第二百八十一話
「性懲りもなく貴方まで来たんですか? BB」
「そりゃ来るさ。見当違いな方法で無駄に被害を広める愚か者を止める為にね。君達は世界を壊すんじゃない、世界を移動する方法を模索するべきだった。並行世界なんて、離れた世界じゃない。代を重ね研究を続ければ、いつかは辿り着けるかもしれない範疇の話だろ?」
「悪いがBB、僕達は生きて元の場所へ帰りたいんだ。そう、僕は生きて家族の元に帰りたいんだよ。僕が死んだ後に方法が確立したってなんの意味もない」
「世界を破壊し、それで元の世界に戻れる保証はどこにもない。それでもかい?」
「ある程度の勝算があるから行動を起こしたんですよ。この邪魔な世界さえ消えれば、最も近い世界を感じ取れるだけの方法がこちらにはある。そこに向かう方法も用意しているのですよ」
一之瀬セイメイ。この世界を壊し、上書きされたという本来の世界に戻りたいと願っていた人間。
その理由が家族にあると聞いても、何故だか俺は『一切理解を示すことが出来なかった』。
これっぽっちの共感も哀れみも、理解も何もできない、純粋な忌避感しか生まれないのだ。
「ユウキ君。君はなぜこの世界にここまで尽くすんだい? 君は本来……こちら側の人間のはずだ。元々、君を迎えに行く予定がUSMが先に接触した事で諦めたけれど、それが全ての始まりだったのかもしれないね。君さえ、最初からこちら側の人間だったら……ここまで事態はこじれていなかっただろうね」
「俺をお前達なんかと一緒にするな。お前の言い分は多少は理解出来ても、それは今いる世界を、家族を捨て去る理由にならないだろ」
そうだ、俺がセイメイ……この男に共感出来ない理由がこれだ。
こいつは元の世界の家族を優先するあまりに――今いる世界を、家族を蔑ろにしているからだ。
「君は薄情な人間なんだろうね。だけど僕は、僕達は違うんだよ。こんな……誰かの過ちで生まれてしまった世界に僕達は巻き込まれ、苦しんでいる。正義と自称するつもりはないが、これは正当怒りだ」
「……なんと言われようと俺はこの世界が大切だよ。この世界で出会った友達が、家族が、俺が今ここに立つ理由だ。お前だって……同じじゃないか。ここにいるじゃないか。今ここにいるじゃないか、大切な家族が――『ミコト』さんが!!!!」
初めて、一之瀬さんを『ミコト』さんと名前で呼ぶ。
相手も同じ『一之瀬』なんだから、仕方ないよな。ちょっとだけ気恥ずかしいけれど。
けど……なんだ、なんだこれ、なんだこれなんだこれなんだこれなんだこれ。
「あ……なに……え……」
悪寒とも恐怖とも違う、罪悪感にも嫌悪感にも似ているけど違う。
肌がざわめく。背筋を得体のしれない何かが這う感覚がする。
心臓を撫でられるような、首を絞められるような、内臓がひっくり返るような感覚。
「え……なにを……した……」
なんらかの攻撃をされたのかと、絞り出すように声を出す。
「……ユウキ君、君も『その感覚』を味わったみたいだね。察するに……『君』は『その女』の『名前』を初めて呼んだんじゃないかな?」
「何を……言ってるんだ」
これまでだって呼んだことくらい……ある。
まぁ正確には『ユキ』として動いている時だったけど……。
「僕もね、その感覚を名前を呼ぶたびに味わっているんだよ。もう表情には出さない程度には慣れたけどね。でも、とても不快だろう?」
「なんだよ……これはなんなんだ!?」
いつも感じている? この謎の感覚をいつも?
「『この世界で生まれたのではない人間』が『この世界にしかいない存在』の名前を呼んだ時、それは起こる。ユウキ君……僕はね、ミコトを家族だと思った事なんて一度もないんだよ」
「何を言ってる……」
この世界にしか存在していない……?
それに俺は今までだってユキとして名前を呼んで……ユキとして?
まさか『ユキはこの世界で俺が生み出した存在だから適用されない』とでも言うのか……?
「グランディアはきっと元々の世界にも存在していたんだろうね、交わる事は決してなかったけれど。でも『この世界の地球』は本来存在しない世界だ。たぶん、君も僕も厳密には別人になっているのかもしれないね。まぁ遺伝子レベルの話になるけれど」
遺伝子……? あ……そうか、ようやく理解した。
「『一之瀬流は過去にシェザード家と結ばれ流派に取り入れた』って事か」
「そうだよ。だから僕も少し容姿が変化していたし、当然――『生まれるべき人間も生まれず生まれないはずの人間が生まれた』んだよ。僕はね、元の世界には最愛の妹……双子の妹がいたんだ。でもこの世界で彼女は生まれなかったんだ。けれど、知らない人間が……一之瀬ミコトと名乗る人間が僕の妹として存在していたんだよ。僕の本当の家族を消し、偽りの家族をこの世界は用意したんだ!」
俺は、初めてこの世界に来た頃、クラスメイトの様子を見て何を感じた?
『髪の色が違う生徒も何人かいた』だ。
それは、もしかしなくても遺伝子の情報が変化、グランディア人の遺伝子がどこかで混じったからだ……。
俺の変化がなかったのは、運がよかっただけ……なのか?
でも、だからと言って――
「それ以上口を開くな!!!!!! セイメイ!!!!!」
その瞬間、背後から絶叫にも似た言葉を吐き出しながら、カイが文字通り光となり駆け抜けていく。
セイメイに振るわれる、俺以上の速さを持った疾走からの斬撃が、セイメイの身体に確実に吸い込まれて――
「え……」
――はいかなかった。
いつの間にか、セイメイは剣を振り抜いたカイの背後に立ち、カイに何か攻撃を加えた後だった。
崩れるように地面に倒れるカイが、セイメイに強く蹴り飛ばされ、こちらに転がってくる。
「お前では無理だよカイ」
「くそ! くそぉ!!! ミコトを、ミコトをそんな風に言うな!! お前の家族じゃない? 妹じゃない? 知らない人間だ? 偽りの家族だ? ふざっけんなあああああ!!!」
カイが、狂おしい程に怒りの声を上げていた。
そこには、地面に転がされたカイの隣には、泣き崩れているミコトさんがいた。
……ああ、そうだろうよカイ。キレて当然だよな。
大好きな人間をけなされて、泣かされて、傷つけられて、まともでいられる訳なんてないよな。
「セイメイ。お前が何を感じて何を思おうと俺には関係ない。俺はこの世界で初めて母親が出来た。一人だった俺の元に家族が出来た。そしてたくさんの仲間が、友達が出来た。この面白い世界で精いっぱい生きて、楽しんで、幸せになる。そこには『本来いない』とか、そんな勝手な決め付けは関係ないんだよ。世界が違うなら生きている人間もまた違って当たり前だ。違和感がなんだ、こんな感覚がなんだ。俺はこれからもずっと、何度でもミコトさんの名前を呼ぶ。俺の大切な友達で、最初に憧れた剣士で、刀の先生の一之瀬ミコトさんを。それをお前に勝手にどうこう言われたくない」
名前を呼ぶ度に、恐ろしくも悍ましい感覚に全身を蝕まれる。
でもそれがどうした。そんな感覚がなんだ。
こいつは話すべき人間ではない、ただの敵だという事が分かった。
だから、ミコトさんが涙を流す必要はこれっぽっちもないんだ。
「ミコトさん、立って。これはただの敵、狂信者だ。狂ったゴミが何を喚いても耳を傾けるな。ミコトさんには俺達がいる。これから先だってずっと、この世界で生きていくんだ。カイ、お前もそろそろ立て。一緒に倒すぞ、このゴミを」
勘違いするなよセイメイ。別にカイだけじゃないんだよ。
ミコトさんを大切に思っているのなんて、俺も同じなんだ。この場にいるクラスメイト全員なんだ。
「言いたい事はちったぁ分かるがソイツは常人の思考じゃねぇな。なによりもこの世界が壊れるなんざごめんだね。つーわけだ、殺すぜ」
「そうだね、まさかここまでの狂気を抱えているなんて思ってもみなかったよ。貴方は生きているべきじゃない」
「……世界の違いを認識できるが故の苦悩……それは分かる。だがその為に周囲に支払わせる代償があまりにも大きすぎる。そちらにはそちらの正義があるように、こちらにも正義が存在する」
士気が、これ以上ないほどに上がる。
「……全員、攻撃は常に自分の死角も含めて一緒に攻撃するように心がけて。俺は少しだけ……見に徹する」
現時点で、アイツはカイの攻撃を無効化し、移動していたように見えた。
瞬間移動の類なら、死角を守るように立ち回るのが絶対必要だ。
「……分かった。キリザキの突破口を見つけたお前だ、今度も頼むぞ……!」
皆が戦闘を開始する。
俺の目から見て、もうみんなは俺と遜色がないレベルで仕上がってきている。
だから、安心して任せられる。みんなも俺を信頼してくれている。
なら、絶対に見つけて見せる。この男の攻略法を、力の正体を。
「……ユウキ」
「っ!? イクシアさん!」
「私も一緒に観察させてください」
「了解です。ただ注意してください、常に」
「ええ。……ユウキも、同じだったんですね」
……そりゃ分かっちゃうよな。あんだけみんなの前で会話したら。
「はい。黙っていて……すみませんでした。俺にとってはどうでもいい話だったので」
「ふふ……それだけこの世界にいることが当たり前で、大切に思っていたんですね」
「ですです。俺、元の世界でも家では一人ぼっちでしたから」
「そう、だったんですね。……けれど、これでようやく納得出来ました。どうしてユウキが……時折達観しすぎているのかが。自分の事をないがしろにするきらいがあったのか。今はもうだいぶ改善されていますけどね」
「え?」
俺が、そんな風に見えていた?
「……暮らし始めたころや、学園生活が始まってからすぐの頃はそう感じる事が多かったんですよ。だから、心配だった。必要以上に過保護に接してしまいました」
「あー……すみません、少し自覚してます」
そっか。確かにそうかもしれない。
俺はどこか『俺だったら危険な目にあってもいいや。だってこの世界の人間じゃないし、みんなを救うためなら』なんて軽く考えている節が確かにあった。
でも、それがいかに人を悲しませるのか。この短絡的な思考で、この世界で共に暮らす多くの人をどれだけ悲しませていたのか、深く深く知る事になり、自分の考えを改めたのだ。
それを一番意識したのは……そう、最初の実務研修の時だったかな。
「……やっぱりイクシアさんは俺の大切な家族ですね、間違いなく。俺の事をしっかり見てくれている」
「当然です。さぁ、よく見なければいけないのは今はこの戦場です。見つけましょう、突破口を」
「はい!」
だが、おかしいのだ。
目で追っても認識外の出来事のように、セイメイが移動しているのだ。
まるで、最初からそこにいたように自然に、当然のように。
その様子に『……あれ? 今あっちにいたんだっけ?』と若干気が付くのが遅れ、さらに確信が持てない程に自然に、当然のように移動しているのだ。
みんなの攻撃も、放たれる魔法も、ただ空を切るだけ。
それなのに、気が付けばみんなセイメイの攻撃に吹き飛ばされ、血を流し、少し遅れてようやくサトミさんの回復が間に合うのだ。
「……サトミさん! 俺の近くにいて!」
「わ、わかった」
「いつ来てもおかしくない。あれは……高速移動なんかじゃない」
分からない。瞬間移動だとしても、事の起こりを認識できないのだ。消える瞬間を認識できないのだ。
いつのまにか『そこにいる』その変化を当然だと、受け入れてしまうのだ。
「……訳が分からない……これじゃ戦いにならない……」
隣で、時折イクシアさんが援護の魔法として炎を放つが、それが当たる事は一切なかった。
カナメの広範囲攻撃も、地形の変化による転倒狙いも、コウネさんによる環境変化も、何も通じない。
気が付くと皆、事を起こす直前で行動を潰されている。俺もそれを当然のように眺めている。
サトミさんですら、即座に回復を発動出来ないくらいだ。
「いやはや……これは流石に僕でも正面から戦う方法がないな。世界ごと滅ぼすしか手段がないとは」
「BB……マジでそんなことやらないでくださいね」
「当然だよ。だが……そうか、あの力で逃げたのか……? いや、それとは少し違う……テレポートの力を使う人間が他にもいるのは確定しているが、この戦いに関わっているようには見えない」
「ですね。キョウコさんの索敵でも見つかっていません。別な場所にいるんだと思います」
遠隔でテレポートさせて援護……? いや、それにしては攻撃も移動も的確過ぎる。
あれはセイメイの能力のはずだ。
そもそも……ただの瞬間移動だとは思えないのだ。
「いや……考える順番を変える……」
セイメイも、俺とキリザキと同じだと考えよう。つまり『何かの再現』だ。
なら……『時間を止める能力の再現』という線は……ないか。
もしそうなら全員既に死んでいる。いや、そもそもここまで辿りつけるはずがない。
『時間を止める』という能力は、空想の物語でも反則過ぎるからこそ、制約と物語上のお約束を破れないようになっているんだ。
『戦闘を認識できない時点で先に時間を止めて全員殺す』という禁忌が、物語上で登場しないのはその為だろう。
でも物語の世界ではないこの状況で、それをしないわけがない。
制約も今この瞬間にはないように見える。
だからあくまで移動しているだけ。時間は止められていない……。
「……直接、俺も戦ってきます。イクシアさん、サトミさんをお願いします。彼女は俺達の生命線です」
「分かりました。気を付けてください、ユウキ」
どこまで通用するのか。
死角への攻撃も何も効き目がないようだし、まだこちら側からセイメイにダメージは一切与えられていない。
……くそ、装備が足りない。せめて遅効の毒でも用意していたら回復魔法があるこちら側が持久勝ち出来そうなのに。
「出たとこ勝負……やるしかないよな」
この謎の力を扱う、最強最後の敵に挑む。
これが……最後の戦いになると信じて――