第二百五十五話
「アンジェさん、失礼します」
『イクシアさん……どうぞ』
アンジェさんの幽閉されている部屋に向かい、現在の状況を説明する。
「恐らくこの場所にアラリエル君とユウキが迎えに来ます。それまで、この場所に立てこもりましょう。幸いこの塔は――」
私は部屋に飾られている絵画にそっと手を触れ、額縁に刻まれている模様に魔力を流す。
すると絵画が光を放ち、魔力の渦巻くゲートに変化した。
「城の屋上に転移出来ます。そこからなら脱出も容易なはずです」
「な……! こんな通路が……どうして……」
「……きっと、過去の戦乱で生み出された脱出路の一つでしょう。このお城に関する古い資料を偶然目にして知りました」
嘘だ。これは、過去にこの場所を使っていた人間が趣味で作ったものなのだ。
静かに研究する為に作ったという離塔の一室。だがその実、ここは息抜きに城を抜け出す為に作られた『彼女』の秘密基地だった。
『イクスちゃん、ちょっとお外に息抜きに行こうか。私って簡単に外に出られないからさ、作っちゃったんだ』
この城の初代主の妻の一人であるリュエ様。
きっと、ここを開ける方法を誰にも伝えず、自分だけの秘密にしたまま生涯を終えたのでしょう。
「城の屋上……確かにそこなら外に向かう事も容易です。ここで息子たちを待ちましょう」
「ええ。それに……もしもの時も、屋上ならば広さも申し分ありません。この場所は戦いに不向きですから」
「……つまり、ここに追手が?」
「恐らくは。私の動きを不審に感じたカノプスがこちらに移動してくる可能性があります。私に話を合わせてください」
絵画の通路を消し去り、カノプスやその手勢が向かってくるのに備える。
そして――残念ながら、あるいは予想通り、扉が開かれた。
「……逃げる素振りも見せないか、イクス」
現れたカノプスが、静かに私に話しかける。
その様子に焦りも怒りも見られず、極めて自然体にしか見えなかった。
「カノプス様。どうしたのです、私が逃げるだなんて」
「城の人間が原因不明の症状で使い物にならなくなっている。お前の仕業だろう?」
「ええ、そうなります」
冷静に、怒りを感じさせずに問い詰めるカノプス。
背後で、アンジェさんが震えているのが伝わってくる。
「この女の所に真っ先に移動した以上、やはりお前はアラリエルの手勢だったか」
「恐らく、その可能性を考えていたのでしょう? その上で私を手元に置いておいたのは、やはり戦いがすべて終わった後でも私だけは手元に置いておきたいから、ですね?」
「そうだ。お前の薬にはそれだけの価値がある。あれは、エルフの秘薬などではないな? むしろこの地に関係の深いもの、違うか?」
「……そこまで解析が進んでいましたか」
「何者だ、お前は」
「……秘密ですよ」
そう、私の薬は全てこの地で学び生み出した物。
「……時が来るまで私もここにいさせてもらおう。来るのだろう? ここにアラリエルが」
「ええ、来ます。貴女の野望を潰えさせる為に」
「それは、一緒に『ササハラユウキ』が来ると確信しているからか?」
なるほど。ユウキ達が一時この城に囚われていた時、身分を明かしたのが仇になりましたか。
「かの英雄ササハラユウキ。催し物として最上だ。原初にどこまで抗えるか、見せてもらうとするさ」
「……そうしてください」
奇妙な同席。
椅子に腰かけ、カノプスは楽しそうにこちらを眺める。
アンジェさんの心配そうな表情、そして私の自信にあふれる様を見比べて、面白がっているのだろう。
「……本当に、手勢に恵まれているな、我が愛しの従弟は。母親なら、息子の幸せを願っても良いとは思うがな? 私とアラリエルが結ばれる事になんの不満がある」
「……その先に破滅へ向かう争いが控えていると知っているからです。貴女は……王になるべきではありません」
「破滅になどならんさ。この歪な世界を正し、良き隣人との関係を深めたいだけだ。私はな、アンジェ。この纏まりのない世界、グランディアがこの先地球と対等に付き合っていくには、優れた強者による統治が必要不可欠だと考えている。地球を排そうとしたサーディスの女狐とは違う」
似ているようで異なる思想。恐らくこれは本当だろう。
『現段階ではカノプスは地球との関係崩壊を願っている訳ではない』。
「ただし、それは『自分が強大な切り札を手に入れるまでの関係性』ではありませんか? 貴女が異界に執着しているのはその為でしょう?」
「……そうか、お前は知っていたんだったな。確かに異界に眠る力を私は欲している。かの地には、歴史の中で失われた我らが偉大なる原初の魔王の墓所も存在している。私はな、そこを目指しているのだよ」
「……そうだったのですね。お墓が……異界に飲まれていたのですか」
異界は、元々はノースレシア大陸の一部だったのは、予想通りだ。
きっと、あの世界が生まれたのは……この国で研究を続けていた誰かの所為なのでしょう。
「……楽しみだ。アラリエルが再び挑んで来るだけではなく、かの英雄までもが私に挑みに来る。このような状況になるとは、感謝せねばならんな」
「感謝。とは?」
「こちらの話だ。ふむ……そうか、どこかで見た顔だと思ったが……イクス、お前……先代のサーズガルド女王に瓜二つだ。関係者か?」
「他人の空似ですよ」
「ではそういう事にしておこう。くく……面白い、本当に面白い。今の時代、私が時代の節目、覇権を握るか否かの戦乱に関わる事はないと思っていたよ」
「……貴女は本当の意味で『原初の魔王』になりたいのですね」
「ああ、そうだ。この生ぬるい時代ではなく神話の時代のような世界で魔王になりたいのだよ。だから見逃した、アラリエルを」
危険な思想だ。
「……神話の時代、この国が起こった時にはもう、平和な時代だったはずです」
「果たしてそうかな? だったらどうして時の偉人達は大きすぎる力を残していった? 研究を重ねていた? 魔神龍という強大な力を従えていた? その気がなくとも、時代を支配していたのはまぎれもない、この国だったはずだ。今、私は再び原初の力を手に入れ、その時代を再現してみせるのだ」
「……では、その野望が成就しないよう、私は信じるのみです」
今回だけは、加担しよう。子供たちの争いに。
過去を求めたりはしない。だがそれでも――ここは私の第二の故郷なのだから。
「アラリエル、こんな侵入経路があるなら諜報の時に調べておくべきだったんじゃないか?」
「いや、お前らが城から逃げ出した時の話を聞いて後から思いついたんだよ。つーか本来ここは通路じゃねぇ」
市街地での戦闘は、既に始まっているのだろう。
そんな中俺達は、かつて城から逃げ出すときに使った、城の裏手に広がる崖、その下に流れる川辺に来ていた。
「あそこだ。今は使われていない排水路だ。昔は川に下水を流していたらしいが、下水路が整備されてからは完全に封印されたって話だ」
「結構高さがあるな。崖を上って途中で断崖絶壁に穴堀りって、結構厳しくないか?」
「あのなぁ、足場を作れるのは何もコウネの魔法だけじゃねぇんだぞ。一年の頃に俺も似たような事してただろうが」
あー、そういえばあの海上プラントの作戦でやっていたっけ。
闇魔法って汎用性凄くないか? 氷よりも頑丈そうだし。
「うし、んじゃ上るぞ。排水路の封鎖破壊はまかせた」
「あいよ。なるべく音がしないようにやるわ」
精神を集中させる。過去に、世界樹の植樹地跡に建てられたドームの出入り口を切り裂いた時のように、鋭く強烈な、外に影響を与えず目的の物だけを切り裂く一撃。
「……ふっ」
気持ち的には、それこそ心の師匠の『青い鬼いちゃん』の技の再現。次元を斬る連撃。
すると、見事に封鎖していた壁が『ズズズ』と重い音を立てながら擦り落ち、封鎖が解かれた。
「すげぇな。前より一段と技が冴えてやがるな」
「まぁな」
本当にもう使われていないのだろう。微塵も水の気配を感じない、乾いた旧排水路を進んでいく。
「これってどこに繋がってるんだ?」
「たぶん、古い排水施設だろうな。城の排水はそこにまとめられてから捨てられてらしいぜ。その施設も大昔に閉鎖されて、ガキの頃の秘密基地だったな」
「そっか。親父さんが生きていたころは住んでたんだもんな」
「……ああ。別に贅沢な暮らしに未練がある訳じゃねぇがな。だがそれでも、カノプスの好きにはさせたくねぇ。今思えば……ガキの頃からアイツはこの城に執着してた節があったな」
「……虎視眈々と狙っていたって訳か」
「お前ら地球人で言うところの五歳かそこらの時の話だけどな。正直異常だぜ」
確かにそれは……普通の人間では考えられないな。
「ん、そろそろだな。この梯子上るぞ。上の封鎖も任せた」
「あいよ」
頭上の封鎖も破壊し梯子を上りきると、そこは薄暗い建物の中だった。
かつては浄水施設か何かだったのだろう、貯水槽のような物やパイプが縦横無尽に奔っている。
確かに小さい子供なら秘密基地に選びそうな場所だな。
「……懐かしいな、まったく」
「察するに抜け穴でもあるんだな?」
「ああ。つってもガキの頃に使ってた穴だ。ちょっとそいつを広げてくれ」
隅の方に、瓦礫で隠してある穴があった。
そこを広げ潜り抜け、城の裏手に出る。
どうやら既に戦闘が始まっているのだろう。叫び声や剣戟の音が微かに聞こえてくる。
が、思ったよりも規模は大きくなさそうだ。やはりイクシアさんの作戦がうまくいっているのだろう。
「塔に向かう。最短で行くぞ、この調子なら敵兵士に邪魔される事もなさそうだ」
「遭遇したら即殺でいいんだよな?」
「……ああ」
返事に覇気がない。……なら、俺は勝手に意を酌んだふりでもして峰打ちにしときますかね。
どうやら敵の数も少なささそうだし。
そうしてアラリエル先導の元、城内と中庭を駆け抜けていく。
途中、床に転がる兵士を大勢見かけたが、それはどうやら死体ではないようだった。
それどころか味方同士で争っている兵士すらいる。これもイクシアさんの作戦なのだろうか?
「すげぇな、イクシアさんは」
「ああ。自慢の家族だよ」
「へ、そうだろうよ。んじゃ俺も自慢の家族を迎えに行くとするか」
中庭を通り抜け、もう一度大きな広間に差し掛かる。
ここを通り抜ければ、塔に通じる庭に出るようだった。
だが、そこでアラリエルは足を止め、ひと際立派な扉に目を向けていた。
「……気配はねぇみたいだな。ユウキ、どうだ?」
「なるほど、玉座の間か。確かに中に人の気配はないな」
「チッ……となるとカノプスは前線か、それとも――」
「人質と一緒にいるか、か」
恐らくその場にはイクシアさんもいる。
もし、彼女に何かあったら……俺は躊躇しないからな。
俺の命なんて幾らでも削ってやる。
扉から踵を返し、庭へと向かう。
もう、塔の姿がここからでも見える。
そして同時に――ここからでも感じられる、強者の気配。
俺も成長したのか、それとも俺ですら感じられるほどの覇気を放っているのか。
拳に力が入る。だが、前を行くアラリエルの拳は反対に、少しだけ震えていた。
「逃げるって選択はなくなっちまったみてぇだな。わりぃユウキ、腹括ってくれや」
「あいよ。で、攻略情報は?」
「魔法も直接攻撃も無効だ。俺じゃ打つ手なしだな」
「は!?」
それなんてイベント戦? それあれじゃん、こっちに工夫する予知が残されてないゲームのイベント戦じゃん! なんとか強引に突破とか出来ないんか!?
「可能性としては……お袋だ。お袋の攻撃だけは……通じる」
「おいおい……お前の母さんもとんだ天才かよ……」
「まぁな。親父と違ってお袋は原初の魔王の直系だ。入り婿だったんだよ親父は」
「マジでか。原初の血だけが攻撃を通せる……って訳でもないんだよな?」
もしそうならアラリエルの攻撃だって通じるはずだ。
「ああ、アイツは一部の家系に伝わる神話時代の術の継承者なんだよ。生憎俺には使えないがな。その術を破れるのは同じ使い手であるお袋だけなんだよ」
「マジか……じゃあお袋さんを助けるのが優先なのは変わらず、だな」
「ああ。クソ……俺にも魔装術が使えりゃ……!」
マソウジュツ……?
「それってどんな術なんだ?」
「身体強化の一種だ。通常は肉体を内部から純粋な魔力で強化するが、魔装術は魔力を魔力のまま、高純度の状態で体表に纏う事が出来る。だから普通の攻撃や魔法じゃ突破出来ねぇんだよ。魔法を纏って殴っても、密度の差ではじかれちまう。普通に魔法を放っても同じだ」
「んん……?」
「いまいち分からねぇか? まぁ、極大の魔導なら削り切れる可能性もある。お前の技、タイラントブレスだったか? あれならもしかしたらイケるかもしれねぇ」
なぁ、それってもしかしてなんですが……。
「なぁ……それってコレの事か……?」
俺は、かつてヨシキさんに誘われて参加したBBQにて、イクシアさんに教わった術を発動してみせる。
まだ安定こそしていないが、身体の表面と、手に持つ刀にうっすらと高純度の魔力の膜が張られていく。
「な!? なんでオメェがそれを使えるんだ!?」
「い、いやぁ……ちょっと成り行きで……」
「王伝の術だぞ!? 成り行きでどうこうなる物じゃねぇ! 誰に教えられた!?」
「いや、今はそれより、これがカノプスに通じるのかどうか、教えてくれ」
「っ! ああ、そうだったな。……それなら、いけるかもしれねぇ。練度の差はあれど、攻撃が通じる可能性は高まったぜ」
「……よし、ならやりようはあるな」
一気に、無理ゲーがやりこみゲーに変わる。
ダメージが一でも通るなら、いつかは殺せる。
ならそれはもう、俺の得意分野だ。
「急ぐぞ、アラリエル。落とすぞ、原初に最も近い存在を」
「ああ!」