閑話
撮影は順調に進み、初日で参加料理人二〇名のうち、四名が脱落した。
二日目で八対八のチーム戦も行われ、今度は一挙に半数まで人数が減る。
そして三日目、午前の部で二人が脱落し、残り六名による決勝が行われていた。
「しかし、グランディア出身の人間が一人しか残らなかったのは意外でしたな」
「そうね、出題されるテーマはむしろグランディア側に有利だったはずだけれど」
「それだけ我々も、グランディアという新天地を貪欲に取り込んできたという事ではないのかね? BB、君は向こうの文化にも造詣が深いと聞く。どう思うね」
審査員に話しを振られたヨシキは、一瞬何のことから混乱してしまう。
実はこの男、決勝のテーマが『最高の酒とそれを引き立てる料理達』という事で、もう世界中の酒を最高の料理と共に頂けると、そのことばかり考えていたのである。
無論、審査員としては十分すぎる働きをしていたのだが。
「……ああ、そうですね。グランディアは地球に比べ、文化水準が高い時代を長い時間、それこそ数百年単位で維持してきました。故に技術の水準や料理の洗練され具合、向こう特有の特殊な食材の扱いには長けていますが、同時に新たな料理への感覚的進歩という点においては、今一歩追いつけていないと言えます。これは恐らく向こうがこちらの技術を学ぶ機会がまだ少ない所為だと思われますが、この点が地球側有利の理由になるのではないでしょうか」
「なるほど……確かに意識と技術はまったくの別物。片方だけが進んでいても成長率はそこまでじゃない。納得よ。じゃあ貴方の見立てだと、優勝は地球側かしら?」
「……私は言いました。学ぶ機会が少ないから……と。彼にはそれは当てはまらないでしょう。彼は最高の環境で、最強の審査員とも呼べる人間の元で長年研鑽を積み、そして地球に渡り各国でその腕と感性を研磨しつづけてきた。あの鋭い感性と膨大な知識量、何よりも種族の差による圧倒的な経験値の差は……地球出身者では中々下すのが難しいでしょうね」
残っていたシェフの中、唯一のグランディア出身者にして、他種族である存在。
元シェザード家料理長である、ハーフエルフの中年男性。
名を『シグト・リーズロート』。齢二百を超える、まさしく達人の域にいる存在。
「……正直、私も彼を推そう。準決勝での結果はあまりにも圧倒的すぎた。テーマに恵まれていたのも事実だが……」
「海鮮を使った料理ね。彼はマグロ漁で有名なセカンダリアの家で働いていたのだもの、まさに独壇場だったわね。けれど、今回はアルコールとの組み合わせ。これはただ料理の技術、知識だけでは済まないテーマよ」
そうして、決勝が進む。
審査員達も調理場に降り、選手の様子を見ながら、時には会話を、味見を交えながら様子を窺って行く。
「これは……嬉しいね、日本酒だ。私は日本酒が好きだからね」
「ええ、ミスタならそう仰ると思いました。日本酒は我が国の代表的なアルコールでもあるワインと通ずるところがありますからね、今回は是非、日本酒の新たな可能性、新たなパートナーをご紹介するつもりで挑ませて頂きますよ」
「それは楽しみだ。思わず貴方に票を入れてしまいそうだよ」
そんなやり取りをしながら、ヨシキは次に今大会の優勝候補である、シグトの調理場を訪れる。
「……さすがですね、動きに一切の淀みも無ければ……食材の目利きも完璧だ。これは……ナッツを使ったデザートですか?」
「これはミスタBB。ええ、今回はアルコールをデザートと見立てた構成にしています。おひとつ味見をお願いします」
「これは……シンプルなカナッペですか」
「あくまで試食用です。本番では別な料理に使いますよ」
ヨシキは受け取ったラスク、そしてそれに乗せられたオードブルを一緒に口に運ぶ。
「……なるほど、貴方はとても思慮深くお酒にもお詳しいようだ」
「……さすが、お気づきになられたようですね。……本当に残念でならない」
「何がですか?」
シグトは、味見を終え感想を述べたヨシキを真っ直ぐ射抜くように見つめる。
「ただのショーマンや芸能人の類かと思われたが、君は本物の料理人だ。私に匹敵する知識を有する。そんな君が競い合う相手ではなく、審査員である事が残念でならないよ」
「……ふふ、いやまさかそんな。私が貴方と競い合えるなどと」
「……本当に残念だ」
そう、最後に言い残して作業に戻るシグト。
そして……調理終了の合図と共に、全てのシェフが料理を運ぶ。
審査は……残念ながら混迷を極めるという事はなく、比較的早い段階で二名に絞られた。
「フランス代表の『フランベール・モロー』氏か、セカンダリア出身のシグト・リーズロート氏……この両名の一騎打ち、だろうな」
「私はフランベールに一票だ。祖国贔屓でなく、純粋に酒、ワインと日本酒を飲み比べながら料理を食べ進めさせるという手法が、新たなコース料理の可能性を見せてくれた」
「私もムッシュ・モローを推すわ。ムッシュ・リーズロートの料理と比べても一切の引けを取らない上に……コンセプトがはっきりしていた。残念だけどムッシュ・リーズロートの料理は……地球の人間にはその全てを理解出来ないかもしれない。私自身、奇妙な一体感を彼の料理から感じられたけど、それが料理による物なのか、彼の経歴から来る畏怖による物なのか判断がつかなかった」
審査は、半分に別れる。
地球か、グランディアか。経験か、進化か。
「これは最高の料理を決める大会ではない。最高の料理人を決める大会ではないのかね? そういう意味ではシグト氏の深い造詣も審査すべきだろう。私は彼に入れるね」
「僕もです。先程畏怖と仰られましたが……それは僕も感じました。あの奇妙な一体感、包まれるような感覚は……魔力による効果ではないか、と思います。そういう食材の関係性を使いこなす腕は、やはりあちら側の人間には敵いません」
皆がそれぞれの意見を述べる中、さらに審査は白熱していく。
やがて殆どの意見が出そろったところで、最後に言葉を求められるのは、BBつまりはヨシキだった。
「考えるまでもなくシグトさんの優勝でしょう? 彼、今回の大会で一度もグランディアの食材は選んでいませんよ? 全て魔力による成長促進、味の向上とは関係なしに彼の技量で美味しさを増していたにすぎませんし。それに畏怖やら一体感やら……何を言ってるんです? 同じ産地の物でメインとサブ、料理と酒を揃えているなら一体感が生まれて当然でしょう?」
最後にヨシキは、そう当然のように言い切った。
「は……? いや、彼の料理と酒は産地がちが――」
「ああ、この場合は熟成樽の産地ですよ。どちらも同じ北欧のクルミの木由来ですよ。いやはや驚きましたね、どう考えても彼の勝ちだ。気になるのでしたら番組側に後で調べさせると良いですよ」
「な……BBは食べただけで分かったと?」
「少々お酒には煩いので。……世界中の蒸留所、熟成倉庫に赴く程度には」
「……それが本当なら、最初から優勝者は決まっていた、と?」
「正直、年数は結果を裏切りませんよ。無為に過ごした時間でなく、修羅場に身を置き、研鑽に費やした時間は。地球人が長命種に勝てる道理なんてありませんよ。同じ条件なら確実に寿命の長い方が勝ちます」
コンテストの根本をひっくり返す様な意見を言うヨシキに、他の審査員はぐうの音も出ない様子だった。
そして――
『それでは審査の結果がでました! 最終決戦まで残った六名のうち、栄えある第三回レジェンド・シェフの栄冠に輝くのは一体誰なのでしょうか!』
結果は、ヨシキの指摘通りシグトに決まった。
『彼は地球産の食材しか使っていない』それだけはすぐにでも確認が取れた。
自分の土俵で勝負する事なく、彼は決勝まで勝ち進み、そして……全員を下して優勝に輝いたのだ。
『地球の番組であるにも関わらずグランディア出身者に敗北した』
その事実は大勢の視聴者を落胆させるかと思われたが、時に圧倒的な実力は、相手の出自関係なく熱狂させる。
シグトの名は、最高の料理人の一人として確かに地球に刻まれたのであった――
勝利者インタビューでその発言が飛び出すその時までは。
『では、優勝に輝いたシグトシェフから何か一言お願いします』
『先程、審査中の皆さんの様子をVTRで確認しました。正直、私は失望を隠せませんでした。私が作って来た料理を、最後に見せた品々を、その意図を正確に読み取れた人間が一人しかいなかった事実に。……失礼を承知で言わせて貰います。地球は、こんなにもレベルが低いのかと。革新的な物、進化の速度、それは誇るべき事でしょう。だがこの体たらくはなんです。ある意味では新参者である私に敵わない、理解が及ばない人間に溢れている。これではあんまりだ! 私はこんなレベルの低い大会に出る為にここに来たのではない』
それは、出場者から審査員全てに向けられた、深い失望の言葉だった。
傲慢にも取れる。だが、その場にいた関係者達だけは、それに反論する事が出来ないでいた。
事実だからだ。誰も、シグトの水準に追いつけないでいたのだ。
絶対者故の孤独。超越者故に孤独。孤高という名の孤独。
それをまざまざと見せつけられたシグト。
『故に私は所望する。唯一私の真実に辿り着いた者との対戦を。本当の地球代表との戦いを。食を、文化を真に愛したその男との対決を! どうか受けて貰いたい、BB!』
シグトは、審査員席で料理に舌鼓を打っていたヨシキことBBを名指し、そう宣言する。
ヘルメットの口部分をわざわざ改造していたヨシキは、その不格好な姿のまま、立ち上がる。
美味しい料理を楽しむのを中断し、立ち上がったBBは、あろうことか……その両手を己のヘルメットに当てる。
『まさか』と、誰しもがそう思った。そして次の瞬間――
「いや脱がないけどね? ポジション直しただけ」
全員が肩透かしを食らう。だがその直後――
「いいよ、やろうか。プロデューサー、セッティングとか任せても良いかい?」
突如決まった大きすぎる一戦に、プロデューサーはスケジュール確認も何もかもをすっ飛ばし、ただ『全面的に協力させて頂きます』とだけ答える。
それを聞き届けたBBは、ただシグトを見つめ、語り出す。
「……本気で、エンターテイメント抜きに腕を競い合うと言うのなら。己の持てる全てを、全身全霊を、あらゆる手段を講じた最高の料理でぶつかり合うと言うのなら。相応しいルールを決めたいと思う。それでいいか、シグト」
それは、いつもの人の良さそうな語り口ではなかった。
深く、低く、威圧するかのような重々しい調子で語る。
「準備期間。調理期間。それら全てを含めて一カ月を使った勝負にする。使う道具も食材もこの番組が全てバックアップしてくれるはず……いや、させよう。必要なら私の人脈も使わせよう。作るメニューに決まりなどない。審査員が食べたいと思う料理を、食べさせたいと思う料理を、勝てると見込んだ料理を。好きなだけ作ると良い。ルールなんてあってないような物だ。本来、料理にルールなんて物は存在しない。それでどうだ」
規模が違った。番組の流れで作る料理とは一線を画す、本物の料理でのぶつかり合い。
そして、本気の提案。
「……わ、分かった。その条件だ。ああ、そうだ。それこそが相応しい。本当の、全力の勝負だ、BB」
「よくぞ受けた。アシスタントは二名までとする。好きな人間を選ぶと良い。なんならこの出場選手の中から選んでも良い。まさしく最高の料理人達が今ここに揃っている」
「……では、決勝に勝ち残った……シェン・リー選手とフランベール・モロー選手をアシスタントとして指名したい」
「だ、そうだ。二人とも聞こえていただろうか? 少々、我々の戦いに参加してみる気はないか」
ヨシキがそう選手たちに声をかけると、両選手は食い気味に『是非参加させて欲しい』と参加を表明する。
「では、BB。貴方は誰をアシスタントに――」
「必要ない」
「は……?」
「私は一人で良い。全力の私と競い合うつもりなのだろう? だったら私に枷を付けるのはおかしいだろう」
「な……アシスタントが枷と……」
「そうだ。私は一人で良い。誰も……誰も私の隣には並べない」
更に傲慢に。更に不遜に。これでもかという自信を見せるBBに、スタジオの全員が声を上げる事が出来ないでいた。
この番組は、決勝以外は収録の翌日には番組として配信されていた。
そして決勝は生中継であった。
つまり、この一連のやり取りは……全て、全世界に流れていたのだ。
視聴者たちは熱狂する。そのエンターテイメント性溢れる突発的なイベントに。
そして、知名度ばかりが独り歩きし始めていたBBの信者たちもまた、ついに本気のBB……BBクッキングガチガチ編が開催される事に熱狂する。
「プロデューサー。日取りが決まり次第連絡をくれ。私は今日の所は家に戻らせて貰う」
「わ、分かりました! BB、今回は本当にありがとうございました!」
ここに、かつて魔王と呼ばれた、現在過去において最強と呼ばれた『化け物』の、本気の料理バトルが決定したのであった。