第二百八十九話
イクシアの呼びかけに助けられ、致命傷を避けたユウキ。
しかし、そこに生まれた大きな隙を攻められ、なんとかそれもイクシアに守ってもらう。
だが、攻撃を防いだイクシアは、怪訝な表情を浮かべていたのだった。
「……今、私は攻撃を受けたつもりでした。ですが、その感触がない。あくまでBBが炎に焼かれる事を避け、自ら身を引いたように感じましたが……」
「え……?」
確かに熱は感じたのだろう。青い炎は魔力と酸素が最適に混ざり合った時に生まれる色。
ガスと同じく、絶妙なコントロールで初めて生まれる超高温の炎だ。
無論、直接触れなくとも、付近にいるだけでその猛烈な熱に肌は焼かれる。通常の炎魔術や魔法、魔導とは一線を画す、超高等魔導の証である。
その魔導を圧縮、剣の形に整形して戦うイクシアの攻撃は、確かに直撃を免れても明確なダメージを負う。無論、そこまで圧縮された炎は、剣としての機能を兼ね備えていた。
にも関わらず、イクシアは『触れた感覚がない』と言うのだ。
「……熱や魔法的な干渉は受ける代わりに、物理的な接触を完全にシャットアウトする?」
「正解だ。加えて……そうだな、ユウキ君に伝わりやすいように言うなら、体力吸収を自分に付与したってところかな?」
「なにその反則」
「いつだって、バランスを壊すのは回復力だよ」
もはや自分の勝ちは揺るがないと思っているのか、BBは素直に呪術の効果を説明する。
それはまるで『だから諦めてくれ』と懇願しているかのような、どこか後ろ向きな思いを抱いているかのような、どこか矛盾した感情。
だが、ユウキはカノプスとの戦いで身に着けた魔装術を使い、自らの肉体や剣に、純粋な魔力と生命エネルギーを纏い、そのまま引き続き肉弾戦を挑み続けるのだった。
「……そうか、君もそれが使えるんだったな。……無論、それを伝授した貴女も」
「ええ。どうやら……この術は有効なようですね?」
確信と共に二人がBBに向かう。
既に人類の中では頂点に近い剣速で攻防を繰り広げるユウキ。
そんなユウキにも引けを取らず、魔法を交えた更に純度の高い魔装術を駆使するイクシア。
それは、確かに物理攻撃を無効化するBBにダメージを与えていた。
……与えていたのだが――
「純粋に……技量差で押し切れないとかどうなってんだよ……」
「やはり貴方は……この時代の人間ではないのですね。間違いなく……私と同じ時代の人間。なぜ、今を、未来を生きる為に戦う人間の邪魔をするのですか!」
「だから、それはこの世界の未来を守る為だ! ユウキ君の存在は、それだけで世界を滅ぼす! いい加減……我儘を言うのはやめるんだ! もう、十分だ。君は十分に努力し、戦った! これ以上俺に君達を苦しめさせないでくれと言っているんだ!」
初めて、声を荒げるBB。
けれども、もう決めてしまったのだ。
ユウキは『たとえ世界が滅ぶ可能性があったとしても、この世界と共に生きていく手段を探し続ける。世界の調停者であるジョーカーと戦う』と。
故に、その叫びを、BBの願いを聞いても、考える事はただ――
『何故体力吸収付与の呪術なんて作ったのか』と、勝利の為の方程式を探す事だけだった。
「……必要が、あるから?」
「ユウキ?」
そしてユウキは……イクシアに耳打ちをした後……共に全速力で逃げ出した。
「逃げるのですか、ユウキ」
「はい。正確には……BBの回復手段を絶ちます。今、BBは俺達を攻撃しながら生命力を吸収している状態です。明らかに優勢なのに、俺達から体力を吸収しようとしているんです」
「……つまり、回復する必要がある状態に陥っている、と」
「たぶん、ですけど」
その推理は正解だった。
ヨシキは大量の大規模呪術の代償として、自らの命を削っていた。
それは当然の帰結。なんの代償もなく、ここまでの呪術を使えるはずがないのである。
ユウキ達が命を散らし、命の危機に晒されているのと同じように、BBもまた膨大すぎる生命力を失いながら戦っていたのだった。
そしてユウキの読み通り、既に人としての力しか残されていないヨシキは、大量に消費した生命力を回復しようとしていたのだ。
もう、生命力を回復する力も失ってしまっていたが故の呪術。
あまりにも強い概念で破壊されてしまった『原初の魔王』としての力の代用とする為に。
「たぶん……俺達がここまで粘る事は想定外だったんです、BBは。だから……もうあっちも追い詰められているはずなんです」
「ならば……どこかのタイミングで今発動している呪術を解除する……?」
「そのはずです。今、逃げている最中でもBBの圧力を感じます。これがその呪術の影響だとしたら……」
「それが途切れた時が……逆転の好機、なのですね?」
無言で頷くユウキ。そしてその読みは……恐ろしいほどに正確に的中する。
ユウキは確かに、BBのコンディションと戦略、状況を読み切ったのだった。
実力は、生物としての強さは段違いだとしても、思考能力はそこまで隔絶した物ではないと、ユウキはこの戦いでBBが時折見せる人間臭さと葛藤、微かな優しさを信じ、読んだのだ。
どこまで行っても、BBは人間なのだと。魔王ではなく、一人の人間なのだと。
ならば、自分が読み勝ち、ジャイアントキリングを成し遂げられるのだと。
やがて、逃げた先でも感じていた強烈なプレッシャー、BBの行使する二つの呪術が消えたのを知覚する二人。
今度こそ、この最強の調停者、魔王を倒せる時が来たのだと、再びBBの元へと向かう。
幾度となく逃げ、戦い、また逃げては考え、長い時間を消耗しながらの長期戦。
多くの仲間を、友を犠牲にしながらの消耗戦。
それが、ついに終わりを迎えるのだと……二人は元の場所に残るBBを前に確信した。
「参ったな……やっぱりいろんな意味で経験値が高すぎるな、ユウキ君は」
膝をつき、肩で息をしながら、ユウキとイクシアを出迎えるBB。
「この状況で唐突な自己バフでしたからね。効果を俺に言ったのは間違いでした」
「そのようだ。本当に君は……生粋のゲーマーだったんだな。この場面で、ここまで相手の事を考察出来るんだから」
「……そうですね。すみませんBB、協力して貰えないのなら……ここで貴方を倒します」
弱り切っているBBに刀をつきつける。
絶対にありえない構図。本来なら実現しない結果。
それを生み出した最大の理由は――BBが、一人だったから。
共に戦う仲間が、彼には誰も存在していなかったから。
ユウキが、幾多の仲間に支えられ、その犠牲の上に立ち戦っていたから。
イクシアもまた、止めを刺すべく極大のプラズマ球を空に浮かべる。
「最後にもう一度言います。降参してください。このまま、ギリギリまで世界をどうにかする方法を一緒に模索すると約束してください」
「貴方の力があれば、取れる手段は増えるはずです。もし、世界を修復する力があるのなら、少しでも世界の崩壊を抑えてください。その猶予で……私がどうにかしてみせます」
BBにそう突きつける。
「……少ない魔力で最大限の効果を出してくれていたというのに……なかなか受け入れがたい結末だな。僕が……俺がまさか負けるなんて、夢にも思わなかったよ」
「……返事をお願いします」
「貴女には……秘密のまま終わらせたかったんだ。だが俺が負けてしまった以上、仕方ない」
ヨシキはフラフラと身体を起こす。
「いや、そもそも完成させて終わらせるつもりだったんだ。犠牲を出してしまった以上……最後までやらなければいけないよな」
まるでうわごとのように、BBはか細い声で語り続ける。
「何を言っているんです。もう、喋らせませんよ」
速攻で近づき、BBの首に刀を突きつける。
だがBBも、ふらふらの身体でユウキの刀を強く握りしめる。
「『“完遂”七つのお呪い』」
ユウキは反射的にヨシキの喉に刀を強く押し込む。これ以上何かを発動されないように。
だが切り裂きながら、血を吹き出しながらも、BBは最後の言葉を口にした。
その瞬間、ここまで異界を破壊しつくした呪い達が、一斉に集うようにBBに吸い込まれていく。砂漠と化した異界。降り注ぐ赤い月。目には見えない何か。
ここまでの戦いでBBが行使した呪術は全部で『七つ』。
それら全てが、BBに力を与えていく。
「心から……俺は否定しよう……」
唐突に腕を振り回し、ユウキを弾き飛ばし、BBは言葉を紡ぐ。
イクシアが放つプラズマも、片手でかき消しながら、言葉を続ける。
「『“真言”そんなものはない』」
呪いを締めくくる、最後の言葉が紡がる――
異界が、逆再生ではなく、上書きされていく。
砂漠と化した異界が、木々の生い茂る広大な森へと。
崩壊し色を無くした空が、ヒビだらけの青い空に。
穴だらけの、傷だらけの大地が元のヒビと裂け目だけの姿に。
BBとの闘いが始まる前の姿へと、上書きされていく。
巻き戻るのではなく、気が付けば変化しているという状況。
その奇跡のような現象は……失われた命にさえも及ぶのだった。
「ここは……」
俺は今、どこにいるんだ?
辺りを見渡す。そして、ありえない現象が起きている事をようやく理解した。
ここは、アジトを抜けてすぐに広場だ。いや違う、それだけじゃない。
森が、大地が、空が全て、BBとの戦いが始まった直後に戻っている!
「なんだこれ……全部……夢か幻だったのかよ……」
そんな馬鹿な話があるか。だって、みんなは――
「ユウキ……ありえません……皆さんが……」
そう、ありえないんだ。どうしてみんなが……塵となり消えたミコトさんが、唐突に命を終えたカナメとキョウコさん、カイが、平然と俺の隣に立っているんだ!?
アラリエルもショウスケも、あの赤い月の崩落で間違いなく……助からなかったはずなのに、ここに立っているんだ!?
コウネさんまで、俺の隣にいるのはどういうことなんだ……!
「サトミさん……それにセリアさんが……いない」
二人の姿だけが、ここになかった。
これは一体全体どういう事なんだ?
「私……確かに死んだはずです……どうして……」
「コウネさん!? さっきの記憶があるの!?」
「え、ええ……」
「どういう事だ……私は、みんなと一緒に不可思議な世界に囚われていたはずだ……朝焼けを繰り返す、あの丘の光景を覚えている……」
「ミコト! ミコト、よかった生きてる!」
皆、先ほどまでの戦いをすべて覚えていた。
無論、自分が死んだ瞬間でさえも。
「セリア君とサトミ君は、異界から脱出したからね。効果範囲外なんだよ」
「BB……これはなんなんですか」
「夢か幻かと思っているね、みんな」
みんな生きている。生きてこの場所に立っている。
なら、夢、幻覚の類じゃないのか……?
「ただ僕が“呪いなんてものは存在しない”と、引き起こされた現象、被害ごと全て存在を否定したんだよ。限定的だが、自分で起こした超常の現象なら否定して、その結果を世界に上書き出来る。君達は確かに死んでいたんだよ、僕の手によって」
「な……んなアホな話があるかよ!!!」
「ありえるんだよ、最後の魔王アラリエル。世界を屈服させる力と素養があれば、これくらい出来てしまうのが僕なんだよ。何度も言うけど極めて限定的な物、なんだけどね。この異界が……酷く不安定で他の影響を受けやすい、狭間の世界に漂う場所だからっていうのもある。そうじゃなきゃこんな範囲で適用なんて出来ないさ」
「それでも、そんな力……ありえません。BB、貴方はこの結果を引き起こして何をしたいのですか」
「それは最初から言っているだろう、イクシアさん」
そう言いながら、BBは俺の事をじっと見つめるように振り向いた。
何を言いたいのか、伝わってくる。言葉にしなくても、理解出来てしまう。
「……俺に、諦めろって言いたいんですね」
「ああ、そうだよ。君達の抵抗は、この結末に帰結する。負けるんだよ、何度試しても」
今度こそ、諦める時が来たのかもしれない。
みんなが死ぬのは確定なのだろう。結果や展開を知っていても、それを防ぐ術が俺にはない。
みんなもこの結末を回避する方法が思い浮かばないのか、俯きながら拳を振るわせている。
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ! ユウキ君が死ぬなんて、絶対に嫌です!!!!」
「コウネさん……」
「しかし、このままもう一度挑んでも……結果は変わらない……か」
「……だな。デタラメが過ぎるだろ、アンタ」
皆、落ち着きながらもどこか諦めたような、そんな空気を醸し出し始めていた。
そうだ、ここで俺が諦めないと……諦めないと……時間だけが浪費されていく。
「っ! 納得出来るか!」
「ミコト!?」
その時、ミコトさんが一人でBBに切りかかり、刀の力を存分に使い、一人で果敢に攻め入っていた。
薙ぎを、袈裟斬りを、突きを、抜刀術を。
無数に発生する遠隔遅延の斬撃をも駆使して戦いを繰り広げていた。
それに加勢するべきか、迷う。
「認められるか……認められるものか……! 彼は、彼は私達の……私達の希望だ! どんな時でも先頭に立ち、私達を導き、戦い抜いてきた指針にして希望だ! 世界が壊れるからなんだ! 私は……彼のいない世界が幸せに続いていくなんて、到底考えられない!」
「ミコトさん……」
そこまで、俺の事を思ってくれていたのか、ミコトさん。
「そうです……そうです! 諦められる訳がないでしょう! 私が愛した人が、今ここにいる! 一緒に戦える! それなのに諦めるなんて、隣にいるのに諦めるなんて、出来るはずがないでしょう!!」
コウネさんも、無謀にも戦いに加わる。
もう、やめてくれ……とは言えない。
俺も、みんなと生きていたいから。
その思いが伝播する。
皆が、くすぶりかけていた闘志に再び火を灯す。
「……真っ先に折れかけたのはユウキ君本人だったというのに、君達はまだ諦めない。だから、ユウキ君も諦めない。……もう、何度も繰り返す時間なんて残されていないのに、まだ君達は諦めないんだね」
コウネさんとミコトさんをあしらいながら、BBが語る。
「ああ、分かっていたさ。誰か一人でも諦めなければ、その意思はみんなに宿る。君達一人一人が英雄、そういう役どころなのだから」
「分かっているのなら、お願いします。折れるべきは……貴方なんです、BB」
イクシアさんが、BBに懇願する。
「そう、知っていたんだよ。だから、あの呪術を無かった事にしたんだ。そう、結果は覆り、みんなは死ななかった事にされた。現象は確かに起きたのに、無かった事にされたんだ。無かった事になっても……その痕跡は、起きてしまった現象の余波は、しっかりとこの場に残っているんだ」
「まだ、何かするつもりなんですか、BB」
「いや、そもそも最初からこの為だけに僕は動いていたんだよ、ユウキ君。この大規模で大げさな呪術の繰り返しによる現象。生じた膨大なエネルギーをキャンセルした時に生じる過剰な魔力。それらがこの場に集うのをずっとずっと待っていたんだよ」
なんだ、なにが起こるんだ?
膨大な魔力……? そんなもので何をするつもりなんだ。
「な、何か解決策の為に……?」
「……そう、解決の為の準備だよ。僕では……人間である僕では、君を殺しきるのは難しいと、何度も繰り返す羽目になると予想出来ていたからね」
悪寒がした。
「さぁ……ここまで膨大な魔力が、異界を滅ぼすだけの魔力が生み出され、行き場を失ったんだ。これだけあれば……十分だ。まったく……セイメイは本当に余計な事をしてくれたよ」
頭の中で警鐘が鳴り響く。
止められない、もう止められない。
「ユウキ君、君が最善の行動を取ってくれる事を信じているよ――」
俺は、反射的にみんなを一カ所に集め出していた。
「ユウキ!? なんだ、BBを止めるんじゃないのか!?」
「なんだってんだユウキ! あぶねえ、そっちは――」
みんなを、サトミさんとセリアさんを逃がした次元の裂け目へと移動させる。
「みんな今すぐ逃げろ!!!! おしまいだ、もう本当におしまいだ! ここにいたら死ぬ、今度こそ死ぬぞ!!!」
声の限り叫ぶ。
……そして、俺の叫びに紛れるBBの声を、確かに聞いた。
「“最盛期再生機”」
(´・ω・`)お待たせ