第二十四話
「一之瀬さん、作戦通りに俺は動くよ。相手は五人、数では勝っているけど伏兵が潜んでいる可能性もある」
「……分かった」
爆発が起きた橋から出来るだけ遠ざかりたいのだが、その道にはユニバースなんとかに化けた相手が陣取っている。
なので、ここは少し危険があるかもしれないが、橋の近く、今まさに崩落しそうな橋から逃げようと、車が押し合いになり、中には車を捨て逃げ出す人までいる、人がひしめき合う通りを使い安全な場所に避難させる事にする。
「どうする……そもそもこの事態になんで部隊から連絡がこないんだ……」
「……もしかしたら、魔法による妨害かもしれません。こちらで使われている通信の性能は高いですが、元を正せば魔術を応用した形……高位の術師が付近に潜んでいたならば阻害可能です」
「そういうことか……すみません、ちょっと高い場所へ跳びます。しっかりつかまって下さい」
強く地面を蹴り、建物の上部からさらに高く跳び、付近にあった電信柱の先端に立ち、周囲を見回す。
本物のユニバーなんとかはどこだ……建物の屋上を移動していたはずだが。
するとその時、逃げまどう人々を誘導する黒づくめの人物を見つけた。
急ぎそこへ向かい飛び込み、すぐに確認をとる。
「すみません、今日の任務の関係者ですか!」
「君は……! いや、それよりその腕の中にいるのは!」
「っ! ユニバースなんちゃらですね!? あんたなんでこんなとこにいるんだよ! 俺達の事追いかけていたんじゃないのかよ!」
「いや、私は移動中の使節団の追跡を担当しているが……君達には隊長を含む別動隊が――」
俺は今起きた事を全て話す。現れた、貴方と同じ装備をした集団。
知っている筈のこちらの人員について、間違った指摘をしていたこと。
そして何よりも、ヘルメットの下がエルフだと判明したことを。
「魔力爆発の影響で通信が通じにくくなったと思っていたが……分かった。すぐにこちらの部隊の人間をそちらに回す。君はすぐにノルン様を連れてリゾート地区へ向かってくれ」
「分かりました……クラスメイトの事、お願いします」
俺の元々の護衛対象はクラスメイトだ。だが――今回はお姫様を優先するように事前に言われていた。そう、命を天秤にかける際、俺はクラスの友人達を見捨てる決断をしろと言われ――それを了承したのだ。尤も、俺のクラスメイト達が負けるとは思ってはいない。
「ノルン様……ちょっと本気で行きます。しっかり、本気で抱き着いてください」
「はい……ユウキ様に全てをお任せします」
アスファルトを踏み砕く程の力で地面を蹴り、一息に何棟ものビルを飛び越し進む。
リミッターのない今だからこそ出来る、超人的な跳躍により、どんどんホテルが迫って来る。だが、それは同時に仲間達が遠くへ離れていっているという意味でもある。
「ユウキ様、追手の気配はありません。そこの道で下ろしてください」
「ダメです。ホテルまで届けます」
「……そんなに辛そうな顔をしてまで、私を守ろうとするのですか」
「……それが任務です。大丈夫、もうすぐ着きます。そしたら――すぐにでも引き返します」
「……はい。ご武運を」
急ぎホテルへと向かうと、既に理事長一行は立ち去った後だったが、それでも政府関係者は残っており、既に橋で起きた爆発についても事態を飲み込んでいた。
「すみません、事情の説明は後です。残った生徒を、クラスメイトの元へ向かいます」
「キミ、待ちなさい!」
静止の声を振り切り、今度は誰も抱えていないからと、遠慮なしの踏み込みで宙を駆るように駆け抜ける。
すると道中、ビルの屋上で複数の大人が倒れているのを発見するも、それを無視してひた進む。
……なんだよ、あれが本物の護衛連中かよ……揃って装備奪われてんじゃねぇよ!
舌打ちと共に公園へと向かうと、今まさに魔法の連発を、アラリエルが相殺している場面だった。
そのまま急降下と共に、相手の魔法使いの一人を――完全に潰してやる。
「遅れた! アラリエル、お前ちょっと位置取り考えつつ移動! 隙見て殺せ!」
「な、お前いきなり戻って命令かよ」
「いいから!」
遠距離持ちの動向は、敵なら絶対に意識の隅に置きたくなる。
馬鹿正直に正面から打ち合うなよ、うちのクラス連中なら避けられるってきっと。
そしてこちらの奇襲に驚いた偽者連中を、強引に蹴り飛ばし、一度皆の元へ戻る。
「一之瀬さん、カイと組んで一人を集中狙い。セリアさん、アラリエルに意識向いてそうなヤツをいっきに潰して」
「ノルン様は無事か!?」
「カイ、今はそれどころじゃない。ササハラ君を信じろ」
「っ、そうだな! 分かった、指示に従う」
そして恐らくこの中でもっとも連携がとりやすそうな、同門同士を組ませて一人を狙い撃ちさせる。まずは数を減らすのは常套手段だ。
「遊撃って事だよね。分かった」
「カナメは……」
「僕は自分の考えで動くよ。まぁ君と同じ考えだろうけど」
そしてカナメには、こちらの狙いを崩そうとする動きを見せた相手を潰してもらおうとするも、それを汲んでくれたのか、全体を監視しながら、早速セリアさんへと向かう一人を叩き伏せるところだった。
「香月さん、俺香月さんの事なにも知らない!」
「電気系統の魔術適正あり。本来は戦場向きではなく後方支援。ですが――貴方に向かう魔法くらいは防げますわ」
その時、何もない筈の空間から飛来した石で出来たような槍が、雷に打たれたようにはじけ飛んだ。……マジか、不可視魔法なんてあるのか。
そしてそれを防ぐのか、香月さん。
「前は任せました。魔法は私が防ぎますわ」
「OK任せた。んじゃあ……行くよ」
少人数で事を起こし、さらに本物のユニなんとかすら倒した連中。
弱いなんてはずはない。だが――やれている。大丈夫、戦えている。
「……手っ取り早くお前から消えてもらうからな」
一番近くにいる、丁度コウネさんと剣をうちあっている男に向かい、全力で当身を食らわせ、そのまま海へと突き落としてやる。そして――
「コウネさんとどめ任せた」
「殺すんですか?」
「どっちでも」
殺せなんて言えない。少なくとも実戦戦闘理論の研究生じゃないんだから。だが――
「では殺しますね」
その言葉と共に、彼女は海に向かい、氷の槍を降らせたのだった。
「騎士ですが、魔法も使えますから」
「なるほど。じゃあ、後は香月さんの護衛お願い」
そう言い残し、今度はアラリエルを潰そうと動く人間達三人を、一人でしのいでいるセリアさんの元へ向かう。
が、その途中でカナメが一人を両断して見せた。
「実戦で使うのは初めてだけど、凄い切れ味だねやっぱり」
「うへぇ……そんな性能だから訓練じゃ使えないって訳だ」
「うん。結構貴重な物らしいよ」
白銀の斧槍を、細い身体とは思えない程の力で振り回す。
そしてそれと同時に、セリアさんもまた、襲い掛かる二人を同時に叩き潰していた。
そっちは……斧か。まるで生き物を殺す為だけに作られたような、恐ろしい外見だ。
「……案外、殺せちゃうものだね」
「だね。残り三人、一気に終わらせるよ」
やはり、強い。これがSSクラスに配属された生徒の力なのか。
だが、そこで俺は気が付いた。サトミさんの姿がどこにもない事に。
「サトミさんは!?」
「彼女は君が出た後、隙を見て橋へ向かった。恐らく救護活動に向かったのだろう」
「なるほど、了解。一之瀬さんとカイは……もう終わったみたいだね」
そして残り二人となるも、そのうちの一人の胸から漆黒の棘が飛び出し絶命する。
「へ、なるほどな。これはこれでおもしれぇ殺し方だ」
「……さて、これで残りはアンタだけだ」
残りは、最初にノルン様を連れて行こうとした相手だった。
ヘルメットのデザインが異なるが……元々は部隊長用の装備だったのか?
「……まぁいい。もとより生きて帰ろうとは思っていないのでな。王女も、連れていけなければそれはそれで構わん。クク……学生と思い油断した我らの負けだ」
最後の一人になった瞬間、男は金属で出来た杖のような物を手放し、降参でもするかのように両手をあげる。
潔いのか? いや…………何かがおかしい。何かが……。
その時、微かにヘルメットが動き、一瞬どこか別な場所を向いたように見えた。
その瞬間、すぐさま男を殴り飛ばしヘルメットを破壊、そのまま気絶させ一之瀬さんに任せる。
「まだ何かある! たぶん……橋だ!」
思い出す。ノルン様が何故来日したのか。『リスクを分散』と理事長が言っていたではないか。なら――使節団も当然狙われている。橋の上で立ち往生させてそれでおしまいな訳がないだろうが!
「橋……まさか三度目の爆発があると!?」
「俺達の気を引き、護衛中の部隊を攪乱、橋に釘づけにする。けどノルン様誘拐の為にしちゃ目くらましとしての規模が大きすぎる! あそこまでやらなくてもいいでしょ普通」
全力のダッシュで再び橋の近くへ向かう。
すると、既に避難を終えた後なのか、車こそ残されているが、橋の入り口や付近の道路からは人が消えていた。
先程の本物のユニなんとかの人が、他のメンバーと共に消火活動や、怪我人を運ぶ準備をしている中、サトミさんが怪我人に治癒魔法を使っている姿を見つける。
「みんな、ここから少しでも離れるんだ。もしかしたら……また爆発するかもしれない。今度はもっと大きいかも……!」
「君、戻ったのか……! ノルン様は無事か」
「はい。あの、すぐに怪我人もみんなここから離れた方がいいです。今度こそ、本当に使節団の皆さんが危ないかもしれないんです」
「……だが、彼等を置いていくわけにはいかない……今、ヘリがこちらへ向かっている」
「分かりました。じゃあ怪我人だけ自分達で避難させます」
丁度追いついてきた一之瀬さんとセリアさんに怪我人の搬送を頼む。
他のメンバーは公園で生き残った人間を捕縛、監視中だそうだ。
その旨を伝え、すぐにユニなんとかの皆さんに連中の後始末を頼み、再び考えを巡らせる。
「……一度目と二度目の爆発で、孤立させる……たぶんユニなんとかの皆さんをここに釘付けにする目的……そしてノルン様確保に失敗した以上……」
恐らく、確実に殺す為の爆弾か何かがある。あそこにはまだモノレールもぶら下がってるってのに、どうすればいい。
「……まぁやる事なんか一つしかないんだけどさ」
「ササハラ君、付近に残っていた一般人は全員退避させた。爆発の危険性があるのなら……私達も避難するべきだ。私達の任務はあくまでもノルン様の護衛、そして狙う者の排除だ」
「そうだよ、ここはプロに任せておこうよ。まだ大丈夫みたいだしヘリコプターだって――」
「もし、まだどこかに監視してる仲間がいたら? ヘリが近づいたタイミングで爆破、犠牲者を増やす狙いだったらどうするんだ……」
狙いはなんだ? そんなの決まってる、関係悪化だ。しかも今回は犯行グループがグランディア側の人間……地球への責任追及はそこまでではないかもしれないが、逆にグランディア側が今回の事件を受けて慎重になり、そのまま地球との関係を切り上げる方向へシフトチェンジ……か? ダメだ分からん。そういうのは偉い人が考える事。俺はただ――
「ごめん、やっぱり行ってくる。三人は退避しておいてくれ」
「何を言っている、この距離だぞ! いくら君でも届きはしない」
「大丈夫、いける。なにも異常がなかったら戻るから、一之瀬さんはユニなんとかの人に、ショッピングエリアの一番高いビルの屋上に、本物のユニなんとかの人達が倒れてるって教えてあげて」
「……分かった。行けるのだな? なら、無事に戻ると約束してくれササハラ君」
「大丈夫戻る戻る」
「本気なの? この距離……空中で姿勢制御しても届きっこないよ……?」
「大丈夫、最近ちょっと成長してきてるから」
いける。この距離ならほぼ真横に飛べば間に合う。それに――制限がかけられてない今の俺なら、二段ジャンプだって余裕で決められそうだ。
助走をつけ、橋の始まりから二〇〇メートルははなれている橋脚部分に向かい、渾身の力で跳ぶのだった。
「……空中でもう一度跳ねる、か。こんな感じか」
高度が落ちそうになったタイミングで、さらに空中で跳ね、橋脚の上に残された橋の残骸に着地する。
すると、そこでは今まさに、モノレールの乗客が一人ずつ、なんとかレールを伝って残された橋部分に逃れてきているところだった。
「君! 今あちらから跳んできたように見えたが……」
「はい。状況の確認と……何か異常があるようなら、解決の手助けになれたらと」
着地と同時に駆け寄って来たのは、上等なローブを身に纏ったエルフの男性だった。
だが、彼はすぐさま――
「今すぐ逃げなさい。ここにいては巻き込まれる……もしも橋入り口付近に人がいるようならすぐに避難させてくれないか。ここは、通信が伝わらなくなっているようでね」
「……何か、ここに仕掛けられていたんですね」
すると彼は、極めて冷静に、そして周囲の人間に気付かれないよう、静かに橋脚から伸びたワイヤー、それに繋がる支柱に指をさす。
「恐らく、魔導具……この世界で言うなら機械の一種で、中に組まれているのは極大の爆発魔導だ。解除はもう間に合わないだろう」
「……近くに持ってきてもダメですか?」
「可能なら、一応持ってきてくれないかい?」
すぐさま跳び、支柱の上部に同じ色で塗りつぶされた箱のような物を見つけ、そっと運んでくる。恐い。ちょっとさすがにこれは恐い。
「君は凄い脚力だな。……ああ、どうやら解呪には相当時間がかかりそうだ。ご丁寧に地球の火薬に似せるような術式だ……逃げなさい。そしてこれが私達の同胞、何者かの仕業だと伝えて欲しい。地球産の、人間の爆弾と思われては……少々不味い事になる」
「あの、この爆弾海に放りこんじゃえば……」
「無駄だよ。それでどうにかなる規模じゃないし、これは魔導だ。水の中だろうが爆発する。なによりも……衝撃でモノレールに残された人が全員落ちてしまう」
まさか、それすら見越してのモノレール破壊だったのだろうか。
……一体いつから仕組んでいたんだ。大分入念に下準備がされていたように思える。
「……爆弾貸してください」
「どうする気だい?」
「たぶん現段階で一番犠牲者を減らせる可能性の高い秘策をしようかと」
「……可能、なのかね」
「俺も死にたくはないので、結構高い確率で成功するって思う事にしました」
爆発の規模は、この人が言うには……海上都市側の橋の始まりに届くくらいって言っていたから、半径二〇〇メートル以上は確実にある。それなら――
「たぶん救助ヘリ来ると思いますので、俺の事、救助してくれるように言っておいてくださいね。じゃあ会えたらまた後で!」
行けるだろ。ただ問題は――俺が助かるかどうか。いや、いける。たぶんいける。
再び助走をつけ、今度はなにもない海へと向かい、全力で跳ぶのであった。
「あーくそ……なんか箱から振動音してきたんだけど」
海面が迫って来たタイミングで、本日二度目の二段ジャンプもどき。
距離を稼ぎ、どんどん橋が遠ざかる。ここまでくれば橋への衝撃も少ないだろう。
そして再び海面が近づいてきたところで、今度は思い切り箱を――ぶん投げてやる。そしてそれと同時に海へと潜り、死ぬ気で水を蹴り潜水を始める。
そしてさらにチョーカーをいじり、例の俺専用のコンバットスーツに一瞬で着替え、さらにニシダ主任に調整してもらった大剣を海面から迫って来るであろう衝撃を防ぐように水中で構える。
……これで死んだら……俺どうなるのかな。元の世界に戻る……ってのは希望的観測が過ぎるよな……イクシアさん……悲しむよな絶対……やだなぁ、泣かせたくないなぁ……。
でも、やれることやんないと……絶対いろんな人困る事になるし、これでよか――
その瞬間、海の中まで伝わる強い光と、全身を強く揺さぶる衝撃、そして焼けるような熱を水の中なのに感じた俺は、意識を――手放した。
「なぁ、あれって俺が姫様の誘拐を手伝った時に、裏で動いてた任務に関係してるんだよなぁ?」
「ああ。だが……下準備の手伝いは了承したが、あそこまでの物とは聞いていない。一般人を巻き込んだ以上、下手をすれば『彼』の粛清対象になりかねない」
「うへ……けど、一応最善の手は打った、って感じだったな。秋宮の手駒も捨てたもんじゃねぇな。さっさとズラかろうぜ、近くに居ちゃ俺らまで仲間と思われるかもしれねぇ」
「……そうだな。勇敢な人間だったが、あの爆発では助かるまい。惜しい人材を無くした」
橋の爆発を眺める二人組の男が静かにそう語り合い、かすかに見えた、爆発から人々を守ろうと跳び立つ人影を見送り、踵を返す。
それは、半径三〇〇メートルを焼き尽くす、ある種禁断の破壊兵器。
たとえ海に逃れようとも、海面を瞬く間に蒸発させる熱量を持つそれは、中に逃げた者すら無事では済まない程の破壊力を有していた。
だが、その海中の人物は――
意識が浮上する。考える事が出来る。なのに、目が開かない。
死んでない? そうだ、死んでいない。俺は生きている。
思考に音が加わる。周囲の音が、誰かの声が、かすかに聞こえてくる。
酷く不鮮明な、けれども確かに聞こえてくる。
『鼓膜の損傷、全身の骨のヒビ、その他外傷が徐々に癒えてきています。恐らく、なんらかの上位薬液を取り込んだ、もしくは強力な加護を得ていたか、よくこの程度の被害で……』
『分かりました。ではここから先は、私達が引き継ぎます。彼についての一切の情報を漏らす事を禁じます。それでは』
なんだ、なんの話だ。というかそんな全身に怪我していたのか。
どうりで全身が痛い筈だよ、動けそうにないんだが。
「……聞こえているかしら、ユウキ君。聞こえていたら、少しでも動かせるところを動かしてもらえる?」
返事をしようとして口を動かすも、喉が声を出してくれない。
「そう、意識が戻っているようね。話せるようになるのはもう少し待ってから。今、海越しに届いた衝撃波で、貴方の全身あますとこなくダメージを負っているの。どういう訳か驚異的な速度で回復しているのだけどね」
なんと。誰かの魔法ではないのだとしたら、一体何故?
「今は何も考えなくて良いわ。もう少し眠ってなさい」
「……りょ、かい」
「……声帯も再生している……本当、驚いた」
そして、再び意識を闇に落とす。あれから……俺はどうなったんだ。
二度目の意識の浮上。今度はしっかりとそれに合わせ、目が開く。
ははは……今度こそ正しく言えそうだ。お約束の――
「「知らない天井だ」」
その瞬間、こちらの呟きにかぶせるように、もう一人の声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声に、まだ少し痛む首を横にむけると、そこには――
「ああ……これ夢か。リオちゃんがいるわ」
「んふふ、夢じゃなーいよん。久しぶり、ユウちゃん」
今のところ、唯一その呼び方をしてくれた少女。かつて、俺に完全なる敗北を教えてくれたその子が、何故こんな場所に、薄暗い病室にいるのだろうか。
「君、ニュースになってたんだ。だからついついお見舞いにきちゃったよ、こっそり。本当に東京に、それもこんな活躍しちゃうなんてね、びっくりしちゃった」
「は……まじでか……全国デビューしちゃったか」
「『勇気ある学生、使節団を含む一〇〇以上の命を救う』いやぁ……かっこいいねユウちゃん」
あ……そうか、みんな、助かったのか。良かった、身体張った甲斐があった。
それに……今確認した限りじゃ、俺も五体満足だ。まだ少しだけ身体は重いけれど。
「……どうやら、本当に無事みたいだね。うん、良かった。声も聞けたし、私もそろそろ消えるね。見つかったら不味いし」
「え、もう行っちゃうのか? なぁ、なら連絡先教えてくれよ。俺、前よりすっごい強くなったんだぜ? リベンジマッチしようリオちゃん」
「えーどうしよっかなー……なんてね。……それはダメ、今は教えられない。でも――いつか、たぶん再戦する事になると思うからさ、それまで待っていてよ、少年」
すると彼女は、再び年齢を誤認してしまいそうな表情と口調でそう告げて、静かに立ち上がり――一瞬で姿を消したのだった。
残されたのは、いつの間にか空いていた窓と、風にはためくカーテンだけ。
……ここ、一階じゃないよなどう見ても。何者なんだ……あの不思議少女は。
ゆっくりと身体を起こす。まだ、少しだけ身体が重いが、それは風邪をひいたとき程度のダルさでしかなかった。
ならば、一先ずはナースコールをして目覚めた報告だけでも――
そう思った瞬間、病室の灯りが一人でに点灯し、扉が開かれた。
現れたのは、白衣を纏ったニシダ主任と、それに付き従う医者と思しき人間。
「あら、本当に起きていたのね。センサーが反応したから来てみたのだけど」
「あ、ニシダ主任。あれ? じゃあここ研究所ですか?」
「いいえ、本土にある大学病院よ。貴方はここに搬送され、今は秋宮から派遣された医師と私の監督下にあるのよ」
「なるほど……」
「さて、じゃあまずは状況の説明から始めるわね」
すると彼女は、先程リオちゃんから教えて貰った事とほぼ同じ内容を知らせてくれた。
あの三度目の爆発、つまり俺が爆弾を持って橋を離れたお陰で、被害者を出さずに済んだこと。
俺の咄嗟の策、つまりスーツに着替え、武器を盾にした事で即死は免れた事。
そして最後に、俺の身体の中から極限まで濃縮された、製法が失伝した神酒と同じだけの効果を持つ薬効成分が検出され、お陰で驚異的な回復をしている事を。
「申し訳ないのだけど、どうしてそんな事になっているのか教えて貰えないかしら」
「いや俺にもさっぱり」
彼女の背後にいる医師に一瞬だけ目を向けると、それで納得したのか下がらせてくれた。
「ニシダ主任、しかし彼の血中には確かにネクタールやエリキシルと同じだけの神秘が!」
「下がりなさい。これは私の上、秋宮の事情に関わる事。大人しく引きなさい」
「っ! 申し訳、ありませんでした」
医師が去ったのを確認し、主任が病室をロックする。
「話して頂戴」
「最近、ちょくちょくイクシアさんがくれるドリンクを飲んでいました。本人曰く栄養剤のような物らしいですけど……それくらいしか変わった物は飲んだりしてません」
「……そう。彼女ならありえるわね……その件については了解よ」
「じゃあ、こっちからもいいですか? あの……俺の扱いってどうなるんですか? せっかくここまで俺が目立ちすぎないようにいろいろしてくれていたのに、結局大ごとになりそうですし……」
「……そうね。それについては私じゃなくて総帥、理事長が判断する事だけれど……あの程度なら平気ではないかしら。海を跳び、身を挺して人々を守り、病院に搬送される。英雄的ではあるけれど、異常とは呼べない。それに力を悪用したい人間としては、逆にこういう人間を手元に置くのは難しいわ。精々、シュバ学の特別な生徒が大活躍をした、って程度じゃないかしら」
「そ、そうなんですか……ならセーフって事でいいんですかね」
「たぶんね。どうやら今回の襲撃者達もそこまで強い存在でなかったようだし、貴方が驚かれるのは精々『身体能力強化による脚力が物凄い』って程度じゃないかしら」
そうか、それならよかった。なら、後は俺がすぐにでも戻れば丸く収まる訳だ。
早速、いつになったら退院出来るのかと尋ねたところ、明日精密検査をして、その結果次第では明日中に退院出来る、とのことだった。
それほどまでに、俺のダメージ回復速度が速いのだとか。
だって、俺の記憶違いじゃなければ、最初に意識が戻った時には全身の骨にヒビが入っていたのに、今はもうどこも折れていないって言うし。
ただ筋肉の方は、暫く裂傷の修復で倦怠感が残る……つまり筋肉痛になるとのこと。
「ただ……問題はもう一つあるの。イクシアさんが学園に乗り込んできたみたいなの。総帥は今回の件で出ていたのだけど、教頭やそのほかの先生全員を殺すんじゃないかって剣幕で怒鳴り込んできて、今なんとか私が電話で状況を説明して落ち着いてもらったのだけど……」
「あ……テレビで報道とかされたんですよね……きっと」
「ええ、大々的に。そこで『犠牲になった生徒』だなんて表現をしたから、もう本当に……私達関係者全員、イクシアさんに殺される事を覚悟したのよ……」
「……明日にでもこっちに突撃してきそうですね……」
「そうね。一応、命に別状はない、とは説明しておいたのだけど……そうなるわよね」
ニシダ主任の顔から、とんでもなく濃い恐怖と疲労の色が見え隠れしていた。
ああ……俺の所為でまたこの人の胃にダメージが……苦労人だ、つくづく苦労人だ。
「じゃあ、他のクラスメイトはどうなりましたか?」
「晩餐会は中止、けどノルン様はひとまず無事に、使節団の皆さんと一緒に永田町入りを果たしたわ。そして今回の事件は、自分達の世界が起こした事。責任は自分達にあるからと、こちらを責める事もない、と。詳しい事は総帥が説明してくれると思うけれど、一先ず心配するような事はないわ」
そうか……よかった。なら、俺は今日のところはもう少し静かに眠っていても問題はない、と。
「……そうね。バイタルも安定しているし、身体に異常もない。謎の超回復もイクシアさんの影響だと分かったし、ここで終わりにしましょう。さぁ、じゃあ私は行くから、今は安静にしている事。おやすみなさい、ユウキ君」
「はい……おやすみなさい主任……」
懸念事項が消えた。イクシアさんが少し心配だが、それもなんとかなるだろうと、一先ず何も問題ないと分かった俺は、再び意識を落とすのだった。
開けっ放しにしてあった窓から、再び侵入者が現れた事に気が付かずに。