第二百九十一話
生徒達が慟哭の主を探し、島に新たに誕生した平原へと向かう。
そして見つける。草原に一人座り込み、まるで子供の用に泣きじゃくり、時折空を見上げながら、大きな口を開けて泣き叫ぶイクシアの姿を。
「あぁぁ……ああああ! ユウキ!! ユウキィ!!! 私の……私の!!!」
同じ言葉を繰り返す。失った我が子の名を繰り返す。
そして――もう一人の元へ、仇の元へ駆け出した。
「返せ!!!! 私の子供を!!! 返せ!!! この……悪魔!!! よくも……よくも私の……ユウキを殺し……絶対に殺してやる!!!!!!」
激しすぎる叫びと共に、イクシアは死力を振り絞り、青い炎の剣を生み出す。
かつて……その魔導をイクシアは自ら『ウルトリクスイグニス』と名付けた。
その言葉の意味は『復讐者の炎』。今、まさにその魔導が本懐を果たそうとしていた。
「死ね! 死ね! 死ね!!! 殺してやる……! 私もお前を殺してやる!」
幾度となく、焼かれ、突き刺さる。
人の焼ける異臭を周囲に放ちながら、イクシアは蒼炎の剣を幾度となく魔王……BBの肉体に突き刺していた。
もう、魔王である姿を解除し、ただのBBとして……人間としての力しか持たないBBへと。
それが、何を意味するのか。
万難を受け、あらゆる攻撃をその身に浴びても瞬く間に癒えてしまう力を解除していたBBは、自分の娘の怒りを、嘆きを、絶望を全て、真正面から受け止めていた。
だがそれでも、BBは生きていた。あまりにも、その存在そのものが強すぎて。
だが確実に迫りくる死を受け入れ、自分の娘の剣を、受け入れていたのだった。
「……殺しても良い。だからお前は死ぬな、イクシア」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ! 私の名前を呼ぶな!!!!」
普段の様子からは決して想像できない、イクシアの暴虐性、残虐性。
だが、それでも失われない知性と理性が、この蛮行を、少しずつ弱めていく。
無数の傷と焦げ。蒸発する血の匂い。足元に広がる血の泥濘。
ようやく、イクシアは自分がしている事がなんなのか、自分の周りに広がる光景がなんなのか、理解し始めた。
「……わ、分かっている。分かっているんです。貴方が……間違っていない事なんて……最初から全て……それでも、この感情は、この憎しみは……消えない……消えてくれない」
「……どちらが良い?」
「え……?」
命の輝きを失いつつあるBBが、ヘルメット越しに呟く。
「……永遠に死なない、ずっと怒りをぶつけ続けられる対象か、それともここで……母親に討ち取られて死ぬ仇か。どちらが良いか聞いているんだ。俺は、それに従おう」
「な……あ……傷が……消えない……!?」
「これが、娘の大切な子供を奪った、今の俺に出来る唯一の償いだ」
殺されても構わないと。それで、少しでも癒される心があるのなら、と。
生殺与奪をイクシアに委ねるBB。
だが、その言葉にイクシアは再び発狂する。
「ああああああああああああ!!! そうじゃない! そうじゃない! そうじゃない! 何も! 何も! 何の解決にもならないんです!!!! 気持ちが晴れる事なんてないんです!!! 貴方は正しかった、全部、正しかった! では間違っていたのは私なんですか!? 息子が死ぬのを防ごうとする私は、間違っていたのですか!!!!」
「……間違っていない。間違っていなくとも……やらなければいけない時は来る」
既に、理解しているのだ。ササハラユウキの存在が世界に許容されていない事は。
全てが手遅れで、最初から決まっていた事である事も、それしか手段がなかった事も。
それでも感情が爆発し、抑えきれず、嘆き、苦しみ、そこから逃れようと暴走するのだ。
ただの八つ当たりだと理解した上で、ひたすらBBへと攻撃していたのだ。
「なんで……ユウキが……死んで……私だけ……生きてるんです……」
「……絶対にお前は死なせない。決して後を追おうとは考えるな、イクシア」
「……こんな世界……ユウキがいない世界なんて……」
「彼は、俺に最後にこう頼んだんだ。『絶対に後を追わせないで』と」
息子の最期の願い。それを破ろうとしているのが自分だという事実とジレンマ。
「何故……どうして……どうして……」
力なく引き下がり、悲しみにくれ、イクシアはフラフラと後ずさる。
「イクシアさん! 大丈夫ですか!?」
その時、島の探索に来た生徒達がイクシアに駆け寄り、BBを警戒しながら距離を取る。
「イクシアさん! 大丈夫ですか!? ユウキはどこに!?」
カイが、イクシアにその質問をする。残酷な、その質問をする。
その質問に、イクシアは答えることが出来ないでいた。
答えてしまったら、その事実を受け入れてしまいそうで。
息子の死を認めてしまうようで。
「……僕が、殺したよ。世界は、これで救われた」
代わりに答えるBB。そして、薄々この事実を察していた生徒達は、一斉に膝から崩れ落ちた。
「……俺は、怒ればいいのか、それとも悲しめばいいのか、はたまた世界の無事を喜べばいいのか……貴方を憎めばいいのか、もう何も分からない……」
ショウスケが、皆の気持ちを代弁するかのように、BBに向かい語る。
「……他に、本当に道はなかったのですか」
「なかった。間違いなく、なかった。誰かがやらなければいけないのなら、その役目を担うのは僕しかいなかった。だから、彼を殺した。唯一、彼の愛した世界を救う方法がこれだった」
まるで、自分に言い聞かせるように、BBはショウスケの質問に答える。
そこに、確かに人の感情が、心が見えていた事に……ショウスケは留飲を下げる。
「嘘だ……ユウキ君なら、なんだかんだで勝っちゃって、それで普通に戻ってくるって思ってたんだよ、僕。嘘だろ……嘘だって言えよ……嘘だって言え! BB!」
クラスの誰もが見た事も聞いたこともない、声を荒げ怒りを露わにするカナメ。
絶対的なユウキへの信頼が、初めて裏切られた事の衝撃が、カナメを狂わせる。
だが、ここで一番辛い人間が、自分ではないと知っていたからだろう。
カナメは大人しく、自分の怒りを押しとどめ、構えはじめた武器を引く。
世界が正常な状態に戻った事は誰の目にも明らかだった。
それが、ユウキの犠牲の上だとしても、喜ばしい事なのだと、皆理解していた。
イクシアでさえも、頭では分かっているのだ。自分の父が正しかったのだと、分かっているのだ。しかしそれでも、心が、受け付けない。だからこそ、苦しみ、どこかに吐き出そうとあがき続けているのだ。
「殺してやる……殺してやる殺してやる……絶対に……いつか私がこの手で……」
呪詛の言葉で、心が軽くなってくれると信じているかのように、生徒に庇われながら引きはがされたイクシアは、BBを睨みつけながら呟き続けていた。
そのあまりにも痛々しい姿に……コウネが、イクシアの両肩を強く掴み、自分の正面へと向き直させる。
「イクシアさん。もう、やめてください。ユウキ君が悲しみます。私も、悲しみます。ユウキ君とイクシアさんを知る人がみんな、悲しみます。ユウキ君は、いつだって優しくて強いイクシアさんを、誰よりも愛していたのに、こんな風になってしまったら……絶対に悲しみます」
「でも! でもそのユウキが! もう、どこにもいないんですよ!?」
「それでも、私は……イクシアさんを止めます、言い聞かせ続けます。ユウキ君なら絶対にそうするから! ユウキ君に誇れない自分には絶対になりたくないから!」
イクシアと同じ程に。否、もしかすればそれ以上にユウキを愛していたコウネの言葉は、他人よりも少しだけ重く、イクシアを打ちのめす。
そして自分が今、なんと愚かしく、みっともなく、情けなく、無様で恥ずかしい姿なのかを再認識するイクシア。
だがそれでも受け入れられず、黙り込むことしか出来なかった。
痛い程の沈黙が、島を包み込んでいた。
一人、静かに咽び泣くイクシアを目に、誰も一言も発せずにいた。
やがて……暮れ行く空を見上げながら、カイがポツリと呟いた。
「……俺達、これからどうなるんだろうな」
「どうやら通信機も通じねぇみたいだからな。救助が来ないなら……なんとかここから脱出しねぇと。幸い、大体の場所は分かる」
カイの呟きにアラリエルが答えた時だった。
波の音に紛れて、かん高いエンジン音が空から響いてきた。
グランディアにおいて、空を飛ぶことが許されているのは魔神龍だけ。
だが例外として、飛行機でこの世界を移動する人物を、一同は知っていた。
「あれは理事長の飛行機……ですわね」
飛行機にしては奇抜なデザインのそれが、ゆっくりと島に着陸する。
無論、降り立つのはリョウカのみ。
自ら操縦し、この異常事態が解決した際に現れた、異界からノースレシアに返還された地の境界線上を探っていたのであった。
「皆さん! ご無事ですか!」
「理事長先生!」
現れたリョウカに、生徒達が一斉に駆け寄る。
だが、そこにユウキの姿がない事と、離れた場所で蹲るイクシア、そして一人島の端で海を眺めているBBの姿を確認し、リョウカは静かに……全ての事情を察したのだった。
「……」
リョウカは無言で、イクシアの元へ向かう。
「イクシアさん……」
「リョウカさん……ユウキが……」
子を失い、失意に沈む母親に言葉を掛ける。
「……この結末に……至ってしまいましたか……」
「……知っていたんですか、リョウカさんは」
「……あの男についてですか」
イクシアの質問に、リョウカはただ視線をBBに向けながら聞き返す。
「……全て、です。この結末も……あの人の事も」
「……そうならないように、願い動いてきました」
「……そうですか」
「イクシアさん、飛行機へ。皆さんも乗っていてください。私は少々……やる事があります」
そう言って、リョウカは島の端に一人佇むBBの元へ向かっていく。
まさか、あの男も飛行機に同乗させるのかと、ハラハラしながら様子を窺う一同。
「BB。この度の働き、感謝致します。異界の暴走とも呼べる、今回の未曽有の危機。グランディア、地球共に貴方に救われたと言っても過言ではありません」
淡々と、事務的に用件を話すリョウカ。
それにBBは反応する事もなく、ただ受け入れる。
「ですが、残念ながら貴方の活躍は、誰にも伝える事は出来ません。SSクラスの生徒達の活躍として、全世界に発信する予定です。構いませんか?」
「……当然だ。生徒達は、この事件の首謀者である原理回帰教を打ち倒し、世界を破滅へと導く術式を停止させた。そこに何の嘘もない」
「ええ、そうなのでしょうね。そして……『英雄ササハラユウキは異界発生の原因を突き止め、元凶を討ち滅ぼし、異界の消滅と共に行方知れずとなった』のですね」
それは、リョウカが『あらかじめ用意していたエピソード』だった。
「……そう、世界に発表してくれ」
「分かりました。では最後に――」
その瞬間、猛烈な拳がBBの腹部に吸い込まれる。
鈍い音と衝撃波が、飛行機を揺らす程の一撃がBBに叩き込まれた。
「ガハッ」
「ヘルメットを被っているので平手打ちは勘弁してあげましょう。本来であれば、私の生徒を殺した貴方はここで私に殺されても文句は言えなかった。私からは以上です」
「……わ、分かった……」
そうして、リョウカは飛行機を操縦し島を発つ。
生徒を、悲しみにくれるイクシアを乗せて――
「……このような筋書きを……予め用意していた私こそ、本当の人でなしなのでしょうね……本当に私は人じゃない、畜生のような存在。まさしく『豚』じゃないですか――」
孤島に一人残されたBBは、空と海の境界線、地平線を眺め一人呟いた。
「……嫌だな。嫌な事を引き受けるのは……嫌だな」
至極当たり前で、当然の事を今更呟く。
それは一人だから、ようやく口に出すことが出来た彼の本心、自分の人生に対する愚痴、だったのかもしれない。
世界の為、友人をその手にかけ、罪を背負い憎まれる。
それを嫌な事と思えるくらいには、まだ人としての感情が残っているのだから。
その時、島全体が唐突に影に包まれた。
巨大な影が、周囲の海ごと辺りを飲み込み、その主である存在が空より舞い降りてくる。
『此度のご帰還、嬉しく存じます、我が主よ』
魔神龍と呼ばれるグランディアの守護神の到来。
その存在が、恭しく頭を垂れる。
「『ケーニッヒ』か。相変わらず大きいな、以前の姿には戻れないのか?」
『無論可能です』
もはや、何処にも伝わっていない、魔神龍の名前が呼ばれる。
すると光に包まれ、身体が先ほど飛び立った飛行機と変わらない程度の大きさとなる。
「懐かしい姿だよ、ケーニッヒ」
『はい。私も懐かしゅう御座います』
「なぁ、ケーニッヒ。お前は俺よりも遥かに長い時間、この世界を見守り続けて来たんだよな」
『はい。主亡き後、この世界を荒らそうとする輩を、空より排除して参りました』
「そうか。なぁ、この世界は成長していると思うか?」
問う。本来であれば、自分よりも遥かに神聖で、長く生きて来た神にも等しい存在に。
『私には分かりかねます。ですが――』
ケーニッヒは、かつて主と共に駆け抜けた旅を思い返す。
主無き後の世に残された日々を思い返す。
そして、BBの問いに答えた。
『見ていて、飽きはしません。とても面白き世界かと』
「そうか。良い答えだ、ケーニッヒ。人と距離を取って生きてきたお前が、それでも面白いと感じるか。それは……なかなか素敵な世界だ」
そうして満足そうな笑みをヘルメットの下で浮かべる。
するとその時、再び島の上空を大きな影が覆い隠した。
先程より少しだけ小さい、美しい白い鱗を輝かせる龍が降り立つ。
「なんだ……お前も来たのか『白竜様』」
『なによう、名前で呼びなさいよ。この姿だとダメかしら?』
「で、なんの用だ? “ファルニル”」
すると、白竜の姿も光に包まれ、先程までの龍と同じ色の髪と翼をはやした、ローブ姿のドラゴニアの女性が現れた。
「どうなったのか聞きに来たの。これでも一応、大陸一つを守護している立場だもの。事の顛末を……あの男の子の結末をしっかりと聞いておきたいの」
「なんだ、やっぱりお前、ユウキ君と知り合いだったのか」
「ええ、一度会っただけだけどね、凄く気に入ったわ。だから助言もしたし……あの子の武器に私の逆鱗を一枚、提供したの」
「その事には感謝する。お陰で……彼は英雄としての本懐を果たすことが出来た」
「そう。それで……あの子は最後に貴方と戦ったのね?」
「分かるか」
「もちろん。たっぷり私の気配が貴方に纏わりついているもの。……いつか、あの子は世界に仇をなすと思っていたわ。でも、よりによって貴方と戦う事になるなんてね」
彼女は大げさにため息を吐いて見せる。だがその瞳は、BBへの叱責を含んでいるようだった。
「でも、あの子は世界に対して正直に生き抜いたのよね? 途中で折れたりせず……貴方に挑み続けたのよね? 貪欲に、この世界に食らいつこうと、ここにいようとあがいたのよね?」
「何を言っている。お前……ユウキ君に何を言った」
「少しだけ助言をしたの。あの子の未来は……どう転がっても破滅だったから。だから少しでも悔いなく、世界に認められるように、強く生きてほしいと願っただけ」
「……凄いな。俺より先にこの結末を……その先まで見据えていたのか」
「伊達に貴方の三倍は生きていないわよ。これくらい、予想出来るわ」
「そうか。そうだ、彼はしっかり世界の為に、残る為に足掻いた結果、俺と戦ったんだ」
「ええ、そうよ。カイヴォン? 貴方随分と辛そうじゃない? ねぇ、魔神龍さん? 貴方の主はどうしてこんなに落ち込んでいるのかしら?」
全てを見通せたとしても、人ではないから。人の気持ちに疎いから。
それが人である事を止めた人間と、人の身のまま大いなる力を行使する者の違い。
『白竜殿、主は傷心故にあまり詮索しないで下さい』
「そうなの? 慰めるわよ? 私、まだ美人で通るくらいには若々しいわよ?」
「今さっき三倍生きてるって言ったばかりだろうが。……そもそも、俺は妻を裏切りはせんよ。気持ちだけ受け取っておく」
「なによう。まぁ、いいわ。あの子は貴方が殺した。その事を悔いているのなら、忘れないでいてあげなさい。あの子、いい子だったわ。だからきっと、本来なら救われるべきだったと私は思うもの。だから貴方はあの子の為に残りの人生を使うと良いんじゃないかしら?」
そう無責任に言い放つファルニル。
「それは『ここから失敗した場合』の話だ。後は俺の領分じゃない。今は信じるしかないさ」
「なによ、やっぱり貴方優しいんじゃない。まぁそうよね、私を生かすくらいだもの。きっと、その優しさは報われるわよ? 私の予見は中々当たるんだから」
こうして、後に『異界化事変』と呼ばれる、両世界を襲った未曽有の危機は、英雄の消失という結果を残し、終結したのだった――
(´・ω・`)




