第百六十二話
「遠征中、ですか?」
「はい。現在旦那様とお嬢様は、一時帰国している異界調査団に代わり、異界入り口の防衛の任についております。お嬢様から『もしも訪ねて来た場合は丁重に対応するように』と言い使っておりました。ですが申し訳ありません、今は後日また来て頂くようにお願いする事しか……」
「分かりました。私はもうしばらくこの街に滞在します。ファリル家の皆さんが戻るのはいつ頃になるのでしょうか」
「先日、異界調査団が再びこの大陸に到着したとの報が入りました。交代で任務を終えたはずですので、既にこちらに向かっているかと思われます。明日にはお戻りになれるかと……」
翌日。ファリル家に向かった俺達は、ジェン先生の不在を告げられる。
異界……まだ俺は関わった事がないけれど、地球とグランディア両方の課題になっている問題なんだよな……。
一先ずジェン先生の実家の屋敷を後にする。
こう言っちゃなんだけど、名家という割にはそこまで豪華な屋敷、という感じではなかった。
むしろ、軍隊の詰め所のような印象だ。
広大な訓練場や、恐らく武器庫であろう建物や、最新の訓練用フィールドのような簡易スタジアムも併設されていた。
「戻りましょうか、ユウキ君。今回はアポイントを取るだけのつもりでしたし。ノルン様が待っています、まずは宿で今後の活動について相談をするべきでしょう」
「了解です」
宿へ戻る道すがら、街の様子を見回す。
昨日は夜だった事もありどこか落ち着いた雰囲気に見えたが、今は港町特有の活気にあふれているのが分かった。
いいな、ノクスヘイムとはまた違った趣というかなんというか。
「……しかし思ったよりも時間に余裕が生まれてしまいましたね」
「あの……セシリアに時間を与えるのは大丈夫なんですか?」
「そうですね……表向き、ノルン様は体調不良を理由に学園を休学しています。通常であれば、三週間程かけてこちらの大陸に戻るので、今は大体一週間ほど時間が浮いている状態と言えます。ただ、もしもノルン様を監視している研究院側の人間がいたとしたら、本来ノルン様が使う予定だった便に彼女が乗っていない事に気が付いてしまうでしょう」
「……可能性としては高いんですか、監視されていたって」
「極めて低いでしょうね。仮に魔導具回収失敗の報がセシリアに届いたとしても、ファストリア大陸に人を派遣するのには時間がかかります。ユウキ君、大丈夫ですよ。今回は……今までの様に切羽詰まった状況ではありません。むしろこちらが圧倒的に有利でかつ、盤面で言うなればチェックを掛けるところまで来ています」
「……そう言われてしまうと逆にフラグっていうか……」
こう、勝ちを確信していると逆にダメなパターンってお約束じゃないですか。
だがリョウカさんは、今回に限り、本気で問題ないと言い切っていた。
「……既にこちらも準備の為に動いていましたが、ここは相手のホームです。確かにユウキ君の心配も分かりますが……少なくともセシリアに逆転の目はなくなりましたよ。イクシアさんが同行してくれた事によって」
「イクシアさんが……?」
「はい。仮にセシリアのホームグラウンドがここだとしたら……イクシアさんにとってはこの大陸は家そのものです。身体の一部と言っても差し支えがありません」
「そこまでなんですか……」
「それに、私も……私もグランディアでの方が動きやすいですからね。気を抜けとは言いませんが、ユウキ君ももう少し安心してください。危険があるとすれば、直接対決、武力行使に相手が出た場合です。そこだけは注意してくださいね」
なら、もう少しだけ肩の力を抜いてもいいのかもしれない。
俺は今回、イクシアさんが同行した事で逆に気負っていたのだと思う。
危険な場所に大切な人がついてきてしまった。それが凄く不安だったのだ。
けど、そうなんだよな。本当は俺なんかよりもずっと頼りになる人なんだもんな。
最近、ちょっと自惚れ過ぎだよ俺。
「では、私とイクシア様、サトミさんは宿で待機、街の様子はユウキ様とリョウカ様が調べる、という事でよろしいでしょうか?」
「そうですね。現状、ノルン様の姿は安易に出せませんし、イクシアさんも姿を隠しての行動となると怪しまれるでしょう」
「髪を染める、という手も考えましたが、それはどうなのでしょう?」
「魔術的な方法で姿を変えたとしても、ここは魔術大国ですからね。主要施設や商店での買い物も難しいでしょう。変装はやましい事の現れ、と取られかねませんし」
「なるほど。さすがにノルン様の髪を脱色する訳にもいきませんしね。まぁ私なら脱色しても差し支えないのですが――」
「絶対だめです」
それを染めるなんてとんでもない! 絶対髪にダメージを与えるような事はしないでください。
「R博士作の変装道具、こんなことなら持って来るべきでしたね……」
「そういえばあれ、なんで置いてきちゃったんですか?」
「万が一にも研究院に回収されないように、ですね。安易に真似されるとは思っていませんが、念のためです」
「ユウキ様。どうか私の事は気にせずに、観光に来たつもりで旧都を見て回って来て下さい」
「ええ、そうしなさいユウキ。私はなにかお土産でもあれば大丈夫ですから」
くぅ……結局イクシアさんと自由に観光なんて、全部終わるまで無理なのか……!
リョウカさんと二人、昨今のこの大陸でどのような噂、世界樹の件が伝わっているのか、王家や研究院について噂が立っていたりしないのか、調査も兼ねて再び街に繰り出すのだった。
「この街のシュヴァインリッターにでも話を聞きに行くつもりなんですか?」
「それも一つの手ですが、ここ旧都には『白竜様』という存在がいます。民の声を常に聞き寄り添う存在ですからね、ある意味ではこの大陸の万物に通じていると言っても過言ではありません」
「はくりゅう……どっかで聞いた事あるような」
「割と有名な存在ですからね。誰かから聞いた事もあるかもしれません。最強種ドラゴニアの中でも、特に尊いとされる『白竜』の血筋の者が、長い年月をかけて先祖返りを起こした存在です。巨大な龍の姿でありながら、人の言葉を介する大いなる存在……という謳い文句です」
「あ、それは聞いた事あるかもです」
セリアさんが前に言っていた事がある。
なんか気さくなお姉さんって感じらしいけど。
……俺はどうしても、以前地球に向かう時に飛行機を使った際、空から現れた魔神龍を思い出してしまう。
あの威圧感とプレッシャーは、ヨシキさん……ジョーカーの前に立った時と同じような物を感じた。
「お城に向かいましょう。基本的にあの城の裏庭に白竜様はいますよ。謁見は自由なんです」
「へー。普段はなにしてるんです?」
「海を眺めたり、お昼寝をしたり。たまに来る謁見の人間と話こんだり、ですね。問題があれば知恵を貸してくれる事もある方で、王族の方もたまに足を運ぶ、と」
すっごい人間に寄り添っている感じだ。魔神龍とは似ても似つかないな、うん。
その謁見が出来ると言う城に向かい、リョウカさんと俺も謁見の予約を申し込む。
白亜の城。けれども、ここはもう城ではなく一種の神殿、一般人が生活するような場所でも、役人が働く場所でもない、遺跡のような場所だと感じた。
なんというか……まるで記念に残されただけの場所のような、人の息がかかっていない場所のような、そんな空気に満ちていた。
「こちらです、ユウキ君。ここの庭園は一見の価値がありますよ。白竜様を恐れて近寄る人間は少なくなっていますが」
「リョウカさんは恐くないんですか?」
「ええ、何度か顔を会わせたこともありますから」
城の内部を通り、裏庭へと向かう。
一面に海が広がり、その海の一部が石造りの足場で埋め立てられ、まるで海上に広がる大きな自然公園のような場所。
そこに、その存在はいた。
遠目からも分かる巨体。太陽の光を受けて、キラキラと輝く白い鱗を纏う、巨大なドラゴンの姿。
……大きい。でも魔神龍のような途方もない大きさではない、か。
「白竜様。起きていらっしゃいますか?」
『今起きたわよ。珍しいお客ね? その子は誰かしら? ついに貴方も身を固める決心が出来たのかしら?』
近づきリョウカさんが話しかけると、巨体に見合わず、すぐ傍で誰か普通の人間が答えたような、そんな普通の声量の女性の声が聞こえて来た。
「違います。彼は私の部下……いえ、友人ですよ」
『なんだそうなの。貴方地球人?』
「え、はい! 地球人です白竜様」
『……ちょっと違わない? きみ、何か隠してないかしら?』
「え、ええと……」
『リョウカ、この子もしかしてカイホウシャ?』
「……この世界にそんな存在はいませんよ」
『でも、今の地球人とは少し違う気がするわね。ま、でも貴女の管理下にいるみたいだし、きっと悪人ではないのでしょうね』
少し、ドキッとした。言葉の意味は分からないけど、この白竜様は明らかに俺を異質な存在としてとらえているように感じた。
……分かるもの、なのか?
『それで今日はどんな用事なのかしら? ただのお喋りに来るような人じゃないものね、貴女』
「はい。最近、この大陸におかしな動きはなかったかお尋ねしたくて参りました」
『あったわよ? 大陸術式に関与する存在がいるみたいねぇ……拙い物だから無視していたけど、なにか問題?』
「いえ、その事を知れただけで十分です。後はこちらで対処したいと思います」
『なによ、つまんない。もっと情報欲しがったりしないの? 敵の正体とか居場所とか』
「いえ、もう答えのようなものでしたから」
『……むぅ。もっとぼかして言えばよかったのかしら』
……なんか可愛いぞこのドラゴン。退屈してるお姉さんって表現をされていた気がするが、まさしくその通りだ。
凄く気さくと言うか人間らしい。
『ねぇ、貴方の名前を教えて頂戴』
「え、俺ですか? ササハラユウキです」
『ササハラユウキ……ちょっともう少し近寄って頂戴』
少し恐いが、ドラゴンが鎮座する台座の傍へと近づく。
すると、唐突にドラゴンが顔をこちらに寄せて来た。
……恐いって印象は受けないな。なんだか本当にかわいく見える。
『……ねぇ、貴方って何者なのかしら? 幾つもの懐かしい香りが……ううん、それだけじゃないわ。恐い、凄く恐い気配もまとわりついている』
「え……と……」
「当然です。その子は女神と聖女と聖母と魔王と魔神龍。その全てと間接的に関わっている青年ですからね」
『まぁ恐ろしい。……敬語とか使った方がよかったかしら?』
「ええと何の話かさっぱり……」
魔神龍と魔王は分かるんですが、他はさっぱりわかりません。
何、俺いつの間にそんなに沢山加護貰ってるの?
『不思議な子よねぇ……君からは何か質問はないのかしら』
「ええと……じゃあ、今俺達はファリル家っていうところの人間を待っているんですが、いつ頃戻るのでしょうか……?」
『そうねぇ。この世界から痕跡が消えたのが一月前で、戻って来たのが二日前。つまり魔界から戻って来たのね。こっちに向かってるのなら、明後日には戻るんじゃないかしら?』
「あ、本当ですか! ありがとうございます」
「む……ユウキ君ナイス質問です。答えられるとは思っていませんでした」
『あら、失礼しちゃうわ。同胞の事なら絶対に分かるわよ、私』
本当に、可愛いなこのドラゴン。
『けどそうねぇ……魔王……あの人がまた人間としてこの世界に生まれたのなら……私もそのうち人間の姿に戻って会いに行こうかしら……もうこの姿になって崇められるのも飽きてしまったわ。もう、古い信仰に頼らずともこの国の民は生きていけるんですもの』
「あら、戻れるんですか? 白竜様」
「え、凄い。話聞いた感じだともう戻れないんじゃないかって思ってました」
『ちょっと時間がかかるけれどね。ん-……この世界が正常に戻ったら変わるわ。まだ不安だもの。魔界に……おかしな連中……それに、ササハラユウキ。貴方も恐いわ』
心外な。俺はそんな危険分子なんかじゃありません。
だが、リョウカさんの表情が暗くなるのを見逃さなかった。
まるで……思い当たる節があるかのような。
「リョウカさん、俺は危険なんかじゃないですからね?」
「……はい。貴方個人が危険だなんて思っていませんよ」
『ま、そうよね。器から水が溢れだしたとしても、別に最後の一滴に責任があるなんて私も思ってはいないもの』
不穏。そんな二文字が脳裏を過ぎる。俺は……俺の存在は許されないのか?
そんな訳あるかよ……俺は何も悪い事なんてしていないじゃないか。
「あまり若者を脅かす様な真似はしないでください。ユウキ君、貴方はこれまで通りで良いのですからね」
「あ、はい。大丈夫です、気にしていません」
『うーん……ごめんなさいね。悪気はないのよ。だから魔王には言わないでちょうだいね』
「はい、勿論です。お知り合いなんですか?」
『昔求婚して断られたわ。後に子種だけ貰おうとしたのだけど、それもダメって。ショックで人間やめちゃったのよね、私。……まぁ嘘だけど』
いやもう反応に困る事言わないでもらいたいです。
『貴方が良い子、というより善性の強い人間なのは分かったわ。物おじしないし、私ともちゃんと目を見て話してくれる。凄く好印象よ。だから……少しだけ貴方に助言をしてあげるわ』
すると、白竜様は顔をもう少し近づけ、まるですりよるように鼻をこすりつけてきた。
くすぐったい、なんだろう、結構色々言われたのに、このドラゴンの事を憎めない。
『……行動を起こす時は周りを顧みなくて良いわ。周りがしっかり貴方を見てくれているから。思いを告げる時はしっかり意味が伝わるように言葉を尽くすと良いわ。相手はしっかりその言葉の意味を考えて応えてくれるから。何かに挑む時は、たとえ負けると分かっていても全力で挑むと良いわ。相手はその全力にきっと敬意を払ってくれるから。貴方は途中で自分の意志を殺す癖がある、って世界が言っているわ。でも世界はそんな貴方の潔さを嫌っている。もう少し貪欲に世界に食らいついても良いの』
まるで、意味が分からない。
俺の過去を、未来を見えているかのような物言いをするドラゴンが、少しだけ恐かった。
このドラゴンは一体何者なのだろうか。俺は……一体どうなるというのだろうか。
『現時点での貴方を見て思った物、一種の占いよ。無視しても良いし、参考にしてくれてもいい。貴方の味方にはなれないけれど、敵になろうとも思わない。頑張りなさい、ササハラユウキ』
「あ、ありがとうございます……?」
「……ふぅ。今日はこの辺りで良いでしょう。白竜様、今日はこの辺りでお暇します。またいつか、今度は人間に戻れたらお会いしましょう」
『はいはい。じゃあね、秋宮リョウカ、ササハラユウキ。魔王に会ったらよろしく言っておいてね』
謁見を終え、宿に戻りながら、先程の件について尋ねる。
あのドラゴンは何者で、何を言っていたのか。
「彼女は最も古い生き物。神話の時代の更に昔からこの世界を見続けている者。だからこそ、誰よりも正確に未来を予測出来る。けれどもその予測は狭い了見、古い価値観により正確さを失っている。あまり、本気にしないほうが良いでしょうね。まぁ役立つ助言や情報もありましたけれど。そうですね、世間話好きなお婆ちゃんとでも思ってください」
「……なんだか外見というか、存在と中身のギャップに驚いてしまいましたよ」
「ええ、昔からそうなんですよ……」
……俺の存在に関わる何かが見えていたのだろうか。
やっぱりグランディアは、俺の想像を超える物で溢れているよ。
宿に戻った俺達は、ジェン先生が戻る日の予想を伝え、今日も宿で過ごすのであった。
イクシアさん、お土産は白竜様のキーホルダーです、お納めください。