第百七十七話
ユウキ達が地球に向けて航行していたその頃、地球では一つの大きな行事が極秘裏に行われようとしていた。
「分かりました。では港に迎えの車両を手配しておきます。無事の御到着をお待ちしております、大統領」
ハワイ諸島からほど近い島。かつてユウキ達が夏季合同合宿の為に集められた島であり、各国の研究者が合同で研究開発を行う、地球上で最も進んだ魔法科学が生まれる島。
その場所で、リョウコはとある国の大統領と電話でのやりとりを行っていた。
「……これで、今回の一件に関わった全ての国の代表が集まりました……か」
それはサミットの為。今回地球にもたらされた大きすぎる真実は、リョウカを追い落とし世界樹の植樹を推進していた、つまるところリョウコとセシリアの考えに賛同していた国の代表達が、今後の対策を練る為の物だ。
だが――
「お疲れ様でした、リョウコ。では私は……時が来るまで潜んでおきましょう」
「……はい、お姉様」
それはリョウカの提案による物だった。
既に八方ふさがりであり、このままいけば地球での全責任を負わせられるリョウコを救うと、まるで地獄に伸びる蜘蛛の糸のような希望をちらつかせ、強制的に行わせた招集。
もう既に、リョウカは地球の各国首脳相手に、喧嘩を売る準備を始めていたのであった。
「しかし、どの国も今の状況は不安なのでしょうね。自分達のしてきた事が全て反転、地球の破滅の片棒を担いでいたなんて」
「私を……どうするおつもりですか」
「悪いようにはしません。貴女は私を越えようと尽力し、そして失敗した。ただそれだけです。ですが、他の人間は違う。より自分達が利を得る為だけに同調し、そして失敗した場合の事など何も考えず、ただあなたが提示した『秘策とも呼べる手段があるから集まって欲しい』という具体性のない話に喜び勇んでやってきた。……あきれて言葉もありません」
そうして、サミットの時間が迫る。
大会議室には、今回暴かれた真実により、このままでは国民から糾弾される可能性があると予測する国と、リョウコに賛同しリョウカを追い落とす為に動いていた人間……日本の総理大臣を含む各国の首脳が集まっていた。
「お待たせしました、皆様。では、今回暴かれた真実、世界樹の苗に隠されていた真実と、その計画に乗せられていた我々が今後どう出るべきかの――」
「我々? 君だけだろうミス・リョウコ。我々は君に付き従っただけに過ぎない」
「見苦しいぞ、総理。我々も一蓮托生だ。この状況を打破するために集められたのではないかね」
早速反論の声を上げる人間。本題を早く話せと遠回しに催促する人間。
その反応は様々ではあるが、リョウコにはなんの話もない。
ただ、リョウカに言われただけ。
そしてリョウカはもう、油断も何もなく、出し惜しみもなく、今この瞬間、勝負を決めに動いたのであった。
一瞬、室内にいる全ての人間が違和感を覚える。
それは首脳陣だけでなく同席していた各国の護衛や秘書に至るまで全員。
全員が、唐突に身動きが取れず、指一本動かせなくなっていた。
唯一動くのは口と目。完全に拘束されてしまっていたのだ。
「な……これは……」
誰かがその事実に気がつき、声を上げた瞬間、会議室の扉が開かれ……二人の人物が現れた。
「この島で研究中の環境再現術式です。この部屋にいる皆さんの周囲の空気の粘度を千倍にしました。ですが頭の周りはそのままなのでご安心を」
現れたのは、今回の議長を務めるリョウコと瓜二つの人物。
すなわち、リョウカ。
その姿を見ただけで、集まった全員は瞬時に理解する。
『ああ、これは終わりなのだ』と。
「さて……私は邪魔だったのでしょうが、結果としてグランディアにしてやられた。私の失脚を狙い動いて来た皆さんには是非、これから先、自国の混乱、暴動、経済破綻を収める為に奔走して頂きたいと思っていたのですが――」
「だ、だから私は言ったのだ! このような小娘の戯言に流されていいのかと! ミス・リョウカ、弁明の機会を与えて欲しい! 我々は――」
「……挙手のない発言を取り合うつもりはないのですが?」
「ぐ……」
冷たい殺気。国の上に立つ人間ならば、殺気の一つや二つ、受けてきた経験はある。
だが、それとは明らかに質の異なる『本物の戦士の殺気』に一同が押し黙る。
「皆さんにチャンスを与えたいんですよ、私は。皆様に都合の良いシナリオを世界に流し、これから先も皆さんが各々の国をしっかりと運営し、平和に過ごせるチャンスを。欲をかかずに、隣人と手を取り合い、幸せな未来を築き上げるチャンスを」
「……」
一人の男性が手を挙げる。
「どうぞ」
「……我々に求める物はなんであろうか」
「過度な欲を出さない事。独断専行を決してしない事。その瞬間私はその国に今回の秘密の一端を暴露しましょう。分かりやすく言います、皆さんは今私に、このアキミヤリョウカただ一人に、丸ごと『脅されている』のですよ。もう余計な事をせず地球を平和に導く為に手を取り合えと」
脅しにしては綺麗ごとが過ぎるその要求。
だが、かつて独断専行をし、粛清を受けた国……アメリカを知る人間達は、押し黙ってしまう。
「……挙手だ、ミス・リョウカ」
「どうぞ、首相」
「……どこかが、必ずどこかで反旗を翻す。そうは考えられないのか」
「その時は国の内部が崩れます。必ず、絶対に。そして……それでもなお捨て身で挑むのであれば、それはとてもとても『正しくない』」
その単語を口にした時、初めてリョウカと共にこの会議室に現れた『甲冑のようなコンバットスーツを着こむ人物』が口を開く。
「お初お目にかかる。皆が『ジョーカー』と呼ぶ人間だ、と言えば分かるかね」
瞬間、息飲む複数の音が重なる。
「今回は特別だ。私はこの女の従者でも協力者でもないが、今回の事件は少々世界の均衡を崩しかねない。故に釘を刺しに来た」
「そういうことです。国を滅ぼしてでも私に挑むのなら、文字通りそのような国を物理的に滅ぼす。そう言っています。彼は、世界にとって悪影響のある『大きすぎる歪み』は必ず消し去ります。地球に混乱をもたらし、グランディアにまで波及しそうな『今回の秘密を自業自得で暴露された国』は、必ず滅ぼします。無論、暴露した私も含めて」
それは、遠回しなリョウカの心中宣言だった。
「私は嘘を言わない。もし、国が捨て身でこの女に挑むのなら、その手間を省こう。この女とその国を文字通りこの地球から物理的に消し去ろう。何億と住む国民共々」
それが、誇張表現ではないと知っている。
ジョーカーだけではない。世界を滅ぼす力など、この世界にはありふれているのだ。
核しかり、禁術しかり、細菌兵器しかり。
それが一個人か兵器かの違いでしかないのだ。文字通り真実なのだ。
「これが提案です。皆さんはこれからも国の為、地球の為歩みを共にしましょう? グランディアは良き隣人です。異質な考えを持つ元凶は取り除かれ、後に残るのは友好関係です。そうですね……『私は植樹直前で違和感をおぼえ、影武者を立てグランディアに渡りました。国連の皆さんはそんな私の策が露見しないよう、ササハラユウキこそが悪だと虚偽の情報を流させ、その行動をバックアップしていた』そういった筋書きで既に偽の証拠を用意しました。これで、皆さんは『グランディアの悪しき企みに対抗する為、地球全てを騙しながら秘密裏に正義の為に戦った勇ましきリーダー』となるでしょうね?」
甘い、甘すぎる蜜のような提案。誰もが喉を鳴らす様な、危機を回避する最良のシナリオ。
「きっと後世の歴史家も称える事でしょう。地球の危機を救った各国の首脳陣を。その栄誉を、国民からの絶大な支持を……次期選挙でも勝ち続けられるであろう、絶大なエピソードを提供しましょう」
もはや、誰もがそれに抗う事なく、喜んでリョウカの言う『脅し』に屈したのであった。
そう……やって見せたのだ。武力をちらつかせはしたものの、皆が喜んで手を取り合い、平和に向かうと心の底から約束するという、夢物語のような結末を手繰り寄せたのだ。
恐怖での支配はやがて終わった時に全ての不満が破裂する。
だがもし、皆が喜びそれに協力、共犯関係とも言える状況に持ち込んだら?
それは、長い平和へと繋がる。離反したくないと皆が思う、不自然でありながらも最高の状態。
ここにリョウカは、ジョーカーですらなしとげていない、世界平和を勝ち取り、同時に『正しく起きた戦争』が起こりえない状況手に入れたのだった。
「……最も欲していた結果を、貴女は手に入れました。お姉様、結局私はこのお膳立ての為、踊らされていたのですか?」
「いいえ、ただ私はアドリブに強いんですよ。経験と人脈のなせる技です」
会議が終わり、それぞれの部屋に戻る。
リョウコは、まるで最高の結果が最後には手に入ると予見していたかのように立ち回るリョウカに、恐れにも似た感情を抱き始めていた。
「……私はこれからどうなるのですか。もはや生きながらえるつもりはありませんが」
「そんな事言わないで下さい。貴女にはこれからも次期秋宮総帥として、成長してもらいたいのですから」
甘すぎる言葉。だが、それに水を差す存在が一人。
「だが、お前が許してもあの二人が許さないだろうさ。ササハラユウキ、ササハライクシアの両名だ。リョウカ、お前がもしその女を庇うというのなら、必ず二人と敵対する。そして俺は絶対にその女を守りはしない」
「っ! 貴方は本当に……あのジョーカーなのですか?」
「発言を許した覚えはない」
「っ!」
ジョーカーことヨシキは、静かな怒りを滲ませながらリョウカに語り掛ける。
「……一度だけ、会合の場を頂けると幸い、ですかね」
「無駄だ。ササハラユウキならば、もしかすればある程度の罰で許してくれるだろう。だがイクシアはそうはいかない。あれは、母という役割に固執し、誰よりも母であろうと動く。必ず、イクシアはその女を殺す。そうなればリョウカ、お前に彼女は止められんよ」
「……そう、だと思います。ですがそれでも私は、この子を……次代の希望を失う訳にはいきません」
「希望? お前になる事も出来なかったこの愚か者がか?」
「世界が違うから。彼女は、環境が違えば、傍にいた人間が違えば、必ず私に至っていた。いえ、責任は私にあるのです!」
リョウコは思う『何故、敵である自分をこれほどまでに庇うのか』と。
「思えば、私は自由だった。目の上のタンコブになるような存在もなく、自由に過ごし、そして……貴方達と出会い、ここまで至れた。ですが彼女は違います。私という邪魔な存在が常に前にいた。そう、私こそが原因なのです」
リョウカは口を噤むリョウコ、己の半身とも、妹とも呼べる彼女の隣に立つ。
「私が間違っていた。導くのではなく、前に立つのではなく、隣に立つべきだった。共に歩むべきだった。私は元来、誰かの下に付くのを良しとしない。それなのに、私は彼女を導こうとし、傲慢にも見識を深めろと旅に出し、そしてその結果がこれです! 私が、ずっと彼女の隣にいるべきだったのです」
「……それで、共に歩んだ先はどうする?」
「いつの日か、彼女は私の隣から一歩前に。それを私はただ見送りましょう。停滞の体現者でもある私は、この世界を導けない。ですが……彼女なら先に進める。私と同じでありながら、別人である彼女だけが……」
己の考えを、最も恐ろしく強大な存在に必死に語り聞かせる。
「……なら、イクシアを納得させる方法を考える事だ。あれは苛烈だ。『母親』によく似ている」
「……そうでしょうとも。貴方が言うと説得力があります」
「俺は野暮用がある、失礼するよ。くれぐれも選択を誤るなよ、お前が死ぬとしたらそれは俺に殺される時だけだ。出来ればそうならない事を願っているよ」
そう最後に言い残し、部屋から去るジョーカー。
残された姉妹はただ、息をつく。すると、リョウカはまるで力が抜けたようにベッドに崩れ落ちる。
「寿命が……縮みました……リョウコ、これで貴女の命は……一先ず繋がりました」
「……何故です、お姉様」
「先程言った事が全てです。これからは……並んで歩きましょう。その為にはどうにかしてイクシアさんを納得させるしかありませんね」
「私は、きっと貴女にはなれない。それなのに……」
「きっと私より良い指導者になりますよ。一緒に、私と同じ風景を見ながら歩いていきましょう。もう、貴女をどこかに行かせはしない。それだけは、約束してもらいますからね」
リョウカはリョウコを抱き寄せる。
「貴女は私がなれなかった私。妄執に囚われ、大きな過ちを犯した私では決して行けない場所まで行ける」
「……分かり、ました」
「ではそうですね……一先ず貴女には新たな名と素性、顔を与えなければなりません。私に最も近い場所で、これからもこの世界を見ていきましょう?」
「……はい。全て、お任せします。再び生きる道を提示して貰った恩には……報います。必ず」
それは解決なのか。それとも雌伏の時なだけなのか。
それはリョウカには分からない。
だが、信じているのだ。対等な立場で、同じ物を見て歩んでいけば、必ずリョウコは開花すると――
それは、たとえば『一般的な小学校の職員の一人』であったり『片田舎の小さな個人酒店』であったり『近所付き合いのある主婦』であったり『訪問販売の薬売り』であったり。
日常に紛れ込むのではなく、日常の一部として存在する様々な人間。
もしも、それらの人間が全て『密命を受けた一流の諜報員』であったとしたら。
そんな人間を『世界中のあらゆる場所に平然と溶け込ませている』としたら。
そんな事が可能な人物がいれば、それは間違いなく『影から世界を支配している』とは呼べないだろうか。
日本の関東、とある山岳部。
広大な山々が聳える大自然豊かな土地、それら全てが『ある財閥』の私有地。
第三者が決して立ち入れない、広大すぎる土地の一角、ある山が切り開かれ、とてつもなく大きな豪邸が静かに聳え立っていた。
そんな豪邸の主『先代石崎財閥当主』である石崎老は、自分の部屋で一人、世界中のあらゆる場所に潜ませている人間からの報告を確認していた。
それはたとえば『某国の首脳の護衛を務める人間』であったり。
「……秋宮、まさか返り咲くどころかより強大になりおるとはの。少々……絡め手で落とすのが難しくなってしまったか」
リョウカによる『ほぼ無血による戦争回避』と『地球全てをほぼ掌握』という状況は、裏の世界で生きる石崎家にとっては少々都合の悪い状況であった。
「『こちらの正攻法』で終わらせる他あるまい。悪く思うな、秋宮の。お主は少々力を持ち過ぎた。……良き戦争相手じゃったよ、お主は」
石崎の得意とする分野は、諜報ではない。本来、邪法、呪法による暗殺こそが、石崎の家をここまで成長させてきた。
秋宮とは違い、完全に裏稼業から始まりここまで成長してきた家だからこそ、躊躇しないのだ。
必要ならば『殺す』。それがたとえ強大な力を持って人間であろうとも。
この日、石崎老はついに、秋宮リョウカの殺害を決意した。
『決意してしまった』
一瞬だけ、部屋の照明が点滅する。
本当に一瞬。さもすれば蛍光灯の不備で済ませられるような、そんな程度。
だが、この屋敷は恐らく現在、世界一厳重な警備、防犯システムに守られている。
そんな部屋で些細な異常なんて起こる筈がない。
石崎老は、ただ静かに声を発する。
「ふむ? 何者じゃ」
声をかけられた男は、しっかりと石崎老の座る椅子の向かい側にいつのまにか立っていた。
まるで最初からそこにいたかのように。
「夜分遅くに失礼。直接会うのは初めてだろうか。いや、でもこっちの事は知ってそうだ」
「……ニシダヨシキ。BBと名乗る人気ブゥチューバーが訪ねて来るとはのう」
「意外や意外、視聴者様であらせられる?」
そこに立っていたのは、変装もなにもない、ジョーカーとしての装備でもない、ただのスラックスにYシャツ姿の男性。まごう事なきニシダヨシキそのものだった。
彼は飄々と、知り合いとでも話すように語る。
「いや、生憎そういった手合いは見たことがないでの。だが……秋宮に連なる者は全て知っておるよ。ニシダ主任の実兄、父の名はヨシユキ、母は七年前に他界。グランディアにて重婚、二人の妻については厳重に隠しているようじゃな。恐らくグランディアの要人かそれに連なる者か」
全てを知る。突然現れたヨシキを警戒するでもなく、ただ悠然と語る。
敵ではないと、意に介する必要はないと。自分の優位は揺るぎないと。
「残念、もう一つ大事な事を見落としているぞ石崎老。たぶん、これが一番大事なんだが……」
「ほう、聞かせてくれんか。主が尋常ならざる力を持っているのはここに現れた今知ったんじゃが?」
ヨシキは、鋭い目つきを精いっぱいほころばせようと、笑顔を浮かべながら宣言する。
「どうも、通称ジョーカーです」
「……そうか、主がそうであったか」
「割と驚いてくれてなにより。いやはや、さすがに他の人間よりは遥かに『質』が良いな、石崎老。地球人としては破格の人格破綻者じゃないか」
「言いおるわ。して、何用じゃ、世界の調停者を自称するお前が儂に」
互いに、自分こそが強者であるという自負が、奇妙な関係を演出していた。
気やすいような、勝手よく知る友人のような、そんなやりとり。
「自称した事なんてあったか……? まぁいい。いやな、石崎老、アンタは今さっき『超えてはいけない一線』を越える決意をしただろ? 実行可能かどうかはさておき、ソイツだけは俺の『私欲』の為に阻止しないといけないんだ。が、残念ながらアンタくらい凝り固まった人間を心変わりさせるのは難しい、いや、面倒だから――」
ヘラヘラと、なんでもない風に自分の心境、状況を解説するヨシキが、唐突に――
「殺す事にした。お前の影響下にある物全てを含めて、完全にこの世界から抹消する事にした」
死刑宣告。一国を屈服させた圧倒的な暴力を、一個人に向ける。
だが――
「そうか。秋宮の猟犬であったか、お主も」
「いんや、俺は秋宮に従うつもりもなければ、本来あの家を守るつもりもない。が、リョウカの命を脅かす存在がいるのなら、それだけは排除しようと決めていたんだよ、勝手に」
「ふむ。既に妻が二人いるというのに、気の多い事よ」
「なんとでも言うがいいさ。ま、そんな生ぬるい関係じゃないんでね」
余裕の崩れない両者。命を握られているにも関わらず、石崎老は微塵も揺るがない。
「せめて、正体を隠して現れるべきじゃったな、ニシダヨシキ。ヌシの友人、家族、それら全ては既に儂の手中にあるようなものじゃ。動けんよ、ヌシは」
それは、自分の手が糸の様に世界に伸び、影から全てを操れると自負しているが故の自信。
たとえ、最強の存在が相手であろうと、それは揺るがないという自負。
が、奇妙な表情を浮かべているヨシキに、さすがの石崎老も訝しむ。
「いや……俺が姿も正体も隠さないで、直接来たんだぞ? いまわの際にせめて礼儀としてこうして出て来ただけなんだぞ……? なんというか認識がずれているというか……お前、危機感が無さすぎるだろ……」
「危機感がないのはヌシじゃよ。言葉一つで今この瞬間、全てを奪う事が出来る」
「言っても分からないか。よし、じゃあやってみるといい」
「……愚かじゃな」
瞬間、石崎老の表情が大きく愉悦に歪む。
「今、指令を出した。明日には父親の訃報が届くじゃろうて」
「……なるほど、何らかの術で外部に指示を出したか。そうだな、おおかた俺の実家近くにある酒店の従業員に『対象の家を破壊しろ』とでも指示を出したか?」
それは、正確に石崎老の思考、命令を見抜いた発言だった。
さすがに驚きの表情を浮かべる石崎老。
「……知っておったか」
「というか、だ。実家に今連絡したら普通に親父は電話に出るし、今頃ナイター中継でも見ながらスーパーのお惣菜でもつまんでいるんじゃないか?」
「なんじゃ、何をした」
「だから、もう終わってるんだよ。石崎グループの人間の六割は現当主ではなくお前に付き従い、その更に下部組織は世界中に無数に存在しているだろう? その人数は一〇〇万を優に超えている。アンタは世界中の有力な人間をその気になればいつでも脅せるし、ある種の抑止力として秋宮よりも優秀だったよ」
驚異的な組織力を正確に把握。それでもなお、ヨシキの余裕は崩れない。
何故なのか。一体なにが、この余裕を生み出しているのか。
「もうお前だけなんだよ。この世界にお前の力が及ぶ人間は、自身のみなんだよ。俺がここに来た時から三〇秒程で、お前の下にいる一〇〇万以上の人間は全て死んだんだよ」
「……は?」
「ほら、連絡でもなんでもしてみろ。今頃世界中で突然隣人、知り合いが謎の衰弱死をして大混乱だ。あーあ、結構大ごとになっちまったな?」
「何を……言っておる」
慌てず、静かに石崎老は懐から端末を取り出す。
何かを探るように、その動きは段々と慌ただしくなっていく。
電話に手を伸ばす。何かのスイッチを押す。だがそれでも、変化は現れない。
「俺は、自分の力を磨いた。既に完成されている力を、有り余る時間、数百年の時をただ研鑽に消費した。まぁ勿論自分の仕事はこなしていたがね? やがて俺は、自分の力を『波及』させる事に成功した。無論、ある程度下準備は必要なんだが。けど幸いにして、俺には世界最高の魔導師と世界最高の目を持つ二人の妻がいてな?」
慌て始める石崎老を他所に、ヨシキはまるで関係なしに話を続ける。
「お前の影響下にある人間だけに力を波及させたんだ。お前を除いて。たとえば……大体三〇秒前後の時間であらゆる命を終わらせるって力があるんだ。そいつをお前からその影響下にある人類全てに波及させた。正直まだ罪も侵していない人間が大多数だが、お前の命令一つでなんでも壊し殺す人間だろ? だからお前を追い詰める為に全員殺したんだ」
「なんじゃ……本当に……誰にも……」
「ようやく理解したか? もうお前さんは終わってるんだ――」
その瞬間、石崎老は自分の懐から何か石を取り出し、手に握る。
それに呼応するかのように、唐突にヨシキもまた胸を抑え蹲る。
「ぐ……」
「そうだ、目の前にいる以上、ヌシに勝ち目はない。どんな仕掛けかは分からぬが、ハッタリが随分上手じゃな」
「……呪術か。魔眼の類も持っているのか……」
「これはヌシの心臓と同じじゃ。生憎儂には石を握りつぶす力はないが、それでも辛いじゃろう? あと何秒意識を保てるかのう?」
「ぐ…………なんてな」
蹲っていたヨシキが立ち上がる。苦し気な表情も消し去り、なんでもない風に応接室に飾られていた鎧甲冑へと向かう。
「な……」
「目の前にこんな武器があるならこっちの方がいいだろうに……まだ逆転の芽があったんじゃないか?」
そう言いながら、備え付けられていた刀を取り外し、抜き放つ。
「おお、模造刀じゃないじゃないか。ちゃんと真剣だ。ほら、これで一気に胸を突き刺せば、そんな子供だましよりも速く相手を殺せるだろ? こんな風に」
刀を自らの胸に突き立てる。
あふれ出る血液が床を染める。
だが次の瞬間には傷が消えてしまう。
「……化け物め」
「そうだ。ただの人間に倒せる代物じゃないんだよ俺は。そして本来ならば、お前のようなガキにやり込める相手じゃないんだよ、リョウカは」
「儂を……儂を童と侮るか!!!!」
「怒るな、事実だ。……いいか? 所詮暇潰しなんだよ。アイツは自分から困難な条件を自らに課しているだけだ。本当ならお前程度、歯牙にもかけないんだよ。石崎なんてとっくに滅んでいてもおかしくない。ただリョウカが『便利で面白いから敵として配置し続けている』だけなんだよ。が、アイツはゲームを進行するのは上手でも、駒の動きを制御出来ていない。だからお前のように勘違いして動く駒が現れる」
石崎老は、話の半分も理解出来ていない。
だがそれでも『自分が破滅する』事だけは、今になってようやく理解した。
自分が最強であると、最も強いと、最も力ある存在だという強い自負がある故に『自分の危機に鈍い』のだ。
「もう十分生きただろ。良い夢も見れただろ。言い残す言葉はないか?」
「……まだ死ぬ気はない」
「そうか」
その瞬間、日本の関東にある山岳地帯の一角が、唐突に焦土となる。
後に隕石の落下という発表がなされるが、世間では『何らかの施設が事故を起こした』と噂される。
だが秋宮による区画一帯の封鎖がされ、真実は誰も探れなくなる。
最後に言い残した言葉は一切の希望も遺産も影響も残さずに消える。
その日、長らく日本に息づいて来た、古の呪術を扱う一族、その力を継承した最後の一人が消滅し、世界中で一〇〇万を超える命がこの世を去ったのであった。
「……消すのは屋敷だけにしておくべきだったかねぇ」
後日、その土地の真ん中で、一人の男がそう一人ごちる。
罪の意識なんて微塵もない。ただ平然と、悠然とそう語る。
『ジョーカー』は文字通り勝負を決める『ジョーカー』なのだ。
(´・ω・`)ひとでなしでもなんでヨシキは過分なまでにリョウカを殺すって口にするのか