第百三十九話
うん、たぶんこうなるんだろうな、とは思っていた。
ロウヒさんが言っていたではないか『君は、あまりにも我々の側の組織を潰し過ぎた』と。
俺が、偽のリョウカさんの指令で潰して来た組織、テログループとされていた人間達は、その大半がロウヒさんの組織の下部組織、地球での活動をバックアップする為に配置されていた人間達だったと。
……でも、アイツらだって実際現地の人間とトラブルを起こし、拉致まがいの事だってしていただろ。
非合法の武装組織が近くにいる。それだけで現地の人間には脅威だろ。
殺すことはなかったかもしれないだろうが。
けど、これは言い訳なのだと俺は理解している。
もう俺は血塗られた道を歩いてきてしまったのだから。
「その男は、我らが同士、協力者を何人殺害してきたと思っているんですか! この場所に連れて来たことそのものが大問題だ! リーダー、そいつはすぐにでも幽閉するべきです」
「ええ、私もそう思います。処刑と言わないだけ感謝して欲しいくらい。ロウヒ様、その者を連れてきた以上、なんらかの事情があるのだと存じます。しかし、それでも我々とその者の間には深い溝があるのだとご理解ください」
同席していた男女が、ロウヒさんにそう進言する。
イクシアさんはなんのことかさっぱりという様子だが……説明するしかないのだろう。
「ふむ。それが君達の意見で良いのかな?」
すると、ロウヒさんはただ静かに、二人に向かいそう語り掛ける。
だが――
「ならば、賛同できない者は現時刻を以ってこの組織を去ってもらう。以降は誰も君達を守らないし、邪魔をするならば相応の対処をさせて貰おう。話は以上だ」
真正面から、ぶった切る。
反論は許さないと。従わなければ去れと。一切の議論の余地なくそう言い放った。
「な……! 何故です! 我々だけではない、他のメンバーにも不信感を抱く者が――」
「この組織は目的の為に手段を選ばず動いて来た。彼と同様の事を我々もこれまで幾度となくしてきただろう。時には国の尊厳を傷つけ、時に多くの無関係の民を巻き込み。今更、それが自分達に降りかかったからと言ってそう主張するのはどうなんだ?」
「しかし、我々を追放すると本気でお考えなのですか? いくらリーダーでもそれがどれだけ無謀なのか――」
「……私は利を第一に動く。今、たとえこの部屋にいる者以外が全員ここを去ると言っても、私は彼、ユウキ君を選ぶ。その価値が彼にはある」
……いたたまれない。
俺の価値なんて……力だけだろ?
「世界樹の苗を破壊したのは、ここにいる彼だ。双方共に最小限の被害で目的を達成されたのは彼のお陰だ。悪いが、死んだ人間をいくらたばねても彼の働きの足元にすら及ばない。忠誠には感謝する。働きへの感謝も勿論ある。だが純粋に戦力としても、功労としても、全てにおいて彼に勝るものではない。これが事実だ。我々は慣れあい、忠誠で集まった組織ではない。それを忘れたか」
冷徹なまでの、利益優先の組織運営。
世界樹の破壊を行ったのが俺だというロウヒさんの発言は、ただそれだけであの二人を完全に黙らせてしまっていた。
「……そもそも、彼に我々を妨害するという意志はない。お前達は武器を手に人を殺した時、自身の剣にこそ罪があり、それを振るった己には罪がないと考えているのか? 彼は、ただの武器だ。いや、武器だった。自分で考える事もせず、ただ言われるがままに命令を遂行していた武器だった。だから、私が人間に戻したのだ。これ以上この件について論じるつもりはない。退出したまえ。納得できないのなら、後で私の所に正式に脱退を表明しに来ると良い」
それっきり、二人の男女は会議室に戻って来る事はなかった。
……ここからが本題だ。今のは、このUSM内部の問題、いざこざだ。
故に部外者であるリョウカさんもイクシアさんも口を挟まないでいてくれた。
つまり、今はもう、イクシアさんの口を噤ませる要因が存在しないということ。
「ええと……あの――」
口を開きかけたその時。雰囲気ではなく、空気うんぬんではなく、まさしく現象として――部屋に目に見えない力が満ちた。
窓には亀裂が無数に入り、その亀裂が光を帯びる。
木製のテーブルにも亀裂状の焦げ跡が入り、今も赤熱している。
肌が、ざわめく。静電気に満ちているかのようだ。
視界の隅で、金属製の製品が火花を散らす。
分かる。考えるまでもなく分かる。これは……イクシアさんによるものなのだと。
「――ユウキ、説明を」
その時、初めて心の底からイクシアさんが俺に対して怒っているのが分かった。
嘘偽りは許さないと、余計な事は一切話させないと、何人たりとも、俺以外は口を開くなと、そう言っているのだと理解させられた。
「……はい。俺は、ここにいるUSMと呼ばれる部隊の下部組織、地球における実行部隊や補給部隊、拠点防衛を任されていたであろう組織を合計で一五、壊滅させました」
「……理由を聞かせてください、ユウキ。私は、母親として貴方が罪を犯したのだとしたら、それを咎め叱り、責任を負わせる義務があります」
この……先だ。俺はどこから話した物かと考え込む。だが……助け舟が出される。
「私は、既にユウキ君が地球で起こした事件を全て把握していました」
リョウカさんだった。
この場で、誰しもが威圧され身動き一つとれない状況だというのに、リョウカさんは静かにそう語る。
そっか。こっちにも多少は情報も入っていたんだよな。それにニシダ主任もいる。
きっと……この人なら俺にどんな事があったのか、正確に想像する事も出来たのだろう。
「……私は、ユウキに話しを聞きたいと思っています。しかしリョウカさん、貴女が声を上げるという事は、そうしないといけない理由があるのですね?」
「ええ。簡潔に言いますと、ユウキ君は地球で、貴女を人質に取られているかのように騙され、任務を強いられてきていたのでしょう」
その瞬間、重圧が増す。
雰囲気じゃない、本当に空気が重さを持ち、膝が崩れそうになる。
「その詳細を、事の始まりを、ユウキ君、全て……最初から話してください」
この重圧の中、呼吸すら難しいと感じる中、俺はゆっくりと全てを語る。
サーディスでの任務から戻った俺を待ち受けていた嘘。
その嘘をついた人間をリョウカさんだと思い込んでいた事。
地球を去ったイクシアさんとリョウカさんを利用し、俺を手駒として勢力を拡大した事。
俺がテロ組織だと、地球の為だと思い潰して来た相手が、もしかしたら本当は地球の為に動いていた人間だったかもしれない事。
「俺は、自分で考える事を止めてしまいました。騙されたから、で済まされる規模の事件ではありません。さっき退出した人達の言葉だって理解出来てます。俺は、盲目的に、ただの殺戮機械のようになっていました。全部、俺の責任です」
語り終えた直後だった。リョウカさんが、小さな宝石だろうか、何かアクセサリーを取り出し、イクシアさんにかざした。
「イクシアさん、気を静めてください。貴女がここで全力を出しては施設が持ちません! どうか落ち着いてください!」
「……ええ、まさかここで八つ当たりのような事はしません。貴女は私に、この事を隠していた。それはきっと、正しい判断なのでしょう。……ええ、そうです。もし傍にユウキがいない中、この真実を聞かされていたら――」
ふいに、隣にいたイクシアさんから光が漏れる。
すると彼女の背中から、光輝く翼のような物が伸び始めた。
すぐにそれが、魔法なのだと理解した。
雷と、光と、風と、炎と。
四色が混ざり、分かれ、交互に現れ、まるで虹のような輝きを纏う光の翼。
……なんだ、これ。
「きっと、邪魔者を全て排除して地球に戻っていたでしょうね。たとえ貴女が相手でも」
「っ……そうでしょうね。本当に……貴女はご両親によく似ています……」
「……リョウカさん、そのペンダントで私の気を引いたのは良い手でした。危うく今すぐ地球へ向かい旅立つところでしたから」
多少、威圧感が緩和される。さて……最後の難関だ。
「それでユウキ。世界樹の苗を破壊したとは?」
「え、ええと……俺のサーディスでの実務研修、それはサーディス大陸にある、ノクスヘイムという領地にある無人島へ向かい、そこの遺跡に安置されていた世界樹の苗を安全に地球に持ち帰る事でした」
「! ユウキ、あの場所にいったのですか!?」
「……はい。そこで俺は、ある石碑についてのお話しを……イクシアさんの名付け親だという人から聞きました」
初代聖女。きっと、ナシア同様俺を恨んでいるであろう人物。
「……そうですか。それで、ユウキはそこで苗を破壊したのですか?」
「いえ、違います……」
全てを話そう。秋宮の魔剣として猛威を振るい、そしてついに世界中が注目する中行われた、俺にとって最後の実務研修となったその事件の全てを。
「イクシアさん。これだけは約束してください。……誰も、傷つけないと。決して怒らないと」
「……はい」
裏切り者。世界の敵。稀代の犯罪者。俺が今現在向こうで呼ばれているであろう称号を、それに至るまでの経緯を、ロウヒさんの一件を含めて、全て語る。
恐い。イクシアさんが恐い。これは親への恐怖ではない。これはむしろ――ジョーカー相手に抱くのとよく似た恐怖だ。
俺は今、初めてイクシアさんを恐怖の対象として、恐れおののいているのだ。
語り終えたその時だった。隣から、イクシアさんの姿が消えていた。
「ユウキと約束した。約束したから貴方は今生きている。貴方に感謝した私が愚かでした。貴方に二度と平穏は訪れない。今日でなくてもいい、明日、明後日、一年後、二年後、一〇年後。未来で貴方はきっと非業の死を遂げる。貴方に幸せは決して、決して訪れない」
いた。
イクシアさんは、離れた場所にいたロウヒさんの首を片手で締め持ち上げ、そして聞いた事のない、恐ろしい声でそうはっきりと言い聞かせていた。
「っ! さすがにやり過ぎ! その手を放し――」
「お黙りなさい。この男の仲間なのですか? 口を挟む暇があるのなら祈りを捧げなさい」
リオちゃんの静止を、イクシアさんが威圧で返す。
俺は……俺の選択はイクシアさんを変えてしまったのか?
あの優しかったイクシアさんを……こうしてしまったのか!?
「やめてくださいイクシアさん!!!! 俺は、俺は自分で選んだんだ! 世界よりも、クラスメイトよりも、俺の未来よりも、一番大好きな貴女を選んだんだ! 俺の……息子の道を親が否定するな! 俺がどんな思いでこの道を選んだと思ってるんだ! この選択を後悔させるような事、イクシアさんがするな!」
初めて、イクシアさんを怒った。
怒鳴った。睨みつけた。意見をぶつけた。
――心が、痛かった。
こんな事を言うことが辛いし、イクシアさんがこんな風になってしまったのも辛い。
でも、言わなきゃいけないと思った。
リョウカさんでもロウヒさんでもない、家族である俺が、俺だけがイクシアさんに言う事が出来るのだ。
「っ! ユウキ、ですが私は、貴方の未来が失われた事が――」
「失われてなんかない。俺はイクシアさんが隣にいないと、もう生きていけないんだ。イクシアさんは、絶望して俺が一人自殺するのと、今こうして隣にいるの、どっちが大切なんですか。俺の未来は俺が決める。そして俺の未来は貴女が隣にいないと成立しないんです。それに――俺はまだ何も聞いてない。真実が世界に隠されているなら、その真実さえ世界に知らしめられたら……俺が、俺達が間違っていないと証明出来たら……全部、戻って来る。イクシアさんがいう未来だって、俺のクラスメイト達だって」
卑怯な言い方だけど、事実だ。
何年もイクシアさんに会えず、騙され続けていたとしたら。
俺は間違いなく、少なくとも『ササハラユウキ』としては死んでいた。
完全に感情を失い、きっと人間をやめて死んだように秋宮の魔剣になり果てていた。
それを思えば……ロウヒさんは、俺の命の恩人なのだ。
俺はこの考えを、はっきり彼女に告げる。
すると――ようやく、ロウヒさんが床に崩れる様に座り込み、イクシアさんがこちらに戻って来た。
「……なによりも許せないのは、きっかけを作ったのが私のエゴだということ。私が伝言さえ頼まなければ……違う展開だってありえたかもしれない……!」
「……いいえ。きっと、その場合はもっとひどい事になっていました。俺達と、ロウヒさん達が全面対決になって、世界樹の苗を奪い合う。そうなればきっと……俺も無事じゃすまなかった。コウネさんだって、カイだって、誰が死んでもおかしくなかった。そうでしょう、ロウヒさん」
ようやく立ち上がり、酷く申し訳なさそうにこちらを見ていた彼に語り掛ける。
「……そうだ。私達は……最悪の場合、あの植樹地を丸ごと破壊し、全てを殺害する用意もしていた。……その後、ゆっくりと苗を回収する。そういう手段も視野に入れていた」
「っ! 貴方達はそこに正義があると!? あったとして、その正義に人々が賛同するとお思いですか!」
「……賛同は得られなかったでしょう。だが、それでも必要だった。今のこの世界を終わらせる訳には……いかない。せっかく手を取り合えた二つの世界を、終わらせる訳にはいかなかった」
それだ。今回の事件の裏を、俺はまだ断片的にしか聞けていない。
イクシアさんは一先ず落ち着いてくれた。ロウヒさんも無事だ。
なら……今度は貴方の番です、ロウヒさん。
きっと、今回の事件の裏について、俺にまだ話していない事があるんですよね。
「ロウヒさん、約束です。今こそ全てを教えてください」
「……アキミヤリョウカ。貴殿には先程話した内容だが、彼にも全てを話す。それでいいか」
「ええ。きっと、彼こそが一番の当事者……なのかもしれません」
俺が当事者……?
「聞いてくれ。我々が今こうして生きている世界は……本来であれば存在しなかった、ありえざる世界だと主張する人間達が暗躍している。彼等こそが、本当の意味でのテロリストと言える。……彼らが言うには、この世に本来魔法と言うものは存在しないそうだ」
それは、俺だけが知っていると思っていた、一つの真実の物語だった――