表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/315

第三十一話

 ユウキが帰ってこない二日目。起きる気力を失っていた私の目を覚ましたのは、スマート端末からの着信音でした。

 発信主は……ニシダ主任ですね……。


「はい、イクシアです」

『こんにちはイクシアさん。今、少しお時間よろしいでしょうか?』

「はい……今起きたところですので、大丈夫です。何もしていません」

『ええ!? もう正午ですよ!?』

「ああ……本当ですね。それで、何か御用でしょうか?」

『いえ、私の用事よりもイクシアさんです。どうしたんです? どこか具合でも……』

「ユウキ分が不足しているだけです……ユウキが明後日、二日まで帰ってこないのです」


 ユウキがいないだけでこんなにも駄目になってしまうなんて……自分でも驚きです。

 ああ……そういえば今日はブルーレイディスクを返却しなければいけません……。


『ユウキ君にべったりですね……やはり心配ですか?』

「それは勿論。一日も早く戻ってもらい、そして思い切り抱きしめなければ私のユウキ分欠乏症は治りそうにありません」

『それはそれは……ああ、それで用事というか連絡事項なんですが、実務研修が滞りなく終わったらしく、日取りを一日繰り上げて帰還するそうです。だから明日、帰ってきますよ』


 働かない頭にもたらされたその言葉の意味を、キチンと理解するの二呼吸程の時間を要しました。

 帰ってくる? 明日? ユウキが?


『だから元気を出してください。出迎えに美味しい物でも用意しましょう?』

「そうですね! ではこうしてはいられません、少しスーパーに買い出しに行ってきたいと思います! 有り難う御座いましたニシダ主任。それではまた!」


 私はスマート端末を切り、急ぎユウキのベッドから飛び出し、買い物に向かう為の準備に取り掛かるのでした。








「クハハ……やってくれおったな小僧ども。いや天晴じゃ。クク……誰の入れ知恵じゃ?」

「さぁ、なんのことやら。あ、でもなんかゲートが誤作動起こしそうになったんで対処しましたよ。でもやっぱり勝手に開いちゃって、少し海水が入っちゃったんですけど、そちらの整備不良や誤作動って事にしたいと思います。それでいいでしょ石崎の爺ちゃん」

「ササハラ! すみません石崎様。おい、なんで呼び方するんだ」

「くく、構わん。つまり儂の孫になりたいのかね?」

「や、それは勘弁です。けど、お望み通り外洋の魔物も含めて全部討伐完了しましたし、これで任務完了って事でいいですよね?」


 石崎の爺さんに報告中。どうやら向こうも俺達が何か仕掛けたと感づいているのか、酷く愉快そうに笑いながらも、どこか冷たい目をこちらに向けていた。おーこわ。


「ああ、依頼達成じゃな。どうする、予定通りならもう一泊するはずじゃが。任務を達成したんじゃ、盛大にもてなしたいところじゃが」


 そんな少し心揺れるお誘いをかけられるも、ジェン先生は毅然とした態度で『任務が達成された以上、我々は帰還します』と進言した。

 まぁアラリエルとコウネさんは露骨に不満そうな顔をしていたが。

 ……昨日の晩御飯、随分美味かったからね。


「そうか、それは残念じゃ。では船の用意をさせよう。戻りはタンカーでなく中型の客船じゃ。タンカーよりは速度も出よう」


 何それ恐い。更に速度が出ると申すか。水の抵抗仕事しろ。


「ふむ……しかし中々に興味深い生徒達じゃな。一之瀬の娘子や英雄ともて囃された小童だけではなかったか」

「……ええ。自慢の生徒達ですから」

「ふむ。惜しいのう」


 再びジェン先生と交わされる視線の応酬。だが、それに水を差すようにこちらも話しかける。


「石崎の爺ちゃん、一つ交渉してもいいかな?」

「ん、なんじゃねユウキ君」

「俺が倒した魔物でさ、一匹マグロベースのヤツが混ざってたんだ。あれ食べられそうだし、俺が貰ってもいいかな? 家族に食べさせてあげたいんだ」


 空気ぶっ壊す。任務終わったんだから殺伐とした空気はやめようぜ先生も。

 殺伐とした応接室に突然のマグロが!


「ク……クカカ……何かと思えばそんな事か。ああ、構わんよ。マグロの魔物が欲しいとな。よかろう、後程切り分けて学園宛てに送っておこう。ククク……アレと戦ってそんな事を言いだすとはのう」

「場違いだとは思ったんですけど、俺もちょっと空気を換えたいなって。だって石崎の爺ちゃん、最悪俺達の誰か一人くらいは死んでもいいやって思っていたでしょ? だから――」


 きっと通じないだろうけどさ。迫力なんて俺にはないだろうし、経験も浅いけどさ。

 それでも――今の俺に出来る全力で、全てのリミッターを外して、威圧する。


「これでチャラにするって言ってるんですよ俺も。理事長だってそうだ。やりあうなら直接やりなよ。俺達を駒だ道具だと思われちゃたまったもんじゃない。これで、手討ちだよ」

「――っ! くはは……そうか、そういうことか……童と思うたが……鬼の類であったか」

「ん、それは過大評価だよ。でも少しは見直してくれたなら光栄だよ爺ちゃん。もしも次があったら、今度はこんな形じゃないと嬉しいよ俺。少し俺の爺ちゃんに似てるし」

「ふふ……そうかそうか。では儂も次は主を孫とでも思おうかの。ジェン先生さんよ。依頼の報酬やその他詳細については後日秋宮に方に連絡をしておく。良い生徒達じゃ。主に育てられるとは思えんが、それでも見守り、導くと良い。儂もその方が張りあいもある」

「……分かりました。では、船の時間まで、桟橋の方で待機しておきます」

「うむ。ではさらばじゃ、若きツワモノどもよ。そして――次代の鬼札よ」


『鬼札』それは『ジョーカー』と同じ意味合いで使われる事のある名前。

 たしか花札だっけ? それで出てきたはずだ。そしてジョーカーもまた、ゲームにおける最強の切り札でもある。けどその本質は――『何にでもなれる』だ。

 果たしてどういう意味で俺をそう呼んだのか、この時の俺は深く考えていなかったんだ。




「ササハラ……あまり生徒が無茶をするな。私の役目だぞ、あれは」

「いやぁついつい。なんか俺にだけ少し甘いからさ、あの爺ちゃん。だから俺が言わせて貰った」

「……そうだな。しかし、驚いたな。隣にいた私も少し恐かったぞ、さっきのお前」

「そう? なら、良かった。先生もそろそろ俺のことだけ子供扱いするのはやめてくれい」


 桟橋で船の準備が出来るまで、ぼうっと地平線を眺めながら先生と言葉を交わす。

 すると突然、ジェン先生が俺を引き寄せた。


「駄目だ。お前が小さいうちは子ども扱いしてやる。今回はよく頑張ったな、ササハラ」

「やめろ! みんなが見てるだろ! っていうか一之瀬さんも笑ってないでこのセクハラ教師を止めてよ」

「む、そうだな。先生、そこまでです。ササハラ君も困っているだろう」

「クケケ、だな。そんな硬そうな女に抱かれても嬉しくねぇだろユウキも。本土に帰ったら一緒に例の店行こうぜ、なぁ?」

「やめろ! みんなの前でそんな事言うな!」


 ほらセリアさんとキョウコさんが白い眼向けてきたじゃん! 俺は潔白だ!


「ユウキ……もしも時間があったらさ、俺と手合せして欲しいんだ」

「カイは空気呼んでくれよ……今俺困ってるじゃん、そんな空気じゃないじゃん……」

「そうなのか? いやでも……ユウキ、俺ももっともっと強くなる。楽しみにしていてくれ」


 二度目の実務研修。危険はあったのだろう。でもそれは、先月のような命以外の危険すら含まれていた、陰謀が渦巻くような物ではなかった。

 だが、俺は知った。魔力という資源が、どれだけの力を生み、水面下でどれだけの国が関わりを持とうと蠢いているのかを。

 そして、地球とグランディアの間には、まだ知られていない闇の部分。綺麗ごとでは済まされない取引もあるのだろう、と。


「……このクラスって、本当に俺達の為に作られたクラスなのかな……」


 俺は理事長への報告の際、何を聞こうか、何を報告しようか、それだけをずっと考えていたのだった。

 ……あとマグロ。ご期待ください。






「ユウキ君。さっきの君、だいぶ迫力があったけれど、あれは普段君が見せない一面だったよね。君、本当にただの高校生だったのかな?」

「あ、カナメ君。うん、高校生だったよただの。世間知らずな田舎者」


 船の上。行きとは違い、しっかりとした客船であるこの船には、外の風景を見ることが出来る甲板、デッキも備え付けられていた。

 凄いな、この速度で進んでるのに風圧をあまり感じない。これも魔法だろうか?

 そんな夜空の下、ひた進む船の速度に流れていく星を眺めていたら、カナメが隣にやって来た。


「僕も、同じ考えだった。たぶん、僕達は何かの権力争いの駒として今回使われたんだって。勿論、全部が全部そうじゃないとは思うけどさ。でも、ユウキ君はそれを怒った」

「……まぁね。でもさ、冷静に考えると、そういう事ってこれから先、戦いに身を投じる生き方をしていれば、いくらでも似たような任務に就く事もあるかなって思ったんだ」

「うん。自分でそれに気が付けたのなら、それでいいよ。ユウキ君はどこまでも真っ直ぐだからさ、たまに心配になるんだ。君の強さは、もしかしたら……付いた側の人間の正義か悪も関係なしに勝利に導くのかもしれない。だから、慎重にね。それだけを言いたかったんだ」

「……ご忠告どうも。それはたぶん、俺も心のどこかで感じていたよ」


 カナメ。たぶん、彼も俺と同様に裏の駆け引き、そういった一介の学生が覗くべきじゃない部分を感じ取っていたんだろう。いや……もしかいしたら彼もまた、そういう立場になりかけたのかもしれない。……どこかの企業からスカウトされたとか言っていた気もするし。


「ユウキ君、僕はそろそろ寝ようと思うんだけど、まだここにいる?」

「ん、俺も寝ようかな。明日の早朝には海上都市に着くんだよね」

「そのはずだよ。じゃあ戻ろう。ここ、寒いしね」

「確かに。けどまぁ、俺って雪国育ちだから寒さには強いんだ」

「そうなんだ。僕も雪国育ちだけど、高校に上がる時に上京したからさ。もう久しく雪が積もる様子も見ていないよ」

「へぇ、そうだったんだ」


 たぶん、カナメは俺を心配してくれたんだろうな。

 ありがとう、カナメ。そうだな、ごちゃごちゃ考えるのは俺のしょうに合わないよな。

 そうして、俺は行きよりも微かに揺れる船の中、静かに眠りに付くのだった。




 無事に何事もなく海上都市に帰還した俺達は、そこでジェン先生に二日間の休養をとるようにと厳命された。

 少しでも単位を稼いでおきたいからと反論したのだが、曰く、実務研修ではしっかりと単位が発生しており、単位の数だけで進級が決まるこの学園においては、二日休んでも問題ないくらいの単位を取得したことになっているんだとか。

 なるほど、SSクラスが優遇されているという意味、今ようやく分かった。

 ……まぁ一部、単位が足りなくて必死に講義を受けさせて欲しいと懇願する生徒もいるが。


「まったく、必死過ぎるぞカイ。お前は講義を受ける数が少なすぎるんだ。夏季講習で補填するから今日は休んでおけ」

「だ、だけど夏休みは時間がとれないんです先生! お願いします、船の中でぐっすり寝ましたしお願いしますよ……」

「むぅ……仕方ない。じゃあこのまま学園に戻ったら登校しろ。他の皆も受けたければ受けて良いぞ。折角休ませてやるって言ってるのに……」


 なお、他に講義を受けたい生徒はいない模様。一之瀬さんですら疲れ顔である。

 いやぁ……俺は大丈夫だったけど、結構帰りの船で酔った人多いんですよね。

 そしてバスで学園に戻ると、その場で解散ということになったのだが、俺とカイだけは校舎へと向かっていくのだった。

 ……理事長室に行かなきゃな、俺は。






 学園に到着した時間は午前七時。そろそろ登校してきた生徒も増える時間帯。

 理事長がこの時間から学園にいるか少し不安だったのだが、一先ず部屋の前までやって来た。

 だが、ノックをしようとして近づいたその時、部屋の中から理事長の、誰かと言い争う声が聞こえてきた。


『――かしら? 地球を、この世界を豊かにするのは、確実に――』

『それは、遠い未来に災いとなる。距離感を考えてください。私達は……』

『頼みの“彼”は動かない。なら貴女がとやかく言う事ではないでしょう、ミス・リョウカ』

『……それでも、行きつく先で彼は動きます。貴女は……いえ、この世界の住人は、グランディアを甘く見過ぎている』

『貴女こそ、地球を、我が国の軍事力を甘く見ているのではなくて? まぁいいわ、今回の件は貴女の言い分を飲みましょう。ですが……いつまでも続くと思わない事ね』

『……ええ。そちらもどうかお気を付けて。彼の逆鱗に触れた日には……地図が書き換えられる事になりますから』


 なんか絶対聞いちゃいけない事聞こえてきた気がするのでちょっと逃げますね。

 少し離れた位置から理事長室の方を見ると、中から白金髪のお姉さんが出てきた。

 酷く、冷たそうな印象を受ける。あの人が学園長と言い争っていた人物なのだろう。

 その姿が見えなくなるのを確認し、再び理事長室へ向かいノックをする。


「理事長。ササハラユウキです」

『……入ってください』


 少しだけ、覇気の少ない声に従い中へ入る。


「おはようございます、ユウキ君。無事の帰還、嬉しく思いますよ」

「はい、ありがとうございます。……あの、大丈夫ですか?」

「……聞いていましたか。ええ、大丈夫です。コーヒーでも飲んで一息つけば問題ありません」

「あ、じゃあまた後で来ますよ俺も」

「ふふ、いいえ、ここで一緒に飲みましょうか。そちらに掛けてください」


 誘われてしまった。これは……本格的に参ってしまっているのだろうか。

 部屋の中にあるソファに言われるまま座ると、理事長が戸棚からコーヒーを入れる道具を一式取り出して来た。紙でドリップするヤツだったかな? 爺ちゃんが使ってるのを見た事ある。


「さてと……私の飲むコーヒーは少し変わっているのですが、良いですか?」

「あ、はい。たぶん大丈夫だと思います」

「ふふ、実はこれ、代用コーヒーなんです。知りませんか? タンポポコーヒーとか」

「あー……亡くなった祖父から聞いた事がありますね。祖父もコーヒー好きでしたので」

「おや、そうでしたか。私はタンポポでなく、ドングリを使ったコーヒーなのですけど」

「おお……俺、それ飲んだ事ありますよ。祖父が老人会で作った事があったんです」


 そう答えると、理事長は仮面越しでも分かるくらい、目を嬉しそうに細めてくれた。


「それは良いですね。では、頂きましょう。私が淹れます、得意なんですよ?」

「ありがとう御座います……なんだか恐縮です、雇い主にそんな事をさせるなんて」

「いえいえ。雇い主である前に、私は貴方の通う学園の理事長ですから」


 淹れて貰ったコーヒーを見つめながら、報告する内容を考える。

 不満を……この人にぶつけていいのだろうか、と。

 いや、言うべき事は言おう。俺だけならまだ良い、報酬だって貰っているんだ。

 けど、それ以外のみんなにもリスクを負わせるような任務を割り振るのは……少し、考えて欲しいから。


「さぁ、どうぞ。お砂糖は入れますか?」

「あ、じゃあ二つ下さい」

「はい、どうぞ。……私は三つ」

「では……あれ、凄く美味しい……」


 口にしたそれは、なんだか少しだけココアのような香りがした。凄く、高級な味だ。

 たぶん、爺ちゃんが作ったようなヤツじゃなくて、手間暇かけた物なんだろうな。


「ふぅ……さて、では報告を聞きましょうか」

「はい。今回、建設されたダム内部で使われている全ての資材の出所や機材がどこの製品なのか。またダムの建設に関わっている三つの国を特定してきました。禁止されていましたが、一部は撮影に成功。また協力者の力で、プラットフィーム内部の電子機器の情報も入手してきました。こちらが、そのデータの入ったメモリカードになります」


 俺は、任務中に入手した全ての情報を渡す。ごめんキョウコさん。少しだけ、データを利用させてもらいました。


「また、今回倒した魔物のうち、一体を俺が引き取る事に成功しました。恐らく明日学園に届く事になりますので、頭部の解析をしてみてください。あ、身体の方は俺がもらい受けますので」


 考えていた報告を、ここまで詰まらずにスラスラと言う事が出来た。これで少しはこう……出来るエージェント感を演出出来ただろうか?

 黙っている理事長の様子を見みると、報告を受け、口をぽかんと開けていた。


「……正直、ここまで完璧にこなしてくれるとは思っていませんでした。このデータはとても助かります。それに……よくあの相手から魔物を譲ってもらえましたね」

「こっちを子供と思って舐めてくれたんだと思います。魔物がマグロベースだったので、食べたいって強請ったら結構あっさりゆずってくれましたよ」

「そ、そうですか。……そうですね、寄生種の魔物なら頭部を解剖すれば何か分かるでしょう。まぁあっさりと譲ってくれたのですし、恐らく仮に魔物が何者かの差し金だとしても、石崎の家は関りがない、という事でしょうが」

「だと思います。俺もその可能性を考えていました」

「……本当、思っていた以上に優秀ですね、貴方は。報酬、少し上乗せしましょうか」


 やったぜ。ならそのお金で実家の老朽化している部分、修繕してもらおうかな。

 他にも畑周りの整備とか色々やっておきたい。


「それで、です。今回の任務、多少理事長と石崎の爺さんとの争いみたいな側面、ありましたよね? 今回は事前に防げましたが、たぶんクラスの人間の一人や二人、死んでもいいくらいの気持ちだったと思いますよ、向こう側は」

「ええ、そうかもしれません。ですから、貴方がいるのです」

「……それを言われてしまうと、何も言い返せません。でも、同じクラスメイトとして言わせてもらえるなら――」

「……残念ですが、言わせません。こればかりは、そういう世界ですから。他の皆さんもある程度は覚悟しています。でも、納得は出来ないのですね?」

「……たぶん、これから先も、俺やクラスのみんなは、大人の事情に巻き込まれるんだと思います。でも、俺はそれがあまり好きじゃないです。甘い事言ってるのは分かっていますが」

「……ええ、甘いですね。これは、そういう世界です。ただ、それでも言うのなら……貴方はこれから先、私の暗部の人間として、事前に梅雨払いでもしますか?」


 少しだけ、理事長は冷たい声でそんな提案をする。

 今以上に、俺に影に踏み入れと言うのか、この人は。


「……今は、止めておきます。俺はもう少しみんなと学生でいたいです」

「……ええ。少し、酷い事を言ってしまいましたね。ごめんなさい、ユウキ君」


 そして理事長もまた、酷く鎮痛な面持ちで呟くように漏らす。

 やっぱり、この人も疲れているんだろう、な。


「ですがユウキ君。これだけは覚えておいてください。私も、そして貴方も酷く曖昧な場所に立っています。近いうち……必ず貴方は暗部に通ずる任務を受ける事になります。その覚悟だけは、しておいてください。私も全力でバックアップをすると誓いますから」

「はい、それは了解しています。……じゃあ、明日には魔物が届くと思いますので、頭部だけ持って行っちゃってください。身体はイクシアさんと食べますので」

「ええ、分かりました。当日は……そうですね、食堂の二階に来て下さい。解体はそこで行いますので。もしかしたらそちらに配送する事になるかもしれませんが」

「あ、あの二階って厨房か何かなんですか? 実は気になっていたんです」

「ああ、厨房というか……スタジオというか……まぁ多目的の厨房ですね。たまに講師陣が打ち合わせを兼ねた食事会などをする場所ですよ」

「なぁんだ……俺はてっきり、VIPルーム的な食堂でもあるのかと」

「ふふ、それなら別にありますよ。今度招待しましょう」


 マジかよ。そんなの本当にあるのか。


「ふぅ……ご馳走様でした。あの、変な事言ってすみませんでした。これからも任務はしっかりこなしますから」

「ええ。こちらこそすみませんでした。やはり少し、疲れていたみたいですね。では今月は前期の期末試験もありますので、頑張ってくださいね」

「はい。では、俺も今日は家に戻ります。ありがとうございました」


 理事長室を後にする。そうだよな、俺のこの思いは……たぶん、子供の我儘と同じだ。

 理事長も、大変なのだろう。石崎の爺さんといい、先程の女性といい。

 俺も、いつのまにかそんな理事長の助けになりたい、なんて事を考えていた。

 まぁ、任務を頑張るのと、しっかりと試験で良い成績を残すくらいしかやれる事はないけどね。




 予定より一日早い帰宅だが、既に連絡はイクシアさんにもいっているはず。

 早速玄関の扉に手を掛け、声を出そうとすると、突然玄関が開き、中から伸びてきた手につかまれ引き込まれてしまった。


「ユウキ! おかえりなさいユウキ! おかえりのハグをしてあげましょうユウキ! はい、ギュー!」

「ぐえ! ただいまです……放して……ハナシテ……ハナシテ……」

「んーダメです。はいギュー! おかえりなさい、無事でなによりです」


 イクシアさんに捕まった。しかも様子がおかしい。明らかにおかしい。

 そのまま靴を脱がされ、捕獲されたままリビングに連行されると、ソファにイクシアさんともども座らされる。


「はぁ……よく帰って来てくれました。任務は大丈夫でしたか? 一日早かったということは、簡単な任務だったのですか?」

「イ、イクシアさん放して、恥ずかしい」

「他に人はいませんよ? 大切な子供を親が抱きしめるのはおかしいことですか?」

「こ、子供の嫌がる事をする親はどうかと思います……」


 嫌じゃないけど。だが恥ずかしすぎるのだ。本当にこの人は……自分が若くて綺麗なお姉さんだと自覚しているのだろうか……こっちはもう……色々限界なんですが。


「……そうですか。では抱っこはやめます。手を繋ぎましょう。手のひら、少し豆が出来ていますね。揉んであげますね」

「あ、気持ちいい……あー……そっか豆は出来ちゃうか。まだ慣れてないからなぁ」

「おや? つまり新しい戦闘スタイルに身体が慣れていないと? ではそうですね、手袋をはめてはどうでしょう?」

「そうですね、今度買っておきます」


 本当に嬉しそうで、なんだかこれ以上何も言えなくなってしまう。

 ニコニコと笑いながら、手をもみほぐす彼女を見ていると、もう『このまま思いっきり甘やかされてもいいのでは』とさえ思えてくる。


「ふふ……今日の夕ご飯は御馳走、作りますからね。お昼はどうしましょう? 朝食は食べてきたのですよね?」

「ですね。じゃあ……たまには一緒に裏の町にいきましょうか。お昼食べられる場所、ありますよね?」

「ええ、ありますよ。一度行ってみたかった喫茶店があります。そこで一緒に昼食をとりましょう」


 ああ、うん。やっぱり最高に癒される。

 色々考えていた事が、全てどうでもよくなるようだ。

 そもそも……たぶん俺の望みは、この世界で生活していく事で、そこにイクシアさんがいてくれるならそれで良いのだ。まぁ勿論クラスメイトと無事に学園を卒業したいという望みもあるけれど。

 けれども、最終的にこちらの生活がおびやかされないのならば、誰かの権力争いや利権争いは……対岸の火事、みたいなものではないか。


「……そのはずなんだけどなぁ。でも、出来る事はしたいんだよなぁ……」

「ユウキ、どうかしましたか? なにかしたい事があるなら付き合いますよ?」

「あ、なんでもないです。じゃあ着替えたら行きましょうか」

「ふふ、洗濯機に入れておいてくださいね」


 秋宮には恩がある。それに報いたい。それもまた俺の真実だしな。

 きっとこれからも、イクシアさんを心配させてしまうけれど、絶対に無事に戻ろう。

 そう強く思うのだった。


「ユウキ、今晩のご飯は期待していてくださいね。たっぷり御馳走、作りますからね」

「はは、分かりました。じゃあ俺は……庭の畑の手入れでもしておきますね。じゃあ行きますか」


(´・ω・`)本日はここまでとなりまうす

今月29日に暇人魔王の書籍版10巻が販売となりますので、そちらもよろしければ

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ