第百六十一話
「……本当に申し訳ないと思っています。でも……一つだけ、お願いしても宜しいですか?」
冷たい月光の差す夜の屋上で、私は一人の女性と対面する。
ノルンさん。現セリュミエルアーチ第二王女。私の直接の子孫ではありませんが、同じ系譜に連なる方。
まだ、子供だ。エルフは長い時を生きる。それでも彼女はまだ子供だ。
本来であれば、悩みを聞き、共に考え歩む親がいてしかるべき存在だ。
けれども彼女の立場がそれを許さない。そして……母親を失ってしまっている。
そんな彼女を前に、私は同情でも憐憫でもない、不思議な感覚を味わっていた。
「お願い……はい、なんでしょうか」
「……少しだけ、触れても良いですか。代償行為のようですが……その、やはり不安なのです。我が国は母上、前王レティシアが崩御してから、国の混乱が続きました。そして今、私は自らの手で再び祖国を、母が愛した国に混乱の火種を投げ入れようと……しています。勇気を、欲しいのです」
……なんだ、そんな事でしたか。
良いんですよ。誰だって不安な時、誰かに縋りたいと思う物です。
私だってそうなんですから。……そこに親とよく似た人間がいたら、誰だって……。
「ユウキは、こうすると落ち着いてくれます。あの子も……ノルンさんのように不安がる事がよくあるんですよ。そういう時はいつもこうします」
そっと手を伸ばし、私の手を取ろうとしたノルンさんの手を掴み、引き寄せ抱きしめる。
懐かしい気配。懐かしい魔力。私も、懐かしい彼女に流れる血の記憶に、癒される。
こんな細い身体で。こんな若い身で。国を、世界を繋ぐための役割を担って来た、偉大なる同胞。
「……大丈夫です、私がついています。国とは……長い歴史で必ず数度、大きな転換期を迎えます。きっと今、再びその時が来ただけです。国がより良い未来へ向かう為の……」
「……はい。イクシアさん、ありがとうございます」
離れたノルンさんが、うっすらと涙を浮かべる。
かつて、あの国は大きな事件を乗り越えたと聞いた事があった。
その事件の当事者は私ではないけれど、伝え聞いた事がある。
そこに、支えてくれる人がいた。共に戦う人がいた。協力してくれた仲間がいたと聞いた。
ならば、今度は私が、私達がいる。
「ユウキ様が羨ましくなります。イクシアさんのようなお母様がいらして」
「……ふふ。照れてしまいますね」
大丈夫。私がついて行くのだから。相手が魔術魔導の専門家であり、数多の策を弄すると言うのなら、対抗しよう。
当代の魔導師の力、どれほどの物なのか、私が見極め、凌駕してみせましょう。
子供達を守る為なら、たとえ私の平穏が脅かされようとも、全力を振るいましょう。
誓いを新たにした私は、ノルンさんと共に建物の中に戻る。
すっかり冷えてしまった彼女の手をしっかりと握りしめながら――
サーディスに渡る為の船は、残念ながら麓の漁村にはやってこないという事なので、俺達は魔車で首都を目指す事になった。
以前、少しだけ寄った場所だ。
今回移動には直通の街道を使用する為、三日程度で主都に到着すると言う。
既に秋宮の捜索の手がグランディアに及ばない、影響力がなくなっている事もあり、少しは気も抜けるそうだ。
というか、もう既にノルン様がこの大陸にまで来ているとは夢にも思っていないだろう。
それだけ飛行機がこの世界で飛ぶ、と言うのは想定外の事態なのだ。
「ユウキ君、緊張してる?」
「ん-……期待の方が大きいかな。これが終われば、また地球で前みたいな暮らしが出来ると思うと」
「……相変わらずのつよつよメンタルだね。私は緊張してる。戦いが起きるかもしれない事もそうだし……世界の今後に関わるっていうこの状況にも」
「それが普通だよ。……俺、やっぱり普通とは言い難い道を進んできたしね」
「そう、だよね。でも、私にとってはただの高校時代の友達で、今も友達。英雄でも犯罪者でもない、ただの友達。少なくとも世界に一人、気負う必要のない人間がいるって覚えておいてね?」
「ありがたいなぁ、それ。全部終わったらまたどこか遊びに行こうか。海上都市ってかなり豊富に飲食店もあるっぽいし、食べてみたい料理とか絶対食べられると思うんだよね」
「あ、確かに! 去年は千葉の郷土料理のお店に行ったよね? 今度はどこにしようか?」
まるで、高校時代に戻ったかのような気やすい会話。
カイでも、イクシアさんでもリオちゃんでもこうはいかないな。
なんだろう、この実家のような安心感は。
サトミさんのお陰で道中気負う事なく、俺達は首都に辿り着き、そこからサーディス大陸行きの船に乗り込んだのだった。
ユウキ達がサーディス行きの船に乗り込んだその頃、グランディアのファストリア大陸にて、異界調査団が再び異界へ向かう為の装備確認が港で行われていた。
「一之瀬隊長。秋宮、およびUSH社から追加発注した装備、全て確認しました」
「了解。さぁ、再び戦いにあけくれる生活に逆戻りだ。装備の最終確認は僕が済ませておく。お前達は国連から持たされた物資の詰め込み作業を行ってくれ」
「は! では、USHより追加配備された武装コンテナのチェックはお任せします」
部隊長一之瀬セイメイは、USH社の武装を積み込むコンテナに、大きな箱を詰め込んでいく。
「……すまないね、荷物扱いで」
『問題ありません、兄さん』
「本当にサーディス大陸まで直通で良いんだね? 君達のクラスメイトにセカンダリア出身の生徒がいるんだろう? 彼女の協力を得るなら途中で降ろした方が良いのではないかい? 僕の権限で、途中で補給に立ち寄る事も出来る」
『……いえ、もう決めた事です。恐らく問題の渦中はサーディス大陸です。なので我々はそこに向かうのみです』
「……分かった。乗り心地は悪いだろうけれど、積み込み作業が終われば貨物室は無人になる。そこからは貨物室で過ごしてくれ」
『了解しました』
そう、時同じくしてSSクラスの生徒達も、サーディス大陸に向けて出発していたのであった。
無事に船内に乗り込む事が出来たミコト達は、貨物室の中でコンテナ内から脱出する。
「ふぅ……これで後は到着まで待機するだけだな」
「しっかしセイメイさんも準備良いよな。あのコンテナ、一応だけど休憩用のスペースからトイレまで簡易的にだけど用意されているし、なんならコンテナ内だけで過ごせそうじゃないか」
「じゃあカイ君だけ中にいる?」
「おいおいそりゃないだろ」
「しかし……ここまで周到なところを見るに、これが初めて……ではないのかもしれませんわね」
「む、調査隊が普段から密航に加担しているとでも言うのか?」
「ええ、犯罪者ではなく純粋に、戦力を余分に連れていく為に。国連により、調査隊に選抜される人間は厳しく厳選されていますが、そこには各国に割り振られた定員が定められていると言います。ですが……」
「正直なところを言えば、全員日本人で固めた方が明らかに効率が良い。だから秘密裏に連れて行ってる、ってところかな?」
「……はい。どの国の上層部も、グランディアに出来るだけ多く関わろうとする利権がらみのしがらみがあります。ですが現場の人間からすれば、自分達の身の安全と任務の遂行能力を優先したいはずですもの」
「なるほど……ありえない話という訳でもないか……」
そんな考察をしながらも、船は進む。
通常の客船とは違い、これはあくまで調査隊の移動手段、言うなれば軍用機である為、その速度は凄まじく、およそ四日で目的の港、『最も異界に近い港』とされる、サーディス大陸東の港町『シーダス』に到着すると言う。
偶然か、はたまた運命のいたずらか。
ユウキ達とカイ達はそれぞれ、同じ大陸へとむかうのであった。
セミフィナル大陸を出発してから三日。今日の夜には旧都セリューに到着する見込みなのだけど、案の定ですね……イクシアさんがですね、ダウンしているんです。
今回の潜入の危険性を考慮して、自己封印という形で航海を乗り切るわけにもいかず、かといって部屋に引きこもるのも自分で却下したイクシアさんは、今日も甲板で風に当たりながら、青い顔で遠くを眺めていた。
「イクシア様、大丈夫ですか……? この航路が警戒されている事はないでしょうし……せめてお部屋で休まれては……」
「い……え……皆さん……がんばって……のに……ウッ……私だけやすむなんて……」
海への恐怖に加えて、三日間の移動を意識のある状態で過ごしていたイクシアさんは、もはや恐怖よりも乗り物酔いによるダメージの方が大きくなっていた。
そうだよなぁ……そもそも慣れていないんだもんなぁ……。
ノルン様は、少し前にイクシアさんと話をしてからか、大分打ち解けた……というよりも慕っている風に見える。
まるで、本当の母親のように接しているが、そもそも外見がそっくりな上に外見年齢もさほどかわらないので、完全に姉妹にしか見えないのだ。
眼福じゃ……これは良いものじゃ……。
「……ふぅ」
「ユウキ君、その姿だと黄昏ても絵になるね?」
「サトミさん。もうすぐ到着だけど、準備出来てる?」
「うん。サーディス大陸……実はまだ行った事ないんだよね」
「俺は研修で一度だけ。でも旧都は初めてかな」
サトミさんが下船準備を済ませ、隣にやって来る。
緊張した様子は……ないみたいだ。
「私、今は魔導師の力を磨くために勉強してるけど、来年からは回復魔導に特化したクラスに進んで、行く行くは救命医療と回復魔導を統合した『救命魔導』を専門的に学びたいんだ。実はサーディス大陸の王都って、救命魔導の聖地とも呼ばれているから、卒業したら……研究院に進むつもりだったの」
「あ……じゃあ……今回の事件は……」
「もしかしたら、私が進むべき場所はなくなっちゃうのかもしれないね。でも良いの。それなら別なところに行くもん。最初は信じられなかったけど……秋宮理事長の話とか、USM? の人達の話を聞いたら間違いないみたいだしさ」
ノルン様と同じく、サトミさんも……痛みを伴う旅だったんだな。
「それでしたら、他の救命魔導の名門、いえ恐らく研究院以上の学びを得られる場所への紹介状を用意しますよ、サトミさん」
そんなサトミさんの将来の不安聞いていたのか、背後からリョウカさんのそんな提案がされる。
「リョウカさん。そんな場所があるんですか?」
「ええ。一般に知られているサーディスの研究院ですが、救命魔導の発祥はノースレシア大陸なんですよ。あの国は他国、とりわけ地球との関りの少ない場所ですから知られてはいませんが、救命魔導を学ぶならあの国の医療術師学校が良いでしょう。サトミさんは聞けば、非常に治癒魔導の適正が高いと聞いています。今回の事件が解決したあかつきには、その功績も査定に加え、向こうの学校に進学できるように紹介状を書くことも可能です」
「えっと……さすがに急に言われるとその……」
もうこの人がどんな人脈を持っていても驚きません、俺。
「ええ、そうでしょうね。まだ研究院が消えてなくなるとは限りませんし、セシリア直轄の部署だけの問題かもしれませんから。ですが、私が今出来る事は貴女の負担を、憂いを少しでも軽減させる事だけですからね。……貴女の力は秋宮の総帥である私には伝わっています。最上の癒しの力をこうして提供して頂ける、協力して頂ける以上、相応の報酬は提示させてください」
「きょ……恐縮です」
これが、この人なりの筋の通し方、なんだろうな。
俺は自分の事だけで手いっぱいだったけれど、リョウカさんにとっても今回の事は、不当に追いやられた己が地球に返り咲く為の逆転の一手になるんだもんな。
「さて……では私も下船準備を済ませてきます。ユウキ君、イクシアさんは辛そうなので、彼女の分の荷物も持ってきてあげてください」
「了解です」
そうして、海面に星が映り込む頃にはサーディス大陸旧都『セリュー』に降り立ったのであった。
「ノルン様。今日の所は宿の手配を済ませ、ファリル家には明日、訪問したいと考えているのですが、問題ありませんか?」
「はい、その方が良いでしょうね。一応、まだ私は姿を隠していた方が良いですよね?」
「そうなりますね。ご不便をおかけします。では」
旧都セリューは、なんだか落ち着いた雰囲気の、どこか古いギリシャ時代を題材にした映画の舞台のような印象を受ける街だった。
石造りの荘厳な建造物があちこちにあり、一般的な店だろうか? そういう建物ですら、景観を崩さないように、白亜の石造り風に見える。
なんだかノクスヘイムといい、この大陸ってローマっぽいよなぁ。
「ユウキ、念のため貴方もフードを被っておいた方が良いでしょう」
「あ、そうですね。イクシアさんも……この大陸だとその髪と瞳って目立つんですよね?」
イクシアさんを見れば、彼女もローブをしっかりと着こみ、顔も髪も見えないようにしていた。
夜の旧都の中を進む。
まだそんなに遅い時間ではないが、騒がしさとは無縁、かといって静まり返っている訳でもなく、微かに談笑の声が聞こえる上品な夜を演出していた。
遠くには一際大きな、お城にしか見えない建物もあるし、あれはなんなのだろう?
旧都って言うくらいだし、昔の王族はこっちに住んでいたのだろうか?
「明日、余裕があれば街を見て回れるかもしれませんね。ユウキ、あれは恐らく昔の王城だと思いますよ。この国はかつて神話の時代、王国と共和国の二つに分かれていましたから。きっとその頃の王城なのでしょう」
「ええ、そうなんです。イクシアさんは我が国の歴史にもお詳しいのですね。二つの国が統合された時、初めは代表の城としてこちらの旧都の物を使っていたそうです。ですが、長い歴史の中で現在の王家が国を治める立場になり、その際に王都の名を返還され今の城に住むようになったそうです」
「へー、そうなんですね」
この大陸って神話時代から地理がほとんど変わっていないって話だし、イクシアさんに聞けばもっと詳しい話を聞けそうだな。
そうして俺達は宿に到着し、明日のファリル家との面会に向け、早めの休息をとるのであった。