表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
147/315

第百三十八話

(´・ω・`)またせたな

『ははーん、また来たな?』


 男は、心の中でそう呟きながら、観光客と思しき青年にその情報を提示した。

 実際、多いのだ。『水平線を見つめ続ける美女』を目当てにやってくる若い男というのは。

 山村側でその噂を聞きつけた人間が、目的を濁しながらこの漁村にやって来て、さも『偶然観光に来ただけですよ』という風に装い、情報を集め件の美女に声をかけるというのもまた、名物になりつつあったのだ。

 件の美女の待つ堤防へ駆けていく青年、ユウキを見送りながら、食堂の常連達がその一部始終を見守ろうと集まりだす。


「まぁ、無理だろうな。珍しいニホンジンの旅行者のようだが」

「ああ、ニホンジンだったのか。てっきり温泉郷の方からの客だと思ったぜ。ほら、向こうの連中も黒髪が多かったろ」

「温泉なぁ……あんな美女誘って温泉旅行なんて出来たら、天国だろうな」

「ちげぇねえ! よし、とりあえず慰めの用意はしとくか。女将さん、なんかつまみと酒、あの兄ちゃんの分も用意しといてくれや」

「あいよ! まったく……こんな理由でも繁盛してる以上、なんにも言えないんだけど……悪趣味だよアンタらも」








 正午を過ぎ、日が沈むのが幾分早い季節と言う事もあり、海面は穏やかな波と穏やかな光を湛えていた。

 そんな穏やかな海でも、イクシアにとっては恐怖の対象であり、今も自分のライフジャケットをしっかりと着こんでいた。

 だがそれでも、彼女はただ水平線を見つめ続ける。

 いつの日か、愛する息子がやって来る事を。


「……もう一月もすれば冬、ですか。ライフジャケットの上から着こめるコートも必要ですね」


 静かにそう一人ごちる。

 今日は、静かだった。海だけではない、彼女に声をかけてくる人間もいないからだ。

 ユウキを待ち始めて一週間程で、彼女に声をかける人間は増えた。

 それは純粋に自分の身を案じる物半分、個人的な欲半分。

 流石にイクシアも、それらが自分目当てなのだと理解するようになっていた。

 そう、もう彼女の意識は、老婆として老衰、死を迎えた時とは違う。しっかりと第二の生を生きる一人の女だという事を自覚し始めていた。

 そして同時に、自分が美しいのだと言う事も、ようやく理解した。


「……きっと、憧れていたのでしょうね」


 そもそもの話。イクシアの身体が生み出される際、それは魂に刻まれた全盛期の姿に近づくと言われていた。

 だが同時に、それには本人の意思が、願望が、希望が多少なりとも反映される事を彼女は知っている。

 それは例えばの話、かつては身体の一部の発育が芳しくなかった事への密かなコンプレックスであったり、他にも――自分が最も美しいと思っていた人間に近づきたい、自分にとっての母性の象徴である人物の面影を少しでも欲しい……という願望であったり。

 ユウキ同様、彼女は義理の母親、血の繋がりのない女性に育てられていた。

 そして、そんな彼女と自分は似ていない。それが、少しだけ彼女の不満点でもあった。

 イクシアの母。育ての母である人物は、かつて本当に『国を傾ける程の美女』として名を馳せていた事があった。

 故に、そんな母親の面影を求めた彼女の容姿は、当然のごとく多くの男性を惑わし、ついつい海に佇む彼女に声をかけさせていたのであった。

 まぁ尤も、本人が無頓着であっただけであり、生前の彼女も多くの求婚を受けていた美女ではあったのだが。


「……またですか」


 その時だった。背後から何者かの足音が聞こえ、それがまっすぐに自分に向かっている事に気が付いたイクシアは、少しだけ『面倒だな』という、彼女にしては珍しい負の感情を抱きながら、ゆっくりと振り返り――


「すみません、折角そんな恰好までして海にいたのに。山、越えてきちゃいました」


 完全に、言葉を失い、固まってしまっていた。

 そこにいたのは、かつて『ユウリス』と偽名を名付けた、愛する息子のグランディアでの姿。

 長い黒髪。そして自分よりも頭一つ以上高い身長を持つ、しかしそれでも何も変わらない、彼女の最愛の息子であるユウキ。


「イクシアさん、一緒に戻りましょう。暗くなる前に――」


 そこまで、だった。

 ユウキが言葉を発せたのはその時までだった。

 次の瞬間、イクシアはまるで、飛び掛かるようにして、ユウキの首に強く、強く強く抱き着き、その言葉を中断させていたのであった。


「……早かったです、ユウキ。私はてっきり……もう二、三年は覚悟していたんですからね」

「……それだと流石に俺の方がまいってしまいま――む!」


 強い、強すぎる抱擁。胸に抱きしめ、ユウキの頭を自分の身体に押し付け、完全にホールドしてしまうイクシア。

 もう離さないと。もう永遠に手放さないと。強く強くユウキを抱きしめるイクシアは、身長の差なんて物ともせず、ユウキの体勢を崩させる形で、跪かせるようにして抱きしめていた。


「ユウキ……ユウキ……私を許して下さいユウキ……貴方を、大切な貴方を一人置き去りにしてしまった私を……」

「当たり前です。怒ってなんかいません」


 そして、ようやくユウキも、彼女を抱き返す。

 母を、最愛の人を、唯一の家族を、強く、強く強く抱きしめる。

 その抱擁は、互いの言葉が尽きても続き、日の光が朱に染まるまで続く。

 その変化に気が付き、そこで二人はようやく自分達が長い間こうしていたのだと思い至る。


「帰りましょう、イクシアさん。一緒にセシルの雨靴に」

「もう、知っているのですね。はい、行きましょう、一緒に」


 イクシアは、手を差しだす。

 ユウキは、その手をしっかりと握り返す。

 その光景はきっと、事情を知る者が見たら感動的であり、同時に――








「あーチクショウ! 羨ましいなチクショウ! あの様子じゃナンパじゃねぇなチクショウ!」

「生きてたのかチクショウ! ありゃ恋人だ、持ち人だ間違いないぞコノヤロウ!」

「今日で見納めかよチクショウ! 名前も知らねぇってのによクソ! ああくそ、憎らしいぜあの若いの!」


 妬みの嵐。羨望の嵐。ブーイングの嵐。

 近場の食堂にて、かれこれ二時間以上抱き合っているユウキとイクシアの姿を遠くから見守っている常連客や、かつて散っていった男達は、怨嗟の声をあげていたのであった。


「なんだいアンタらみっともない! あのお姉さんが幸せになっちゃいけないってのかい!」

「……そういうわけじゃねぇんだけどよ……」

「あの人の思いが通じた。それでいいじゃないか。これでウチもまた暫くは平和になるってもんだよ。ほらほら、アンタら注文がもうないなら帰った帰った!」


 ここに、村の名物の一つが終わりを迎えた事を記しておく。








 イクシアさんがいた。

 ライフジャケットを纏っている。

 恐がっているのが傍目からでも分かるくらいその裾を握りしめていた。

 それでも彼女は、ただじっと海の果てを見つめているかのようだった。

 だから、駆け出した。海を眺め続ける彼女に向かって。

 すると、彼女は唐突に振り返り、そして――




 イクシアさんと一緒に、ロープウェイ乗り場へと向かい村の中を行く。

 何故だろうか、周囲の注目を集めている気がするのですが。


「ユウキ。今の時間ですと、ロープウェイが来るのは……もう一五分後ですね。お腹は空いていませんか? お昼はもう食べましたか?」

「あ、すっかり忘れていました。……今日にはイクシアさんに会えると思ったらもう、期待でご飯なんて受け付けなくて……」

「それでしたら、宿に戻ったら一緒に食べましょうね」


 イクシアさんが、ずっと手を握ってくれていたと思ったら、次の瞬間俺の手を引き、腕を抱きしめる様にして歩き出した。

 せ……背の所為でバランスが……こうして見ると本当に俺ってデカくなってるんだな。

 ……あとなんか周囲から舌打ちみたいなのが一斉に聞こえてきたんですが。


「ユウキ、これまでどんな事があったのか聞きたいところですが……それは戻ってからにしましょう」

「はい。人前で話せない事もありますから」

「ユウキ、寂しかったですか? 私は凄く寂しかったです」

「はい。当たり前じゃないですか。本当に凄く寂しかったんですから」

「ユウキ、でしたら寂しくないようにこれからはずっと一緒にいましょう」

「はい。ずっと一緒です」

「ユウキ、それでしたらお部屋は一緒にしましょう。大きなベッドでも二人なら丁度良い狭さになりますから」

「はい――ってそれはダメですよ」

「ダメではありません、今日はもう放しませんからね。ずっとこうです」


 イクシアさん、ひっつき虫みたいになる。

 ちょっと本気で腕を掴まれているので、放してくれそうにないです。

 そのまま俺は、周囲の目がある密室だというのに、ゴンドラの中でもずっと腕を抱きしめられたまま、セシルの雨靴まで戻るのであった。




「ただいま戻りました。別館、使わせて貰いますね」

「おお、おかえりなさ――そちらのお兄さんは?」

「私の待ち人です。やっと会えました」

「お、そうでしたか。少し前にオーナーと一緒に来たお兄さんだね? どうぞ中へ」


 あ、そうか。イクシアさんももうこの宿のお馴染みになっていたのか。

 ……だからさっきからなんで舌打ちが聞こえてくるんですか。大体想像出来るけど!


「オーナーというと?」

「ああ。……ここならもう話しても大丈夫そうですね。ロウヒさんですよ。俺をここに連れてきてくれた」

「まぁ! 実は私、彼に伝言を頼んでいたのですが……その時に?」

「はい。無理を言って連れて来て貰ったんです」


 作戦その1。

 あくまで俺が無理を言ってロウヒさんに連れて来て貰った事にする。

 ロウヒさん……めっちゃ心配してたもんな、イクシアさんに怒られる事。


「まぁ……! では、ユウキは学園に休学届でも……?」

「い、いやぁまぁ……そういう感じです」


 あ、ダメだこれ。話していけば絶対矛盾点とか違和感出て来るわこれ。

 隠し通すのは無理ですわ。


「積もる話もあるでしょうし、まずはリョウカさんの所に向かいましょうか」

「そうですね、俺さっきここに来た時、イクシアさんが漁村にいるって聞いて、すぐにここ飛び出してきちゃったんですよ」

「ふふ、そうだったんですか。……嬉しいです、そんなに会いたいと思っていてくれて」


 いや当たり前でしょう。俺がどんな気持ちでこの四カ月を過ごして来たか。

 グランディアでの研修を終えた俺が、唐突にイクシアさんの入院を告げられ、騙されて戦ってきて、そこからここに至るまでどんな思いですごしてきたか。

 つい、抱き着かれている腕の先、手で強くイクシアさんの手を握る。

 やがて、先程俺が飛び出した、リョウカさんのいた部屋へと辿り着く。


「失礼します、ユウキです。イクシアさんと無事に会えました」


 ありゃ、無反応。さすがに別な部屋に移動したか。

 俺は近くにいた人間に、リョウカさんはどこかと尋ねると『今は三階にある会議室にいる』とのこと。

 この別館と呼ばれるアジトは、元々は本当に宿の別館、VIP用の施設だったらしく、多少温かみのない印象を受けるが、洗練された雰囲気を感じるし、実際ローケーションも設備も、調度品も細かい装飾も凝っているように思えた。

 で、そんな豪華な手すりやら扉を通り過ぎ、会議室に辿り着く。


「リョウカさん、ユウキです。無事にイクシアさんと会えたのでご挨拶に来ました」

『入ってください』


 部屋に入ると、そこは会議室というより、大きな談話室のような、むしろ建物の通路に比べてずっと温かみのある空間だった。

 巨木を活用して作られた大きなテーブルに、切り株を加工して作られた椅子。

 大きな一枚窓からは、美しい山肌が夕日に照らされた光景が見える。

 そんな素敵な空間だと言うのに、そこにいる顔ぶれは――


「えっ!? ユウキ君なの!? 貴方が!? 嘘!?」


 なんと、そこには半年ぶりになるニシダ主任の姿があった。

 ニシダ主任に、ロウヒさん。六光にリオちゃん、リョウカさん。

 他にもこの組織の主要な幹部なのか、男女一人ずつが同席していた。


「ニシダ主任、お久しぶりです。こちらに来ていたんですね」

「……うっそー……ユウキ君ってそんな風になるの……?」

「順調に成長したらきっとこうなるんです、間違いない」

「本当にユウキ君ですよ。それは私が保証します。イクシアさん、無事にユウキ君と再会できて何よりです」

「はい、本当に。もっともっと時間がかかるのではと思っていましたので……」


 あれ? でもニシダ主任って普通に秋宮にまだ在籍しているものだと思っていたけど……なんでここに? もしかしてリョウカさんと一緒にもう移動していた?


「ロウヒさん。私との約束、守って下さりとても感謝しています。有り難うございました」

「……いえ、当然の事をしただけです」

「はー……こりゃ確かに坊主が必死になるのも頷けるな」


 ロウヒさんの表情が硬い気がする。

 そして六光、あんまりじろじろ見るな。


「え、なに? ユウちゃんこの人がお母さんって事なの?」

「え? うん、まぁそうなんだけど」

「ええ!? だって……え? お母さんって……養子にしたって言うならもっとこう……いかにもお母さんって感じだと……ええ……ユウちゃん絶対違うでしょ、本音」

「……本音も何も、大好きな家族の為に頑張ったってだけだよ」


 そして何故だかリオちゃんは納得いかないような感じでした。

 いやぁ……まぁそっか、リオちゃんもイクシアさんの事知ってるつもりだったけど、そうじゃなかったのか。

 ハワイで見てなかったのか。

 少しだけ盛り上がったものの、後は和やかにお互い自己紹介……という流れになると思っていたその時だった。


「ふざけないでいただきたい! コイツは……コイツは我らの同胞を虐殺した人間でしょう!」


 この場にいる、関係者と思しき男女が唐突に声を荒げたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ