第二百九十話
「ユウキ! テメェなんのつもりだ! 逃げろってのか!?」
「いいからみんな! 今すぐ異界から脱出するんだよ!」
次元の裂け目。セリアさんとサトミさんを逃がした裂け目に、クラスメイトみんなを強引に押し込む。
「どうして! どうしてですか! 一緒に戦うんじゃなかったんですか!」
「ダメなんだ、ダメなんだもう! みんな今すぐこから退避するんだ!」
たった今まで、最後までみんなと戦うと決意したばかりだというのに、俺はみんなを裏切るように、この戦いから離脱させていく。
みんなごめん。でも、俺は間違ってたんだ。
さっきまで、呪術で自分を強化したBBを『魔王にも匹敵する威圧感』と表現した。
でも違った。そもそも……俺は原初の魔王に『敵意を向けられたことなどなかった』んだ。
ただ、話をした時に感じた威圧感が、本気のBBと同じだっただけなんだ。
俺には分かる。BBが今、何をしようとしているのか……いや違う。
『ナニになろうとしているのか』。
「俺も……ここに飛び込んで逃げたら……ダメだよな」
きっと、追いかけてくる。俺を殺すために。
そして必ず……みんなは一緒に戦ってくれる。
殺されると分かっていても。
「そりゃ流石にダメに決まってる。あとはイクシアさんだ! イクシアさん! 急いでこっちに――」
イクシアさんの方を振り返る。
するとそこには、イクシアさんが……力なく地面に座り込み、呆然と空を見上げている姿があった。
視線の先に、俺は見た。
BBという仮の姿を捨てた……あの姿を。
取り戻してしまったのだ。BBは、自らの呪術で異界に満ちた膨大な魔力を利用して。
セイメイの作戦により失ってしまった……原初の魔王の力を。
魔王カイヴォンの力を。
「イクシアさん! 急いでこっちに!」
イクシアさんだけでも急いで異界から脱出してもらおうと呼びかける。
だけど……彼女はへたり込むように地面から動けないでいた。
そのいつもとは違う様子に、急ぎ迎えに行くも――
「ユウキ……これは……私では助けられないかもしれません……ユウキだけでも逃げて……」
「逃げるのはイクシアさんです! 俺が……ここで逃げたら必ず追いかけてくる……!」
「ダメですよ……勝てないんです、彼には……」
そんな事……俺だって分かってる。
「万が一にも、君に逃げられる訳にはいかない。イクシア、悪く思うな。逃げなかった……自分を恨め」
空中からそう告げられると、次の瞬間、異界から逃れる為の裂け目が、完全に破壊され、近づくことが出来ないようにされてしまった。
クソ……イクシアさんをこの戦いに巻き込む事に――
「あ、ああ――何故……何故なんですか! この子が、この子が本当に……本当に殺す必要のある存在だと言うのですか!!! 私の、私の子なのですよ!?」
「イクシアさん……?」
何故か、先ほどまでとはイクシアさんの物言いが変化した。
どこか情に訴えかけるような、説得を試みるような物になり、口調も代わっていた。
いや、生前の彼女とBB、魔王カイヴォンは顔見知りである可能性があるんだったよな……。
同じ城で過ごした時期もあったという話だし……。
「くどい。ササハラユウキにはここで必ず死んでもらう。これしか手段は残されていない。可能性も、延命策も、全て考えた上での結論だ」
「そんな……お母様達も……全て知っているのですか……?」
「……そうだ。だからイクシア、我儘を……言わないでくれ」
何かが、おかしかった。
魔王カイヴォンの様子も、イクシアさんも。
どこか信頼や信用、言葉を裏付けるだけの何かが二人の間にあるような、やりとりだった。
「イクシアさん……魔王カイヴォンと顔見知りだったんですか……?」
「……はい。私は……この人の力を誰よりも知っています……」
空に浮かぶ魔王を見上げながら、イクシアさんは、吐き出すように、重たい気持ちを外に出すように語った。
「魔王カイヴォンは――私の父です」
「な!? え!?」
知り合いなのは予想出来ていた。が、これは流石に……予想外すぎるんだけど……。
え、だって種族も違うし……。
「ササハラユウキ。血の繋がりの有無が関係ない事など、お前が誰よりも分かっているはずだ」
「そ、それは……その通りです」
「イクシアは、紛れもない私の娘だ。故に本来、ここまで曝け出し戦うつもりもなかった。こうなる前に終わらせるつもりだった。しかしここまで追い詰められたのも事実だ。故に、原初の魔王として、ササハラユウキ――」
魔王が、地上に降り立つ。
明確な敵意をこちらに向け、近づいてくる。
頭が割れそうだ。心臓が痛い。手足の感覚が消えてきている。
恐くて恐くて、叫びだしそうになるのに、それをすると死んでしまうようで。
「お前をこの世界から抹消する」
瞬間、俺は後ろに飛び退った。
それが、間に合わなかった。
「ガ……グ……ッァ……ァ」
首が、掴みとられる。
ゆっくりと、身体が持ち上げられ、空へと運ばれていく。
呼吸が、出来なくなる。
もがけどもがけど、手が緩む事がなかった。
手足が、自由に動かなかった。
「ユウキ! ユウキ!!!!」
「ィ……ァ……」
地上から、イクシアさんの声が響く。
飛び上がろうとする彼女の姿が、見えた。
「そこでじっとしていろ」
目の前で魔王がそう命じると、イクシアさんが地面に縫い付けられるように、飛び上がれずに動きを止めてしまっていた。
俺にだって分かる。再現も何もない。
これは勝負にならない。成立しない対面なんだと。
再現なら、魔王を倒すのは主人公の役目だ。俺にだって勝機はある。
この再現の力を、誰が、何が俺に与えた力なのかは分からないけれど、一つだけはっきり分かる事がある。
……どんな存在かは分からないが『今目の前にいるこの魔王よりも格下の存在』だと。
そうだ、そうなのだ。セイメイですら、力を封じる事しか出来なかったのだから。
この魔王を、BBを、ヨシキさんを弱体化させる事しか出来なかったんだ。
メタって対策して、不意打ちして、そこまでして弱体化しか出来なかったのだから。
「……まだ、戦う意思があるか、ササハラユウキ」
首を掴まれ、空に宙づりにされて、それでもなお意思を訊ねるのは何故だ。
勝負はもう決まっているのだと俺でも分かるのに、何故意思の確認なんて取る必要がある。
「た……たか……う」
「……そうか」
満足そうに、笑った気がした。
黒に赤が浮かぶ魔眼。恐ろし気な片目を隠す仮面。二対の翼。黄金の角。銀の髪。
全てが『自分が魔王だ』と主張しているかのような、そんな存在。
そんな相手が、戦う意思に喜んでいた。
それが、なによりも不気味で恐ろしかった。
「なら、戦え」
「っ! は…はぁ……これは……」
唐突に空中で首から手を離されるも、地上に落ちる事はなかった。
空中に、透明な足場が出来ていた。
それはまるで、空に浮かぶガラスの水槽のようだと感じた。
決して外から干渉できない、二人きりの最終決戦だと宣言しているように感じた。
「数ある力の一つだ。もう邪魔は入らん。己の血を、存在を賭けた決闘だ。何人たりとも邪魔をすることは出来ん。神聖な、最後の戦いだ。もう搦め手は使わん」
「同音異義の力……血統決闘……ってところですか」
「クク、頭の回転が速いのは変わらずか」
勝てなくとも、分かる事がある。
たぶん、これは……ケジメなのだと。
挑んだ人間の、責任を果たす為なのだと。
ここまで追い込んだ俺が、最後の最後で逃げるなんて、一方的に殺されるだけだなんて許さないという『優しさ』なのだと。
「全力で行く。私が全力で挑む人間は、君で二人目だ」
「……光栄です、原初の魔王」
抜刀の構えを、最も得意で、一番憧れて、真っ先に再現したかったキャラクターになり切る。
魔王も、虚空から剣を取り出した。
魔法で生み出した剣ではない。どこか彼に不釣合な、綺麗な空色の、澄んだ色の美しい大剣。
きっと、あれこそが彼の本来の武器、なのかもしれない――
空に浮かぶ決戦の地。
ヒビだらけの空、まだら模様にも見える程裂け目が出来た空。
イクシアはそこを見上げ、なぜ自分はあの場所に立てないのかと、息子の隣で共に立ち向かえないのだと、一人嘆き、叫び、懇願していた。
「お父様! お願いします! お願いします! 私の……私の息子を奪わないで! どうか……どうか……」
魔法で駆けつける事も出来ない。回復の薬も既に失っている。
絶対の死が息子を襲うのを、ただ見ている事しか出来ないでいた。
「何を……話しているの……ユウキ……」
言葉を交わしている様子が彼女にも見えた。
互いに剣を構えている姿も見えた。
これがれっきとした一騎打ちであり、対等な条件だという事は、彼女にも理解出来た。
それでも、息子の勝利を信じる事が、彼女には出来なかった。
誰よりも父の強さを知っているが故に、息子の勝利を微塵も信じられなかった。
やがて……二つの影が交差した――
「……あ」
「…………よく、ここまで戦ったな」
勝負は一瞬だった。
同時に駆ける二人の剣士、英雄と魔王は、互いの身体が交差する刹那、勝負を決していた。
抜刀術を放ち、それが魔王へと吸い込まれていくと思われた。
その抜刀を、魔王は打ち払い、自身の一撃を叩き込むのかと思われた。
「……勝負は成立しないんじゃないですか、やっぱり」
放たれた一撃は、魔王に吸い込まれるのではなく、皮膚で止まっていた。
皮一枚切り裂けたと思われた一撃は、その刹那に癒され、跡すら残されていなかった。
同時に放たれた攻撃、『両者共に命中した渾身の一撃』。
魔王の一撃は、ユウキを大きく切り裂き、一瞬で戦闘不能の、致命傷を与えていた。
「……言い残す事はあるか」
「イクシアさんを頼みます。絶対……後を追わせないで」
「……ああ、分かった」
もはや痛みすら感じられないのだろう。
魔王の腕の中、グランディアでの青年の姿が、徐々に小さく、幼くなっていく。
「何か、他の再現で私を殺す事も出来たかもしれない。何故しなかった」
「……絶対殺す能力とか……たぶん、意味がないと思ったから……」
「……正解だ。今の私は……殺すとか、そういう類のモノじゃない」
「参ったなぁ……それでも殺せそうな能力、心当たりがあったんだけどなぁ……」
「……あのシリーズなら知っている。君は世代ではないと思ったのだがな」
「あれ……リメイクされるらしいですよ。その前にこっちに来ちゃったんですけど……予習済みです」
「む……あれは一八禁作品じゃなかったのか? 君は当時一八未満だろ」
命が散る間際。それを感じさせない、どこか世間話にも似た和やかな時間。
それを惜しむように、魔王と英雄の会話が、たどたどしく続く。
「あれ……そうなんですか……ただのノベルゲーム……でしたよ……」
「……そうか、きっとそういう時代なんだろうな」
「はい……たくさん……いろんな作品が……出てて……でも……この世界の方が……ずっとずっと……楽しくて……」
「……ああ、そうだな」
腕の中。子供と見紛う身体の、小さな英雄。
見守る魔王は何を思うのか。
流す涙は、何に向けられた物なのか。
「最後に……イクシアさんに会わせてもらえませんか……」
「それは……出来ない。君が何を狙っているのか分からない、信用もしていない。イクシアが君を救う手立てを持っているかもしれない。何より……娘に、消えない傷を残したくない」
最後の願いを聞き届ける事はないという言葉。
それでも、ユウキは魔王の腕の中、満足そうに笑っていた。
「世界を……頼みます」
「ああ、任せろ。だから……安心して逝くんだ」
「……なんで、勝ったのに……辛そうなんですか」
「友人をこの手で殺したのは二度目だ。そう、慣れるような事じゃない」
命が、腕の中で消えていく。
幼さの残る英雄を、過去の魔王が殺す。
それは決して正義の行いとは呼べない蛮行であるはずの行為。
だがそれでも……世界は、救われた。
世界という器を強引に内から押し広げていた存在の消失により、世界は急激に修復を始めていた。
地球も、グランディアも、両世界に広がる無数のヒビも裂け目も、消えていく。
無論……異界という狭間の地も、本来あるべき姿へと、ノースレシアへと還っていく。
「ユウキ君。最後に……俺は祈ろう。君の『幸運』を、あるべき場所に還る事を」
「……」
こくりと、小さく頷く英雄。
その小さな身体を静かに横たえると、魔王はそこに手をかざした。
「あるべき場所へ還れ……『ヘヴンリー・フレイム』」
空に浮かぶ決戦の地から、空の彼方へ向かい極大の黒炎が巻き上がる。
一切合切を、肉体も魂も全て、空の彼方へと、次元の彼方へと、燃やし届けるように。
そして……異界が消える。
「……後は、俺の領分ではない。俺に出来る事は責任を果たす事だけだ」
気が付けば、魔王は地面に足をつけ、ヒビのない空を見上げていた。
濃い青でもない、平凡で、どこにでもある、けれども美しく平和な青空を。
異界は消滅した。本来の場所に、ノースレシアから失われた北部に、その海に浮かぶ孤島に、魔王は立ち尽くし……『その慟哭』を聞いていた。
異界にて次元の割れ目に押し込まれ、グランディアに逃れたSSクラスの生徒達は、その変化に戸惑いながらも、自分達が無事だと言う事に安堵していた。
「みんな!? どうしたの、ユウキは!?」
先にサトミと共に避難していたセリアは、突然現れたクラスメイト達に驚きながらも、状況を確認する。
皆、傷を負っている様子はない。だが明らかに焦っている様子に、セリアは言いようのない不安を抱く。
「ユウキが突然! 俺達全員をここに退避させたんだ! BBが……何か術を使おうとしていたんだと思う。凄い、何か得体のしれないプレッシャーを感じた」
「ユウキ君は……何か勘づいたのだろうか。彼が緊急避難を強引に進めた以上、それだけの事態だったとは思うが……」
口々に、異界で緊急事態が起きたと知らされるも、セリアは当の本人であるユウキも、イクシアも一向に現れない事に焦り始めていた。
「セリアさん、サトミさんは無事なのだろうか……」
「うん……今は眠ってる。元々、インサニティフェニックスを宿していた子だもん、回復の効きはかなり良いみたい。でも……」
「ユウキ……恐らく、まだ戦っているのだろうな……く……俺達を逃がしておいて自分だけ!」
ショウスケは、古なじみであるサトミの様子を伺いながらも、同じく古なじみであるユウキが現れない事に憤り、己の無力さを嘆いていた。
無論、それは他の全員も同じ事。
あの死闘を、激闘を戦い抜いてきた自分達を逃がし、イクシアと二人でまだ戦っているかもしれないユウキに、怒りにも悲しみにも似た思いを抱いていた。
「なんだか……おかしいです。皆さん、なんだか……空気が変わったような気がしませんか」
それから一時間もしないうちに、真っ先に異常に気が付いたのはコウネだった。
自分達が今いるのは、どこかの岸に近い小島。
潮の香が強い場所だったはずなのに、それが唐突に途切れ、弱まる。
まるで海が減ったような、陸地が増えたような、そんな弱まり方を感じたコウネは周囲に確認を取ったのだ。
「え、これ……魔力の濃度が上がって来てる……」
「おい空を見ろお前ら!!! ヒビが……空のヒビが消えていってやがるぞ!?」
異常事態が解決に向かっているかのような光景。
それが何を意味しているのか、皆、考えが及びそうになるのを必死に堪えているようだった。
「ねぇ……僕の勘違いじゃないなら、この島……さっきより広がってない?」
「なに言ってんだよカナメ……そんな訳……」
カナメの見ている方向に視線を向けるカイ。
すると、そこに広がっていたはずの海が、遠のいていた。
島が、一回り以上大きくなっていたのだ。
「な……これは……どういう現象なんだ……」
「異界で……何かが起きたという事ですわよね……」
異常な光景を目の当たりにし、顔を見合わせるSSクラスの生徒達。
だが次の瞬間――島中に響き渡る何者かの慟哭に――最悪の事態を想像したのだった。
(´・ω・`)痛みに耐えてよく頑張った、感動した(くっそ古いネタ




