閑話
「ああ、そうだ。二ケースこちらに輸送してくれ。それと滅菌のタンク、醸造用の物を発注しておいてくれ。以上だ」
別宅にて、ヨシキは今後必要になる食材や機材一式を注文し、来たる戦いに備える。
「ヨシキ楽しそうだね? そんなに料理対決がしたいの?」
「だって、食材の費用も機材の費用も、準備に必要な予算は向こう持ちで好き勝手作れるんだぞ? そんなの俺が『あの世界で生きていた時代』以来じゃないか」
「あ、そっか。いいなぁ私もマザ……じゃなくてレイスと一緒に食べに行きたいなー」
「ん-……まぁ良いんじゃないか? 彼女も今回の釣行から戻ったら、来られないか聞いてみるさ」
嫁の一人、通称Rお姉さんにそう声をかけると、次はどうやって勝とうかと考える。
あくまで『どうやって勝つか』だ。勝つのは確定であり、それをどういった具合にするかを考えていた。
「……全部使うか。卑怯な手も強引な手も全て」
「おお? なんだかヨシキが悪い顔してる!」
「そ、悪い事するつもりだから。ちょっと明日またスタジオにいって準備を始めるよ」
「分かった。じゃあ私は……暇だから動画撮ってていい? 私でも作れる簡単な料理の」
「家を燃やさないならなんでもいいぞ」
「大丈夫、消火に手間取ったりしないから」
「火が出るのは決定事項なのか……」
翌日、再びハリウッドの特設スタジオで、ヨシキは一カ月後に正式に決まった戦いに向けて準備をする。
その現場には引き続き、収録で一緒だった審査員達も揃っており、シグトとの対決にも彼らが審査員として参加する事が決まっていた。
「ミスタBB。早速準備ですか? まだ新たな食材は揃っていませんが……」
「ああ、今日は短期間の熟成の為に来たんですよ。一応、やれる事はここでしてしまおうと思って」
「ご自宅で作業はしないので?」
「ええ、設備はこちらの方が良い。それよりも……皆さんお揃いとは意外でした」
「それはまぁ……シグト氏もここで作業を進めると宣言しておりましたので、一料理人として彼の行動が気になるのは当然でしょう」
秋宮の経営するレストラン『リアンエタルネル』の総料理長がそう話す。
それに追随するように他の審査員も、BBの様子を観察しにやって来る。
「正直、貴方が勝負を受けるとは思わなかったわ。実際に生で……それも本気で料理をする貴方が見られるのは凄く貴重。出来れば貴方の予定に合わせて私もスタジオ入りをしたいくらいよ」
「私もですな。正直、我々もシグト氏の言葉に『痛い所を突かれた』と感じていましたが、同時に『悔しい』とも思ってしまった。だからだろうか、貴方を激励したい」
「……なるほど。けど審査は公平にお願いしますよ。ルールは私が決めた物ですが、それでも公平に。全力でぶつかるだけですからね」
そう言いながら、ヨシキは……ジョーカーとしての力を既に使っていた。
「ま、作る料理はまだ決まっていないんですけどね。皆さんに食べさせたい料理というよりも、食べたい料理を作るのが俺の目的です。ですが、決してそれを口にしないで下さいね? こっちが一方的に『こういう味が好き』だとか『この料理が好き』だとか、そういう情報を持っているのは卑怯ですから。ま、それでも頑張ってリサーチするつもりですけどね?」
「ふふ、そうか。では、存分に我らの事を調べてみてくれたまえ。邪魔をしたね、BB」
人は、話を振られるとその事を考える。
ヨシキの目的はここに完遂する。
思考を読んだのだ。深く深く、無意識に浮かぶ記憶を含むすべてを。
誰が何を好きか。心の奥底にある思い出の味。どういう味を求めるのか。
どういった技法が見えると感心するのか。どれがNGなのか。
全て、そう全てを一瞬のやり取りで、本人以上に読み取る。
まさしく反則行為だ。カンニングもいいところだ。
だが『全力』と言った手前、ヨシキに罪の意識などかけらもなかった。
「……食材への魔力浸透、熟成もこの期間でピークに持っていけるな。後はそうだな……シグトもこの場所に来る以上、あっちの思考も読んでおくか」
本気で、倒すつもりであった。
準備期間一カ月が経過しようとしていた。
残り一日、この時間を使い料理を仕上げる両者は、互いに大鍋で様々な食材を長時間煮込む、という作業を行っていた。
料理の世界で、一つの料理に一日以上かけるのはザラであり、ましてや今回は一カ月も期間があったのだ。
互いに、持てる全ての技術、技法を駆使して食材を仕込んでいた。
「ふむ……やっぱり今回はサーディスの里で摂れた木材は使わない方が良いか。燻製用チップは……オーク樽だな。想像よりも熟成が進まなかったのは俺がこの土地の気候を読み違えたから、か」
食材の熟成、燻煙、エイジング、その全てを完全なタイミングで仕上げるヨシキ。
同時に、あらゆる調味料を全て自分で用意する。
そこまで徹底した材料選びだが、同時にシグトへの援助、手助けとして、グランディア産のあらゆる食材を提供もしていた。
たとえば『最北の大陸でのみ手に入るはずの魚』や『もう手に入らないかもしれない、絶滅を疑われた香辛料』なども。
それら全てを、ヨシキは全ての力を使い用意し、提供していた。
あくまで、向こうの要望には全て応える。自分が反則をしている以上、それは当然だ。
そうヨシキは考えていた。
が、同時に『妨害以外は全部やる』とも決めていたのだが。
「……よし。後は明日仕上げて終わりか。向こうは……さすが、ファイナリスト二人と優勝者の三人だ。動きに淀みが一切ないな」
相手側の調理場でも、着々と明日の本番の準備が終わろうとしていた。
無論、その思考や秘策まで全て筒抜けではあるのだが。
「……確かに審査員の中で魔力濃度の高い国出身は一人だけ。グランディア出身者はなし。勝つために身体が喜ぶ食材をふんだんに使うのは当然か」
相手の目論見を全て看破し、それでもヨシキは『もう自分の作業は終わった』と、スタジオを後にする。
その姿を見ていた審査員は、その不気味な余裕とも取れる行動に、考えを巡らせる。
「BB……今日まで彼の働きを間近に見ていた以上、彼の技量は疑う余地がないのは分かった。あれは……正直異常だ。工場のマシンだってあそこまで繊細に高速な作業は出来ない。だが……あまりにも余裕がありすぎる」
「……それに、彼は仕上がりが不安定になりがちな熟成食材や燻製をふんだんに使っている。あれでは不測の事態に対応出来ないはずです」
「絶対に間違わない。そんな気迫を感じるわね。……それよりも食材の調達先が気になるわよ、私は。どれもこれも手に入るかどうか分からない物ばかりよ。一体どんな伝手があるのかしら」
「やはり、向こうの王家などに繋がりがあるのでは? ……正直、私も触ってみたい食材が今回は多すぎる。一料理人として、あの場に立てないのが悔しくてならないよ」
「あら、あの二人の戦いに参加したかったのかしら」
「ふふ……恐ろしくもあるが興味はある」
審査員達は、明日の対決を心待ちにしながら、シグトの行動を眺める。
果たして、あの達人は正体不明の男を倒す事が出来るのか、と。
自分達が明日目にするのは、どういった次元の物になるのか、と。
そして、この一カ月の様子を追いかけて来た撮影スタッフも、明日の本番の生中継では、視聴者数がどうなってしまうのか、と気をもんでいたのだった。
本番当日。BBは調理場にて、ありえない速度で作業を進めていた。
傍目からは理解出来ない行動を交えながら、信じられない精度で全ての工程をこなしていく。
(スタジオ内気温二三。湿度九。外気は一一。審査員の今日のコンディションは空腹が二名、フラットが七名、一名が満腹か。今感じている匂いは……あちら側のフランベに使われたブランデーの香りと小鹿の脂の香り。なら……男性二名にはこっちのメニューで、女性には……果物ベースのソースを使ったソテーか。食べる順番はあちらが先になりそうだな……)
全ての情報を読み取り、戦略を組み立てる。
そして、全て完璧に仕上がった食材達を、完全な温度管理で仕上げていく。
信じられない事に、ヨシキには鍋の中の温度のムラから、オーブンの熱の対流。使われている機材にかかる電圧と、それによる温度変化すら全て見えていた。
それらを考慮しての微調整を繰り返し生まれていく料理達は、まさしく究極の一言。
本来であれば経験で掴むはずの道具の『癖』を、全て読み切ってしまっていた。
……無論、審査員の思考の癖すらも。
それはもはや出来レースと呼んでも良い程。
「さてと……後は休憩でもするかね」
料理を適温に維持する魔導具に全ての料理を収め、ヨシキはデザートの完成と調理時間の終わりを待つ。
椅子に腰かけ、まるで今目の前で繰り広げられているシグトチームの作業を肴にするかのように、調理場でお酒を飲み始める始末。
不遜。傲慢。ここに来て更にヨシキは、自分の異常性を周囲に見せつけていた。
「……良いお兄さんのイメージでここまで売って来たんだけどなぁ……今回は相手方が先に喧嘩売ったんだ、仕方ないよな」
そうして、周囲の目を気にも留めず、ヨシキは二本目のボトルに手を付け始めたところで、残り時間が三〇分を切った事がアナウンスされる。
料理提出の為の全ての準備を終わらせると、そこで全ての作業を終える様に宣言された。
「さぁ、ではいよいよ審査の時間です。では……最初に審査を受けるのはシグト氏のメニューです!」
「それでは、僭越ながら料理の解説をさせて頂きます。私は今回、私の先祖が住んでいた『セミフィナル大陸』に伝わる食材を使い、地球の欧州の伝統的な料理にしたてました。不思議な事に、この両国は似た食文化を持っており、現在冷え切っている両関係を再び結び直したいという思いを形にしました」
そうして提出されたのは、美しく飾り、盛りつけられた料理の数々だった。
専門用語でいうところの『ヌーベルキュイジーヌ』を意識したその料理は、審査員をまず見た目だけで魅了しているようだった。
分かりやすく言うと『モダンな見た目』と言ったところだろう。
「すべての食材の保有魔力を損なわない調理法を意識しました。私は元々貴族に仕えていた関係で、食べた人間の体調を向上させる事も目的としていたので」
「なるほど……このソースの美しい色の冴えに……損なわずに真っ直ぐ向かってくる香り。それなのに挑戦的ではなく、あくまで受動的な――」
審査員達が己の感性、知識に基づいた感想を述べている間も、ヨシキはただ『あ、俺も食べたい』という事しか考えていなかった。
審査員が舌鼓を打ち、その技量の高さに舌を巻く。
完成されたその料理に、審査員の中には『これを越えるのは不可能だ』とすら考える様になっていた。
「……とても、良い一品でした。同じ料理人として貴方に最上の敬意を」
「ありがとうございます。そして……この一品を生み出す為に尽力してくれた仲間の二人にも感謝を。……いえ、それだけではない。BB。貴方にも大いなる感謝を。この料理は貴方の協力なしでは生み出せなかった。これらの食材を用意出来たのは貴方のお陰だ」
「どういたしまして。ええ、この食材達も貴方に使われて喜んでいる事でしょう」
審査が終わり、続いてBBの料理が配膳される。
「ああ、待て待て。その皿は一番左。その四角い皿はミス・ラジェンダに。そちらの料理はムッシュ・デニスに配膳してくれ」
「な……! 全て違う料理!?」
「ええ。料理は自由と言ったでしょう? これは最高の料理を決める勝負ではない。料理人を決める勝負だ」
あろうことか。BBは審査員全員にそれぞれ別な料理を作っていた。
どれも手の込んだ一品であり、手を抜いた余地が一切感じられない完成された一品。
なによりも……卑怯にも、それらの料理は審査員達全員に所縁のある料理だったのだ。
ある者には『初めて作った料理』を。
またある者には『母親の思い出の味』を。
ある者は『今一番食べたい物』を。
ある者には『もはや食べることは叶わないと思っていた料理』を。
作ったのだ。BBはそれぞれに最も効く『特効』の料理達を。
作ったのだ。それらの料理を『圧倒的な時間を生きた前世の経験を全て活用して』。
ただの再現ではない。それらを更に昇華させ、極上の一品に生まれ変わらせたのだ。
種族の差。年月の差。それらは絶対だ。ならば、魔王として長すぎる生涯を生きた人間が作った物はどうなるのか。
幸か不幸か……この魔王は、その前世から度々包丁を握る回数が多く、その腕を振るう事を喜びとしていた。
故に、その技巧と経験は、現存している全ての人間を上回る者であった。
「どうぞ、お食べ下さい。料理の解説は不要、そうでしょう」
「まさか……そんな……一体何故……」
「馬鹿な……これは……そんなはずは……」
「私は夢でも見ているのか……?」
審査員達は、己の深層意識にあるただ一つの至高の一品を目の前に出され、言葉を失ってしまう。
だが、シグトだけは何故審査員がそんな反応を示しているのか、理解出来ないでいた。
「BB……これはどういう事だ。何故審査員の様子が……」
「……シグト。君にも一品用意させてもらった。食べて貰えるかな」
「それで……理由が分かると言うのなら」
審査員達は、もはや一言も語らず、無心で料理を食べ進めていた。
そしてヨシキは、あろうことかシグトの心、思考まで読み込み、彼の為の料理まで作っていたのだ。
差し出された皿には、魚のカツレツが綺麗に盛り付けられ、そして一見すると洒落たソースに見えるが、一般になじみ深いタルタルソースが添えられていた。
「これは……なるほど、それぞれに所縁のある料理でしたか。ふふ、よく調べたようですね。確かに私がお仕えしていたシェザード家には奇妙な風習がある。何故かこのソースを歴代の当主が作り、そのレシピを代々伝わるレシピ帳に新たに書き足していく。美食の家と呼ばれる所以です」
「……ええ、よく知っています。どうぞお試しください」
「ふふ……タルタルソースには少々厳しいですよ」
それは、簡単なフライにタルタルソースがかけられただけの一品だ。
だが……それを口にした瞬間、シグトは衝撃を受けたかのような表情をした後、黙り込んでしまう。
何かを思い出すように。何かを忘れる様に。淡く、苦く、そんな思い出を呼び起こす様な。
「……何故だ」
「……何がですか?」
「何故、これを作る事が出来たのですか」
それは、彼がシェザードを去る理由に起因する一品だった。
現在のシェザード当主、コウネの父がまだ幼い頃の話に遡る。
彼には、妹がいた。コウネの叔母に当たる人間だ。
彼女は美しく、そして料理への愛も深かった。
たとえるならそう、今のコウネのように。
「これは……お嬢様の味だ。……そうだ、今は亡きお嬢様の……」
非業の死を迎えた。いや、そうではない。食を愛しすぎた故の死だ。
彼女は、自らの身分を捨て、ある目的の為に単身で未開の地へと旅を続けていた。
全ては『かつて我が祖先が口にしたという不死鳥の肉』を味わう為。
そして、彼女は戻らぬ人となった。
その彼女がかつて、自らは長男ではない為、タルタルソースのレシピを家のレシピ帳に残す事も出来ないからと、せめて敬愛する料理長に自らが生み出したタルタルソースの試食をお願いした事があった。
それは、奇しくも『不死鳥捜索の旅に出る前の晩』の出来事だった。
「……そうだ、お嬢様は……このソースをフェニックスの肉と共にまた食べさせてくれると私に仰り……そして……」
そのBBの料理は、シグトに特効であった。
効き過ぎたと言っても過言ではなかった。
やがて全ての審査員が料理を食べ終え、そしてシグト共々語り掛ける。
『何故、作ることが出来たのだと』。
「それは私が最高の料理人だからだ。私には相手の心が分かる。心が求める料理を、最高の状態で出す力が、経験が、技量がある。だから私は自惚れではなく……最高の料理人だと自負している。さぁ、審査を再開してくれ」
「……審査の必要などない。認めよう、私では貴方に勝てない、ムッシュBB。技量や経験で埋まるような差ではないと……理解してしまった。まさに貴方は……食の神と呼べる。愚かにも挑んだ私を笑ってくれ」
「……これが、私に勝負を挑むと言う事だ。けれども、間違いなく私を抜かせば貴方こそが最高の料理人だ。技量に差なんてないさ」
「ふふ……貴方はこれらを一人で仕上げた。純粋な技巧だけでも貴方は私の上を行く」
「……嬉しいな、貴方程の人間に賞賛されるのは」
審査するまでもないとシグトは言うが、それでも審査員達はBBの名が書かれたプレートを提示し、勝敗を改めて決する。
もはや料理ではない、一種のマジック、読唇術のような芸当。
常軌を逸した技量の高さ。完全なる場の支配力。
どれもこれもが『人間の範疇にない練度』であった。
「BB、恐らく貴方は……私同様、グランディア出身者でしょう。あの世界に、ここまで文化を追及しようとする人間がいるとは思ってもみませんでした」
「……ふふ、ノーコメントだ」
「……私には分かる。あれは長い年月、料理を作り続けた人間だけが手にすることができる努力の結晶だ。きっと……神が貴方に贈り物をしたのでしょう。その力を持つに相応しい人間だ、ムッシュBB」
地球人では届かない種族の差。平均寿命一八○のハーフエルフ料理人にそこまで言われるBBは一体何者なのか。
放送を見ていた世界中の人間は疑問に思い、そして同時に『自分も作ってもらいたい』と考える。
この放送をきっかけに、番組には世界中のセレブから『どうにかBBに一晩だけ本気の料理を振る舞って貰いたい』という願いが殺到するようになるが、終ぞBBはその願いに首を縦に振る事はなかったという。
『はい、どうもお久しぶりです! フリーになってから最初の料理動画となりました!』
『あの番組私も見たよー! 凄い美味しそうな料理一杯食べてたよね?』
『各国の料理をあんなに……特にケバブとシェラスコでしたか……今度この動画でも作ってみましょうよ』
今日もBBは動画を投稿する。
常軌を逸した神などではない、誰かを畏怖させる事も、過度に心を揺さぶり、相手に負担をかける事のない、楽しくて幸せな料理をしてもらう為に。
『ん-、ちょっと特殊な道具が必要な料理は特別な回になりそうだなぁ。今日はあれ、冬にちなんだ料理を作ろうと思う。二人は冬に食べたい料理はなんだい?』
『クリームシチュー!』
『私も同じくシチューです』
『はい、という訳で今回は、自分でホワイトソースを作る、ちょっと本格的な――』
BBクッキングは、これからも平常運転だ。




