第七十八話
「やはり人が殆どいませんね。ユウキ君、ここが私の母校である『ラッハール騎士養成アカデミア高等部剣術科』の敷地です。魔術科とは敷地が分かれているのですよ」
「へー! やっぱり規模が違うんだなぁ……剣術科だけで秋宮の敷地と同じくらいあるんじゃない、これ」
「ふふ、土地だけは沢山ありますから。中等部はこの一帯から少し離れた場所にあって、準騎士団は、あそこです、向こうに時計塔がありますよね? あの辺り一帯が準騎士団の敷地なんです」
「へー……もしかしたらコウネさん、あの準騎士団に入っていたかもしれないって事なんだ」
「ええ、私だけでなくセリアさんもそうですね。私達が卒業した年は大変だったんですよ? 剣術科、魔術科共にトップの生徒がこぞって地球に行ってしまう、って」
「あー……確かに騒がれそう」
「まぁそれも、この国が地球にどこか排他的と言うか、対抗心を抱いているからなんですけどね。あ、でも勘違いしないでくださいね? そういうのはあくまで貴族の一部の話ですから。この国は基本的には地球の品や文化をどんどん取り入れているんです」
「へー、なら安心。俺見るからに地球の恰好してるから、石でも投げられるのかと思った」
「あはは、まさかー。さて……今の時期でも校舎は開いている筈です。早速購買に……」
コウネさんと共に、都市内を奔る路面電車で学園地区へとやって来た俺は、楽しそうに周囲の説明をするコウネさんに続き敷地内を散策していた。
休暇中とはいえ、寮に留まる生徒もいる関係か、制服に身を包んだ生徒をチラホラと見かける。
……なんか見覚えある制服だなって思ったけど、そうか、レオン君の制服と同じなんだ。
確か俺が召喚実験を受けに行った時、彼と女子生徒が同じく来ていた気がする。
「ねぇコウネさん。レオンって剣術科の生徒知らない? たぶん同じ学年だったと思うけど」
「あら? どうしてその名を? レオン・ネイルディア君ですよね?」
「うん、ちょっと縁があると言うか。俺の召喚実験の時に彼も来ていたんだよ。順番も近かったし」
「へぇ、そうなんですね。召喚実験を態々地球に受けに行くなんて……どうしてなのでしょうか。一応、グランディアでも受けられるんですよ、サーディス大陸で。恐らくセリアさん、アラリエル君はサーディスで受けたと思うのですが。私もそちらで受けましたし」
「うーん……なんでだろ? それこそ敵情視察みたいな? 地球に思うところあるみたいな態度だったし」
今でも覚えている。たしかサトミさんの召喚の余波で尻餅ついていたっけ。
しかしそうなると……確かに地球に受けに来ていたのが気になるな。
「ネイルディア家は王政復古を目指す一派に属していますしね、もしかしたらそうなのかもしれません。……ふむ、意外な情報ですね、覚えておきます」
「さてと、じゃあ購買にいってみますか。しっかし本当広いねぇ……なんだか大きなテーマパークみた――」
再び歩き出そうとした時だった。途端に地面が大きく揺らいだような気がしたと同時に、気が付くと俺は地面に倒れ、コウネさんを見上げていた。
あれ……なんで……。
「あれ……おれ――」
コウネさんが何かを言っている。凄く遠くからに聞こえる……なんだ……。
そして、俺は急激な眠気に襲われ、意識を手放した。
突然崩れ落ちる様に意識を失ってしまうユウキを、コウネは急ぎ抱きかかえ、周囲にまばらに残っていた生徒に『誰か、医務室の使用許可が下りないか聞いてきて下さい』と声を上げ、ユウキを抱き医務室へと急行した。
そんな突然のOBの行動に生徒達は『どうしてコウネ様が学園に』『あの少年は何者だ』と、当然の疑問を抱くのだが、幸か不幸か、その噂はある人物の耳に伝わる事になった。
「……まだ完全に魔力が身体に馴染んでいた訳ではなかったのですね……」
医務室のベッドに寝かされているユウキの顔を覗き込み、同級生とは思えないあどけなさの残る寝顔に、心配と同時に癒しを感じているコウネ。
うなされている様子はないが、すぐに屋敷のイクシアに連絡を入れるべきか思案する。
「連絡するべきですよね……」
そう判断し立ち上がろうとした時だった。医務室にノックの音が響き、保険医が戻って来たのかと思い『入ってください』と声をかける。だが――
「失礼するよ。初めまして……になるのかな、コウネ・シェザードさん」
「あら? てっきり保険医の方かと思ったのですが……ふふ、こちらこそお初お目にかかります『ディース・メイルラント』様」
入室してきたのは、コウネよりも二、三才年上に見える若者だった。
うっすらと桃色がかったピンクブロンドをなびかせる、どこか中性的な、そして貴公子然とした男。
現公王の嫡子であり、コウネの婚約者となった人物、その人だった。
「おや、僕を知っていたのかい?」
「ええ、晩餐会で何度かお見掛けしましたもの。学徒としての身分を優先し、あまり社交界には出席してこなかった身ではありますが、さすがに公王の嫡子を存じ上げないなどと言う事は」
コウネは、人の良い笑顔と共に受け答えをする。
「今回の事は君にとって突然の話だったかもしれないね。今、この国は大きな節目に来ていると言っても良い。僕達が結ばれ、それを新たな王家の礎とする。神話の時代から続く両家の子なら、新たな王家、王権復古の旗としてはこれ以上ない存在になる、という話だそうだよ。まぁ……あまり子供を祀り上げるやり方は好きではないけれどね」
「そうですね。なんとも、性急な話です。そこまで焦る必要などないでしょうに。貴方のお父様も国民からの支持は厚いというのに」
「そうだね、それは息子の僕もそう思う。それで……未来の妻が戻ってきている。それも、視察中の学園地区に来ていると耳にしてね、それで立ち寄った訳なのだけど……誰かご友人が倒れたそうだね?」
「ええ、そうです。同じ学園に通う友人が、グランディアの魔力に上手く適合出来ていなくて」
すると、ディースはベッドへと視線をずらす。
そしてそこに眠るのが男子だと知ると、密かに眉をひそめたのであった。
「これは、なかなか都合の悪い時に来てしまったのかな?」
「ふふ、どうでしょう? まだ正式に婚約を発表した訳でもないでしょうし、こちらとしては何もやましいところはないのですけれど」
「……そうだったね。僕としては、古きシェザードの血を色濃く継いでいる君を是非妻に迎えたいと思っているんだ。こんな場所ではなんだけれども……婚約を正式に受けるつもりはないかな?」
「保留しますわ。私は今大切な友人を案じている身。少々、場を弁えた方が宜しいのではないでしょうか?」
「ああその通りだ。……このまま国が何事もなく動けば、きっと君と僕は婚約する。今日実際に会って『それでも僕は良い』と本気で思えた。……何かするのなら、慎重に事を運ぶと良い。君が思っているよりも、この国は焦っているのだからね。何をするか分からない」
「ご忠告、感謝しますディース様。『お見舞いに来て下さり感謝致します』」
そうコウネは頭を下げる。それは言外に『今日の事はただのお見舞いとして忘れるから早く立ち去れ』と言っているに他ならないのであった。
同時にコウネはこうも思う『ただお坊ちゃんならどれほど良かったか。これは本気で婚約を拒否しないと面倒な事になりかねない』と。
医務室を立ち去るディースを見送り、大きくため息を吐くコウネであった。
すると、まるで見計らっていたかのように、ベッドから声が上がる。
「んー……まぁ悪人って感じはしないけど、だいぶ食えないタイプの貴族様だったねぇ」
「……起きていたんですか?」
「面倒事になりそうだから寝たふりしてた。途中から薄目開けて見てたよ」
「ふふ、ユウキ君もなかなか食えないところ、ありますよね?」
「まぁね。……ごめんねコウネさん、また倒れちゃって」
「いいえ、私の方こそ、まだ本調子じゃない事を失念していました」
まぁ俺は食えない人間になってしまったんだろうなぁ……高校時代は純朴な少年だったのに。気が付いたら財閥の特殊工作員みたいになってたり、国家主席やら総理大臣の護衛したり、テロリストと戦ったり。なんだよどこのエージェントだよ。
「悪人ではないけど、油断出来ないタイプだね。コウネさんすっごく警戒してたし」
「ええ、ちょっと苦手なタイプですね。私、糸を操るのは好きでも、糸をこちらに付けようとする人間……それを悟らせるような人間が好きではないんです。どうせ付けるなら、気が付かせない人が良いですね?」
「んー、まぁそうだね。……それで、あのディースさん? 積極的に婚約したい風に見せてはいたけど、本心はどちらでも良いって感じだったよね? けど……コウネさん、ちょっと隙隠し過ぎて逆に興味持たれちゃったじゃん」
「ええ、不覚にも。困りましたねー」
「ま、今後社交界でそれとなくご両親が噂を広めてくれるんじゃない? 幸い、今日俺が倒れて、それをコウネさんが運んでくれたって噂は周囲にも広まったみたいだし。学生の噂話って案外馬鹿に出来ないもんだよ」
「そうですね。ただ、少しユウキ君は安静にした方がいいかもしれません……この大陸はゲートから離れていますし、よりグランディアの魔力も濃いはずです。もしかしたらまだ影響が出るかもしれませんし……」
あ、そっか。そういうのも関係しているのか……。
「ユウキ君、どうします? もう動けるようなら屋敷で休めるようにしますけれど……」
「ん、もう大丈夫。全然平気」
「そうですか。では今迎えの魔車を呼びますので、少し待っていてくださいね」
普通に路面電車とか使わずに直通便で帰るとな。なんかごめんなさい本当。
その後、迎えにやって来たすこぶる豪勢な魔車に乗せられ、その仰々しい有り様に多くの生徒達が見物にやって来た中、学園地区を後にしたのだった。
ま、周囲にアピールするっていう目的は、これで達せられたのかな?
屋敷に戻ると、どういう訳か燕尾服に着替えたイクシアさんが出迎えてくれた。
「おかえりなさい、二人とも」
「イクシアさん!? どうしたんですかその恰好……」
「いえ……どうしてもこういう屋敷の中を私服で過ごすのが慣れなくて……お願いして一着貸して頂いたのです。やはり、落ち着きますね」
「イクシアさんってどこかの家令でもしていたんですか?」
「えーと……うん、そうらしいんだ」
「家令……というよりも、貴族様の御相手をするコンシェルジュをしておりました。以前、お話した事があるかもしれませんが、以前は地球の品を扱う商店で働いておりましたので」
「なるほどー……かなり格式の高いお店だったのですね。凄くよく似合っていますよ、燕尾服」
「ありがとうございます」
あ、やっぱりそういう対応も完璧なんですね。作り話スキルが尋常じゃなく高い。
「それにしても、思ったよりも早く戻ったのですね?」
「あ、それなんですけど――」
言うか迷ったが、また外出中に倒れてはいけないからと、事情を説明する。
「そんな事が……ユウキ、もう少し安静にしておいた方が良いかもしれません。まだシェザード卿もおられますから、お部屋を借りられないか提案してみます」
「あ、私からも頼みます。それと……報告しなければいけない事もありますから」
そっか、ディースさんと実際に会った事も話すのか。
あと、同時に俺も目撃された、と。
すると、コウネさんのお父さんにすぐに部屋を手配してもらい、まるで重病人のように手厚い看護をされることになったのであった。
「しかしコウネとユウキ君が一緒にいるところを本人に見られたのは……逆に好機かもしれないな。ユウキ君、念のため君はもうしばらくは屋敷から出ないようにしてもらいたい。噂が広まれば、君を狙う者が現れるかもしれない。が、幸いにしてこの屋敷を襲撃しようとする者はこの国にはいない」
「さすが、剣帝シェザードの御屋敷ですね」
「ふふ、そういうことだ」
気が付くと、部屋からコウネさんもイクシアさんもいなくなり、シェザード卿と二人きりになっていた。
なんかこう……凄く居辛いんですが。
同級生の婚約者の振りをしている状況でその家のベッドに寝かされ、その父親と二人きりとかもう、居心地が悪いってレベルじゃないんですが!
「しかし、本当に君には感謝している。コウネは、一之瀬の娘と出会うまでは、ある意味ではずっと孤独、孤高の存在だった。家柄も比肩する者が同年代にはおらず、また実技においても並べる者が存在しなかった。唯一彼女が家族以外で笑顔を向けていたのは、自分を完膚なきまでに打ち倒した一之瀬の娘だけであった。だが……地球に行かせて、本当に良かった。あの場所はコウネから『シェザード家令嬢』という枷を外して学べる地であったのだな。なによりも……並び立てる生徒が、まだまだ沢山いるのだとコウネに気づかせてくれた。そして……君は気が付いているかは分からないが、コウネが君に向ける笑顔は私達家族に向けるそれと同じだ。本当に信頼されているのだな、ユウキ君」
その大貴族ではなく、一人の父親としての独白を聞いて、俺は少しだけ羨ましいと思った。
父親がこんなに思ってくれている。きっと、彼女のお母さんもそうなのだろう。
そんな両親に育てられたからこそ、コウネさんみたいな気持ちのいい人になったんだろうなって。
「光栄ですよ、それは本当に。あの……こんな事になって、それで本当にコウネさんが婚約を免れたとして……俺は、どうすればいいんでしょう。本当にコウネさんの婚約者に、って訳にもいかないと思うんですけど、コウネさん的には経歴に傷がついたりは……」
「私としては、君が本当に婿に来てくれるなら歓迎しよう。親子ともども。ふふ、少し気になったのだが、あのイクシア殿は何者なのかね? 我が家の家令と言っても通じる程の働きぶりだったんだが……本当の我が家の家令が『是非私の後継者、サポートとして彼女を正式に雇うべきです』などと進言してくる程なのだが」
「ははは……本当何者なんでしょうね……」
「まぁ、娘の将来に私が過度に口出しするつもりはない。だが、私は君に何かの責任をとらせようとは思わんよ。私は君の精神を信じ、コウネの相手を任せているのだから」
「分かりました。すみません、寝たままで言うのも恰好がつかないんですけど……どんな事があっても、この件はコウネさんが望む形で解決出来るように尽くします」
「ふふ、そうか。では私は失礼しよう。今夜から、娘の恋人を匂わせるという策があるからな」
そう茶目っ気を見せながら、コウネさんのお父さんは退室していった。
厳格な、いかにも貴族という人間だと前は思ってしまったが……そうじゃないんだな。
「凄いな、ちゃんと父親をしながら大貴族なんだな……」
「ええ、それでこそシェザードです」
「うわ!?」
すると突然、ここにいないはずのイクシアさんの声が聞こえてきた。
一体どこに、と思ったら……ゴソゴソと布団の中から現れた。
いつの間に……ていうかここにきてまで添い寝するつもりですか貴女。
「少々、ユウキの身体の異常に気が付いたので調べていました。正直……ここまで顕著に症状が現れるとは思っていなかったのですが……」
「え……なんです、なにかおかしかったんですか俺の身体」
イクシアさんが、真剣な声色と表情で、まるで深刻な病でも告げるかのようにこちらを見つめる。
いや、でも覆いかぶさられた状況で見つめられると物凄く緊張してしまうのですが、別な意味で。
「……ユウキ、落ち着いて聞いてください。今、ユウキの身体には、明らかな異常が起きています。屋敷に戻るまでの間に、違和感はありませんでしたか?」
「い、いえ……え……そんなにまずいんですか……?」
え、マジで怖い。なになに、俺どうなったの!?
「……明らかに、明らかにユウキの身体が……成長しています! ズボンの裾から完全にくるぶしが出ていました! 横で寝た事のある私には分かります、七センチも身長が伸びています!」
「嘘だ! いくらイクシアさんでもそんなウソは許しませんよ!」
「本当です! ちょっと私が重なります、今までなら私の方が背も高かったのですが……ほら!」
すると、本当にイクシアさんがピッタリと身体を重ねてきた。
やめて! 見られたら誤解される!
「ほら、私の方が背も低い! ちょっとベッドから出てください!」
「最初からそうすれば……って……え!? え、イクシアさんなにか魔法で背縮めたんじゃないんですか!?」
「いいえ、間違いなくユウキの身長が伸びています、七センチも!」
【速報】夢の一六〇センチ台に突入【成長】。
え、嘘まじで! これ夢じゃないの!?
「本当だ……本当に伸びてる……」
「ユウキ、まだもう少し安静にしてください。これは少々異常な事態なんです。ユウキは元々、通常では考えられない程身体強化との親和性が高かったのですが……もしそれに原因があるとするならば、貴方の身体はこれまで魔力を求めても得られない状況が続き、結果として成長不良を起こしていたのかもしれません。身体強化は、一時的に得られた魔力により、肉体が超常的な活性化をしたからかもしれません、もしそうなら……この程度の成長で済むとは考えられないのです」
「……マジですか」
「大マジです。今のうちに、大きなサイズの寝巻きをお借りしておきますね」
マジかー……俺の身長って魔力が少ない環境だから抑えられていたのかー……。
やっばいわー、これもう一八〇とかいっちゃうわー。同級生の背全員越しちゃうわー。
「ところで、痛みなどはないのですか?」
「今言われて意識するまでは喜びが勝って感じていなかったんですけど、めっちゃ関節痛いです……まるで引き延ばされているみたいに……」
「やはりそうですか……ユウキ、すぐに寝てください、後程薬を調合してきますので」
「分かりました……大丈夫、この痛みも成長の痛みだと思えば……」
その後、イクシアさんの持ってきた薬を飲んだ俺は、そのまま意識を落とし、深い眠りにいざなわれることになった。
無論、まだ全然痛いんですけどね……。




