第百三十六話
ある朝のセシルの雨靴別館。
宿としての様相を捨て去り、どこか基地を思わせる先鋭的で戦術的なその場所で、仮の主として『USM』の首魁代行を務めている秋宮リョウカの元に、二人の来訪者が訪れていた。
「やはり、空路を使えるのは大きなアドバンテージとなりますね。お久しぶりです、ヨシキさん、ニシダ主任」
「ああ、久しぶりだ。結局、関わるつもりはなかったがこうしてお前の元に来てしまった」
「お久しぶり……になるのですね、総帥。やはりあちらは偽物でしたか」
ニシダ兄妹。秋宮グループに所属する『料理系ぶぅちゅーばー』ニシダヨシキと、秋宮グループの兵器開発研究部の主任に任じられていたニシダチセ。
その二人がここ、セミフィナル大陸山間部のUSMアジトを訪れていた。
「念のためお聞きしますが、目撃はされていませんか?」
「ああ。遠海にて魔術式ステルスを発動。そのままこの建物の裏手に直接移動して降り立った。凄まじいだろう? 本当の意味でステルスな機体だ」
「元々、静止体を透明化する術式は存在していましたからね。そこから数百年あまり研究を重ねた成果でしょうかね?」
「まぁ通常はグランディア限定の機能だがな」
「あまりにも魔力の消費が激しすぎる、と。地球で行えば半径数百キロで魔力が枯渇するでしょうね」
「で、だ。俺の要件は一つだけ。チセ、俺の妹をこちらで預かってくれ。三日前秋宮グループを辞めてきたんだ。本当なら妻と一緒に別宅に避難させておくつもりだったが、大人しくしているのが苦手だからな、俺の愛しい妻達は。だからこちらに頼む事にした」
現状、最も厳重に隠れている、会うのが難しい人物に平然と会いに来たヨシキは、ただ妹を預かってくれ、そんなどこにでもあるような要件を伝える。
「……分かりました。ちなみに、彼女に協力を要請しても?」
「妹の判断に委ねる。チセ、断りたかったら断ってくれて構わない。お前は今や『仕事に疲れたOLが自分探しの旅を始めた』ような状態だからな。好きに過ごして良い」
「ちょっと! なんで俗っぽい感じにまとめようとするのよ! ……けれど、確かに私はもう命令、指令を聞かなきゃいけない立場ではないのよね。総帥、いえリョウカさん。私は、貴女の頼みを聞く事も、聞かない事もあります。それでもここにいても良いでしょうか?」
そう、チセはかつての自分の雇い主にきっぱりと告げる。
「はい、それで構いません。どうぞ、この場所で自由にお過ごしください。……それで、そちらは少し前まで地球にいたのでしょう? 出来れば情報交換をしたいと考えているのですが」
「その、それが私はほぼ秋宮の研究室に監禁のような扱いをされていたので……あの出来事をニュースで知った程度です」
そして、恐らくこの場で最も事態を正確に把握しているであろう男は、どうした物かと頭をひねる。
「俺がここで答えるのは、不干渉をやぶる事になるだろうな。だから俺は何も言わん。チセと同等の知識を分かりやすく順序だてて話すだけになる」
「……ええ。きっと貴方はそうなんでしょうね」
「では、ヨシキお兄さんが教えてやろう。次代の英雄……そして時代の犯罪者とされた人物に纏わるお話を」
ヨシキは語る。
世界の注目を一身に受け、次代の英雄として知られる事となったユウキの数々の武勇伝を。
そして、その彼が地球で最後にかけられた容疑と、その顛末を。
「……ええ、彼がこちらに逃亡中なのは知っていました」
「で、お前は彼の英雄譚がどういう理由で生まれたのか、おおよその検討はついているんだろう?」
「ええ。もしも私に人としての情がなければ、きっと彼を自由に動かす為にあらゆる手段を講じるでしょうね」
「えっと……どういう意味、なのでしょうか?」
「……ユウキ君が大々的にその名前を出して活動を始めたのと、私とイクシアさんが地球から逃れたのはほぼ同時期、という事です。それで、大体予想は出来るでしょう?」
「っ! まさかイクシアさんの不在を利用して……あの人はそんな……!」
「ええ、あの子はそういう人間です。そして私もほぼ同質の人間ですよ。そこにほんの少しだけ、他の要素が混じり、多少マイルドになり熟成された結果、ですけどね」
リョウカはそう笑いながら語る。
「ああ、そうだな。秋宮の総帥に豚を加えて鍋で二千年くらいじっくりコトコト煮込んで出来たのがこちらになります」
「そんなー!」
「……本当、どうしてこんなに仲が良いのやら……」
「まぁ気にするな。お前さんはあんまり深入りしない方がいいさ。んじゃま、俺の用事は終わりだ。暫くは……そうだな、またアメリカ西海岸に別荘でも買ってそこで暮らしながら優雅に米政府と仲良く過ごすさ」
「……リョウカさん、どうか兄にあまり無茶な要求はしないでくださいね」
「ええ、出来れば私もそれを願っているのですが……この人割となんでも出来ちゃうので……」
「褒めるな。ああ、それとあれだ、チセを預かってくれるんだ、相応の礼をしないといけないな。三つほどお土産を置いていくから、有効に活用してくれ。たぶん、俺がこの三つをここに残していくのが『正しい』ようだからな」
そう最後に言い残し、ヨシキは飄々と部屋の外に出ようとする。だが最後に――
「チセ。この世界はな、どんな事、どんな物、どんな人も、誰かの仕事の上に成り立っている。俺の力の上に何かが成り立っているのなら、土台である俺が怠慢である訳にはいかんのだよ。誇れよ、お前の兄さんはなんだかんだで喜び勇んで世界の土台になってんだから」
まるで、そのままこの地を去るような空気を醸し出しながらそう語り部屋を後にした。
が、実際には宿本館にて山の幸に舌鼓を打っていたのだが。
結局、ヨシキは一泊した後、再びグランディアを去ったのだった。
怠慢、ここに極まれりである。
「ふむ……なるほど、既に二月程前に秋宮リョウカと護衛の人間がここを訪れた、と」
「ええ。少々面倒な立場になられたそうでしたが……なるほど、あなた方の方が遥かに面倒な立場になられたようだ」
「クク、そうだな。やはり拠点は以前移した時から変わっていない、でいいか?」
「ええ、今も『セシルの雨靴』のままです。向かうのでしたら、陸路が良いでしょう」
先生、話についていけません。でもなんとなくここにイクシアさんが来ていたって事は察する事が出来ました!
「陸路……となると、旧街道を行くべきか?」
「いえ、出来れば山道を通り旅行客に紛れた方がよろしいかと。少し前に、我々シュヴァインリッターの方で街道、旧街道の警備を強化しました。私はともかく、一般の職員にとって貴方方は少々目立ち過ぎる。調べられたらすぐに手配中だとばれてしまう。ならば人通りの多さに紛れた方が良いでしょう」
「海路はどうだ?」
「いえ、海路は常に警戒されています。正直、貴方達がこの大陸に辿り着けたことすら奇跡のような物ですから」
「ふふ、そうか。ではそうだな、山道向けの魔車の手配を頼む、ランドシルト総帥」
現在、俺が通っていた『シュヴァインリッター』の元ネタというか、名前の元になったグランディアの警察組織、その総本山を訪れていた。
ロウヒさん普通に手配書回っているんですね。変装しているとはいえ、よく堂々と来られましたね。リオちゃんも六光も。
用意された魔車に乗り込み、足早に首都を立ち去る。
「はえー……なんだかグランディアらしくない都市でしたね」
「そうだな、ここは最も『地球化』が進んでいる都市だ。魔法科学というよりも、地球科学に重きを置いている。魔法だけではなく、地球の技術を中心とした文明、文化が発展しているからな、この大陸は」
「ま、秋宮とべったりだもんねー、この大陸」
そう言いながら、リオちゃんは変装の為に被っていたウィッグを脱ぐ。
「正直私の手配書なんて結構古いし、ロウヒなんてまだ地球の情報がそこまで出回ってないんだし、気にしすぎだよ」
「そうだな。だがあそこは総本部だ。念には念を入れるさ」
「あ、あの! イクシアさんってそのナントカの雨靴ってとこに行けば会えるんですか!?」
明確な居場所を知った俺は、もう逸る気持ちが抑えきれず、御者席に乗り出すように話しかける。
「恐らくな。街道ではなく山を突っ切るコースだ、もう五日程で到着する」
「……あと五日! 長かった……」
「……そうだな。それで青年、一つ頼みがあるのだがいいかね?」
「なんです?」
ロウヒさんは、魔物の手綱を握りながら、まっすぐ道を見据えながら、冷静に語り出す。
まるで最後に大きな難関でもあるかのような物言いに、俺も思わず喉を鳴らし唾を飲み込む。
「……君の母親をどうか説得して欲しい。冗談ではなく、このまま詳細を語れば私は君の母親に殺されるだろう」
「……マジで言ってます?」
「……マジだ。私はな、長年人相手に戦って来た。相手の力量を見誤る事なんてない。その私が断言しよう。君の母親が怒り狂ったとしたら、私は何もできずに殺されると」
……ロウヒさん。手綱を握る手が微かに震えていませんか?
「おいおい、ちょっと大げさすぎやしないか? まぁこっちの道に愛息子を引き込んだんだ。親から一発殴られるくらいは通過儀礼だろ?」
「そうそう。こればっかりはね? 私達も一緒に怒られてあげるから」
そう六光とリオちゃんが笑いながらロウヒさんをなだめる。
だが俺には、むしろロウヒさんの言葉の方が遥かに正しいと感じた。
「……死ぬのは私だけで良い。二人は控えておけ。青年……頼んだからな」
「あー……了解っす。念のため事前に予防とかはしておいてくださいね」
「ああ、勿論だ。……リオ、最大級の儀式魔導で私に結界を張っておいてくれ。頼んだぞ」
「……マジ? ユウちゃんのお母さんそんなに恐いの? 私模擬戦頼もうと思っていたんだけど、やめておいた方いい?」
うん。たぶん地球での姿なら問題なく甘やかして可愛がってくれると思いますけど、今のリオちゃん大人だから。たぶん手心なんて加えてくれないと思います。
「……ククク、いや愉快だ。存外私にもまだ人らしい感情があったのだな。いや……違うな、忘れていた。近頃自分より強い存在と会う事がなかった」
「そんなになのか? お前よりってぇと結構限られて来るが」
いやまぁ、イクシアさんが強いのは分かるけど、実際どれくらいかと聞かれると分からないんだけどさ、俺も。
「そうだな。まずは“一之瀬セイメイ”。彼は私より強い。恐らく紙一重……いや、二重程で私は負ける。少なくとも最後に会った時から彼が成長していなくともな」
「へぇ、一之瀬さんのお兄さんってガチでそんなに強いんですね」
「ああ、強いぞ。一応世界最強だ、表の世界では」
「へー! 私も戦ってみたいけど、さすがにバックアップ無しで異界に突入する勇気はないかなー」
あ、そっか。今も異界調査中なのか。……俺も、いつかは何らかの事情でそこに向かう事があるのだろうか。
「で、だ。明らかに私が勝てない、どうしようもないと感じる人間にはこれまで二度、会った事があるのだよ。まぁその一人は言わずとも分かるだろう?」
「ジョーカー、ですね」
「そうだ。六光、お前も見た事だけならばあるだろう?」
「ちなみに私はないよ。たぶん勝負が成り立たないっぽいからあまり興味はないけど」
うん、それは分かる。だってあの人前動作もなにもない、ただ適当に剣振っただけで海割ってたし。
しかもさも当然のように『大陸を薙ぎ払う』なんて言うし。
おかしいでしょ、あの人。
「そして次。一度顔を会わせた事があるが『R博士』と呼ばれる女性だ。恐らく彼女も強い。そして……不気味だ。ある意味ではジョーカー以上の得体の知れなさを持っている」
「え? あの人が? 俺あの人と結構話した事ありますよ? 普通に可愛いお姉さんですよ? 可愛いというか愛らしいというか。ちなみに人妻らしいです」
「へー、ふーん。ユウちゃん人妻好きなんだ」
「違うって―の」
いや、もうあの人はアイス大好き人妻エルフでしかないと思うんですが。
ただまぁ、研究者として反則だとは聞いているけど。
「きっと、本気になれば片手間で私は負けるさ。だが、今言ったジョーカーやR博士は『弁えている』自分がどんな影響を与えてしまうのか弁え、己を律し、決して世界に過剰に関わらないようにしている。だが――」
「……イクシアさんは違うと?」
「あの人は強者である前に『母親』だからな。母は恐い生き物さ。ましてや子供の為ならば、なんでもする。故に、私には誰よりも彼女が恐く目に映る」
「うーん……まぁ母は強いとはよく言うけどねー……やっぱり気にし過ぎだって」
うん、なんとなくわかった。
俺、全力でイクシアさんを止める。約束する。