第百六十三話
時は少し遡り、ユウキ達がサーディス大陸に上陸するのと時同じくして、地球から派遣された異界調査団一之瀬部隊がサーディス大陸上陸を果たしていた。
「……よし、良いぞミコト。みんなも出て来てくれ」
「ふぅ……助かりました、兄さん」
「着替えまで用意してもらって……セイメイさん、感謝します」
「ここは……なるほど、港でしたら人も多いですし紛れ込みやすいですわね」
「セイメイさん、これからそちらの部隊はどうするんですか?」
貨物室からコンテナが運び出され、中からカイ達SSクラスの生徒が降り立つ。
到着したのは『シーダス』と呼ばれる港町。首都に最も近い場所にある、大陸東の港町だった。
同時に――最も異界に近い港でもある。
「そうだね、まもなく僕らが定期連絡と補給で地球に戻っていた間、戦力補給として交代で派遣されていたグランディアの調査隊と入れ替わる形でまた異界入りをする予定だね。ミコト、お前達はどうするんだ?」
「私達は……まずは旧都に向かいたいと思います。私達の担任が、旧都に住んでいるはずですから」
「ふむ、そうか。だったらまもなく来るこちら側の異界調査団が船でセリューへと向かう事になっている。その船に乗ると良い。一般人向けの定期便もかねている」
「それは丁度よかった。何から何まで感謝します、兄さん」
「気にするな、ミコト。普段家にいないんだ、これくらい役立たせてくれ」
セイメイは荷物のチェックを済ませ、船へと戻っていく。
自らの立場を危険にさらしてまで密航に協力してくれた彼に、一同は深く頭を下げるのであった。
「確かファリル家、だっけ? セリューって街にあるんだよな」
「ああ、調べてある。まずは船で向かい、ファリル家を探す。そこで……手助けをしてもらえるとは思っていない。だが、現状の把握もかねて、お互いに情報交換をしたいと思う」
「そうだね。ミコトさんのお父さんの考えも含めて、先生にも話を聞いてみたい」
「そうですわね。ただ……ジェン先生は突然一方的に秋宮に切り捨てられた形だったかと思われます。はたして私達をまだ生徒として見てくれるかどうか……」
生徒達は、船に乗り込みセリューを目指す。
だが、実はその船に『グランディアの異界調査団』として臨時に所属していたジェンも乗り合わせていた事には、終ぞ気が付かなかったのであった。
セリューでの待機を決めたまま、俺達は出来る限り情報を集めた。
とはいえ、殆どが地理に明るくない俺への案内だったのだが。
曰く『かつて共和国と呼ばれていた地方がこの場所だ』などなど。
曰く『カイが去年の夏休みに闘技大会に出場した街は、ここの隣にある』とか。
そのうち是非俺も出場してみたいです、はい。
それともう一つ。以前、ノクスヘイムの港町では、あまり地球では見かけないダークエルフさんの姿を頻繁に見たのだが、こっちの街ではジェン先生同様、ドラゴニアの人達の姿をよく見る。
頭上に、髪飾りと間違うような美しい角を生やしている事が多いのだ。
「まぁ、今の時代は角くらいしか残っていませんが、昔は大きな翼を生やしていたのですよ。ジェンも、小さいですが小さな羽を持っているんです。普段は服の下に隠していますが」
「へぇ、そうだったんですね」
「ジェン様、まさか地球で教師の仕事をしていたとは去年まで知りませんでしたよ。ちゃんとお話するのは久しぶりです」
「そうですね、ユウキがお世話になった先生ですから、私も改めてこれまでのお礼を言いたいと思っています」
今日、ジェン先生が戻ってきているであろうこの日、港に大きな船が到着したタイミングで先生の屋敷へと再び向かっていた。
長旅で疲れているかもしれないが、こちらも急を要するのだ。
屋敷に到着すると、以前と同じ家令の男性が出てくるが、やはり帰国早々に来客というのはあまり歓迎されないのか、困った顔をしていた。
「それでも、伝えてください。アキミヤリョウカが訪ねてきていると。それでも面会を断られたのなら引き返しますよ」
「……分かりました。ジェンお嬢様へ、で宜しいのですね?」
ここに来てから、随分とリョウカさんが強引というか、強気に出ているような気がする。
やっぱりグランディアの方が彼女にとっては動きやすいのだろうか。
程なくして、家令の男性が戻って来た。
「お会いになるそうです。お連れの皆様もご一緒にどうぞ」
「ありがとうございます」
屋敷の中は、いかにも貴族の屋敷、みたいなイメージではなく、本当にどこかの詰め所のような殺風景な様子だった。
まぁそれでも十分広いし、置かれている品の一つ一つが高そうだな、なんて物を知らない俺でも思ってしまう程度には。
「ファリル家にお邪魔するのは久しぶりです。以前と変わらず、質実剛健といった印象です」
「ノルン様も来たことがありましたか。私も、以前一度だけジェン先生を雇った事を事後報告する為に」
「それは……さぞや当主様もお困りになったでしょう」
なんか一悶着あったっぽいなぁ。
屋敷の二階、応接間に通されると、そこにはジェン先生が学園で見せるようなラフな格好ではなく、どこか軍服を思わせるような、それでいて貴族のような……儀礼服? のような物を纏い待ち構えていた。
「お久しぶりです、ジェン先生」
「……お久しぶりです。ところで――貴女が『どちら』なのか、確かめてみても良いでしょうか」
俺もイクシアさんも、そしてノルン様もローブで姿を隠している。つまり怪しい四人を引き連れて現れたリョウカさんを、先生は露骨に警戒していた。
それにこの言い方は……もしかしなくて、リョウカさんとリョウコの存在、その両方を知っているはずだ。
「……どうぞ」
リョウカさんが答えたその瞬間、高速でジェン先生が近づき、そのまま拳を振るう。
咄嗟にリョウカさんを守ろうと身体が動きそうになるも、それを寸前でイクシアさんに止められる。
そう、俺が守る必要なんてなかったのだ。
俺でも間に合うかギリギリの速度で放たれた拳を、しっかりとリョウカさんが片手で受け止めていたのだ。
身体のブレもなにもない、微塵も身体を動かす事なく、完全にジェン先生の攻撃の威力を殺して。
「……リョウカさん、ご本人なんですね」
「ええ。恐らく、貴女も学園を追放された段階で、ある程度の事態は飲み込めていましたね?」
「一体、どのタイミングで……少なくとも私に辞職するように勧告してきた時にはもう……」
「私は、最後に貴女と会ったのは海上都市の空港です」
「っ! あの苗の警護任務で既に……! いや、しかしそうなると……まさか……あの植樹計画は……いやそれだけじゃない……!」
ジェン先生が狼狽えながらも、一つの結論に至ったようだ。
「……ユウキは、貴女の要請を受けてあの事件を起こした……違いますか?」
「当たらずとも遠からずです。ユウキ君と私は、今現在も繋がっています」
「世界樹の植樹も、リョウカさんではなくリョウコさんの思惑だった……?」
「……ジェン先生。やはり教員生活は貴女を成長させたようです。ええ、ほぼ正解です」
リョウカさんは、真実に辿り着きそうな先生に、これまで起きた全てを語る。
あの苗が、細工をされていた事。
リョウコはそれすら知らずに計画を進めていた事。
黒幕が、苗の警護を依頼したセシリアであった事。
そこまで説明を終えたところで、ノルン様とサトミさんがフードを脱ぐ。
「ノルン様!? ……もう、手札は全て揃っているという事ですか?」
「いいえ、貴女が最後の一枚です。代々王族の専任警護を任されて来たファリス家の貴女が、正式にノルン様を護衛し王都へと向かう。その歩みは、たとえ何者であろうと止める事は出来ない。安全に城へ向かう為に、貴女が必要でした」
「……分かりました。私は、自分の無力さを嘆き、ただ戦いに身を投じてこの気持ちを晴らそうとしていました。ようやく……ようやく気持ちが晴れそうです。今、ユウキはグランディアにいるのですよね? すでにそちらに合流しているのでしょうか?」
「ええ。万が一に備え、今は彼には潜んでおいてもらっています。この国では彼への糾弾は盛んではありませんが、それでも今連れてくるわけにはいきませんから」
俺がギリギリまで温存されるのは知っている。
一応、俺とイクシアさんは戦闘要員としては最終手段という事になっている。
正直、ジェン先生がいれば大抵の相手なら倒せるだろうし、さっき見た限りだとリョウカさんも相当強いみたいだし。
「すぐに父に面会します。ノルン様も同席し、正式に護衛要請をしてくだされば、さすがの父もすぐに頷いてくれるでしょう」
「分かりました。ファリル卿はもうお屋敷に?」
「いえ、今は調査団の拠点で事後処理をしています。今晩には戻るでしょう」
「では、我々は一度宿に戻っておきましょうか。ジェン先生、連絡の際は――」
「いえ、我が家にお泊り下さい。こんな屋敷ですが、部屋だけは多いですから」
「……そうですか?」
俺とイクシアさんだけは宿に戻った方が良い気がするが。
「お供のお二人もどうぞ遠慮なく」
「いえ、彼等は他の任務があるので、お気持ちだけ受け取りたいと思います」
「そうですか。ではそのように」
なんとかお泊り回避をしたところで、ジェン先生が神妙な顔で再び語り出す。
「リョウカさん。今回の一件が終わっても、私は地球に戻れるかまだ分かりません。家の事をないがしろにしてきたツケを払っている、という状況です。ですがもし――」
「……SSクラスの教員の席は空けておきますよ。彼等を導けるのは貴女くらいなものですから」
「……有り難うございます。ですが……きっと、アイツらは今、苦境に立たされている筈です。ユウキだけじゃない、あの事件の影響で、まるで嵐の中の小舟のように、行き先も見失っているはずです。なのに私は、アイツらの傍にもいてやれない。仮に戻れても、受け入れて貰えるでしょうか」
今すぐにローブを脱ぎ捨て『当たり前だ、先生しかいない』と言ってやりたい衝動に駆られる。
今更、他の人間に俺達が従うわけがない。ジェン先生だけだろ、どう考えても。
少なくとも俺はそうだ。
「……大丈夫ですよ。二年間、貴女は立派に担任の先生をしてきたではありませんか」
「そう、でしょうか……」
先生が、弱気になっていた。たぶん、俺達生徒の前では決して見せない姿。
それを見てしまった事が、なんだか酷く申し訳なかった。
先生が心の内を吐き出しているそんな時だった、応接室がノックされた。
それは、来客を知らせるものだったのだが――
時は少し遡り、旧都セリューの港に船が到着した頃。
異界調査団が下船し、一般の上客も続々と港に降り立ち、そこにカイ達SSクラスの生徒も続く。
「ここがセリュー……ファリル家ってのはどこだろう」
「ふむ……誰かれ構わず聞くより、シュヴァインリッターに聞きに行った方が良いんじゃないか? あの場所は言うなれば、交番のような役割もしている」
「そうだね、まずは行ってみよう。大抵は人通りの多い場所にあるあしいから、港の近くにもあるんじゃないかな」
「ええ、恐らく……そうですわね、あの辺りに人が集中していますし、行ってみましょう」
先程、自分達一般客よりも優先して下船した調査団の中に、目的の人物がいたことには気がつかないのであった。
「ええと……聞いた話によると、ここら辺だよな」
「ああ、となるとこの辺りで大きな建物となると……あそこだな」
「なんだか先生らしい感じしない?」
「軍人の家系という話ですし、華やかな意匠は好みではないのでしょう」
屋敷の場所を聞いたカイ達が、目的地を見つけたのだが、そこでキョウコが待ったをかける。
「さすがに朝早くから突然来訪して面会を要求するのは常識がなさすぎるでしょう? せめてもう少し時間を潰してから向かうべきでは?」
「でも、俺達は急いでいる訳だろ?」
「だがキョウコの言う事も一理ある。不信感や不快感を与えて、これから先もアポイントを取る事が出来なくなってしまってはもともこもない」
「ま、社会通念ていうかね? カイ君、焦る気持ちも分かるけど、親しき仲にも礼儀あり、だよ」
「……そう、だよな」
まぁ結果として、そんな社会通念など無視して突撃した人間が既にいるわけなのだが。
そうして、一時間程時間を潰し、街の中に人の姿が増えて来た頃を見計らい、一行は再びジェンの屋敷へと向かうのだった。
ノッカーを鳴らす。代表として、このような場で最も慣れているであろうキョウコが、応対に出て来た家令の男性に事情を説明する。
「このような早くに申し訳ありません。私、カヅキ・キョウコと申します」
「これはご丁寧に。当家にどのような御用でしょうか」
「はい。私、地球にある『シュヴァインリッター総合養成学園』に籍を置いていた者でして、大変お世話になったジェン・ファリル先生に、一言挨拶を、と思いまして、こうして参った次第なのですが……」
「ふむ……お嬢様の生徒さんでしたか。お嬢様は御在宅ですが、現在来客中でして……」
「そうでしたか、それは大変失礼を。では、後程また伺います、と言伝をお願いする事は出来ますでしょうか?」
「いえ、すぐにお伝えしてきましょう。幸い、今いらしているお客様も学園の関係者ですので。少々お待ちください」
そうして入り口に待たされる生徒達。
だが、その来客が学園関係者だという事に、少々危機感を覚えていた。
「まさか……私達の休学を怪しんだ人間が既に人を……?」
「どうする、キョウコ。一応休学は正当な権利だが、私達が同時に消息不明となれば……」
「けど、だからってなんでジェン先生の家に……」
「いや、もかしたら可能性を全て潰している可能性もあるよ。どうする? このまま戻るかい?」
「……いえ、その関係者とやらと会ってみるのも手でしょう。まだ敵と決まったわけではありませんから」
そうして、生徒達は応接間へと通されるのだった。