第二十八話
「四日間も……ですか?」
「とは言っても、初日と最終日はほぼ移動がメインですけどね」
「移動というと、そんな遠くへ向かう任務なんですか?」
「ですね。海上にある、ゲートから漏れた魔力を集めて、遠くの国に供給する施設に――」
「海上ですって!?」
夜。今日の学園での出来事を振り返りながら、今月の実務の内容を話していた時、出向く先の話をした瞬間、イクシアさんが声を荒らげた。
「だ、ダメです! 海の上だなんてそんな……孤立無援、助けも近づけない、そんな危険な場所にユウキが出向くなんて……!」
「大袈裟ですよ、イクシアさん。だってゲートの近くですし、言い方を変えれば、今この世界で最も厳重な場所でもあるんですよ? きっと俺達も知らないような凄い道具もあるでしょうし、それでもしもの時の対策もばっちりですよ」
たぶん。そういえばイクシアさん……海があまり好きじゃないみたいな事言っていたような……九死に一生を得たみたいな……。
「そ、そうなんですか……? しかし……くれぐれも気を付けてください。いいですか、海に落ちた時は、慌てずに重たいものを手放して力を抜いて……」
イクシアさんの水難防止術を聞きながら、いつも以上に心配する彼女が、なんだか可愛いな、なんて考えていたんですが、ちょっと不謹慎だっただろうか。
「はい、気を付けます。さ、食べちゃいましょう。冷めたらもったいないですし」
「それもそうですね。どうでしょうか? から揚げは作った事がありますが、このテンプラと言う物は」
「美味しいですよ。サクサクですし、油っぽくないですし」
「ふふ、それはよかった。BBチャンネルおすすめのテンプラコという物を使いました。あむ…………このハーブは美味しいですね……独特の風味が癖になります」
嬉しそうに、サクサクとシソの天ぷらを食べる姿を眺める。うむ、眼福眼福。
翌日、やはり微妙な空気が残っている学園ではあるが、もう近寄って来る女子はいなくなっていた。香月さん様様である。
けど実際問題、本格的に俺を取り込もうと動き出したら、絶対にどこかの段階で秋宮とぶつかる事になるのだし、どう頑張っても特定の家や企業が俺を手中に収めるっていうのは無理だったのではないだろうか?
そんなこんなで、約一カ月ぶりに自由に校内を動けた俺は、実務研修で学園を空ける分、集中的に単位を取得するべく、一日をみっちり使い、今週最後の一日を過ごしたのだった。
なお、今日のお弁当は昨日の天ぷらの余りを卵で固めた物だった。
これ、下手したら天ぷらそのものより美味しいんだけど。
コウネさんも凄い喜んでいたし。ていうか少ないおかずを奪うのはやめてください。
土曜日。今日が約束していた、USH社のデバイス専門店へと向かう日。
俺は事前に約束した午前九時に学園正門へとやって来ていた。
イクシアさんも同行しないかな、と思い誘ったのだが、今日は裏の町で最近よくお話する、所謂ママ友? の人達と一緒にお茶をするのだそうな。
うむうむ、独自のコミュニティーを作っていっているし、イクシアさんもここでの生活に随分慣れたみたいだ。
と、その時。休日の学園正門へと一台の車、所謂黒塗りの高級車が現れた。
よかった、リムジンじゃなかった。アレ物凄く人目を惹くんだよね。
近づいてきたその高級車が門の前で止まる。きっとこれが迎えの車なのだと思ったのだが……そこで、俺は大きく予想を外されてしまった。
「お待たせ。少し待たせてしまったかしら?」
「えっ! あ、あれ? 香月さん、車の免許持っていたんだ」
そう。運転席から現れたのは、香月さんご本人だったのだ。
運転手なんてどこにもいない。まさしく自分一人でやってきたのである。
「ええ。高校のうちに取得しました。安心なさい、これでもそれなりに運転経験はありますので。後ろの席に乗って下さる? 助手席は少々荷物が多くて」
「おお……同年代の車に乗るの、初めてだ俺。じゃあ今日はよろしくお願いします」
「ふふ、そう。では安全運転で行きますわね」
人の車に乗る時、妙に緊張してしまうことってあるよね。それがましてや、クラスメイトのお嬢様の高級車ともなると……やばい、めっちゃ緊張する。
「ふふ、そう硬くならないでササハラ君。楽にしていいわ」
「いやぁ……でもやっぱり緊張するよ」
「そういうものなのかしら? あ、でも考えてみたら、私も同世代を自分の運転する車に乗せるのは初めてでしたわね。そう考えると、やはり少し緊張する物……なのかしら」
その後も、香月さんは特に緊張した様子も見せず、自然体のまま海上都市内を運転していく。なんだか、同年代なのにこんな風に運転する姿が、妙にかっこよく映った。
車はそのままショッピング区画の手前にある、オフィス街向けのパーキングエリアへと向かい、そこの立体駐車場に停められた。
ここからは徒歩らしいのだが、USHのショップはすぐ近くにあるのだとか。
「そういえば香月さんってこの辺りに住んでいるの?」
「ええ。オフィス街のビル内に居住スペースが設けられている場所がありましたので、そこを借りていますわ。なんでも、元々はどこかの会社の社長一家が暮らしていたのだとか」
……それ、たぶん俺が前にニシダ主任に勧められた物件だと思います。
そうか、そこに住んでいるのか香月さんは。
道すがら、ここでの暮らしについて話してみたり、俺が住んでいる場所の話をしたりしていると、周囲の人間がチラチラと香月さんの方を見ているような気配を感じた。
……この人も美人だしな。というかうちのクラスの女子、全員美人過ぎなんだよなぁ……。
セリアさんも明るく活発なスポーティー美人さんだし、一之瀬さんはもう美人というか、凛々しいというか、たぶん老若男女にモテそうだし、コウネさんも……黙っていれば美人だし。そして香月さんも『ザ・日本のお嬢様』って感じだし。黒髪ロング万歳。
「……見られていますね。少し急ぎましょうか」
「あ、気が付いた? やっぱり香月さん人目惹くもんね」
「え? 何を言っているんです? 注目されているのは貴方の方ですわよ」
「え!?」
「貴方……学園の外にあまり出ていないのかしら? 世間では貴方はまだ時の人、ですわよ。学園の周辺にはメディアは近づけませんが、それでも一度顔写真も名前も紹介された以上、外に出たらこうなるのは予想出来たでしょうに」
「……俺、退院してから一度も学園の外に出てなかったり」
「……なるほど。では急ぎましょう」
USHのショップは、大きなビルを丸々使った巨大なショッピングセンターだった。
階ごとにデバイスの種類が違い、さらにはその場で微調整が出来る工房も内包、さらにさらに、室内訓練場まで完備された、正直一日中いても飽きなさそうな施設だった。
……そして、結構な人数のうちの学園の生徒とおぼしき若者の姿も。
「まぁ、休日に訓練をしたい生徒はここに集まるでしょうし、デバイスを使う生徒だってそれなりにいますものね」
「あ、そっか。武器じゃなくて身体に力を宿すタイプの召喚結果って場合もあるからね」
「ええ。貴方もそうなのでは?」
「え、俺? 俺は違うよ、召喚したのは……戦いには関係ない存在かな」
家族が、来てくれた。なんて口には出せないけれど、なんだか改めて考えると……嬉しいな。そうだ、家族が来てくれたんだ。一人ぼっちだった俺に、家族が出来たんだ。
「……嬉しそう、ですわね。きっとかけがえのないものを得られたのね」
「うん、まぁね。香月さんは?」
「ふふ、私も少々変わった存在を召喚したんですの。電子精霊と言えば良いかしら、詳細は不明なんですけれど、雷を司る存在の眷属、という話ですわ」
そう言うと、彼女は掌に光の玉を生み出し、それが小さなネズミ、ハムスターのような形になる。……電気ネズミだと? それってピカチ――げふんげふん。
「うわ、可愛いな……形だけじゃなくてちゃんと動物だ……」
「ふふ、そうですわね。確かに可愛らしい外見ですわ。この子のお陰で、私は電気に関わる物全てに強くなりましたの。メカニック志望の身としては、最高のパートナーですわ」
「へー! お、こっち見た! へへ、可愛いなぁこいつ」
……ハムスター、可愛いな。電気ハムスターか……いいなぁ……。
「さ、では四階へ向かいますわよ。刀剣類を扱う場所ですので」
「了解、じゃあ行こうか。またな、ハムチュー」
「……勝手に名前を付けないでくださる? この子にはエレクレアハム子という名前がありますので」
「な、なるほど……」
なんだか、可愛いようなカッコいいような、微妙というか、何とも言えない名前ですな。
刀剣類のデバイスコーナーに着くと、彼女はそのまま真っ直ぐにサービスカウンターへと向かった。
「こんにちは。昨日連絡を入れておいたのだけど、担当者はいるかしら」
「これはこれはキョウコお嬢様! ようこそおいで下さいました!」
「少し声を抑えなさい。他のお客様のご迷惑になるでしょう」
「は、申し訳ございません。では、すぐに担当の技師を連れて参ります」
おお……『融通が利く』ってレベルじゃない、まさしく特別待遇じゃないですか。
ちょっと、一緒にいるのが畏れ多い感じがしてきた。
「ササハラ君。デバイスをこの机に置いてくださる?」
「あ、了解」
そして俺は、今日持ってくるように言われていたウェポンデバイスを机に置く。
ミシリ、と嫌な音がしてしまったのだが、大丈夫だろうか。
「……材質的に超重量なのは知っていますけれど、平然と持ち上げるんですわね。鞘を換装したら、今よりは取り回しもしやすくなりますけれど、大丈夫ですか? その重さに慣れていると戦いにくくなりません?」
「あ、これで戦う時は基本的に抜き身なんだ。鞘はどこかに置いてさ」
「まぁ……それではプロテクター、防具としての利用は一切していないと? それでは宝の持ち腐れですわね……やはり早急に鞘を作りませんと」
少しすると、専門の技師がやってきた。
刀身の長さや反りの具合はある程度規格が決まっており、例え秋宮のデバイスでも、それに合う規格の製品はあるのだとか。
「これほどまでの品を扱うのは初めてですね。なるほど、確かに一般的な製品では、鞘の摩耗が早すぎるでしょうね。ササハラ様、こちらのデバイスを少々預からせて頂けないでしょうか? まずはこの刀身に合う鞘を仮組させて頂きたいのですが」
「分かりました。どれくらいかかります?」
「そうですね、今日は一先ず鞘の仮組をして、その後この刀身で圧力をかけられても問題のない合金を選び、加工、そして実際の製品に組み込み、変質術式を刻み込み、仕上げの塗装をしますので……」
こりゃ今回の実務研修には間に合いそうにないな。そう、思ったのだが――
「三日で完成しますね。ウェポンデバイスそのものは、規格を測るだけですので、仮組が終わり次第返却いたします。そうですね、二時間程でしょうか」
「え、はや! そんな直ぐに出来ちゃうものなんですか?」
「ふふ、私達の会社独自の刻印術ですもの。他の会社の行う刻印とは精度も早さも違いましてよ。まぁ、さすがにグランディアの専門魔導師の手作業程の物は出来ませんけれど、鞘の変質でしたらなんの問題もありませんわ」
「ほほー……じゃあその間はどうしようかな……」
「それなら、七階の訓練施設で時間を潰しません? 似たタイプのデバイスを借り、実際にスリムタイプの鞘を使った場合、どう戦うか。そのテストも兼ねて」
おお、それは良い考えだ。早速ウェポンデバイスを預けた俺は、香月さんの案内で訓練施設へと向かうのだった。
「ふふ、これでどうでしょう。久しぶりに作りましたが……良い出来です」
ユウキが出かけた後の家で、イクシアは一人、自分が焼き上げた『マフィン』を前に、満足そうな笑顔を浮かべていた。
それは、自分が唯一元から作る事が出来た焼き菓子であり、彼女が生前、子供達と交流を持つ事が出来た唯一の時間、お茶会の為に自ら焼いていた、思い出深い菓子でもあった。
彼女は今日、近頃スーパーでよく話し込む、シンビョウ町に住む所謂ママ友の家で開かれるお茶会に出席すべく、持ち寄る為のお菓子を作っていたのであった。
「少しユウキの為に残しておきましょう。ユウキは美味しいと言ってくれるでしょうか」
彼女の頭の中は、基本的に義理の息子であるユウキの事で埋め尽くされていた。
初めは、自分が彼を導き、大人になるまで親として傍にいようという気持ちだった。
だが次第に、彼女の方がユウキにどこか依存してしまっていた。
自分の息子。大切な息子。愛しい息子。最愛の息子。
一度、ユウキが命を落としかけたのをきっかけに、彼女の愛はより一層深まっていた。
それは、治療という大義名分をいいことに、一緒の布団で寝るようになったりと、段々と青少年には刺激の強すぎるものへとなっている程だ。
が、つい先日。自分でユウキの身体は完治したと言ってしまった手前、また別々の布団で寝るようになってしまい、その事を若干、惜しんでいたりもするのだった。
「……よし、では行きましょうか。確か場所は……大丈夫、この場所は通った事があります」
「ここですね」
彼女が訪れたのは、スーパーで買い物をする際、セルフレジの使い方を教えて貰ったのをきっかけに、よく話をするようになった『伊藤さん』の自宅。
まだ勝手の分からないイクシアに様々な事、タイムセールの時間や、曜日ごとに割引されるもの、おすすめの洗剤や食料品などを教えてくれた、恩人とも言える人物だった。
どうやらその伊藤さんも小さな子供を持つ家庭らしく、さらには既に一人暮らしを始めた子供もいるという。
ある意味では親として先輩である伊藤さんに、イクシアはある種の信頼感を持っているようだ。
「あらイクシアさん! 大丈夫? 迷わなかった?」
「はい。お待たせしてしまったでしょうか」
「いえいえ、さ、どうぞ上がってください。他の皆さんももう到着していますから」
そして今日、イクシアの交友関係を広げようと、伊藤さんもまた、自分の子供の同級生の母親を三人呼び、新しいママ友であるイクシアを紹介するつもりだったのである。
「遅れてしまい申し訳ありません。お初にお目にかかります。ササハライクシアと言います」
「まぁ……なんだか緊張してしまうわ。初めまして、私は――」
自己紹介を済ませ、そしてイクシアが持参したマフィンを頂きながら、軽い談笑に花を開かせる奥様方。そして彼女達の話題は、当然今回初参加となるイクシアの事へと移る。
「そういえばイクシアさんのお子さんは、今お幾つなのかしら?」
「ええと、今年で一八才になりますね」
一瞬、伊藤さん達は『あれ? 意外と大きなお子さんがいる?』と思うも、すぐにそれが『あ、エルフの一八歳といえば、大体地球人の五、六歳程度だった』と思い直す。
そう、イクシアは言っていなかったのだ。子供を引き取ったという事を。
いや、そもそも言う必要すらないと考えていたのだ。
「あ、なら今年入学したてなんですか? 実はうちも今年一年生になりたてなんです」
「そうそう。私達、皆同じ年の子供がいるんですのよ」
「まぁ、そうだったのですね。私の子も入学したてで、私も初めての事なので、お弁当作りや学校の行事の把握で少し大変なんです」
そしてイクシアもまた、この主婦たちが皆、ユウキと同じシュバ学の生徒の母親なのだと勘違いしてしまっていたのだった。六歳も一八歳も、確かにどちらも一年生なのだから。
そうしてすれ違いが続くまま、お互いに子育てについて語り続けていくのであった。
「ママー! ちょっとヒロキくんのお家に行ってくる―!」
「あら、タっちゃん、宿題はもう終わったの?」
「帰ったらやるよー!」
その時、伊藤さんのお子さんであるタっちゃんが、奥様方で盛り上がっていたリビングに現れ、その小さな子供の登場に、イクシアの心臓が大きく動く。
「まぁ……なんと可愛らしい」
「ふふ、ありがとうイクシアさん。ほらタっちゃん、イクシアさんにご挨拶して」
「わ……こんにちは、いくしゃさん」
「ふふ、こんにちは。可愛いですね、ちょっと抱っこしてもいいですか?」
「ふふふ、はい、逃げられないうちにどうぞ」
「わー!」
伊藤さんが笑いながら我が子を差し出すと、イクシアが満面の笑みで抱きしめる。
すると、他の母親達に比べて、明らかに見かけの若いイクシアに抱きしめられた子供は、幼心に恥ずかしがっているのか、少しだけ抵抗を見せるのだった。
満足したイクシアが手を離すと、子供は真っ赤な顔で部屋を出て行ってしまう。
「ふふ、本当に可愛い。つい最近まで、うちの子が体調を崩していたので一緒に寝ていたのですが、体調が良くなってからはもう『もう大丈夫だから一人で寝る』なんて言ってしまい、少し寂しいと感じていたんです」
「ふふ、あのくらいの歳になると、一人で寝る事に拘り始めますもんね」
「そうそう、うちもそうなんですよ。学校に入ってから急に『もう大人だから一人で寝る』なんて言い出して。ついこの間まで一緒に寝ていたのに」
「どこも一緒ですね。けど、やっぱりまだ子供よ。この間なんてテレビでホラー映画を見ただけで、自分から『今日は一緒に寝ていい?』なんて言ってくるんだから」
その時、イクシアに電流走る。『その手があったか!』と。
だが待って欲しい。他の奥様方が言っているのは、あくまで六歳の『小学一年生』の話なのだ。断じて『大学一年生に相当する、一八才の青年』の事ではない。
「そうですよね、やはりまだ一緒に寝るのは不思議ではないですよね」
「ふふ、恥ずかしがるとは思うけど、別に一緒でも良いんじゃないかしら」
「そうねぇ、流石に二年生になる頃には……とは思うけど、一年生のうちは別に不思議じゃないと思うわ」
「ええ。タっちゃんも今もたまに一緒に寝るもの。イクシアさんも、たまに一緒に寝ても良いんじゃないかしら? 最近まで体調を崩していたみたいだし」
「そうですね、今日あたり提案してみます」
そうして、勘違いが正される事もなく、イクシアは誤った認識を強め、密かに『今度、怖い映画を一緒に見よう』と決意したのであった。
「香月さんではありませんか! 今日はビルの視察ですか?」
「いえ、友人のデバイスの調整の付き添い、みたいなものですわね」
「友人というと……ああ、例の英雄さんですか」
七階、トレーニング施設。いやぁ、案の定シュバ学の生徒だらけですわ。
一応、海上都市には訓練施設として秋宮の施設や、以前宿泊したリゾートホテル内部の施設、他にも、事前申請しておけば学園の施設も使えるのだが、この場所はアクセスもしやすい関係で大いににぎわっていた。
そしてSクラスの人間と会社や家の関係で関わりが多い香月さんの元に、早速やってきたのがこの男子生徒……と思われる人物だった。
「いやぁ、さすが英雄さんだ。香月さんに付き添ってもらえるなんて。実は一度、お話してみたかったんですよ。最近どうにも君の周囲は人が多くて近づけなかったのだけどね」
ふむ。この男の視線には覚えがある。気に入らない人間に向ける時のソレだ。
いやまぁ女子から注目された段階で、気に入らないなって感じで見てくる生徒は割と見かけていたのだけど。
すると、この男の連れと思しき他の男達もまた、ゾロゾロと現れる。
「英雄さまには是非一度戦い方の指南をしてもらいたいと思っていたんですよね。SSクラスがどの程度のものなのか、僕達にも教えて欲しいんですよ」
「そうそう、後期になる時、クラスの編成が再考されるからその参考にしたくてさぁ」
「ジャンプ力が凄いって聞いたけど、それだけでSSになれるならちょっとは希望も持てるじゃん? なぁ、ちょっと付き合ってよ英雄クン」
うおう、露骨過ぎるぞお坊ちゃんたち。しかし時間を潰したいのはこちらも同じなので――
「OKOK! じゃあ今俺のデバイス預けてあるから、適当にレンタルして来るよ」
「面倒見が良いのね、ササハラ君。いいのかしら?」
「いいのいいの。どのみち訓練するなら人がいた方が良いし、シュバイン生なら実力もあるでしょ?」
じゃあ今回は鞘が完成した時の予行練習もかねて、サムライエッジモデルをレンタルしましょう。おお……すごいな、本物の刀みたいだ、鞘も柄も全部。
さて、では……舐められたまま平気な顔している程温厚でもないんで、慇懃無礼にいかせてもらいましょうか。
「じゃあそっちは五人全員で相手になってよ。それなら少しは訓練になると思うんだ。丁度良いハンデになると良いんだけど、それでいいかな?」
はい、全員のヘイト惹きつけ完了。メイン盾としての仕事は十分に果たしたのではないでしょうか? ではここからはアタッカーとしていかせてもらいましょう。
プロテクターを間接や急所に取り付け、フィールドへと入場する。
まるでスケートリンクのような広さの、透明な壁に囲まれ観戦も出来るようになっているその場所で、シュバ学の生徒五人と対面する。
恐らく、皆自前のデバイスを使うのだろう。と言う事は、彼等もまたその身に召喚した存在を宿しているのかもしれない。
「……ユウキといったか。あまり調子に乗るなよ、香月さんにいいところを見せたいのだろうが……」
「君達SSクラスって目障りなんだよねぇ。研究室の枠も君らにとられたし」
「香月様や一之瀬様はまだわかる。だがお前のような庶民が私達の上に立つとはおかしいとは思わないか?」
防音だからって本性現すの早すぎではないでしょうか君達。けどそれならこっちも言い返すしかないでしょうが。
「雑魚は黙ってろ」
はいこれで十分。それじゃあ……うん、鞘もしっかり固定されているな。
開始の合図として青いシグナルランプが光った瞬間、学園の敷地外だからと少しだけリミッターを緩めた状態で、今の自分がどれくらい動けるのかを確認する為に――
最高速度で戦場を駆け抜けたのだった。まぁ当然、脳内の掛け声は『ダァーイ』。
駆け抜け一閃。鞘から抜き放った一撃は、自分でもこれまで以上の剣速だと分かる手応えだった。
抜いた刀を鞘に戻す動きも滑らかに、そこから連続して疾走、居合い一閃。
繰り返す事五回、向こうが手を動かすよりも早く駆け抜け、五度目の納刀を終える。
「……やべえな、これ周りからだとどう見えるんだろ。後で映像データ貰って来よう」
ここ、訓練施設だからしっかりモーションの検証が出来るように五方向から撮影されているんですよね。いや、USH社の施設もやるなぁ……。
「で、とりあえず君らのウェポンデバイス、向こう側に弾き飛ばしたんだけど――」
振り返ると、そこには手を抑えて蹲る五人の生徒。大丈夫、きっと折れていない。
「――まだやるかい?」
しゅばいんの だんしせいとたちは にげだした!
「いやぁ……想像以上に動けたしすっごい満足!」
訓練室から出ると、香月さんだけでなく、周囲にいたお客さん達も集まって来た。
大丈夫、そこまで異常な動きじゃなかったはずだ。だって一之瀬さんなら止められるレベルの動きだし。きっとみんなもやれるんだと思います。
が、やっぱりSSクラスとSクラスとでは、大きな差があるという事がよく分かった。
そもそも武器の握りが甘いのだ。構えの段階から身体強化を始めるのは、少なくとも実戦戦闘理論の研究生の中では常識。そもそも戦う心構えがまったく違う。
「注目を集めてどうするんですの」
「いやぁついつい……こういう鞘の刀を使えるのが嬉しくってさ。サムライエッジモデルって普通レンタルしてないんだよね、俺が住んでいた田舎だと。それにいつも秋宮のを使っていたから、こういう鞘は初めてなんだ。すっごい使いやすかった」
「そ、そうですか。……ちょっと鞘を見せてみなさい」
呆れ顔の香月さんだったが、何かに気が付いたのか、こちらの腰に顔を近づける。
「……デバイスの状態は常に最高にしてあるはず、つまりこれは……今の一戦だけで、という事になるわね。ササハラ君、やはり貴方の身体能力は群を抜いていますわ。鞘の口金が破損寸前ですもの」
「うお、本当だ……今作ってる鞘大丈夫かな……」
「大丈夫だとは思いますけど、一応この鞘の破損状況を参考に見せておきます。それよりも――先程の試合の映像、製品のプロモーション用に編集して使わせてもらえないかしら? 鞘の代金を無料にする代わりにいかが? 恐らくこのままではとんでもない金額になりますわよ?」
「あ、そういや予算の話してなかった」
いやでも、もう既に前回の実務研修で向こう数十年は生活に困らないような金額を振り込まれているんですよね。たぶん支払いに問題はないのだけど。
「顔を隠してくれるならいいよ」
「ふふ、交渉成立ね。あのような剣技、早々お目にかかれませんもの。これは間違いなく売り上げが伸びますわね」
すげえ、めっちゃ笑ってる香月さん……!
「お待たせしました。デバイスをお返しします。先程頂いた破損した鞘を参考に調整しますので、完成品の心配はありませんからね。いやはや……映像を見せて頂きましたが、学生でプロトップリーグクラスの動きが可能とは驚きました」
「いえそんな……では、鞘の方、よろしくお願いします」
ウェポンデバイスを返却され、ひとまずこれまでのデカい鞘に収め一息つく。
思い返すのは先程の戦い。やはり、頭の中に残る、様々なゲームの動きを正確に模倣出来ている。なら……俺の身体能力強化だってそもそも、元居た世界のマンガやアニメをイメージしながら行った結果だ。だとしたら俺の力は……身体能力強化とは少し違う?
「ササハラ君。ひとまずこれで貴方の用事は終わった訳だけれど、もう帰りますか?」
「ん、香月さんの用事があるならそれにも付き合う所存ですな。何か用事はないの?」
「私は特にありませんが……今日のお礼に一緒に食事でもどうかしら? 丁度お昼時ですし」
「お礼?」
「ええ。わが社の製品を使ってくれること、貴重な映像を頂いたこと、それに、中々楽しい休日を過ごせたことへのお礼、ですわね」
「はは、それはこちらこそだけどね。じゃあ何か食べに行こうか」
「ええ。少し行ってみたい場所があるのですけど……港区までいいかしら?」
港区? というと、先月の実務研修で俺達が食事を摂った場所だ。
ふむ、御贔屓の店でもあるのだろうか?
香月さんの車で移動している最中、あの事件が起きてから初めて本土と海上都市を繋げる橋を見た。
どうやらあの事件が起きてからは本土とこちらを結ぶ大型フェリーが運航しているらしく、まだ少し交通の回復には時間がかかるという。
が、一月でほぼ橋の基礎工事が済んでいるその様子に、改めてこの世界の科学力に舌を巻く思いだ。
「向こうに見える残された橋。中継地点として残っているお陰で、工事の効率も格段に上がっているそうですわ」
「そっか。復興にも一役かっていたならなによりだ。いやぁ……今思うとあそこまで俺、跳んだんだよなぁ……」
「ササハラ君、貴方はもっと誇り、驕るべきよ。私は貴方を下に見て絡む、先程のような人間は見るに堪えません。己の家の力を誇示し、自分の才能こそが絶対と信じ、他者を――命がけで人々を救った貴方を軽んじる人間を見たくはありませんの」
しみじみと思い返していると、香月さんがどこか腹立たし気にそんな事を語る。
「言葉遣いが汚いと感じるかもしれませんが、舐められたら終わり、ですわ。貴方は強く、気高い。私や秋宮の人間が手を貸すに足る存在。もう少し、周囲を威圧するように生きても罰はあたりませんわ」
「まぁ、そうかもね。でもさ、俺はこの学園でみんなと学園生活を送っている今の状況が好きなんだ。俺が変わっちゃったら、きっと今の状況も変わってしまう。それが嫌なんだ」
もし、俺が取り巻きでも連れて、他の人間に舐められない、近寄りがたいエリートのように振舞えば、なるほど確かに今回のような面倒事は起きないだろう。
でも……なんか嫌じゃん? そういうヤツって創作の世界、漫画やアニメ、ゲームでもやられ役じゃないか。俺は嫌だね、出来ればいつだって主人公の傍にいるような友人ポジションが理想的だ。そう、友人。主人公にはなりたくないです。
「そう。ふふ、なんだか貴方を見ていると自分が少し滑稽に思えてきますわ」
「香月さん、もしかして今言った事って――」
「……忘れてくださいまし。私は背負う物があるうえに、自らその立場に立ったのですから」
「ん。まぁでも、クラスメイトしかいないような、遊びの最中くらいいいんじゃない?」
「……ふふ、そうですわね。さて、着きましたわ。行きましょう」
そして、俺は香月さんに連れられて『ある店』へと入る。
いやぁ……なんか高級なレストランにでも連れていかれるかと思っていたんですが、まさかの『博多うまいもん祭り開催中』ののぼりが出ている定食屋とは思いませんでした!
「あ、そっか。香月さん福岡出身だったもんね」
「あら? 自己紹介の時の事を覚えていたのかしら? ふふ、この店の出資者は我が家ですのよ。味も保証します。さぁ、座りましょう」
結果、俺は食べた事の無い博多名物を堪能しながら、少しだけ博多、豚骨ラーメンについて熱弁を振るう香月さんと、楽しい一時を過ごしたのであった。