第百三十五話
ある日のグランディアの上空にて。
本来であれば何人たりとも侵す事が出来ない領域を、一機のジェット機が切り裂き進む。
「ねぇ! グランディアって飛行禁止って話じゃなかったの!?」
「俺は例外なの。ちょっとあまり話しかけないでくれ、飛行機の操縦は慣れていないんだ」
「……ていうかいつ飛行機の免許なんて取ったのよ」
「そんな物はない。ここはグランディアだぞ? 地球の制度は関係ない。安心しろチセ、もし墜落しそうになったら俺が生身で飛んでやる」
「……天国のお母さん。貴女の息子、私の兄は一体どうなっているんでしょう」
「きっと残した家族を守る心強い息子だと思ってくれている事でしょうな」
「……だったらせめて孫の顔くらい早く見せてあげたらどうよ。この世に身体を得た人間だってしっかり子供を作れるんだから」
「……ん-、まぁ子供は『もう』いいかなー」
「とにかくどこかで操縦変わって! 私一応操縦出来るから!」
「やだ、結構楽しい」
以上、ニシダ兄妹の近況である。
「青年。恐らく我々を怪しむ人間はいないだろうが、それでも目立つ真似はしてくれるなよ? たとえば乱闘騒ぎを起こしたりな」
「ロウヒさん、俺の事なんだと思っているんですか……」
「ふ、すまないな。何分この中では最年少の未成年だ。過分に心配してしまうのは年長者の性だと思ってくれ」
「大丈夫大丈夫! ユウちゃん、私と行動しておこうよ。なら安心でしょ?」
「お嬢と一緒だとさらに心配なのはなんでなんですかね?」
海での半放浪のような生活が続き、そろそろファストリアを出て二カ月が過ぎようとしていたこの日、俺達は予告通り客船に忍び込み、乗客に紛れ込む事に成功していた。
……なお、俺達が乗っていたボートは遥か海洋で自動的に海の藻屑になるそうです。
勿体ない! その資金力はどこから来るんですか!
「……ふむ。我々はこちらの世界でもそこそこ顔が知れている関係で、リオに頼む事になりそうだな。お前はもう何年もこちらの世界に来ていないし記憶も風化しているだろう。少し情報収集を任せても良いだろうか? 私と六光は拠点になりそうな場所を用意しておく」
「あー……まぁ元々私って一般には知られていないもんね。うん、了解。じゃあユウちゃんも一緒に行こうか」
ふむ? リオちゃんがこの姿でテロリストだって知られているのはあくまで関係者にだけ、しかも活動していたのは結構前の話だったか。
……あれ。でもちょっと待って。やばい、盲点が一つある。
「あ、あの……俺、一部だと有名かもしれないっす……特にこの姿だと」
「……む? それはどういう事だ?」
「実は――」
俺は、今年の春休みの出来事。つまりセカンダリア大陸エレクレア公国で起きた一件、俺が公爵家令嬢であるコウネさんの婚約者として大立ち回りを繰り広げた事を話す。
「なんと……公爵家のいさかいの情報は入っていたが……」
「ヒュウ! やるな坊主。良い男気だ」
「……へー、ふーん」
「と言う訳で、俺もちょっと裏方に回った方が良いかもしれないっす」
「……たしかにこの船はセカンダリア大陸も経由している船だからな。君を知っている人間がいる可能性もある……か」
「でも、あの大会って確か外部中継とかされていないし、記録映像の持ち出しとか出来ないよね? 当然地球産の録画機能つきのスマ端も使えないし。って事はあの会場に居合わせた人間しか知らないんじゃない?」
「うむ、そうだろうな。だがリスクは避けたい。リオ、我慢して一人で情報収集を頼む」
「えーえーえー…………分かった。んじゃせめて良い拠点用意してよね。そろそろ寝心地が良いベッドが恋しいんだから」
リオちゃん……マジで大人でもそういうテンションなんですね……。
大人げないというかなんというか。
「では我々は船内を見て回り使われていない部屋や倉庫、空き部屋がないか調査をするとしよう。青年、念のためにこれを掛けておくと良い」
そういうとロウヒさんは、変装用だろうか、伊達メガネをこちらに手渡した。
「なんの効能もないがないよりはマシだろう。では、私は三階と四階を調べる。六光は二階、青年は一階と、念のため下部倉庫周辺も確認してくれ」
「了解っす。倉庫を拠点にしたらリオちゃん文句言いそうですけど」
「くく、確かにな。だがその時は我慢してもらうさ、あれで中々聞き分けの良い大人だからな」
「ま、我儘は地球暮らしが長かったからって事だな」
なるほど、身体に精神が引っ張られた的なアレですな?
ともあれ、俺は俺の持ち場を見て回るのだった。
結論から言うと、俺達は目的の大陸に着くまで、使われていない船倉の備品置き場を拠点にする事になりました。
リオちゃんごめん。冷静に考えて空き室があっても定期的にチェックされるしリスクあるわ。
「いやいやいや! それくらいどうとでも出来るから! 私『記録』と『記憶』の改ざんが得意分野だから!」
「しかし、それはあくまで記憶と記録だけ。そこに人の行動を操作する能力はない。リオは毎回チェックに来た人間や清掃員の人間を取り逃がす事なく、騒がれる事なく、リスクなく記憶を改ざんする事は出来ないだろう」
「ま、せめて空き室があれば『そこを俺達が正式に借り受けた』って記録と記憶に改ざん出来たんですがねぇ」
え、なにそれ反則すぎない?
しかしそれで納得した。確かに……これまでリオちゃん改変したと思われる痕跡は、どれも記録と記憶に纏わる物ばかりだ。それ以外は簡単に気取られていたはずだ。
かつてイクシアさんが俺の入院中に病室に忍び込んだ時とかがそれだ。
先に侵入した痕跡は普通に残されていたと言っていた。
「リオちゃんすげぇ……強いだけじゃないんだな」
「まぁねー……って言いたいところなんだけど、これはまぁ、血筋の特徴、みたいな?」
「リオの一族は『ありえない効果を持つ術式を生涯のうちに一つだけ生み出す事が出来る』という特色がある。彼女の場合は『改ざんする』となる」
「ナチュラルにバラさないでよ。まぁ、つまり改ざんが適用されるのは、記録と記憶だけ。それ以外を改ざんする事は出来ないって訳」
……なんだ、それはまるで概念を対象にしたような、途方もない力のような……。
捕え方によっては『歴史の改変』にも通ずるような……。
「出来ないよ」
「え?」
「ユウちゃんが今考えた事。私はあくまで自分で見た、今起こっている事象にしか介入出来ない。それも、私に関係する事柄だけね」
「あ、なるほど。んじゃさすがに歴史をかえたりは出来ないか」
「そういうこと。まぁ、もしかしたら私の御先祖様ならそういう事も出来たのかもねぇ」
「出来てたまるかって突っ込むのは野暮ですかね」
「ですよねー」
とまぁ、そこまで不機嫌にはならず、とりあえずどこからか拝借してきた少し破損して破棄されていたベッドに寝転がりながら、リオちゃんは嬉しそうに笑っていた。
「で、リオの方は情報収集どうだった?」
「ああ、うん。結果から言うと『とくに問題は起きていない』と言えるかな」
「ふむ。ならば『問題ではなくとも一応事件はあった』という程度の認識ではあったと?」
「良い読みしてるね。じゃあ詳しくお話ししましょう」
語られたのは、あの植樹式から既に二カ月以上が経過している今、グランディアと地球間の移動はこれまでよりもずっと厳しくなり、なおかつ地球に出向していたグランディアの人間は、全員グランディアに戻れずにいる、という事だった。
だがそれは地球が一方的にグランディアの人間を拘束している訳でなく、グランディアの国々と地球の国々、両陣営納得の上での封鎖処置という事らしい。
つまり、物質的な流通が一方的に止まっているだけでなく、情報ですら完全にこちらに流れなくなっているという意味でもある。
「つまり、国のお偉いさんはあの事件の事を知っている上で、あの一件がこっちの世界の一般に知られる事をなんとか防いでいるって訳か。まぁ関係者やら軍人には情報が公開されているとは思うが」
「ま、そうだよね。あの植樹はサーディスの人間が強引に独断で推し進めた物って側面もあるから。それであんな事件になった以上、地球だけの責任にはならないって事」
「だろうな。つまり、少なくとも現時点で青年、君は犯罪者とは認識されていない。が、捜索している人間には決して見つかってはいけない、そんな立ち位置にいる訳だ」
「よ、喜んで良いんですかね……?」
「まぁ多少は良い知らせと受け取っても良いだろう。精々残り七日の船旅を満喫しよう。大陸に到着し次第、次の進路をどうすべきか諜報に移る」
いよいよ、俺はイクシアさんと同じ大地を踏む事が出来る。
そう思うと、今日は少しだけ興奮して寝つきが悪くなりそうだな、なんて思った。
ある日の午後。小さな、けれどもそれなりに人の出入りのある漁村の、小さな食堂。
朝の漁を終え村に戻って来た漁師達が、今日も自分達の仕事場にして戦場でもある海が見える席に座り、食事を摂っている、そんなありふれた光景。
「はいお待ち。あんたら今日は機嫌がいいねぇ」
「今日はちょいと臨時収入があったんだよ。網に珍しくカブトボラって貝がまとまってかかってな。ありゃ工芸品の材料として良い値段が付く。ざっと通常の漁十回分の利益になるんじゃねぇか」
「へぇ! じゃあもっと注文してくれるように若い衆にも言ってやっておくれよ」
そんな、和やかでいつも通りの時間。
そして『ここ一カ月のいつも通りの光景』として、今日も海におそるおそる、一人の女性が向かっていた。
おっかなびっくり、と言うのがしっくり来る様子の、綺麗な金髪を潮風に靡かせるエルフの女性。
少々不格好なライフジャケットを身に着け、まるで海を心底恐がっている風であるのに、毎日同じ時間にこの漁村の港にやって来るのであった。
「あの姉さん今日も来てるな。確か待ち人がいるんだったか?」
「そうらしいわねぇ……この港に外部の船なんて年に数回しか来ないっていうのに『きっとこの場所に来る』の一点張りで……たぶん、恋人なんだろうねぇ……」
「しっかしただの観光スポットですらないこんな漁村が待ち合わせ場所なんてなぁ……もしかして騙されているんじゃねぇか?」
「……かもしれないわねぇ。そう思って声をかけた男が何人かいたんだけれど、烈火のごとく怒られて、それ以来誰も話しかけられないのよ。ただまぁ……ウチとしてはあのお姉さん見物に来る男衆のお陰で儲けさせて貰ってるんだけど」
実際、毎日決まった時間に現れ、正午にこの場所で食事を摂り、その後夕暮れ時までずっと海の傍に立ち続ける美女を一目見ようと、近頃は男性客がこの店を訪れているのは事実だった。
灯台も何もない。住人の生活の為だけの港。
日が落ちれば決して船が来ることもない辺鄙で平和で小さな港。
そこに一人立ち続ける美女の噂は、次第に漁村、そしてそこから続く山村にまで広がっていたのであった。
「……この辺りは今、丁度日本と気候が同じなんですね」
地平線を眺めながら、件の美女、イクシアは一人呟く。
自身が地球を去った八月の終わり。そしてそれから月日が流れ一一月を迎えていた。
肌寒く、海から吹く風に頬を冷やす日々。それでもイクシア毎日、この場所で夕日が沈むまで、ユウキを乗せた船がやって来るのをずっと待ち焦がれていた。
やがて、今日も待ち人来ず、夕日と引き換えに灯る街灯の気配を感じ海に背を向け歩き始める。
本日最後のトラムウェイに間に合わせるように、駆け足気味に乗り場へと向かう。
「あ、あの! その、毎日見ていました! よろしければご一緒にお食事でもいかがでしょうか!」
だがその最中、唐突に近くの酒場のテラス席から一人の若者が飛び出し、イクシアの前に躍り出る。
そんな青年の姿を、他の客はまるで面白い見世物でも見る様に、にぎやかすように眺めていた。
「申し訳ありません、急ぎですのでお断りします。では」
瞬殺。一考の余地もなく、一切の思案なく、一瞬の迷いなく、イクシアは駆け足でその勇気ある青年の横を通り過ぎていくのであった。
勇気ある青年は、そのまま路上に固まってしまう。
そして酒場の男達は、そんな青年を引きずるようにして酒場に連れ戻し、慰めるように共に酒を飲みかわす。
それもまた、日常となりつつあった。
「ただいま戻りました、マスターさん」
「おかえりなさいイクシアさん。“別館”の方に既にお食事は用意してありますよ」
「ありがとうございます。では」
漁村とは比べるまでもない程の賑わいを見せる山村、そこの人気店でもある宿屋『セシルの雨靴』。
トラムウェイの停留所にも、山岳ツアーコースにも近く、更に景色も良いこの宿は、さらに『酒場』としての側面も持ち合わせており、昼夜問わず、宿泊客か否かも問わず、常に盛況と呼べる賑わいを見せていた。
その宿の宿泊客『とされている』イクシアの帰還は、この店の常連にまた一つの話題を提供する事になる。
「マスター! あの姉さんは別館の客って事は……お偉いさんの知り合いか何かなのかい?」
「さぁて、客の詮索はご法度だ」
「いやぁすまねぇ……あんな次元の別嬪は見た事がねぇからついな。噂じゃ、恋人を待ってるとかなんとか」
「さぁて、誰を待ってるのかは俺も知らなくてね。ただ、少なくとも別館を利用出来る客だ。そんくらいにしておきな」
「へいへい、んじゃマスター、山ぶどう酒のおかわり頼む」
そしてまだ存在するこの宿の『側面』。
最高のロケーションで、最高の設備で、最高の料理で、最高の時間を過ごす秘密の別館、VIPだけが通される、入場条件不明の別館が存在するという。
求めても入る事が出来ない。知る事だけは出来る。そんなミステリアスでどこか憧れを集める宿でもあるこの場所は、今日もまた、賑わうのであった。
そして最後の側面。
「ただいま戻りました、リョウカさん」
「おかえりなさい、イクシアさん」
テロ組織と目される『USM』の拠点でもある。