第十七話
「お、やっぱり三人とも合格してたんだ」
実戦戦闘理論の研究室で使われる教室に向かうと、予想通り一之瀬さんとアラリエル、そしてカナメが既に待機していた。それともう一人、違うクラスだとは思うが、茶髪のエルフの男子もいる。俺を合わせてたった五人しか合格しなかったのか。
「ササハラ君も合格したか。よかった」
「ふふ、おめでとうユウキ君」
なおアラリエルからは返事がありません。知ってた。
そしてどこか懐疑心に溢れた眼差しを向けてくるのは、残り一人のエルフ男子。
くそう……やっぱりエルフは美形揃いだ。
「先生はちょっと掃除してから来るってさ」
「そう、仕方ないね。僕もあの試験は少し堪えたからね、無理もないよ」
「今の一言でそこまで察するとか恐い。って、もしかして――」
「うん、吐いたよ」
さらりと軽やかにそんなカミングアウトしないでください。
「そうだな、VRと分かっていてもあの感触は……魔物を狩った経験が生きたとも言えるな、私の場合は」
「おお! 一之瀬さんって魔物見た事あるんだ! ど、どんなヤツなんだ!」
グランディアの様子って動画に収めるの禁止されてるんだよね、原則。
一部の観光案内や紹介動画はあるけど、そういう魔物に関する物は一切出回っていないのだ。勿論、一般人が投稿する事も、撮影する事も禁止されている。
「牡鹿に似た魔物だった。足が六本で、体長はそうだな……ヘラジカの倍程の大きさと言えば分かるだろうか?」
「……六メートル越えとか出会っただけで気絶しそうだわ」
魔物恐い。なにそれ、もしかして将来的にはそれと戦う機会とかあるんですかね。
……そうだよな、敵は人間だけとは限らないんだよな……ドラゴンだっているんだし。
密かに自分の将来に戦慄を覚えていると、教室の扉が開き先生が戻って来た。
「待たせたな。もう分かっているとは思うが、今年の合格者は君達五人だ。というよりも、そもそも五名しか取らないと決めている」
戻って来た先生が早々にそう告げると、それと同時に教室のホワイトボードが半透明に代わり、それがモニタとして映像を映し始めていた。
すごいなにそれ。ハイテク過ぎではないでしょうか。
「本日は本来オリエンテーションだけと言われているが、私の研究室ではこのまま反省会にも参加してもらう。まだあの試験での感覚、感情が色濃く残っているうちに、もう一度君達の心を強くかき乱したいからな。それでは覚悟するように」
間違いない、この先生はサイコパスだ、本物の。
映し出された映像は、VR空間での試験の様子だった。勿論、投影されている景色もしっかりと映し出されている。
「悪いがこれから先、命を懸けて戦う道へ進む以上、常に我々は他に評価され、値踏みされ、互いに格付けをしあって進んで行く事になる。では初めに、この中でも最も成績が悪かった人間の映像から解説、問題点を指摘していく。他人事と思わず、自分の行動にも当てはめて考えるように」
すると映し出されたのは、名前不明の合格者、エルフの男子生徒の様子だった。
最初のチュートリアルキャラと思しき制服の女の子の説明を最後までしっかりと聞き、そしてその後には背後から襲われ、ダメージを負う姿が映し出されている。
「まずここだ。私は扉の先は全て敵と言った事を忘れて不意をつかれているな。だが、ギリギリ致命傷は避けている。これは、実際の任務などでも起こりえる事だ。たとえ相手がクライアントだとしても疑ってかかる。言葉の真意を探る。それを怠った結果だ。わかるか?」
「……はい」
元気のない声が彼から漏れ聞こえる。そして、映像はそのまま先へと進む。
「次に、君は市街地で救助活動に励み、その隙に数度攻撃を受けているな。まぁこれは評価も出来る。最低限の負傷で多くを救う。君の適正は回復術だ、この選択もアリだろう」
「ありがとうございます」
え、嘘! 俺全部殺して回ってたんだけど! 全部敵って言ってたじゃん!
その後も、彼は救える者を救い、時には間に合わない物を切り捨て、そして最後の人質をも救いだしクリア――とはならず、最後の最後で先生のVRに騙されて敗北した。
なるほど、成績五位がこういう感じなのか。
「君は少々実直すぎるが、君の矜持、生き様としては大いに評価出来る。非情さをここで学びながらも、その在り方失わずにいてくれることを願うよ」
「ありがとう御座います。今日一日だけでも、とても勉強になりました」
……案外まともな事を言いますね先生。
そして一人目の映像が終わると、次の映像が流れ始めた。
そしてそれは意外な事に……一之瀬さんだった。
「一之瀬はさすがの腕前だったな。見ての通り彼女は最初の不意打ちを完全に反応だけで防ぎ切った。その後は今の一連の動きから、全てが敵と認識、救助など考えずに最短でゴールへと向かった。そう、全て無視して目的だけを優先させる。それは任務遂行能力におけるもっとも大切な部分とも言えるだろう。だが、やはり最後は――」
映像の中、駆け抜けた一之瀬さんがVRの先生の労いに感謝を述べ、頭を下げた瞬間に首を落とされてしまっていた。……ここまでリアルに映像化出来るのかよ。
「……不甲斐ないな。ササハラ君、笑ってくれても良い」
「いや、あれは騙されるでしょ普通……」
映像が終わり、先生が〆の言葉を一之瀬さんに投げかける。
「一之瀬は実務経験も多少はあると聞いている。その影響か、非常に高水準な結果だったが、不意打ち、だまし討ちの類にはめっぽう弱く、また任務優先に気を取られ、人として大事な事を時として忘れてしまう可能性もある。結果を出すだけでは、時としてクライアントからの信頼を失う事もある。まぁそれを良しとする人間もいるから一概には言えないが、もう少し柔軟性を得られるよう、これから私の元で学んでもらいたい」
「はい、教官。精進致します」
マジでなんでこんな良い事言うんですか先生。そんなキャラとは思えない事言ってませんでしたかさっきまで。
「さて、次は非常に迷ったが君だ、吉田君」
「はい」
「君は一之瀬以上に早い段階で攻撃に気が付いたね。VRでは殺気も感じないだろう」
「いえ、それでも動く気配は感じました。あのVRならではだと思います」
「ふふ、そうか。君はこの後も駆け抜け、そして最後の最後で人質を救おうとして――失敗してしまったね。人質を殺されてしまった」
映像ではその結果、カナメが子供の亡きがらの前で蹲ってしまっていた。
VRとはいえ、目の前で救おうとした子供が殺されてしまったのだ、そうなるのは必然か。
「そして、君は最後の最後、私の偽物に襲われ、そしてなんとか撃退してみせた」
「はい」
「しかし、任務中に行動不能に陥るのは非常に危険な行為だ。申し訳ないが減点させてもらったよ。だが、吐くのは良い事だ。吐き出してしまえ。辛い事も全て」
「……ありがとうございます、先生」
「これから先も、辛い事があるだろうが、それでも踏ん張り私の元で食いしばり、歩んで行って欲しい。時には吐き出したってかまわないからな」
なんか、違う意味に聞こえてきた。物理的に吐けって言ってませんか? 先生。
「ササハラ君はここまで名前が呼ばれていないところを見るに……やるではないか」
「いやぁ……どうなんでしょうかね……」
不味い不味い不味い。無視して進むのが正解だったのかよ……。
俺皆殺しにしちゃったんだけど!? ご丁寧に一人一人瓦礫の隙間にまで剣ぶっ刺して殺して歩いていたんですけど。完全にアレだ、シリアルキラーだよ映像化したら。
「次はアラリエル。意外だったな、大分実戦慣れしている。出身は……そうか、地球に来る前はノースレシア王国で暮らしていたんだったな。それなら納得だ」
次に映し出された映像にはアラリエルの姿があった。しかし、先生の語った国の名前の方に皆が気を取られている様子だ。はて……そんな反応をするような国なのだろうか。
「アラリエルは終盤の人質救出を無視してターゲット諸共殺害。最後に私の偽物に不意を突かれて敗北。試験の意味を理解し、最後の最後で詰めを見誤った結果だ。だが、恐らく君はもうこの段階で十分すぎるほどの資質を秘めているように見える。ここからはさらに実戦的な技、言うなれば殺し方を学んでいくといい」
「へ、そりゃどうも。アンタには今度しっかり礼をしなきゃならねぇな」
「ああ、構わないぞ。来週から研究室に参加してもらうつもりだ、是非私ともう一度戦い、色々とぶちまけて貰いたい」
恐い。先生マジで恐い。ニコニコ顔でなんつーこと言うんですか。
「……まさかササハラ君が一位通過とはな。映像が楽しみだ」
「……一之瀬さん……映像が終わった後も変わらずに仲良くしてくださいね」
さぁ盛り上がってまいりました! やだー!!! 映像流すのやめてくれー!
「……さて、最後だ。もう分かっているとは思うが、一位通過はササハラだ。今から見せる映像は、忠実に任務を理解し遂行する一人の戦士、言うなればキラーマシンとし化した人間の姿だ。ある種の理想形ではあるが、同時に大きな危険をも孕む在り方だ。心して見るように」
そして、俺の公開処刑が始まりを告げたのだった。
「……以上だ。彼は私が最初に口にした『あの中は君以外全て敵だ』『最後まで気を抜くな』と言う言葉を真に理解したのだ。一切の躊躇なく、なんの迷いもなく、確実に、容赦なく全てを殺す。時にはこういう仕事が舞い込む事だってあるかもしれない。その時どう動くのが正解なのか。これは、それの一つの答えでもある。文句なしの満点合格と言えるだろう」
教室の空気が死んでいた。改めて見せつけられるのは、瓦礫に埋まり助けを求める人間を無表情で殺して回り、苦しむ老人すら殺し、声だけが聞こえる場所に剣を差し込み、助けを求める子供ですら一刀のもとに切り伏せる殺人鬼の映像。そして、知っている人間であるはずの先生にすら、躊躇なく剣を突き出す俺の姿。
……やっべ。その場でやるのと、改めて見せられるのじゃ、ショックの大きさが違う。
今更吐きそうになってきた。
「ササハラ。お前は言葉の裏を読み、試験の仕組みを考え、待機中も他の人間が呼ばれる時間をずっと計っていたな。監視カメラに映っていた。だからこそ、ここまで出来たんだろう」
「……はい。いやぁ……改めて映像で見せられると堪えますねコレ」
「うむ、そうだろう。だが――その思い切りの良さと淀みない剣筋。そして道中見せた身体強化能力。どれを取っても末恐ろしいものがある。とても一般入試の生徒とは思えない程だ」
「ありがとう御座います」
「君はそうだな……心構えと経験、そして状況判断に磨きをかける方針で行こうと思う。これからの成長が大変楽しみだ。それと気分が悪いなら吐いてもいいぞ。今ここで」
「それはノーセンキューです」
こういった戦う力が存在し、それが当たり前な世界である以上、いつかは直面する問題をこうしてVRとはいえ経験できたのは、きっと俺にとってプラスになる……はずだ。
「さて、では本日はここまで。君たちは現時刻を以って私の研究生となった。本格的な参加は先程言ったように来週からとなる。週明けには予定表を配布するので確認するように。では、これにて解散とする」
「先生! 最後に大事な事忘れてます!」
おおっと、ブルーな気持ちはここまでだ。先生、忘れ物があります。
「先生、名前教えてくださいよ。そろそろ自己紹介しましょう」
「ふむ、忘れていたか。“御神喜久”という。ミカミ教授、ミカミ先生、ミカミ教官、ミカちゃん、好きによんで構わないからな」
「わかりましたミカちゃん。では来週から宜しくお願いします」
あ、笑って頷いてくれた。本当にいいのかよミカちゃん。
先生が去った後の教室。やはり空気が死んでいるが、その空気の中、真っ先に声をかけてくれた人物がいた。
「クク……やっぱりお前おもしれぇな。さすがにあんなの見せられちゃあな?」
「そっちこそ凄いじゃん。タイムだけ見たら俺より速い」
「殺して回ってりゃ遅くなるだろうが。くく……あのミカミってヤツもおもしろそうだし、退屈しそうにないなぁ? 狂った者同士よろしくやろうぜ、なぁ?」
「いやいや狂ってるなんてそんな。そっちこそ――本当は優しい人間なんだろ? 本当は家族思いみたいな。狂ったふりも、人を狂ってるなんて言うのもやめろ。アラリエル」
流石に言い過ぎ。俺は狂ってなんかない。俺はただ必死に生きてるだけだ。
「は?」
「……なんとなくそう思っただけ。とにかく人聞きの悪い事は言わないでくれよアラリエル。俺は、得られる情報と状況を最後まで考え抜いてあの行動を選んだんだ」
「……そうかよ」
とりあえず、今日は帰るかね。なんだか少し気分も優れないし。
そうして教室を出ると、今度は一之瀬さんが続き、隣へやってきた。
「……そうだな、君は得られる情報を武器に考え抜いて行動に移した。VRという状況下で可能な事を全て行い、最後まで戦い抜く。それは、戦士として尊敬に値する。変な態度をしてすまなかった」
「ん、ありがとう。一之瀬さんは優しいね」
「ふふ、言われ慣れていない言葉を向けられるのはこそばゆいな」
「へへへ……あ、俺はさっきの映像で気分が優れないので、今日はここで帰るよ。カイと合流するのは一之瀬さんだけでお願いね。たぶん、第三訓練所だと思うよ、あそこバトラーサークルの練習場らしいから」
「そ、そうか……しかしササハラ君は本当に物知りだな。調べたのか?」
「イエス。学園の地図アプリに詳細が載ってるんだ」
「……スマート端末は苦手なんだ」
なんとなくそんな気はしていました。なんか古風と言うか、武士っぽいから。
一之瀬さんと別れ、食堂に置いたままにしていたバスケットを回収してそのまま帰路に就く。
学園の裏山も本来は訓練に使うという話なのだが、俺の家がある方まではさすがに使わないとの事。だが、やはり学園に近い場所では、どこかのサークルが新入生を相手に何かを披露していた。ふむ……サバゲーの魔法版みたいな事でもしているのだろうか?
近くを通りかかったので俺にも声がかけられたのだが、通学路なだけだから、と断りを入れていざ我が家へ。ううむ……我ながら意外だ。結構テンションが下がっている。
この世界に来てから初めてじゃないかね、こんなに気分が下がっているのは。
「ただいまでーす」
鍵の開いている家に戻る。それ即ち家に持っている人がいるという事に他ならない。
ただそれだけの事に少しだけテンションを上げ帰宅の挨拶をすると――
「おかえりなさい、ユウキ。今日もお疲れ様です」
「はい、イクシアさんただいまです。お弁当、有り難うございました」
微笑みながら、イクシアさんが出迎えてくれる。それだけで、心がずっと軽くなってくれるのだ。案外、俺はちょろいヤツなんだろうな。うむ、情けなくなんかない、これは正常な反応のはずだ。
「口にあったようでなによりです。少し居間で待っていてくださいね。今日はお買い物で美味しそうなお菓子を買ってきましたので」
「珍しいですね、イクシアさんがお菓子なんて」
「ふふ、そうかもしれませんね。なんでも、出張であちこちでお菓子を焼いて売っている車がお店に来ていたらしく、焼き立ての美味しそうな物が売っていたのでついつい」
珍しい。イクシアさんはあまりお菓子や飲み物を買ったりはしないのだが。
勿論、俺が一緒に行って買い物カゴに入れる事には何も文句も言わないし、一緒に食べてくれはするのだが。
……前にエナジードリンクを一緒に飲んだら、凄く真剣な表情で成分表を見ていたっけ。
『これは……ポーションに通じる物がありますね。私のいた国で研究していた薬品を合わせたらもっと効果のある物が作れるかもしれません……興味深いです』なんて言っていた。
『イクシア印の良く効く魔剤』なんて物が生まれたら毎日飲んでしまいそうだ。効きそうだし。
「はい、どうぞ。バームクーヘンという物です。今紅茶を淹れてきますね」
「あ、ありがとうございます。紅茶なら俺が淹れますよイクシアさん」
「ふふ、私に任せなさい、ユウキ。実は数少ない私の特技なのです」
すると、心なしかいつもよりも自信ありげな表情で、イクシアさんが手際よく紅茶の用意をする。むむ……なんか紅茶って色々拘ると淹れるのが難しくなるって何かで見た事ある気がするが、それが出来るというのだろうか。
彼女は、ティーバッグではなく紅茶葉をスプーンでポットに入れ始めた。
いつの間にあんな本格的な物を……本当に得意なんだなぁきっと。
俺なんて夏に麦茶作る程度なのに。もしくは粉末コーヒーとか。
何やら良く分からない保温用の道具やらを駆使して淹れられた紅茶が運ばれてくる。
「どうぞ、ユウキ。この世界は紅茶葉の種類も豊富ですし、そこまで高いものでもありませんし、とても面白いですね」
「そうなんですね。あまり意識した事はありませんでしたが……あ、良い香りだ」
ふんわり、というよりも割とストレートに鼻に伝わる芳醇な香りに少し驚く。
こんなに香りがするものなんだなぁ、こういう淹れ方をすると。
「ユウキ、お砂糖は必要ありませんか?」
「あ、入れます。じゃあスプーンで二杯……」
「ふふ、では私も同じく」
少しだけ熱いかな? と一瞬だけ思うも、そっとなら口に入れられる絶妙な温度のそれを含むと、口内から鼻腔まで紅茶の香りで埋め尽くされた。凄い、ちょっと飲んだだけなのに。
「美味しい……俺はじめて飲みました、こんなに美味しい紅茶」
「ふふ、それは良かった。私も淹れ方を教わるまではこんなに美味しい物だとは知りませんでしたよ。……ん、美味しいですね。バームクーヘンにも合います」
そんな、和やかな時間を過ごしているうちに、今日あった出来事が、心に溜まった感情の澱が、サラサラと外に流れ出していくような錯覚を覚える。
ああ……癒される。良いなぁ……この時間。
「ユウキ、先程よりも良い表情ですね。今日、学校でなにかありましたか?」
「えーと……分かります?」
「ええ。帰宅した時の顔が、いつもより少しだけ強張っているように見えましたから」
凄いな、分かる物なのか。確かにいつもよりテンション低めだったけれど。
俺は、見破られている以上、隠しても仕方ないだろうと、今日の出来事を彼女に語る。
VR訓練とはいえ、人を殺した事。動いている間はそうでもなかったのに、その光景を客観的に見せられ、少しだけ気持ちが落ち込んだこと。
そして何よりも、躊躇なく人を殺して回っている自分の事を『不気味』だと思った事を。
「……なるほど。体感し、詳細を感じ取れるVRという物は、私もこの世界に来てからすぐの頃、日常生活の訓練の為に使う事がありました。現実となんら変わらないあの環境で人を何人も殺害する。それは確かに、この世界で平和に生きる子供には酷だと思います」
「でも、そういう役目を担う事になるんだと思います、俺の力は。だからこの選択をしたんですし。大丈夫です、イクシアさんとお茶を飲んだら楽になりましたから」
「……そうですか。ですが、ユウキのその気持ち、感情は当たり前の物ですから、どうか自分が『異常だ』なんて考えないで下さいね」
すると、立ち上がったイクシアさんが隣へ腰かける。
こちらの手を優しく取り、そっと撫でてくれる。
「私も、若い頃は戦いに身を置く人間でした。……人を手にかけた事もあります」
「……薄々、戦う人だったって思っていました」
「私は、少々特殊な身の上で、元々魔法で戦う技術を学んではいたのですが、実際に人を手にかけた日には、今のユウキのように、少しだけ自分の事が恐くなったんですよ」
儚げに、過去を懐かしむようにイクシアさんが語る。
手を握り、まるで緊張をほぐすように、微かに揉むように動かしながら。
「私の母も、初めて人の命を奪った私に今のように接してくれました。お茶を共にし、優しく手を触れて、そして――」
その瞬間、静かに腕を引かれ、身体が彼女へと引っ張られる。
そのまま、こちらの背中に回される、細い、けれども力強い彼女の腕。
「こんな風にしてくれましたよ。どうです? 安心出来ますか? 私は貴方を異常だとは思いませんし、それは至って平常な反応です。安心してください」
「あ、安心は勿論できますが……すみませ、恥ずかしいのでこれでストップで……」
「ふふふ、今日はもう少しだけお付き合いしてもらいましょうか。逃がしませんよ」
「ぐぇ……強い強い……」
「おっと。ふふ、逃げられましたか」
油断するとすぐこれだ! ええい物凄く恥ずかしい! 心臓がドックンドックンしてますわ! ……けど、確かに凄い効き目だ。不安も、緊張も、恐れも全て消えてくれた。
信じられないくらいの安心感が全身を包むような、そんな優しい感覚に、思わず今度はこちらから抱き着きたくなるような気持ちにさせられてしまった。
……最強の精神ケアでは? 精神科医なんて俺には一生必要ないのでは?
「ふむ、やはりスキンシップは偉大ですね。もっとユウキは私に甘えるべきです。どうです、やはり今からでも一緒の部屋で寝ましょうか? ベッドを一回り大きい物にして――」
「それはさすがにやめましょう。大丈夫、もう大丈夫ですから」
「そうですか? 大丈夫そうですね。ではそろそろ晩御飯の支度でもしましょうか」
「分かりました。あ、でもその前にバスケットの中身、洗い物だけ俺がやっちゃいますね」
「ふふ、ありがとうございます」
や、やれることはやらなければ。こんなに良くしてもらっているのに、何もしないなんてそんな。まぁカップを洗うだけなんですけどね。
「あ、そういえば今日のサンドイッチ、量が多くてクラスメイトと一緒に食べたんですけど、カップが多くて助かりましたよ」
「ええ、そうでしょう。誰かと分け合えたらいいな、と思いまして」
「なるほど、そうでしたか。お陰でまた新しい友達が出来ましたよ」
「それは良かった。明日は――土曜日でしたね。月曜日はどうしますか?」
「月曜日は――確か研究室、今日の試験を受けたところに顔を出すので、遅くなるかもですけど、念のためお弁当は抜きでお願いします」
「分かりました。ではそうですね、その分月曜日は気合を入れて晩御飯を作りますね」
おお……最近どんどん料理を覚えているイクシアさんの事だ、本当に凄い物を作りそうだ。これは俺も負けていられないな……美味しい魚料理を調べておこうかな。
一先ず、部屋で来週の準備をすると告げ居間を後にする。なんだか少し気恥ずかしいのだ。
「……余韻でニヤケそう。なんであんなに良い香りがするんだろう……紅茶じゃないよな」
イクシアさんってあまり化粧とかしないけれど、香水はつけるのだろうか。
「よし、この日は持っていく教本少ないし楽でいいな。なんでこういう教本も全部電子書籍にしないんだろうな」
通学用のリュック、以前ガレッジセールで購入した物に教本やノートを入れ、着ていく服を予めハンガーにかけておく。
改めて思う。制服って、偉大だったんだなって。毎日被らないように服を選ぶのって難しいな……バイトしてた頃も金は殆ど生活費とかゲーム代にあてていたし。あとスマホ。
この世界に来てからは逆にバイトもせずに訓練施設通いばかりしていた所為で貯金が減る一方だったんだが。もっと服を買うべきでしたな。明日買いに行こうか。
新しい生活への細やかな不安が出てきたその時、この世界でのスマホ、スマート端末の着信音が。
「お、ショウスケからだ、珍しい」
卒業式からその後、連絡のなかったショウスケからの着信。
メールではない、通話アプリだ。
『久しぶりだなユウキ、今時間大丈夫か?』
「大丈夫、今家だから。久しぶりだなショウスケ」
『ああ。一人暮らしに慣れてある程度余裕が出来てきたからな。そっちはどうしているかと思って連絡した』
おお……心の友よ……卒業してから連絡してきたのお前が始めてだ!
いや俺も誰にも連絡していないんですけどね。新生活に慣れる為に毎日必死です。
「俺の方も今日でひとまずオリエンテーリング終わって、受けたい講義と所属したい研究室を決めたところだよ」
『研究室をこんな時期から決めるのか……やはり熱心だな、才ある者をさらに早くから選抜して教育するなんて。それで、ユウキはどんな講義を取るんだ?』
「グランディアの歴史とか文化、神話が知りたいからそっちの分野と、近代兵装の理論。戦術学は当然受けるし、無駄かもしれないけど魔力応用学も一応。研究室は実戦戦闘理論っていう、ちょっと物騒な戦い方も含めて色々教えてくれるところに入るよ」
『なるほど、歴史や文化は俺も同じだ。あちらの文化や歴史、神話はとても興味深い。こっちも概ねユウキと似たような講義を取る予定だが、それに加えて希少種族の言語についても学ぶ予定だ』
ショウスケは将来グランディアで働きたいと言っていたし、納得だ。
それから、お互いの私生活についてや、利便性の話、通学の話などとりとめのない会話を続けていく。
『そういえば、東京には彼女……ヨシカゲさんも行ったんだったな。彼女とは会っていないのか?』
「あーサトミさんか。実は一度メールを送ってみたんだけど、エラーで送り返されたんだよ。なんか通信が出来ない場所にいるからって」
『ふむ、もしかしてグランディアに行っているんじゃないか? あちらとは通信が効かないし、暫くは向こうでやる事も多い。地球に戻るのはもう少し落ち着いてからになるのではないか?』
「そういうものなのか。あ、そういや魔力の変質とかもあるんだっけ?」
魔力変質。グランディアに渡ると、地球よりも魔力の濃度が高い関係で、身体がそれに適応する為に、暫くグランディアから離れられなくなるらしい、初めての場合は。
適応するまで地球に戻れないのだとすれば、連絡がつかないのも納得だ。
なお、そこで初めて髪や瞳の色が変わる場合もあるのだとか。
……ちょっとワクワクするな。俺が行ったらどうなるのだろうか?
そういえばショウスケも黒目黒髪だったな。
「なにはともあれそっちも元気そうで良かったよ」
『そちらもな。イクシアさんに迷惑を掛けないようにするんだぞ』
「だからお前は俺の親父かってーの!」
『くくく、じゃあ今回はここまでにしておくか。またな、ユウキ』
良いもんだな、こういうの。そうか、きっとみんなもそれぞれの新生活が落ち着き始めた頃なんだろうな。俺も、講義や研究室が本格的に始まったら……負けていられないな。