
『ユウキ君ね。貴方……やってくれたわね……』
「えっ! いきなり恐いんですけど!?」
俺、何かやっちゃ――やめておこう。
しかし、何をやってしまったのか……まさかあの時実験に協力してくれた助手さんが!?
「も、もしかして助手さん……重体だったんですか……?」
『は? ああ、違う違う。貴方が呼び出した存在の話。あのね、黙っていて悪かったんだけど……貴方がそっちに戻った日から、二日程消えちゃっていたのよ……あ、安心して。今はここにいるし、意思疎通も出来ているから。ただ……話してみて判明したんだけどね』
よかった、俺が何か悪い事をしてしまったわけじゃないようだ。
にしても、消えていたって? そんなポンポン逃げられるものなんですかそれ。
まぁ戻ってきてくれたみたいですが。して、何が判明したんですか。
『貴方が呼び出したのは……古代エルフ。紛れもない人類、人間よ。貴方は人間の魂を呼び出してしまった訳。こうなると色々面倒な事になってくるから、近いうちそっち行くわ』
「え、は!? エルフ? 人類!? え、そんな事ってあるんですか!?」
『大きい声出さない。ええ、ありえるわ。ただ……これまで肉体を必要とする人の霊魂を呼び出した事例は……公にはされていないわ。だから、問題なの』
人、エルフ。いや、だが従属なんてさせられる訳がないではないか。
だって人だし。そんなのこの世界の法律が許すわけがないし、倫理的に問題だ。
『そうね、明日そっちに向かう。住所教えて頂戴。直接出向くわ』
「うぇ!? あ、わかり……ました」
そう返すとすぐに通話が切れてしまった。
エルフを、俺が? それに古代エルフってなんだ? 普通のエルフとは違うのだろうか。
……もしかして、本当に俺は死者の眠りを妨げてしまったのだろうか。
翌日。午前十時、予定ではそろそろニシダさんが来る時間だ。
東京からこっちまで来るなんて、元いた世界ならそう易々と即決出来ないと思うのだが、この世界だと一時間半でこれちゃうからなぁ。
するとその時、呼び鈴が鳴り響いた。
「はーい」
「お邪魔します。情報通り一人で暮らしているのね」
「ええ、数年前までは祖父母もいたんですけど」
「そう。一人の割には家の中も片付いているし、意外と家庭的なのね」
「え、照れるんですが」
応接間、とはいえ仏間の隣の座敷なのだが、そこへ通す。
一応スポーツドリンクも冷やしてあります。いやぁ……家にお客さんなんて、定期的に来る役所の職員以外、数年ぶりなんでつい張り切っちゃいました。
「ありがと。じゃあ早速だけど……報告するわ。貴方が呼び出したのは、少なく見積もっても二千年以上過去の時代に生きていたエルフ。色々質問してみたのだけど、主要国の名前も有名な人物の名前も知らなかったことから間違いないわ」
「二千!? そんな昔から……」
「ええ。向こうで有名な神話の時代、かしらね。それでここからが本題なんだけど……その時代を生きた人間よ。公になればグランディアの国々も、こっちの国々も黙っちゃいないわ。けれど……今のところは、秋宮グループの上層部にしかこの情報は出していない。失われた魔法技術や、その他知識や歴史の真実も得られるかもしれない、とてつもない可能性を秘めた相手だからね」
「あ、そういう俺が聞いたら後戻りできなさそうな話はしないでください、恐いんで」
「ま、そうね。まぁ今のところ内密に、って事にしているんだけど……ちょっと問題があってね。私、召喚された相手が従属を拒否するって言っていたわよね?」
「あ、はい。さすがに相手は人間なんですし――」
次に主任が語る言葉に、頭がおいつかなかった。
「『従属はしない。けれども共存はする。私を彼のところで暮らさせてください』そう、言われたわ、彼女に」
「……は?」
え、彼女? 女の人? 俺と暮らしたい? どういうことだってばよ?
ていうかほんとに何故? なんで一緒に暮らしたいと? そういう刷り込みみたいな力があるんですかね?
「どういう事か私にも分からない。秋宮グループで保護、不自由なく生活を保障すると言っても頑なに貴方のところに行くの一点張り。だから……それを先に伝えに来たの」
「そう……ですか。いや、ちょっと俺も正直どうしたらいいか……」
さすがに、綺麗だな、憧れるな、なんて言っていた種族さんと突然一緒に暮らすと言うのは……手放しに喜べないと言うか、緊張すると言うか、そもそも養う力もない訳だし。
「あと、こっちも本題になるのかしら。貴方と暮らす事は認めたわ。事後承諾になるけど、元々貴方が召喚したんだしね。ただ、普通はそういう場合国と研究所から援助が入ったり、前に話した通り各国から報奨金が出るっていう話もあったけど、上の指示で全て機密扱いになったからね、そういうの、全部なくなったと思ってちょうだい」
「ええ……いや、まぁいきなり大金転がってきても人間ダメになっちゃいそうですけど……なんの補助もなしっすか……」
「いいえ、あるわ。秋宮グループが貴方のバックアップをする。まぁ贅沢三昧な暮らしをさせるつもりはないけれど、不自由なく生活できるよう、取り計らうつもり。それに……悪いけれど、貴方の人生の一部を、少しの間だけ私達大人の管理下に置く事になります……その事だけは本当に……申し訳ないと思っているわ」
その時、ニシダ主任は本当に辛そうな表情を浮かべながら、深く深く頭を下げた。
……その気持ちが、痛いほど伝わって来る。
「貴方は、海上都市にある『シュバインリッター総合養成学園』に入学させられる。そこでたぶん……ある程度監視の目がある状態で過ごす事になる。進学は、人生において大きな分岐点になる重大な選択。それをこういう形で強制するのは心苦しいのだけど」
「あ、そこは大丈夫です。ぶっちゃけそこ入れるなら入りたいなって思ってたくらいなんで」
「あ、そうなの? けれど……たぶん普通の学園生活にはならないと思うわ。サークル活動なんて夢のキャンパスライフとは縁遠い。きっと……実地訓練ばかりの厳しい環境になると思う」
「それについてもまぁ……ある程度元々覚悟してたんで」
「そう。その他の細かい補助でして欲しい事があるなら今言ってちょうだい。可能かどうか上にかけあってみるから」
願ったりかなったりですよ、今のところは。
それに……多少大人の管理下に置かれるだろう、誰だって学校に通っているうちは。
いや、きっと大人だってそうだ。だから……そんな申し訳なさそうな顔せんでください。
クール美人が台無しで御座います。
「じゃあ……俺が東京に行ってる間、この家の管理をお願いしたいっす。後……向こうの物件を幾つか紹介してくれたら嬉しいかなって」
「……貴方、物欲無いのかしら? 傘下の人間が言うのもなんだけど、天下の秋宮グループよ? 望めばたぶん、一軒家も定期的なお小遣いも、それこそ貴方が欲しがってるって聞いたオーダーメイドデバイスだって用意出来るのよ?」
「いや、若いうちからそんなの貰っちゃ絶対堕落しちゃうの分かり切ってるじゃないですか……って、オーダーメイド!? それだけは欲しいかも!」
「ある意味安心したわ。人並みに欲はあったみたいね。貴方は受験なしで入学が確定しているから……そうね、今年いっぱいはこっちで好きに暮らしなさい。召喚されたエルフさんだけど……身体が完成次第、私達の方で一般常識の教育はしておきます。これだけはさすがに私達の仕事だからね」
「あ、そうですよね。分かりました……じゃあ、今年はこっちで暮らしますから……エルフさんの事、宜しくお願いします。て俺が言うのもおかしいかもしれないですが」
……流されるまま、自分の道が決まりつつあった。
けれども、その道を決める為に、俺の代わりにこうして悩んでくれた人がいるのなら、せめて俺はその道で、健全に楽しく生きて行こうと、そう思えた。
自主性を重んじてくれた祖父母には深い感謝をしている。ただ……こうやって自分の為に道を整えてもらえるという経験は、あまり記憶になかったから。
気が付いていないだけで、もしかしたら多くの人が整えていてくれたのかもしらないけれど。
「さてと……じゃあ私も実家に戻らせてもらうわ。前も言ったけど、地元がすぐ近くなの。ついでにお墓参りしてくるわ」
「はい、今日は態々遠くまでありがとうございました」
「ん、どういたしまして。じゃあね、ユウキ君。来年また会いましょう」
そう言って、ニシダ主任は帰っていった。
墓参り……ニシダ……もしかして、少し前にお墓で見かけた両手に花だった人と関係あったりして。
「なんてな。結構あのへんじゃ多い苗字だったっけ」
ある意味、俺はもう進路が決まった状態になった訳だが、今年一年はどうやって過ごそうか。やっぱり訓練に明け暮れるってのが一番らしいっちゃらしいが。
「エルフさんと二人暮らしか……どんな人だろうな」
まぁさすがにお姫様みたいな人を想像したりはしませんとも。ただ……仲良く出来たら良い。本当それだけでいいんだ。誰かと一緒に暮らすなんて、本当に久しぶりなのだから。
あの人は、今日はいない。親身に語り掛けてくれていたあの女史は、今日あの少年に会いに行くと言っていた。
受け入れてもらえるだろうか。私の一方的な要求を、果たしてあの少年は飲んでくれるだろうか。
「基本的な魔力路は順調に生成されています。ここから貴女の魂に刻まれた姿を反映し、少しずつ身体が生成されていきますので、生前の名前と姿を強く思い浮かべてください」
生前の名前と姿。名前はともかく、姿となると……眠りについた安らかな顔の印象が強い。
「思い浮かべるだけで大丈夫ですからね……魂には、全てが刻まれています。きっかけさえあれば問題ありません。ただ――今思い浮かべた名前は、名乗らないようにお願いします。ここで再び生を得る事になりますが……それは、貴女の人生を引き継いだ別な存在だと、割り切ってください。難しいかもしれませんが、それをしないと……たぶん後々辛くなるかもしれないと主任から言伝を受けています。僕にはどういう意味かわからないんですけどね」
きっと、過去に囚われないように。自分の生前の関係者を求めないように。
新たな生に陰りを生まないように。そういう、配慮なのだろう。
あの女性にも、お礼を言いたいですね、改めて。
この場所は……酷く無機質で、優しくない場所のように思えていましたが、ただあの人は、それを少しでも良くしようと、必死に毎日私に語り掛けてくれていたのだから。
「新しい名前も……考えておいた方が良いかもしれません。ユウキ君――貴女を呼び寄せた少年に名づけて貰う事も出来ますが、それでは一種の隷属になりかねない、という話でしたから」
大丈夫。私は、もう次に名乗る名前を考えていますから。
ここから見える文字。ここと同じようにたくさん並ぶガラスの大きな瓶。
私は、自分が入っている瓶に刻まれた『A』という文字を、名前に付け加える事にした。
だから……その時が来たら名乗ろう。