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第七十六話

 こちらはもう大丈夫なのだが、イクシアさんに念のため一晩ここに留まるようにと言われ、イクシアさんも病院に泊る許可を貰いに行ってしまった。

 すると、それと入れ違いになるようにコウネさんが戻って来た。


「ふぅ、ご馳走様でした。凄いですね、ここの病院の食堂。近くにあるレストランと共通のセントラルキッチンから食材類を運んできているらしいですよ。味のクオリティに驚きました」

「おかえり、満足したのなら何よりだよ。今、イクシアさんは病院に泊る為の手続きに向かったよ」

「あら……もしかして想像よりも深刻な症状なんですか?」

「ただの過保護だと思います」

「なるほど。……ふむ、魔力の影響で身体に変化が起きる場合は通常よりも症状が重くなると言いますからね。カイも夏休み中、ここで二日くらい寝込んだらしいですし。ユウキ君の場合は……少し、背が伸びたかも?」

「マジで!? どれくらい伸びてる!? 五センチ!? 一〇センチ!?」


 マジでか! 寝てても分かるくらい伸びてるのか!? ついに夢の一六〇代突入か!?


「すみません、冗談です。そんなに大きな反応をされるとは……」

「…………世の中には、人の心には、触れてはならない領域がある。コウネさん、今の冗談は流石に笑えないよ……もうコウネさんの事友達だと思えなくなるところだったよ……」

「え……あの……ごめんなさい……」

「うん、許す。でも本当に背でも伸びてくれたらなー」


 その後、結局身体に大きな変化が現れないまま、一晩病院で過ごした後、さらにホテルで一泊して船を待つ事になった。

 そして……イクシアさんにとっては拷問とも呼べる、船旅が始まろうとしていた――




「では、私はここから先へは同行しませんが、後の事は任せましたよ、コウネさん。シェザード家の方には今回のユウキ君の来訪はまだ知らせていないのですね?」

「はい。今からでも通信で知らせた方がいいでしょうか?」

「……いえ、止めておいた方が良いでしょう。余り詳しい状況は判明していませんが、現状エレクレア公国内では貴族派閥が徐々にその亀裂を大きくしてきています。コウネさん、今回の件は貴女の思っている以上に、大きな波紋を生みかねない状況なのです。……今一度、覚悟を決めてください。ですが……幸いにもユウキ君は……ただの生徒ではありませんから。一度請け負った依頼、願いを達成する為には全力を尽くす。そんな人間です」


 もしかしたら、コウネさんは俺の裏の顔、秋宮の息のかかった特殊な立ち位置にいる人間だと薄々気が付いているのかもしれない。なんとなく、そう思った。


「……はい。では、私は行きます。ありがとうございます、理事長」

「イクシアさん、二人の事を宜しくお願いします。道中、危険はないとは思いますが」

「はははははははい! わかりました!!! 陸に上がってからはお任せください!」


 あ、これはちょっとダメっぽいですね。




 船はさすがに地球よりも発達しているのか、随分と大きないわゆる『豪華客船』ってヤツなのだが、その速度がすさまじかった。にもかかわらず、揺れも風も感じないとはどういう事なのか。


「イクシアさん、具合が悪いみたいですね……ユウキ君、そばに居なくて大丈夫ですか?」

「うん、今はぐっすり眠っているからね」


 嘘です。イクシアさんは三日間の船の移動には耐えられないと察したのか、なんとあろうことか『自分自身を封印』してしまったのである。

 冬眠のように自分の意識を完全に落とし、なおかつ身体機能を最小限に抑え、外部からの刺激では決して起きないようにするのだとか。

 なお、目を覚ます条件として、自分の命が脅かされている時と、俺の声で『オキー・テオ・カサーン』という呪文を唱えると目を覚ますらしい。陸に着いたら目覚めさせて欲しいとのこと。

『実は、生前も同じ方法で船の移動をしていたのです』

 とは彼女の弁。なんてこった……船が絡むと途端にポンコツになってしまうぞこの人……。


「三日間海の上かー……ちょっと退屈かも。レジャー施設もあるだろうけど……さすがに戦闘フィールドとかはないよね」

「そうですねぇ……これはあくまで客船ですから。あ、でもこの船って割と有名なレジャーとして、一日二時間、船の動力部を休ませるために海上で留まるのですけど、その間にマリンスポーツが楽しめるんですよ? 大物を狙った釣りなどもありますし」

「おー! それって釣ったら自分の物に出来るの?」

「さすがに別料金が発生すると思いますけど、私達はこれでも最上位の客室を取った人間ですから、たぶんそのまま貰えますよ? どうです?」


 船釣りか! それはちょっと初体験だし興味あるな!


「それに、セカンダリア大陸の周辺海域は大型の回遊魚が多い事で有名なんですよ? セカンダリアの北の港は、大昔からマグロやカジキといった魚の漁が盛んなんです」

「あ、前に聞いたかも。そっか……もしも釣れたらイクシアさんが喜びそうだ」

「ふふ、確かに。私も勿論喜びますよ? どうです、やってみませんか?」


 当然その誘いに乗り、船が停止するまでの間、二人で船内の散策をして過ごす。

 凄いな、まったく揺れを感じないから、まるで陸の上にあるホテルみたいだ。

 これ、イクシアさんが眠っている間にこっそり船に乗せて外の景色を見せなければ、案外船の中でも大丈夫だったんじゃないか?


「しっかし本当大きい船だよねぇ……それに揺れなさすぎて、もう止まったのかまだ動いているのか分からないよ」

「そうですね、一度外が見える場所に――ユウキ君、釣り道具を背負っている人が外に向かっていますよ。私達もレンタルしにいきましょう!」


 早速甲板へ向かうと、いつのまにか止まっていた船。さらに甲板からさらに海面近くに新たな広い足場が生まれており、恐らくそこが釣りをする為のスペースだと予想する。

 急ぎ向かうと、自前の釣り道具を用意していたのか、セレブ風の人間からいかにも釣り人という風貌の人間が、皆並んで海面に向かい座り込み準備をしていた。


「すみません、道具のレンタルはここで良いですか?」

「はい。ではチケットを拝見します。……プラチナチケットのお客様ですね、ではお好きな道具をお使いください」

「お、全部料金に含まれていたんだ」

「そうみたいですね。私もここで釣るのは初めてなんです。有名だとは知っていたんですけど」


 とりあえず、いきなり大物なんて釣れるわけがないので、俺が唯一知ってる海釣りの仕掛けというか……所謂ルアーフィッシングが出来る道具を借りる。


「私はマグロを狙いますからね……見てください、この大きな釣り竿を! 私の腕くらい太いですし、こんなに長いです!」

「それ振れるの? 大丈夫?」

「ぐ……ぐぐ……身体強化最大ならいけます! 見ていてください、これで私が大きなマグロを釣り上げますからねぇ!」


 自分の三倍以上はありそうな長さの釣り竿を重そうに運んでいくコウネさんを、周囲の釣り人が驚きながらもどこか微笑ましそうに眺めていた。

 ……いや、無理でしょ。けどせめて、近くでもしもの為に備えておこうか。

 そうして、穏やかな海を眺めながら、一緒に釣りを楽しんだのであった。

 なお、結局竿を振ったのは俺になりました。コウネさんだと全然飛ばなかったんですよ……。


「お、一匹目来た。結構重い!」

「なんですって!? マグロ、マグロですか!?」

「いやーさすがにそれはないでしょ」


 むむ、結構暴れる。こりゃ無理は禁物かな……糸切れそうだし。

 そう思い、糸を緩めようとリールに手を伸ばしたところで、誰かの手がそれを止める様に割り込んできた。


「これは海洋用に強化されたワイヤーです、この程度の竿のしなりの魚に糸を切られることはないでしょう。思い切って巻いてください」

「え? あ、はい!」


 そう、涼やかな声で指示をしてきた方を振り向くと、なんだかセレブ感満載のサングラスをしたお姉さんが立っていた。

 ……すっげぇ恰好。なんでこんなところでドレス着てるんだこの人……あと谷間がやばい。めっちゃセクシー。


「良い竿捌きですね、ブレがない。余程の強度で身体強化をしているんですね。そこのお嬢さん、このタモ網の準備をお願いします、恐らく海面から釣り上げるのは難しいはずです」

「え!? あ、はい! ……あの、もしかして……」

「ふふ、今は集中してください。彼氏さんの釣果が掛かっているんですから」


 マジか、彼氏に見えたのか俺。ちょっと嬉しい、弟扱いじゃなくて。

 そうして近くまで無事引き寄せると、コウネさんが網を使い、魚を取り込む事に成功した。


「でっけえ! 俺こんな大きな魚釣ったの初めてだ!」

「お……重い……ユウキ君、引き上げるの手伝ってください」

「あ、ごめんごめん……よいしょ。なんだこの魚……」


 釣り上げたのは、黄褐色の大きな魚で、まだら模様がある大きな魚だった。

 あ、ナマズみたいな髭もある。


「ふむ……この海域にいるのは珍しいですね。ゴリアテグルーパーの子供です。どうします? 逃がしたところでこの海域で生き残るのは難しい魚ですが」


 すると、指示をしてくれたお姉さんが魚の種類を教えてくれた。


「ええ……これで子供なんですか……? 七〇センチはありますよ……?」

「ふふ、その魚は大きい個体だと二〇〇センチを超える事もある怪魚ですよ?」

「マジですか! じゃあ……逃がしても死んでしまうなら……」

「ええ、食べてあげてください。お料理でしたら、ここのサービスでしてもらえますよ。他にも持ち帰り用に捌いて氷漬けにしてくれます」

「詳しいですね、お姉さん」


 船上パーティーでも開かれていたのか、深紅のドレスの上から不釣り合いなライフジャケットを羽織ったお姉さん。なんというか……こう、男を絶対落とすと言わんばかりの女子力(肉体)を持つ人だ。サングラス越しでも相当な美人なのが分かるし。


「ゆ、ユウキ君! この人グランダーマザーさんですよ!? 詳しいのは当たり前ですから!」

「え? 有名人なの?」

「あら、珍しいですね。こっちの世界に私の事を知っている人がいるなんて」

「勿論知っていますよ! ぶぅつべのチャンネル登録もしています! BBクッキングも全部見ています!」

「あ、それはありがとうございます。ではそのお魚、貴女が彼氏さんにお料理してあげられるんですね?」

「は、はい! お魚は捌けますから」

「ふふ……良かったですね。では、私も少し竿を出してきます。この海域ではまだその大型用の竿の出番はありませんから、そちらの少年と同じ竿を使うと良いでしょう」


 そう助言を残し、グランダーマザーさんとやらが去っていった。

 ……そうか、ぶぅちゅーばーってヤツなのか……。


「ユウキ君知らないんですか? BBチャンネルの第二アシスタントにして、その料理の腕はBBにも引けを取らない……さらに自ら巨大魚を求めてグランディア、地球の両方の海や川を旅するさすらいのグランダー! はぁ……なんて幸運なんでしょう」

「よ……よく分からないけど……凄い人なのは分かった。凄い美人さんだったね……」

「噂だとBBの奥さんっていう話ですよ? 第一アシスタントのRお姉さん共々」

「一夫多妻かよあの仮面男! 爆発しろ!」


 くそう、グランディアは随分と自由恋愛な世界なんだな……!

 なお、釣り上げたゴリアテグルーパーは、下処理だけして冷凍、コウネさんの家に行ってから調理する事になった。

 うーん楽しみだな、どんな魚なんだろう?




 そうして船旅は、イクシアさんが封印状態という事で若干物足りなく寂しい物になってしまったが、特に大きな問題もなく、残りの道程を釣りに費やしながら楽しく過ごす事が出来た。

 グランダーマザーさんとも何度かお話する機会もあったのだが……あれが人妻の魅力なのか……こう、なんというか話しているだけでこっちの頭がどうにかなりそうなくらい緊張してしまった。

 この後、彼女はこの客船に乗ったままセカンダリア大陸の外洋を巡って釣りを続けるのだとか。何か狙っているのかと尋ねてみたところ『ちょっとした調査です』とのこと。

 ううむ……ぶぅチューバーも大変なんだなぁ。

 次の動画映えする怪魚の調査だろうか? ちょっと動画に興味出てきた。


「あー……なんだか不思議な気分だ。もうすぐ陸地だって言ってもまるっきり船の上って印象なかったしなぁ甲板に出ている時以外」

「そうですねぇ。お昼頃にはセカンダリア大陸の北の港町『キャスティア』に到着しますので、その時には念のため、町のお医者様を呼びましょうか? イクシアさん三日間も寝込むとなると、さすがに心配なので……」

「ははは……大丈夫、ただちょっと酔ってるだけだから」


 嘘です。封印中です。しっかり三日間船上を封印で乗り切っていました。

 やがて港町が見えてきたのだが、予想よりも遥かに多くの船が停泊しており、地球の横浜や海上都市の港区よりも遥かに大きい事が遠目からでもわかった。

 そうだよなぁ、日本って島国で国土も小さいんだよなぁ、国内にいると気が付かないけど。


「そろそろ到着だし、俺はイクシアさんを起こしてくるよ」

「分かりました。本当に大丈夫ですか? 一応、家の人間が迎えに来る手筈になっていますから、融通は利きますよ?」

「ううん、本当に大丈夫。乗り物酔いというか、船嫌いなだけなんだ。陸に上がれば平気になるから」


 急ぎイクシアさんの部屋に向かおうとすると、途中であの女性、件のグランダーマザーさんと出くわした。俺はこの港で降りるけど、この人はこのまま船に乗ったまま移動するんだったな。


「あら? 確か……ユウキ君、でしたか。この港で降りるんでしたよね」

「はい。短い間でしたが色々教えてくれてありがとうございました。俺、海上都市に住んでいるので、今度自分でも釣りに行ってみたいと思います」

「ふふ、その時は是非私のチャンネルを参考にしてくださいね?」

「はい。じゃあ、俺は母親を起こしてきますね」

「……ええ。お母さんを起こしていらっしゃい。お母さんと仲良くするんですよ」


 そう言われ、なんだか優し気な笑みを向けられた俺は、相変わらずの美人っぷりにドギマギしながらイクシアさんの部屋へと向かう。

 美人過ぎるのも考え物だよな……近くにいるだけで威圧されるレベルだとこっちの身が持たないよ……旦那さん、前は爆発しろって思ったけど、今は少し尊敬するぞ。


「えーと確か呪文はー……」


 渡されていた鍵を使いイクシアさんの部屋に入ると、三日前とまったく同じ様子でイクシアさんがベッドの上で横になっていた。

 不思議な物で、寝息も呼吸による胸の上下も何もない。死んでいる風ではないのだが、眠っているのとは明らかに違う様子に、なんだか少し不気味な物を感じてしまう。


「“オキー・テオ・カサーン”!」

「はい起きました!」

「うお!? 本当に一瞬で起きた……!」

「ふう……もう三日が経ったのですか? 今は港町でしょうか」

「はい、セカンダリア大陸に到着しました」

「よかった、何事もなかったんですね」


 イクシアさんはベッドの上で軽く伸びをして、そのまま出発の準備に取り掛かる。

 と言っても、乗船した時と何も変わっていないのでそのまま降りるだけなのだが。

 船から降りる時、タラップを降りるこちらを甲板から例のグランダーマザーさんがじっと見つめていた。

 ……まさか、俺は年上キラーで人妻キラーだったのか!? なわけないか。

 なんだか少しだけ寂しそうな顔をしていたが……どうしたのだろうか。


 港に降り立つと、コウネさんが既に沢山の兵士に出迎えられ、何やら執事服を着こんだ老年の男性と話し込んでいた。


「ええ、では今からでも手配をお願いします。最悪の場合は魔車での移動でも構いませんので」

「了解致しました、すぐに席が取れるか確認して参ります。っと……もしや、あちらの御二方でしょうか、お嬢様」

「あ、そうです。ユウキ君、イクシアさん、紹介します。私の家の家令を勤める『ラズル』です。今首都までの魔導列車の席を取れないか確認しているところなんです」


『魔導列車』主にセカンダリア大陸とセミフィナル大陸で利用されている交通機関。

 昔は魔物に馬車のような物を引かせる『魔車』が主流だったらしいのだが、長距離の都市間を移動する際にはこの『魔導列車』を使うのが一般的なんだとか。

 蒸気機関と魔力を組み合わせた物を動力にして、高速で陸路を行く事が出来るそうだ。

 あれか、地球の新幹線もヤバい速度だったけど、あれの元になったのがその魔導列車なのか。


「初めまして、ササハラ・ユウキです。コウネさんと同じクラスに配属された友人です」

「ササハラ・イクシアです。ユウキの母親です。今回、初のグランディアである息子の体調が心配で同行しました」

「なるほど、そうでございましたか。……お嬢様、先程お伝えしました通り、出来るだけ家の者の傍を離れぬようにお願いします。ユウキ様、イクシア様も、どうかよろしくお願いします」


 ふむ? そんなに迷子になりやすかったりするのだろうか?

 その後、無事に列車の席を確保出来た俺達は、港町の中を魔車で進みながら駅へと向かう。

 途中、窓から町中のいたるところに石像の残骸、遺跡の残骸のような物が置かれている事に気が付いたのだが――


「あれは、元は町の一か所にあった石像の残骸なんです。遺跡の一部だと思うのですが、今は町のシンボルとして区画ごとに設置しているんですよ。なんでも、神話の時代にこの町を起こした騎士の乙女達と伝わっているんです」

「へぇ、まさに騎士の国って感じなんだね」

「そうですね。さ、もうすぐですよ」


 こういう遺跡が身近に存在するあたりが、地球とグランディアの違いなんだろうなぁ。

 到着した駅はそこまで混みあっている様子はなく、随分立派な、そして歴史を感じさせるSL風の見た目の列車が停まっており、その中のコンパートメントの一つを貸し切りにしていた。


「おー! 日本の電車とは大違いだ! ホテルみたい」

「ふふ、これでも貴族ですから! ここでおやつでも食べてお話していたらすぐ着きますよ」

「まじでか。距離的には結構離れてるんじゃないの?」

「海上都市からユウキ君の実家までの距離よりは遠いですけど、それでも二時間程度で着きますよー」


 まじでか! やっぱ広すぎるだろグランディア……いや日本が狭いのか……。

 たしかセカンダリア大陸はグランディアの中でも最も広い大陸なんだったかな。

 そういえば、この列車はイクシアさんの生前にはなかったのだろうか? 言葉にはしていないが、イクシアさんの表情がどこか神妙なものになっている。


「イクシアさん、どうしたんです? もしかして列車にも酔いやすいとか……」

「ああ、いえ。少し気になっている事があるのです。先程の家令の男性……あの方はコウネさんだけでなく、私とユウキにも、コウネさんの私兵から離れないように、と言いました。それに……リョウカ理事長が去り際に伝えてくれた言葉……すでにコウネさんの家でも事態を重く見ているのかもしれませんね。それで――」

「なるほど。男の級友を連れてきたとなれば、俺の事を邪魔だと思う貴族の手の者が出てくる可能性もある、って事か」


 貴族同士の結びつきを強める為の婚姻。そこに邪魔になるかもしれない男なんて、確かに除外してしかるべきだよな。こりゃ思っていたような気らくな休暇って感じにはならなさそうだ。


「……はい。私も先程家の人間から似たような話をされました。どうやら事態は思っていたよりも深刻みたいです。最悪の場合、私が諦めて婚約を受け入れる事も視野に入れ、卒業まで待ってもらうように交渉する方向に持っていくのもありかもしれませんね……」

「貴族の責務ってヤツかな? コウネさんはそれでいいの?」

「正直、望み通りの相手と結ばれるなんて、シェザード家に生まれた段階で諦めていたところがありますね。勿論、手放しに喜べる事ではないですし……しがらみの増えそうな境遇に進んで行こうなんて思いません。でも、そういう事を全部飲み込むのが貴族ですから」

「……今はまだ決める必要はないのではないでしょうか。まずはお父様とよく話してみてください。交渉の余地があるのかどうか。婚姻はどうしても避けられない物なのか。私の個人的な意見ですが、コウネさんのお父様は大層コウネさんを可愛がり、大事にしている様子。きっと頭ごなしにコウネさんの言葉を切り捨てたりはしないと思います」


 それは、俺も思う。あの時はユキとして同席したから今口出しする事は出来ないが、あの人はむしろ地球との関係を推し進めたいように見えた。じゃなきゃ俺に執着なんてしない。

 向こうの情勢が急激に変わるような何かがあったのか……?

 暗雲が徐々に立ち込めてきたような気配を感じながら、俺達を乗せた列車はコウネさんの故郷『エレクレア公国首都ガルデウス』へと向かって行くのだった――


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