第二百九十二話
異界の消失から二月あまりが経過していたその日、シュヴァインリッター総合養成学園SSクラスの教室にクラスメイト一同が集まっていた。
季節は既に冬。ドバイでの任務からそのまま長期間ノースレシアで過ごした関係で、SSクラスの生徒達は皆、季節の感覚がなくなってしまっていた。
その関係で、SSクラスの生徒達は単位が足りなく、卒業資格を得る事が出来ないからと、特別措置でもう一年、学園に通う事が正式に決定していた。
無論、留年という形ではなく『高等学習院』という、大学院にも似た制度を利用する形で。
「アラリエル……お前結局こっちについて来たけど……国はいいのか?」
「この騒動で国が落ち着くのにどの道もう数年はかかる。ならその間の一年、こっちで正式に卒業資格を取った方が将来的には国益になるって判断だ」
カイの何気ない問いに、アラリエルは気だるげに答える。
「ま、そうだよね。僕も一応企業の人にどうするべきか聞いたら『是非とも一年そちらで過ごしてほしい』って言われたよ。彼の……ユウキ君の同級生として卒業した生徒なんて、とんでもないネームバリュー……だからね」
「……ま、そういうこった」
「俺は秋宮預かりになる都合、どの道こちらの院に編入は決まっていた。もう、本当の意味で……手の届かない人間に……雲の上の人間になってしまったな、アイツは」
ショウスケがそうつぶやくと、面白そうにアラリエルが声をあげる。
「中々良いギャグセンスじゃねぇかコトウ。ああ、あいつは英雄になりやがった。地球だけじゃねぇ、少なくともノースレシアじゃアイツは本物の英雄だ。俺よりも人気なんじゃねぇか?」
「正式にあのクーデターの真実が伝わり広がった以上、それも当然だろう。それに……ユウキが異界問題を解決した事に変わりない……からな」
「……いつだったか、俺はお前らに英雄ってのは『大いなる結果を残し生き残った人間』か『命を捨てて偉大な事をした人間』なんて言った事があったな。あん時はまだコトウもサトミもいなかったか」
アラリエルは、かつてフロリダで起きた事件の折りに語った言葉を引用する。
「あの時は否定したが、本当にアイツは英雄になっちまった。せっかく……俺が知る中で初めて『前者として英雄になった』ってのによ……結局後者に……なっちまいやがった」
「そう、だね。僕は、前者になれるように、これから進んで行くつもりだよ」
「無論、俺もだ。まだ何が出来るのか分からない、だがユウキに……恥じないように」
そんな、どこか影を感じさせつつも、前へ進もうと語る男子とは反対に、女子グループはまだ、ユウキが犠牲になったこの世界を素直に受け入れられないでいた。
中でも彼女は。
「……ふふ、ダメだな。まだ私には君達のように話すほどの切り替えが出来ないようだ。今でも……考えてしまう。もし、原理回帰教が……兄が事を起こさなければ、もう少し猶予が、世界の猶予があったのではないかと。それで取れた対策があったのではないか……と」
ミコトは、己の兄がしでかした事が、間接的にユウキを殺したのではないかと口にする。
「でもさ、BBは最後の最後まで動かなかったんだよね。それって……どうしようもない流れだった……って事なんじゃないかな」
「そう、ですわよ。私達には推測する事しかできません。ですが、世界という物を知覚出来る存在でも、あくまで知覚出来るだけ……なのかもしれません」
「それに、原理回帰教については私の国の方で動きを制限する事すら出来ませんでした。あの集団を野放しにしていたという点では、我が国にも非はあります」
ミコトを慰めるのではなく、客観的に事件を振り返り、三人が自分の意見を言う。
「私は……原因とか対処とか、そういうお話は分からない。でも、あの日私は足手まといで、もしその所為でユウキ君が犠牲になったのだとしたら……って、そればっかり考えてる」
あの日、真っ先に重傷を負い、セリアに連れられて戦線を離脱してしまったサトミ。
そこに珍しく、アラリエルが話しかける。
「慰めになるかわかんねぇが……サトミ、おめぇがいてもいなくても結果は変わらなかったろうぜ。つーか……」
「私達全員、いてもいなくても変わらなかったと思います。BBは……ジョーカーは強すぎました。たぶん、文字通り世界そのものよりも。きっと、世界を守る為の存在。そこに挑んだのは間違いなく私達の意思だった。それだけは後悔していません。きっと……ユウキ君も。サトミさんだって同じはず、そうでしょう?」
沈黙が支配する。
「……私達よりも、もっと辛い思いをしている人だっている。なら、私達だけでも少しづつ前を向かないといけないよね。前を向く事の大切さを……伝える為にも」
「ええ、そうですわ。彼の犠牲で成り立つ世界で生きるなんて……そう考えたこともありました。ですが……彼が愛し、あの強大な相手に挑んでまで一緒にいたいと願ったこの世界を、私達が否定するなんてあってはなりませんもの」
「そうだな。ユウキ君が愛したこの世界を……私達は精一杯生きていかなければ申し訳が立たない。私は本当にこんな単純な事にも気が付かなかったのだな……」
ゆっくりと、だが着実に。
大切な仲間の死を飲み込もうと歩み続けるクラスメイト達。
その歩みがきっと正しいのだと信じ、彼らは学院へと進学する事を決意したのだった。
あの戦いの後、イクシアは海上都市の市街地にあるマンションの一室に移住していた。
正確には移住ではなく、引き取られたと言った方が適切ではあるのだが。
「イクシア、入るわよ」
『はい、お母様』
それは、数あるBBのセーフハウスの一つであり、今はマザーがイクシアと二人で暮らす為に使っている部屋であった。
あまりにも憔悴し、一人で生活する事もままならない、いつ暴走してもおかしくない彼女を一人にはしておけないと、マザーことレイスが提案し、それをリョウカとBBに承諾させて叶った願いであった。
マザーことレイスと、イクシアは生前、親子であった。
誰よりも敬愛し、誰よりも愛し、支えあっていた母親。
今生において再び共にあるというのは、本来であれば起きえない奇跡であり、同時に許されるべきではない行為。
だが、それを無理を押して許諾させるあたり、子を思う親の気持ちは何よりも強いのだろう。
「イクシア。隣、失礼するわね」
「はい、お母様」
入室したマザーに、虚ろな目で気のない返事をするイクシア。
息子を失ったショックで、文字通り半身を、魂の半分を失ったかのような有様だった。
泣きはらした目。顔に自分でつけたであろうひっかき傷。
乱れた髪、乱れたベッド、血のにじむ腕や足。
それら全てが、自壊しそうな心を食い止めよと、自らに痛みを与え正気を保とうとしている意思の表れだった。
ただの自傷行為ではないと。生きる為の足掻きだと理解しているマザーは、ただ今日もイクシアを優しく抱きしめる。
「……それでいいんです、イクシア。今は傷ついてもいい、だから生きるんです。貴女はこれからも生きなければいけないんです……彼の守ったこの世界で」
「お母様……お母様……おかしいのです……私は……こんなにも弱くなってしまった……。何度子供に先立たれても、私はここまで心乱される事はなかったのに……どうして……」
「貴女が我慢強くて優しい子なのは私が一番よく知っています。だから貴女はこれまで子供に積極的に関わらないようにしていた事も。園長と言う立場と責務を全うし、子供を間接的に守る為に動いていた事も。初めてだったのでしょう? 自分だけの愛しい子供を持つ事が」
「こんなにも苦しいものなのですか……お母様はこのような痛みを……何度も背負ってきたというのですか」
「……そうです。私は……私達はあまりにも寿命が長すぎる。お腹を痛めて生んだ我が子を看取る事が当たり前になる程に……」
同じ痛みを知っている者。誰よりもイクシアを支えられる者。
それ故に、心身ともに衰弱したイクシアを支える為に、マザーが共同生活を送る事を関係者は許可したのであった。
「ユウキ君はとても優しい、勇気ある強い子でした。貴女が最愛の息子と呼ぶのも当然です。私も、彼が自分の息子であったら、どんなに誇らしいか」
「はい……あの子は最高の息子です。私はあの子の為ならなんでもしてきました」
「……そうね、確かにそのようね」
微かに輝く瞳で、レイスはイクシアを観察していた。
何かを読み取るように、何かを確かめるように。
「イクシア? “ソレ”は本来、生涯を誓い合う者同士が行う契約ですよ? ユウキ君としたのですか?」
「え? ……ああ、これですか。私は、戸籍上だけの母親でしたから……確かな繋がりが欲しくてつい」
それは、過去にイクシアがユウキと交わした“ただの繋がりが出来るだけ”の儀式。
血の繋がりもないイクシアが、確かにユウキの母親であると、自身を納得させるためだけに行ったもの。
「ユウキ君をこの“目”で見たこともありますが……貴女からの加護を何重にも宿していました。とても……愛していたのですね」
「はい、愛しています。これから先も永遠に」
「貴女の思いは、決して無駄なんかじゃない。イクシア、今しばらく私のところにいなさい。話したい事がたくさんあるのですから、今だけは母ではなく娘として……ここで休みなさい」
数日後、秋宮の研究所にて、リュエ、ホソハ、レイス、リョウカ、ヨシキが集まっていた。
「本当かい! レイスの言う通りなら……確率はグっと上がるよ」
「間違いなく、契約そのものはまだ生きています。親愛の情を結ぶだけの契約……あの子はそれを、親子の絆と解釈して行ったようです」
「なるほど……後は契約の方向を未来に……」
「あの戦いで、ダメ元だが俺はユウキ君に『幸運』を付与してある。元の世界に戻れているのは間違いない」
『魔王』と『女神』と『聖母』が一堂に会し、作戦を煮詰めていく。
「なるほど。打てる手は貴方も打っていた、と。これは赤点ではなく及第点くらいはあげるべきでしたね?」
そこに、ユウキの後輩であり、得体のしれない力を宿すホソハアメノが加わる。
「あの、今更ですがどうして我が校の生徒をこの場に?」
「気にするな。この子は俺とリュエの友人だ。お前も一度会っていたと思うんだがな? 少なくとも二千年以上前の話だが」
「な……! では貴女も私と同じく……?」
「今はこの件はいいでしょう? 理事長先生、後はしかるべき設備と場所、レイスさんが持ち帰った情報を元に術式を組み上げる事に集中しましょう。私が出来るのは……あくまで完成手前でぶつかる壁を越えさせる事だけ。そこまで術式を組み上げられるのは、リュエさんとレイスさんだけ。そしてそれには膨大な魔力の集まる地が必要なのですから」
「……分かりました。オーストラリアの植樹地跡地にある軍事基地。今は放棄されていますが使えるように手配します」
「なら俺は資金を集める。魔力を集中させるにも設備の改修が必要だろう。全ての力で世界中の富豪から金を搾り取ってきてやる」
「助かります。リュエさん、ではすぐに出立の準備を」
「うん、そうだね。時間は有限……時間がたつほど可能性は低くなるもん」
「私は、今しばらくイクシアと共にいます。必要になったらお呼びください」
人知を超えた人間達が、協力して一つの奇跡を起こそうと奔走する。
それは『終わりの後』の為。幸福な結末を『後付け』する為に。
「初めに説明していれば、余計な争いは生まれなかったのではないですか?」
「可能性は極めて低い。そして打算目的で動けば、世界に誠意を示す事は出来ない。何よりも……不確定な希望をちらつかせて、それが叶わなかった時の失望と絶望を……子供に味わわせたくはない。子供を持った事がないお前には分からない親心ってヤツだ」
「一言余計です。ですが気持ちは分かりました。秘密裏に事を運ぶように手配します」
「俺は……あの子に何も残してやれなかった。気を遣わせるだけの父親だった。その上、ようやく手に入れたかけがえのない物まで取り上げた。だから、この償いは死んでも成功させる」
全ての布石を、回収する為に。
偉大な英雄に報いる為に。
大切な娘に再び笑ってもらう為に。
かつて英雄だった者達の、最後の戦いが静かに始まる。
(´・ω・`)ホソハさんは仕上げ専門の凄い人 仕上げはお母さん(くそ古ネタ




